第十五話 怒涛のバドミントン勝負 後編
「もう!香織はいつも無茶し過ぎ!」
「だからごめんって。」
保健室で香織は葵から説教を受けていた。
体育の授業の最後に意識を失った香織は、そのまま担ぎ込まれた保健室で貧血と診断を受けた。
それから少しして目を覚ますとたまたま休み時間だったらしく、隣には葵がいた。
最初は安心した顔を見せた葵だったが、すぐさまキッと眉を上げると、香織の事を叱り続けた。
「でも、最後あまり覚えてないんだけど、どうなったの?」
葵の怒り攻撃に耐えかねた香織は、話題を変えた。
「最後ってバドミントンの試合のこと?」
「そう。私が最後に打ったシャトルって...」
「我のコートに落ちたぞ。」
急に聞こえてきた声に驚いた香織は、勢いよく振り向いた。
そこには尊大な態度で腕を組む彰人と、その後ろで気まずげに手を振る先間がいた。
「びっくりするわね!なによ!」
「なにとは酷い言い草だな。朝霧が知りたがってた試合の結末だろう。」
そう言って彰人はやれやれと頭を振った。
だがその姿を見て香織の心の中にも、実感がじわりと広がっていく。
「そっか。やっぱ届いてたんだ。」
「ああ。そうだ。」
香織は彰人の目を見た。彰人も見つめ返してくる。
「ねぇ...悔しい?」
香織はそのまま問いかけた。
彰人は「ふむ。」とって顎を触り、ふっと笑った。
「かなりな。」
「でしょうね。だってあんた負けず嫌いっぽいもん。」
「我は負けず嫌いではない。ただ、今まで常勝だっただけだ。」
香織はそのセリフを聞いて「うへー」とベロを出した。
だが、その最中先ほどの試合の最後の光景を思い出した。
「そういえばさ、あんた...」
「なんだ?」
「さっきの試合、最後なんで走りきらなかったの?」
「ああ、そのことか。」
彰人はそういうと、後ろ手から何かを取り出し、こちらに見せてきた。
どうやら体育シューズの様だ。
「その靴がどうしたのよ。」
「よく見ろ。」
その言葉を聞き、香織は顔を少し寄せると靴を注視した。そして気づく。
「紐が...」
「そうだ。我はもちろん最後まで球を打ち返す気であった。しかし、一歩踏み出した瞬間に足元から嫌な音が響いてな...見たらこの通りだ。」
彰人は靴をプラプラと揺らした。
切れた靴ひもも一緒にプラプラと揺れる。
「それに彰人、切れた紐を踏んでたよね。」
「先間。うるさいぞ。」
後ろに立つ先間がニヤニヤとしながら、彰人を茶化した。
その先間を窘めながら、彰人は再度香織に向き直る。
「言っておくがこれは別に偶然などではない。我の勝気を、朝霧の気迫が上回ったことによる結果だと捉えている。」
「じゃあ、負けを認めるんだ?」
香織は挑発するように声をかけた。
だが、彰人は再度やれやれといった風に首を振る。
「言っただろう。我は常勝の定めを持っている。」
「でも今回は...」
「そうだ。今回の試合はまだ決着がついてはいないだろう?」
そう言って彰人はニヤッと笑った。
その顔を見て香織も言いたいことを察する。げんなりとした。
「はいはい。まあ確かにまだ試合が決まる点数じゃなかったわよ。」
「そういうことだ。」
彰人は香織を指さすと言った。
「この試合の決着は再戦までとっておこう。」
「全く...それを負けず嫌いっていうのよ。」
香織は苦笑した。
「なに、そんなに期間は空かん。先ほど教師にも確認をしたが、来週の体育まではバドミントンをするとのことだ。だからそこで...」
「それは無理ね。」
再戦の予約を取り付けようとした彰人は、まさかの言葉に固まった。
そして、困惑顔で香織を見た。
「悪いわね。でもそんな顔をされても無理よ。」
頑なに香織は再戦を拒否する。
だが、ベッドの傍らに立つ葵はその様子から何かを感じ取ったのか、顔を真っ青にすると香織に詰め寄った。
「まさか香織...怪我してないよね...?」
だが香織は自分の肩を不安げにつかむ葵の手に触れると、ほほ笑んだ。
「違うわ。そんな心配しなくても大丈夫よ。」
「ホントに...?だって来月には大会が...」
「ホントのホントだって。ただ、少し調子が悪いのは事実。それで来月の大会の事を考えると、あまり無理はしないでおこうと思っただけよ。」
笑顔でそういう香織に、葵は「そういうなら...」と肩から手を放した。
しかし、その様子を見ていた彰人は「ふむ」と顎に手を当てると、急に時計を見てつぶやいた。
「先間。そろそろ次の授業が始まるな。」
「え?そうかな?まだもう少し...」
「いや。もうそろそろ行ったほうが良い。」
そういいながら彰人は先間を見た。
