第百二十三話 守れたもの 中編
一番根源的な部分を話すならば、我は魔法が使える。
それが口火を切った彰人の、最初の言葉だった。
「魔法...。」
そんな呟きが香織の口から洩れる。
“魔法”
それは普段漫画や映画などをあまり見ない香織ももちろん知っている言葉だ。
通常ファンタジーの世界、つまりフィクションの世界のみに存在している力。
これが日常の最中、不意に言われた言葉であれば「何馬鹿なこと言ってんのよ。」と一笑に付していただろう。
しかし、すでに信じざるを得ない光景を何度も見てしまっている。
香織の脳内を様々な映像が駆け巡った。
光り輝く魔方陣。
時間が巻き戻るように消えた彰人の傷。
巨大な二つの門とそこから伸びる鎖。
(極めつけは、私ね。)
そう、そして彰人が魔法を使えるという何よりの証拠は、香織自身が体験していた。
状況が状況だけに流していたが、先ほどリヴァイアサンとの戦闘の中で、香織の身体能力を高めた際、彰人は何度も口にしていたのだ。
魔力という言葉を。
「この世界に魔力という概念がないことは分かっておる。すぐに信じられなくとも結構だ。だが、我が使う魔法はフィクションでも何でもない。」
彰人はそう言うとおもむろに右手を前に差し出した。
その手に3人が注目した後、手のひらの上に円形の光がふわりと浮かぶ。彰人が集めた魔力をわざと可視化したのだ。
そして次の瞬間、その光は無数の線となって倉庫中に拡散した。
「わっ!」
香織は目の前で弾けた光に思わず飛び上がる。
その横で同じく驚いていた葵だったが、倉庫内を埋め尽くすまるで流星群のような光に思わず「綺麗...。」という言葉が漏れた。
倉庫中に散らばった光は、そのまま地面や壁に当たると、その場所を明るく染めた。
そして徐々に倉庫内に光が広がりまるで昼間のように明るくなった次の瞬間、先ほどの戦闘でガタガタに隆起していた地面が、バラバラに飛び散っていた備品の数々がひとりでに動き始めた。
そして3人が見ている目の前で、瞬く間に倉庫内は元の状態に修復されていく。
地面は平に、壁の凹みは消え、木箱はパズルのように組み合わされ。
「我の魔法は現実であり、真実だ。」
彰人がそう言った時、ものの五分程度で倉庫内は元通りの姿へと戻っていた。
「そしてさらに言うのであれば、この世界に魔力がないという認識は間違っておらぬ。」
きょろきょろと倉庫内を見回していた香織と葵は、彰人のその言葉にまた前を向いた。
彰人は何かを逡巡するように顔を伏せていたが、また顔を上げると話し始めた。
「我は...。」
しかし、そんな彰人の言葉をある声が遮った。
「豊島君が魔法を使えることって私たちの生活に何か悪影響あるかな?」
彰人は少し目を見開き、その言葉を発した人物、葵の方を見た。葵は少し首を傾げながら、そんな彰人をじっと見ている。
彰人は「悪影響か...。」と呟きながら、顎に手をやった。
「ない。」
それを聞いた葵は少しほほ笑んだ。
「じゃあさ、別にただの個性でいいと思う。みんなそれぞれ違う才能を持ってると思うけど、豊島君の場合はそれが魔法を使えるって才能。中にはその才能で人を傷つけてしまう人もいる中で、悪影響のない才能ならそれほど気にする必要もないよ。」
彰人はその言葉を吟味するように固まっている。
しかしそんな葵の言葉に続き、香織も「そうよ。」と声を上げた。
「別にあんたが魔法使えようが、何も変わらないわ。あんたはあんた。いつも通りムカつくほど自信家でいけ好かないただの男子高校生よ。魔法使えるくらいで調子乗らないでよね。それとも何?私をバドミントンで負かしたのはあれは魔法?」
「いや、あれば実力だ。」
それを聞いた香織は小さな突風が発生するほどの勢いで、ふんっと鼻を鳴らす。
そして腕を組み、彰人を睨みつけながら言った。
「そこ即答されるとムカつくわね。でも...じゃあいいわ。あれが魔法なら話は変わるけど、実力ならまだ勝てる可能性あるもの。」
その言葉を聞いてついに彰人は少しだけ目をパチパチと開閉させると、ふっと笑った。
「魔法が使えることは個性、関係ないか。...お主たちがそう言うのであれば、そうなのだろう。」
先ほど彰人が何を言おうとしていたのかは分からない。しかし、身の回りの友人から“お前が魔法を使えようが使えまいが関係ない”と言われればそれまでだ。
これ以上、語る言葉は必要ない。
葵と香織の言葉を受け、彰人はどこか緊張していた表情をほぐす。そして、その雰囲気を察した先間も、身体から力を抜いた。
常識外の化物の正体や、彰人が魔法を使える理由などは、香織と葵の2人にとってはそれほど重要な話ではないのだ。
全てが終わった今、なにより重要なのは2人の手の届く範囲の現実の話。つまり、苦難を乗り越えた2人がそれぞれどのように生きていくのかということの方が何倍も重要なのだった。
彰人がそんなことを思い、再び穏やかな空気が流れかけた瞬間、不意に葵が口を開いた。
「そうそう、魔法が使えようが使えまいが何も変わらないよ。私が豊島君を好きだってこともね。」
ぶーっと香織が空気を吹き出すと、音速で葵を見た。
先間も思わずあんぐりと口が空く。
もちろん葵が彰人に好意を抱いてることは周知の事実だった。彰人以外はみんな気づいていると言ってもいいだろう。
しかし葵の性格上、これほどまでに正面から大胆に告白をするなど、天地がひっくり返っても考えられなかったのだ。
「あ、あ、あお、葵!?こん、このタイミンっえ!?」
動揺しまくり噛みまくりな香織は、葵の表情を見た。
しかし、そこには少し頬を赤らめながらも凛とした目で真っすぐ彰人の顔を見ている葵の姿があった。
(ああ。そうか。)
それを見て香織は察する。
自分の親友は変わろうとしているのだ。
自信がなく自分の気持ちはいつも二の次で、他人の幸せばかりを考えていた葵は、ついにその殻を破ろうとしていた。
(私も負けてられないわね。あなたの親友...いえ、ヒーローとして。)
そんなことを思いながら香織は、一歩ずつ前に歩み始めた葵の姿を見ていた。
「...ありがとう。」
それが彰人の最初の言葉だった。
ハッとした香織と先間は、彰人の方を見る。そこにはいつも通り平然とした顔の彰人がいた。
そして、葵の視線を真正面から受けつつ、次の言葉を繋げるために口を開いた。
「待って。」
しかし、その言葉は再び葵の声によって防がれる。
葵は自分の後ろで手を組むと、小さく深呼吸をしてから、言った。
「今はまだ返事は待ってほしいの。やっぱり今はまだ私は自分に自信が持てない。豊島君と対等に向き合えないの。でも、もし私が今以上に成長して、豊島君と本当に向き合えようになったら、その時に返事が欲しい。...わがままかな?」
葵はそう言いながら首を少し傾けた。
彰人の隣でそんな葵の姿を見ていた先間は、思わずドキッとしてしまう。
それほどまでにその時の葵の仕草は、どこか遠慮がちな中にも美しさを纏っていた。
「分かった。」
彰人はそう返し、
「ありがとう。」
葵はそう言ってまた少しほほ笑んだ。
そうして2人の少女が傷つき、そして成長した、この一連の騒動は終わりを迎えたのであった。
すごくラストっぽい締めですが、実は後一話あります。