第十八話 ある少女の話 中編
今私は、電柱に隠れている。もちろんアキトさんを待つためだ。
先ほどから何度かいつもアキトさんが歩いている道をチラ見しているが、まだ姿は見せていない。
(そろそろ来る時間だと思うんだけど...)
ポケットからスマホを取り出して確認する。いつも部屋の窓からアキトさんの姿を見ている時間だった。
徐々に不安が積もっていく。暗い気持ちを振り払うようにもう一度、電柱から顔をのぞかせてみる。
まだ姿は見えない。思わずため息をついた。
(まさか今日に限って寄り道なんてことは...)
そんな想像が頭をかすめた。しかし、次の瞬間コツコツと靴が道路を叩く音が聞こえた。
まさか...はやる気持ちを抑えながら、再度ゆっくりと電柱から顔をのぞかせた。
(っ!)
いた。いらっしゃった。アキトさんだ!
思わず手が震え、持っていたスマホを落としかける。
危ない危ない...どぎまぎしながらゆっくりとスマホをポケットにしまう。
そして、アキトさんと十分に距離が離れたことを確認し、後をつけた。
少し先に見える住宅の庭に生えている木、そこがいつも窓からアキトさんを確認できる最後のポイントだった。つまり、その木を超えた先は未知の世界だ。
もちろんまだ引きこもる前には何度も通ったことのある道だったが、アキトさんと歩く道は全く違って見えるだろう。
(今日だけだから...)
私は自分に言い聞かすと、なるべく小さく存在を消しながら、アキトさんの後を追った。
************
アキトさんは黙々と道路を歩いていく。
私も黙々とその後を追っていく。
途中コンビニもあったが、アキトさんは寄る気配すら見せなかった。
(このまま家まで寄り道せずに帰るのかな)
少しでもアキトさんといる時間を伸ばしたい私は、少しだけ寂しい気持ちになった。
しかし、そんなことを考えているとアキトさんが本屋の前で立ち止まった。私もあわてて立ち止まり、物陰に隠れる。
アキトさんはそのまま、本屋の中に入っていった。
一階建てのそんなに大きな本屋ではない。
(中に入ると鉢合わせてしまうかも...でも...)
私は少しの間逡巡した後、意を決してそのあとに続いた。
本屋の中には人がまばらにいた。私は久しぶりの両親以外の人がいる室内に、少し怖くなる。
しかしフードの先を指でつまみ、深く被り直すと覚悟を決めて店内を歩き、アキトさんを探した。
アキトさんは店内の右奥に位置する本棚の前にいた。一冊の本を手に取り、パラパラと中を眺めている。
私は一つ棚を隔てた場所に移動した。
(ち...近い...)
当たり前のことだが、いつもアキトさんを見ていた窓からの距離と比べて、手の届く様な近さだ。
もちろん、声をかければアキトさんに届く。しかしそんな勇気はないし、そもそもするつもりもない。
同じ空間に入れるだけで満足だ。私は自分の顔が熱くなっているのを感じた。
(もう少しこのままいたいな...)
しかし、そんな私の思いとは裏腹に、アキトさんは呼んでいた本をパシッと閉じると、その足でレジへと向かった。そして、スムーズに会計を終えると、さっそうとお店を出て行った。
私もあわてて後を追おうとして、ふと立ち止まる。
(アキトさん、何の本を買ったんだろう)
そこまでアキトさんのプライバシーに近づいていいのだろうかという考えは頭を掠めたが、恋心と好奇心の強力なタッグの前にあっさりと敗れ去った。
私は戸棚を回り込み、先ほどまでアキトさんが触っていた本棚のあたりに目を向けた。
(確かこの辺り...え...これって...)
そこには子供との接し方について書かれたが、大量に置かれていた。
おそらく初めて子供を産んだ母親用の本だろう。私の頭の中をクエスチョンマークが飛び回る。
(何のためにアキトさんはこの本を買ったんだろう...)
疑問は尽きなかったが、ここで考えていても仕方ない。なによりアキトさんを見失っては本末転倒だ。
私はあわてて本屋から出ると、きょろきょろと辺りを見回した。
(いた!)
丁度アキトさんは少し先にある交差点を右折するところだった。
私は少し小走りでそのあとを追いかけた。
************
アキトさんは片手に本屋の袋を持ち、黙々と道路を歩いていく。
私も黙々とその後を追っていく。
それだけで幸せな気持ちだった。しかし、一点だけ気になっていることがあった。それは、暑さだ。
ただでさえ、季節は夏に近づいているのに、今日の私はパーカーのフードを深く被っていた。
汗が頬を伝う。髪も皮膚に張り付き不快な感覚だった。
それでも外の世界でこのフードだけは取ることができない。それは三か月前に引きこもりになった私が一番強くわかっていた。
私がまた暗い気持ちに引っ張られかけていた時、アキトさんがすっと曲がり角を曲がった。
私も一定の間隔を保ったまま、同じ角を曲がった。そして目を見開いた。
(アキトさんがいない!)
先ほどまで10メートル先を歩いていたアキトさんが、急にその姿を消していた。
しかし、先ほどの角を曲がった今の道はまっすぐの一本道だ。見失うはずがない。
おろおろと立ちつくす私だったが、そんな私に後ろから初めて聞く声が聞こえた。
「なぜ我をつけている。」
正直、この瞬間心臓が止まらなかった自分を褒めてあげたい。
その声を聴いた瞬間、なぜか確信を持った。声は初めて聴くし、根拠はないが、それでも確信が持てた。
私はゆっくりと振り返った。
そこにはいつも窓から見ていたアキトさんが、腕を組み立っていた。
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