第百三十三話 消えた財宝を追え! その9
葵が指さす方をみると、そこにはこぶし大ほどの真っ青な宝石がガラスケースの中で鎮座していた。
先間はその宝石のあまりの綺麗さに感嘆すると同時に、若干の安堵を覚える。それは少なくともこの別荘で一番高価なお宝は盗まれることは無いだろうという安心感からだった。
(だって...位置が高すぎる。)
先間は首への疲労を感じ、上を見上げていた顔を下に降ろしながらそう思った。
そう、『大海の涙』が置かれたガラスケースは壁に張り付いているのだが、その位置は吹き抜けとなっている応接間の天井に近い位置...地面から優に4メートルは超えてた位置に飾られていたのだった。
「ちなみに値段は聞かない方がいいわよ。」
隣で同じように『大海の涙』を見上げていた香織が言った。
「朝霧さんは知ってるの?」
「そうね、ずっと綺麗だなと思って見てたから、数年前にこの別荘に遊びに来てた時に葵から聞いたの。帰ってから親にそのことを話したら卒倒しかけてたわ。」
「...じゃあ、あの宝石が盗まれたら大ごとだね。」
そう言った後、(あ、これフラグっぽい)と思った先間は、すぐ「まあ、位置的に問題ないと思うけど。」とフォローを入れた。
とはいえ、現在盗まれたお宝の数だけでもすでに3点だ。一番高いお宝が無事だから良しというわけにはいかないだろう。
そんな中、室内にパンという手を打った音が響いた。
「一度、状況を整理しましょう。」
そう言ったのは香織だ。
たしかに、今朝『潮騒の夢』が盗まれていることに気付いてから、この瞬間まで慌ただしく時間が過ぎており、全く思考がまとめられてない。
しかし、一見まったく尻尾すらつかめそうにない今回の窃盗事件だが、必ずどこかにヒントはあるはずなのだ。
先間はそう考え、力強く頷いた。
「そうだね。このまま犯人の好きにはさせない。ここから反撃開始だよ。」
拳を握りそう宣言した瞬間、先間のお腹が鳴った。
同じポーズのまま先間の顔だけが赤くなり、握った拳をゆっくりと解くと言った。
「その前にお昼ご飯にしよう。お腹が減っては戦は出来ないってね。」
そう言った後、先間は台所へと向かって言った。二日目のお昼ご飯は、先間が持ち込んだ食材を食べる予定だったからだ。
その後姿を見送った後、香織はやれやれと首を振りながらぼやいた。
「なんか、締まんないのよねぇ。」
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1)状況
・島への出入りは一日目の夕方から明日の朝まで不可能
・現在寝泊まりしている別荘はこの島唯一の建物
・普段は管理人とトール(犬)とサッカー(鳥)しか住んでいない
・別荘内に存在しているお宝の数は全部で45点→現在42点
・盗まれたお宝は『潮騒の夢』『魔惑の瞳』『懸想』の3点
2)『潮騒の夢』について
・絵
・一階の応接間の壁に飾られていた
・サイズは頑張れば子供でも持ち運べる大きさ
・盗まれたのは一日目の夜から二日目の朝にかけて
・唯一無くなっていることが分からないように他の絵の位置を動かし偽装されていた
3)『魔惑の瞳』について
・宝石
・2階の先間たちの部屋の壁に飾られている人形の目に嵌っていた
・盗まれたタイミングは不明
・誰もいないときに扉は常に閉めていたが、夕方まで窓は空いていた
・窓は子供がギリギリ通れるサイズ
4)『懸想』について
・盆栽
・2階の廊下の突き当りに飾られていた
・小ぶりなため子供でも簡単に持ち運びは可能
・二日目の朝、香織が先間たちの部屋に押し掛けた時には見かけた気がする
・上記が正しければ盗まれたのは二日目の朝から昼にかけて
お昼ご飯を食べた後、全員で意見を出し合い現在の状況を紙に書きだした。
テーブルの上に置かれたその紙を眺めながら、先間がうーんと唸る。
「『懸想』って実際のところ二日目の朝にはあったの?」
「だから分かんないのよ!言われて思い出そうとはしてるけど、そんなに廊下の奥を見てもなかったし!...ただ、視界の端で見た気もするのよねー。」
「それが本当ならめっちゃ怖いんだけど。だって...1階で僕から『潮騒の夢』が無いって騒いでる時に、2階で次の犯行が行われてたってことでしょ?」
「そうね、私たちが全員1階に集まっていると確信しているからこその犯行に思えるわね。」
香織が呟いたその言葉に先間はブルリと体を震わせた。
それはつまり自分たちの行動が監視されているかもしれないことを意味していた。
「そっちこそ、窓を閉めたタイミングで『魔惑の瞳』があったかどうか思い出しなさいよ。」
「うーん、合ったような気もするけど、無かったような気も...台風に気を取られて「雨が入ってくる前に早く締めないと!」って考えで頭が一杯だったんだよね...。」
「つっかえないわね!それでも探偵なのかしら。」
と、こんな感じで先ほどから自称探偵を名乗る2人の間で熱い議論が交わされていた。それはご飯を食べてから2時間以上も続いていた。
最初の方は興味津々な様子でその光景を眺めていたトールとサッカーも、今ではすっかり飽きてしまったのか、今ではどこかに行ってしまっていた。
日ごろ住んでいる別荘内でまさかお宝の窃盗が行われているとは思っていないであろう2匹のペットはいつも通り通常運転だ。
管理人が教えたのか自分で覚えたのかは分からないが、扉などもトールが器用に開けることができるため、切迫した様子の人間を尻目に我が物顔で別荘内を闊歩している。
(いまだに雨は止まぬし、事件が解決しそうな兆しもない。...まあ、これも今までにない体験と思えば良いか。)
