第十七話 ある少女の話 前編
私の世界は、ある日を境に急速に狭くなった。
具体的に言うならば、窓から見える代り映えのない風景が今の私の世界のすべて。
そう、私は引きこもりだった。
私が引きこもりになったのは、今年の4月からだ。学生でいうところの4月は新学年を意味する。
きっかけは些細なことだった。でも思春期の女子にとって、それは絶望も同義だった。
そう、私は引きこもり歴三か月の中学3年生だった。
でも、最近ではそんな生活に変化が表れ始めていた。
それは引きこもり生活を初めて二か月目のある日。いつものように外の風景を眺めていると、ある一人の高校生の姿が目に入った。
いや、目に入ったというのは少し表現として弱いかと思う。
もっと正確に表すなら、その姿に目が吸い込まれて、離せなくなって、夜も眠れなくなって、夢にも出てきて、朝起きても脳裏に焼き付いていた。
正直にいうと、一目ぼれだった。
それからというもの、毎日外の風景を見ることが楽しくなった。
その人は私と違って毎日規則正しく同じ道を通って登校をしていた。つまり、朝と夕方の2回その姿を見るチャンスがあった。
私はもちろんそのチャンスを逃さないように、今までの早朝に寝て夕方に起きるという不規則な生活を改めて、早起きをするようになった。
日の光をしっかりと浴びて、夜はしっかりと睡眠をとる。少し体が楽になった気がした。
でも、まだ私は引きこもりだった。正しい生活習慣の引きこもりだ。
でも、ほかにも変わったことがある。それまでは、日々の生活にメリハリがなかった。
もちろん今日が何日かなんて知らないし、曜日もわからなかった。
でも今ではわかる。理由は単純だ。その人は土曜日と日曜日は登校をしない。つまり姿の見えない日は平日ではなかった。
最初はもちろんがっかりした。そして、次の月曜日を待ち遠しく思った。そう、引きこもって以来、明日を待ち遠しく思ったことなんてなかった。最初は明日が怖くて、ある日からはそんな思いさえも風化していった。
でも今では、今が何日の何曜日かわかる。金曜日の夕方に姿を見送った後は悲しくなるし、日曜日の夜は明日の朝が楽しみで早くにベッドに潜る。単調な毎日だったのが、今では鮮やかに色づいていた。
でも、まだ私は引きこもりだった。鮮やかな日々を生きる引きこもりだ。
それでも、初めて姿を見てから一か月経った今日、ついに私は決心をした。
その人の存在を窓からの風景だけで終わらせたくない。だから一度だけでいい。その人がいる風景に、同時に私も存在したい。
3か月ぶり外着に通す腕は、小さく震えていた。心も怖いと叫んでいる。
でも、私はその恐怖を私の思いで押さえつける。
一度だけでいいんだ。今日が終われば、その人はまた窓からの風景でいい。
今日は両親とも遅くまで帰ってこない予定だった。昨日の晩、確認したから間違いない。
だから特に意味はないけど、自室の扉をゆっくりと開けて廊下に出た。そのまま、玄関へと向かう。一歩歩くごとに恐怖が積もる。しんしんと雪のように積もる。
でも今日の私は止まらない。心に宿す火は、恐怖の雪を溶かしていた。
感覚すら忘れかけていた、靴を履く。
そして扉に手をかけた。
怖い!
心が叫んだ。思わず体が竦む。
でも私は目をつぶって、その人の名前知ったある日を思い出す。
その日はたまたま友達と帰っていたのだろう。その人の横を歩く、優しそうな友人がその人の名前を呼んでいた。もちろんその日は小躍りをした。漢字でどう書くのかはわからない。でもその日以来、その名前が私の中の一番のおまじないとなった。
だから、今日も自分に勇気を奮い立たせために心の中でこうつぶやく。
(アキトさん...私に勇気をください!)
もう一度、扉に手をかけた。今度は心も恐怖を叫ばない。
そして私はそのまま一気に扉を開け放った。
久しぶりに見る外の世界は、夕方のオレンジ色に染まりかかっており、そしてあっけないほど昔のままだった。
パーカーのフードを深く被り直す。大丈夫。今日だけだから。
(アキトさん、今行きます。)
そうして引きこもりだった私の世界は、三か月ぶりにその姿を広げたのだった。