そしてその顔を見た先間も、何かを感じ取ったようにうなずいた。
「確かにそうだね。そろそろ準備しなきゃ。七瀬さんもほら。」
先間はそういって葵の事も呼んだ。
葵はちらちらと香織のほうも見ながら「でも...」と言いかける。
だがそんな葵に彰人も声をかけた。
「七瀬よ。戻る時間だ。」
名前を呼ばれた瞬間、肩がビクッとなった葵は頬を朱色に染めながら、おずおずと切り出す。
「豊島君が言うなら...でも香織、ホントに大丈夫なんだよね。」
「大丈夫だって!でも、まだ体調は回復しきってないから、もう少しだけ休むわ。」
そう元気よく答えた香織は「ほら、遅刻したら怒られるわよ!」と言いながら手を振った。
その姿を見て懸念も晴れたのか、葵も手を振り返す。
「じゃあ、体調良くなったら戻ってきてね。」
「わかったわ。」
そうして彰人達三人は保健室を後にした。
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「はぁー」
香織は笑顔で三人を見送った後、次の授業が始まった時間であることを確認し、ため息をついた。
「本当に私ってばか...」
シーツを握りしめながら呟く。
徐々に視界も滲み始めた。
香織は幼いころからバドミントンが好きだった。もちろん、その中で幾度も怪我も経験してきている。だからこそ気づいていた。
今自分の右足首の痛みは、おそらく来月の大会までに再度香織をコートに立たしてはくれないだろう。
もちろん彰人は何も悪くない。なんなら全力でバドミントンを楽しんでくれた。悪いのは自分の限界を見極めきれなっかった自分自身。そんな不甲斐なさに、自己嫌悪を感じる。
シーツを固く握りしめた手に、ぽたぽたと涙が落ちた。
その時、保健室のドアが開く気配がした。
驚いた香織は涙を隠そうと、とっさにシーツを頭の上まで引っ張り上げ、寝たふりをする。
コツコツと足音が聞こえた。
どうやら香織のいるベッドに向かってきているようだ。
(保健室の先生かしら?)
そう思ったものの、泣き顔を隠すために香織は寝たふりを続ける。
そのうち、足音の主は香織のベッドに前にたどり着いた。そしてそのまま静寂が流れる。
(え?誰?)
何も言葉を発しない相手に、徐々に不安が増してくる。
そろそろ涙も乾いてきたし、起きたふりをして声をかけようかと考えた香織だったが、次の瞬間足跡の主が自分の足首に触れる感触があった。
それも、丁度怪我をしている右足首だ。
(ちょっ...やめて!)
香織は咄嗟に出かけた悲鳴を無理やり抑え込む。
もし今足首を触っているのが先生だったら、怪我の事がバレてしまう...そう考えたからだった。
しかし次の瞬間、香織の耳は奇妙な呟きを耳にした。
(え、なに。今の...)
聞いたことのない呟きに体を固くする香織だったが、つぶやいた本人は香織の足首から手をはなすと、またコツコツと歩いていき、保健室を出て行った。
今のは何だったのかと不可解な状況に頭の整理が置いていていない香織だったが、次の瞬間あることに気づく。そしてシーツを跳ね除けた。
「足首が!」
そう、先ほどまではズキズキと強烈な痛みを発していた右の足首が、今では嘘のように痛みが治まっていた。
香織は信じらず何度もぺたぺたと足首を触る。しかし、どれだけ触っても足首は痛くない。
まるで最初から痛みなどなかったかと錯覚してしまうほど、いつも通りの感覚だった。
「もう...何が何だか...」
香織の呆然とした呟きだけが、静かな保健室に響いた。
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ガラッ
「おお、豊島。お腹大丈夫か。」
「はい。問題ありません。」
「それは良かった。変なもの食うなよー。」
自分の席に着いた彰人に、隣から先間が小声で話しかけてきた。
「それでどうなったの?」
「何がだ。」
「またまた...まあ、あえてその設定に乗るなら長いトイレの結果かな。痛みは無くなったの?」
「まあな。」
その言葉を聞いた先間は「そっか」と呟くと、安心した顔をした。
「それにしても彰人って...ホント分かりやすいよね。」
「勘違いするなよ。言っておくが我は始めた勝負はきちんと白黒つけたいのだ。」
「まあ、そういうことにしとくよ。」
そう言ってニヤニヤと笑う先間を見て、面白くなさそうな顔をした彰人は「ふん」と呟くと、来週のバドミントンの試合に向けて、戦術を練り始めたのだった。
最近、話が長くなりがちですね...。
次の話は久しぶりに一話完結にしようかな(願望)