第百二十八話 消えた財宝を追え! その4
海でひとしきり遊んだあと、少し遅めのお昼を食べた彰人たちは、別荘の中でまったりとした時間を過ごしていた。
応接間のローテーブルの上には切り分けられたスイカが乗っており、その周りを囲むソファーには先間と香織が腰掛けている。
シャクシャクと音を立てながらスイカを頬張る2人。その間では先ほどから何やら議論が白熱していた。
「私は血文字が好きね。執念が垣間見えて。」
「いや、怖すぎるでしょ!」
先間の突っ込みが飛ぶ。
「それがいいのよ!よくある複雑で入り組んだダイイングメッセージを残すくらいなら、歯を食いしばってでも犯人の名を血文字で記してほしいわ。」
そう言いながら香織は手を拭く為に置いてあったウェットティッシュを指でなぞる。
スイカの果汁が付いた指でなぞるとそこにはうっすらと赤い線が現れ、指が離れた時には“センマ”と書かれていた。
まるで犯人のように記された自分の名前を見ながら、先間は軽くため息を吐く。
「でも、それやられると探偵の出番無くない?」
「...まあ、そうね。」
先間の正鵠を射る指摘に、思わず香織は素直に頷く。
確かにミステリーは探偵が行うなぞ解きを楽しむものだ。殺人が起きた現場に駆け付けた際に、そこに犯人の名前が残っていればなぞ解きもなにもあったものじゃない。事件は解決だ。
「まあでも、その名前が実は犯人が書いていた他人の物でミスリードになってるって展開は悪くないかもね。」
「他の人を容疑者としてやり玉に上げるってこと?なんか女々しくて嫌ね。犯人には無駄な小細工はせず、“バレたら潔く捕まる”くらいの美学を期待するわ。」
「考え方がハードボイルド過ぎるんだよなぁ。」
中々自分と意見の合わない香織の言葉に先間は肩を竦める。香織はその正確に違わず、ミステリーにも直球勝負を求めるようだった。
ちなみに先間はというと、香織とは大きく異なりなぞ解きのトリックは入り組んでいればいるほど好きなタイプだった。
まるで探偵を試すかのごとく複雑怪奇なトリックが用意されており、そして探偵は現場に残された証拠や関わる人達の言動、そういった情報を一つ一つ照らし合わせ答えを導いていく...そんなミステリーを好んでいた。
「だって、別に分かりやすいなぞ解きなんて用意する必要ないのよ。そもそも犯人が細部まで計画を立てて行った完成度の高い犯罪なら、それこそが最大の謎なんだから。」
「まあ、分からないでもないけど...。」
「だからさっき先間が言ってた“遺留品の頭文字を繋げると犯人の名前が浮かび上がる様なダイイングメッセージ”...だったかしら。そんな手の込んだヒントなんて邪道だわ。」
「えぇー!そういうパズル的な様子がある方がエンターテインメントとしては楽しめると思うけどなー。」
と、このようにさっきから考え方の相違があり、平行線をたどっている話し合いだが、これだけ趣味嗜好が異なる2人が同じように嵌っている【ネジ巻き】はやっぱりすごい。
確かに、【ネジ巻き】の新章...つまり探偵もののストーリーはそこら辺のバランス感覚が絶妙だ。先間のように入り組んだトリックが好きな人でも、香織のようにシンプルかつ硬派なストーリーが好きな人でも夢中になれるような展開になっている。
「何を話しておるのだ?」
そんなことを考えていた先間の隣からにゅっと手が出てきて目の前のスイカを掴んだ。
「む、うまいな。」
シャクりと一口スイカを食べた彰人がそう言って唸る。
「ね?夏に合うでしょ?」
「ふむ、確かに。」
「私からするとその年齢までスイカ食べたことないって事実がすでに謎よ。ミステリーだわ。」
香織はスイカを頬張る彰人を見ながらそう言った。
「あ、そうそう。話してたのは好きなミステリーの展開についてだね。」
そう言って先間も新しいスイカを手に取る。
「ミステリーか。最近お主たちが嵌っているものだな。」
「まあ、そうね。ちなみにあんたはミステリー好きなの?」
香織は若干の期待を込めた声でそう尋ねるが、彰人はスイカを一口食べるとそっけなく答える。
「...悪いが我にはいまいち良さが分からぬ。」
彰人の返答を聞いた香織はフンっと鼻を鳴らす。
しかし、香織が何かを言う前に口をはさんだのは先間だった。