彰人は目の前で白熱する議論を見ながら、やれやれと首を振った。
実はずっと事件を解決したがっていた2人だったが、これほどまでに一層焦燥感に駆られているのには訳があった。
それはこの探偵ごっこにタイムリミットが設けられたからだ。
それは先ほどお昼ご飯を食べていた時だった。
あーでもないこーでもないと話す先間と香織。探偵を名乗る割には要領を得ないその話をご飯を食べながら聞いていた葵がぽつりと口走った。
「まあ、最悪明日島を出るまでに事件が解決しなければ、私の実家に頼むから大丈夫だよ。」
それは2人を安心させるための言葉だったのかもしれない。自分たちが宿泊している期間中にお宝が盗まれるという事件が起きたけど、別に2人が責任を感じる必要もないし、そんなに心配しなくてもいいよと。
確かにその言葉を聞いたとき、先間と香織が少しだけホッとした顔を見せたのは事実だった。
正直、七瀬家の力を借りれば今回の犯人はそれほど苦労なく捕まえることができることは間違いなかった。あまり大きな声では言えないが、これほどまでに会社が大きいと必然的に法的な機関、つまり警察との繋がりも強くなる。
そして天下の七瀬家が所有するお宝の窃盗事件となれば、警察も総力上げて犯人の確保に動くことは明白だった。
しかしだ、葵の口から語られるそれらの話を聞きながら、途中から香織と先間の目に浮かんでいたのは安心感ではなく使命感だった。
どちらが言葉にするでもなかったが、おそらくお互いに考えていることは同じだった。
自分たちが寝泊まりしていた建物で起きた事件を他の人の手で解決させるなんて探偵としても矜持が廃る。だからこそ明日、島に船が来るまでにはこの事件を自分の手で解決して見せる!...だ。
(それにしても...焦りが前面に出過ぎておる。せっかく状況を紙書き出したのに、本人たちがその状況を客観的に見れておらぬ。これではいつまでたっても話が動かんぞ。)
いまだにうんうんと唸り続ける2人の姿を見ながら彰人はやれやれと首を振る。
(そして、もし犯人がこちらの状況を正しく認識できているのであれば...状況の方が先に動くことになる。)
「駄目だ!一度糖分を摂らないと頭がヒートしてる!」
そう言いながら立ち上がったのは先間だ。
そして台所に向かって歩き始めた。その背中に向かって香織が「私のもお願い!」と言った。
それに合わせて葵からも声がかかった。
「あ。そう言えば、何度か言ってるけど食器棚の右奥に置いてあるコップは使っちゃだめだよ。」
「え?あぁ、大丈夫!覚えてるよ。確か...『Sacred Cherry blossom』だっけ?」
葵はその言葉に頷いた。それは台所に飾られている45点のお宝の中の1つだった。
ちなみに午前中に別荘内のお宝の数を数えて回った時に教えてもらったのだが、どうやら香織が一番好きなお宝らしい。
一度だけ昔にそのコップに水を入れて見せてもらったことがあるらしいのだが、どういう原理かは分からないがコップ内に液体を入れたとたんに水中に桜の花びらが浮かび上がり、まるで桜吹雪が起きているかのように美しく舞う光景を見ることができるとのことだった。
それを聞いた先間が後ろを歩く彰人にぼそっと「朝霧さんって...意外と乙女チックなもの好きだよね。」と呟き、案の定その言葉を聞きとられた香織本人から鳩尾に一撃をもらっていた。
(我の世界にも似たような宝はあったな。できれば一度見てみたいものだ。)
彰人がそんなことを思い、元の世界のお城にあった宝の思い出に想いを巡らせていた時だった。
台所から先間の叫び声が響き、その後に大きな物音と食器の割れる音が連続して聞こえた。
3人は互いに顔を見合わせると、まず香織が飛ぶような速さで台所へ。その後を追うように、彰人と葵が向かった。
「何してんのよ!危ないでしょ!さっきお宝があるって...ちょっと大丈夫!?」
いち早く台所に駆け付けた香織の怒号を聞きながら、彰人もその光景を見た。
床に散らばったガラスの破片。おそらく先間が飲もうとしていたサイダーは床を汚し、そしてその中で先間が尻もちをついていた。
彰人は状況をっと目で見て、特に先間に怪我はないことを確認した。おそらく先間が尻もちをついた後に、コップを落として割ったのだろう。ガラスの破片自体もそれほど広範囲には広がっていない。
朝霧の言葉に先間は震える顔でコクコクと頷いた。
「ぼ、僕は大丈夫。」
それを聞いた葵は「私、掃除道具を持ってくるね。」と言い、踵を返した。
怪我がないと聞き、ひとまず安心した顔を見せた香織は、再度眉を上げると怒った。
「で、なんでこの段差も何もない場所でこけるのよ!『Sacred Cherry blossom』が割れちゃうじゃない
!」
そう声を上げる。しかし、それを聞いた先間は何かをぼそり呟いた。
彰人はその言葉を聞きとり、サッと顔を上げる。そして、やれやれと肩を竦めた。
(懸念通りか。)
しかし、香織は先間の言葉を聞きとれなかったのか尋ねる。
「え?何よ?言っておくけど、あのお宝を割ったらただじゃ済まさな...。」
「...割れようがないんだ!」
今度は先間も大きな声で返答した。そして震える手を上げ、目の前の食器棚を指さす。
その先を目で追った香織はある一点に釘付けになる。口からは「な」という声とも吐息とも取れないような音が漏れ、その目は信じられないようなものを見たかの如く大きく見開かれていた。
「だって...『Sacred Cherry blossom』が無いんだもん!」
そこには午前中には確かにあったはずのお宝の1つが忽然とその姿を消していた。