「いや、実はね朝霧さん。僕がミステリーに嵌るもっと前に、僕の家でなぞ解き系のゲームをやったことがあるんだけど...。」
そう言って先間が語ったのは、まだ一学期の最中の話だった。
ある日先間はずっと楽しみにしていたゲームを購入した。そのゲームのジャンルはホラーミステリー。まだミステリーに嵌っていたわけではないが、告知の内容が面白そうでずっと購入を心待ちにしていたゲームだった。
しかし、自慢ではないが先間は怖がりだ。ゲームといえど、ホラー系を一人でやるのは気が引けた。そのため、学校帰りに彰人を誘ったのだった。
そしていざ家に帰ると、ウキウキしながらゲームを始めたのだが...その後が問題だった。
隣にいる彰人が早々と謎を解いていくのだ。
「これは言葉を英単語に置き換えるのではないか?」とか、「この発言はおかしいな。その状況におらねば知り得ぬ情報のはずだ。」とか、次々とゲーム内の謎を解き進めていく彰人。
おかげで先間が怖がる間もなく恐ろしいスピードでゲームは進んでいき、極めつけはまだ物語の中盤にも関わらず、それまでのヒントから彰人が最終的な犯人までいい当ててしまったのだ。
結局、その後クリアまでゲームは続けたのだが、全て彰人の指摘通りの展開で犯人までピタリと合っていた。
その時、画面に流れるエンドロールを見ながら先間は思ったのだ。
謎解きゲームをやる時は彰人は誘わないでおこうと。
「...ってことがあってさ。彰人はミステリーを楽しめないみたい。」
「なんだかムカつくわね。」
「仕方がないだろう。むしろ、あの程度の謎がなぜ分からぬのか。そっちの方が不思議に思うぞ。」
「あ、今度は間違いなくムカつくわね。」
香織の手の中で小気味いい音を立てて、スイカの皮が割れた。
まあまあ、と言いながら先間が憤りかけた香織を宥めていると、葵が声をかけてきた。
「でも、私は少し彰人君の気持ちわかるかな。」
そう言って彰人の隣に腰掛ける葵。
香織が「どういうこと?」と声をかける。
「うーんとね、私も小さな頃から良くなぞ解きをやらされてたんだよね。地頭が良くなるとかで。」
それも七瀬家の教育の一環だったのだろう。確かに子供の頃に遊び感覚でなぞ解きを楽しむことで、頭が柔らかくなるような気はするなと先間は思う。
まあ、自分は子供のころからゲームと漫画に溺れていたが。
「でもそういうの問題を解いていく中で気づいたんだけど、結局謎の解き方っていくつか決まったパターンがあるんだよ。まあ、解き方っていうか謎の作り方の方かな?そっちに法則があると言った方が正しいかも。」
確かにそれは先間も少しだけ聞いた覚えがあった。
無数にバリエーションがあるように思える暗号の解読方法だが、その手法も大元を辿れば数パターンになると言う話だ。
「だから、私もいくつか暗記している解き方のパターンがあって、その中のどれかがぴたりと当てはまった時に、あっけなく答えが分かっちゃったりするんだよね。」
その話を聞き「確かに一緒にテレビ見てる時、葵やたらIQテストとか解くの早いときあるけど、別に私がすごいわけじゃないって言うものね」と香織が言う。
葵は「そういうこと。」と言いながら頷いた後、彰人の方を見た。
「でも私のはあくまで元々知ってる解き方を当てはめただけに過ぎないから。おそらく初見でそういう法則に気付ける彰人君の頭の良さには嫉妬するかな。」
しかし、それを聞いた先間は思う。
もちろん謎の解き方にパターンはあれど、それは根幹の話だ。最近のなぞ解きで出てくる謎は、そのパターンにたどり着かせないような仕掛けが色々と張り巡らされており、一筋縄ではいかない。
つまり葵はそれらの仕掛けに惑わされることなく、その謎がどのパターンで解ける謎なのか...その本質を見極めていることになる。
つまり、本人は謙遜しているが葵も十二分にすごいということだ。
「なんか頭のいい人同士だけが分かり合える領域の話だね。」
先間は感嘆しながらそう呟いた。
しかしそれを聞いた葵は「あ。」言う。
「でも、その中でも好きななぞ解きのパターンはあるかな?」
そう言う葵に、香織は「へぇ、何?」と尋ねる。
葵は少し間を置くと軽く微笑みながら言った。
「アナグラム。」
それを聞いた香織は軽く首をひねる。
「あれ、それなんだったっけ?」
しかし、先間はというと目を輝かせた。
「わかる!そうそう、そう言ういかにもなぞ解きってトリックがいいよね!うんうん。」
何度も首を縦に振りうんうんと呟く先間。
その様子に葵は苦笑した後、香織に説明する。
「まあ、香織はこんなトリック好きじゃないかもだけど、アナグラムっているのは文字の並び替えの事だね。見たこと無いかな?ある文章を並び替えると、別の文章が現れるトリックみたいなの。」
「あぁ!あるわ!」
思い当たる節があったのか手をポンと叩く香織。
「それが、私は一番好きかな。お洒落だし、分かった時もすっきりするしね。」
そう言って再度葵はほほ笑んだ。そしてスイカが食べ尽くされ空になったお皿に気付くと、それを持ちキッチンへと向かっていった。
それを見送った先間は「まあ、好きなトリックは人それぞれだよねー。」と呟く。
同じミステリー好きでも、好みの展開はそれぞれ。そして好みのなぞ解きもそれぞれ。まあ、ミステリーが持つ長い歴史のことを考えれば、それも当たり前だろう。
(あ、そういえば)
先間はあることに気付く。
ミステリーと言えば、忘れてはならないものがある。その舞台だ。古今東西、様々な舞台設定が存在しているが、先間はその中でも特に好きなものがあった。
先間は改めて香織の方を見ると、話しかけた。
「ちなみに、好きなミステリーの舞台とかはあるの?僕は断然...」
「「クローズドサークル!」」
先間と香織の声が重なった。その瞬間、共に意外そうな顔をするが、やはり合う部分を見つけたこともあり嬉しさで顔が綻んだ。
クローズドサークルの持つ魅力は、なによりも手軽に完成される非日常感にある。
特に現代ではなかなか外部との繋がりが完全に断たれた空間というものは作りづらいからこそ、その絶望的な状況に惹かれるのだ。
そんな会話を繰り広げた先間と香織は満足げな顔で頷き合う。
「いやーまさか舞台に関してだけこんなに朝霧さんと意見が合うなんてね。」
「そうね。やっぱり外部から影響を受けない空間での犯罪ほど心惹かれるシチュエーションはないわ。まあ、昔ならまだしもこのネット社会でなかなかその状況を作るのは難しいだろうけど。」
しかし、その香織の言葉を聞き、彰人ははたと思い当たる。
「この島は電波が飛んでなかったのではないか?」
それを聞いた先間はキョトンとした顔で「そう聞いてるけど。」と答える。
彰人はふむと呟き、顎に手をやると続けて言った。
「そうなると、船以外では本島に帰れないこの島で、嵐などに見舞われるようなことがあれば、外部との繋がりが完全に断たれるな。まさに先ほどからお主たちの言っておるクローズドサークルの舞台が整うのではないか?」
そう言った彰人は先間と香織の顔を見る。2人は最初キョトンとした顔をしていたが、徐々にその顔が引き攣り始めた。
先間は慌ててポケットからスマホを取り出す。確かにこの島に来てから色々と慌ただしく、スマホでネットに繋げるような作業をしていなかった。
しかし、先間がスマホを確認すると同時に香織が口を開く。
「電波が来てないのは本当よ。」
そしてその言葉通り、先間のスマホには圏外の文字が表示されていた。
そうなると彰人の言う通り、今この状況でもし船が出れない天候になった瞬間、この島にはクローズドサークルの舞台が整ってしまう。
しかし、香織は先に冷静になると髪を手で払いながら言う。
「まあでも、天気は葵が調べてくれてるから大丈夫よ。」
「あ。」
突如、気の抜けたような声が響いた。
「え?」
香織はポカンとした目で声の聞こえてきた方向を見た。
そこには台所から返ってきた葵が手を口に当て、佇んでいる光景があった。
少しばかり時が止まったような感覚の後、葵が言った。
「天気のチェック、忘れてた。」
それを聞いた香織は先間と彰人の顔を交互に見る。
しかし、もともとインドア派の先間と、元の世界では王族だった彰人に天気を確認するといった習慣はなかった。そのため、もちろんどちらも首を横に振った。
また少しばかり静かな時が流れた後、口を開いたのは香織だった。
「ま、まあ、外はこれだけ晴天だもの!まさか台風なんて来ないわよ!」
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その日の夕方、島に台風が到来した。