第百二十一話 HEROES その10
「この場所はお主が肉体を生成した際に用いた手法と同じやり方...つまり、我のイメージを具現化することで作っている空間だ。」
真っ暗な空間に彰人の声が響く。おそらく、先ほどまで辺りを確認していたリヴァイアサンの行動をどこからか観察していたのだろう。
しかし、彰人の説明にリヴァイアサンは目を見開いた。
「アリえン!」
リヴァイアサンが思わずそう叫ぶのも無理はない。
なぜなら、無から有を作り出すことは通常不可能に等しい芸当だ。
リヴァイアサンが肉体を生成できたのも、この地に誕生してから現代まで約数千年に及び人々の間に伝承され、恐怖の対象となってきたその歴史があったからだ。
人々の意識の中に、数多くのイメージが時間を超えて存在おり、それらを集約することで不可能を可能にしている。
つまりはただの一個人のイメージを具現化することは、それこそ不可能だということだ。
しかし、今回彰人が具現化したと言っているのは、肉体どころの話ではない。
この強大な空間を丸々生成したと言っているのだ。
「空間ノ具現化ダと...ソンなモのは聞いタコトがナイ!」
どこか別の場所に飛ばされたのだろう、くらいに考えていたリヴァイアサンは思わず声を荒げて反論する。
今まで様々な戦いを経験してきたリヴァイアサンも、空間自体が一から生成された場所に転移されたことは無かった。これは自分の常識外の出来事だったのだ。
しかし、彰人はどこまでも冷静に切り返す。
「それは今までお主が生きてきた環境、その中で培った常識内の話であろう?」
「何ヲ...。」
「いいか。良い事を教えてやる。」
真っ暗闇に支配された空間に、コツコツと足音が響く。
彰人が一歩ずつリヴァイアサンに近づいている音だ。
(なんだこれは...。)
その音を聞きながらリヴァイアサンは、最初暗闇の中に浮かぶ彰人の姿を見た時に感じた違和感が大きくなるのを感じていた。
(この感覚...そんなはずはない。我は上位悪魔だぞ。その我より、魔力量が...。)
彰人が一歩踏み出すごとに、自分に近づくたびに魔力がどんどんと高まっていく。
実は彰人は今も魔力の放出量を極力抑えていた。しかし、今の彰人は日本で過ごすための人間の姿をしていない。
自分のイメージを具現化したこの世界では元の姿、つまりアンガス=ドローレンスの姿に戻っている。
そうなると、人間の姿では抑制されていた魔力が、100%自由に使えるようになる。
しかし、その姿で扱う魔力量は人間の姿だった時と比べても、さらに途方もない量だ。そのため、どれだけ抑えたとしてもどうしても自分の周りに洩れる魔力があった。
今リヴァイアサンが感じているのは、その彰人が纏う魔力の破片のようなものだったのだ。
しかし、そんなことなど露ほども知らないリヴァイアサンは、徐々に高まる彰人の魔力に顔をこわばらせていた。
そんな中、徐々に近づいてきた彰人の顔が暗闇から覗いた。
「環境が変われば自分の常識は通用しなくなる。通用しない自分の常識を無理に押し通そうとすれば、痛い目を見るぞ。」
そう忠告をした後、彰人は少しフッと息を吐くと、「...まあ、我も先ほど学んだのだが。」と呟いた。
しかし、後半の声はリヴァイアサンには届いていなかった。
彰人がリヴァイアサンから顔が見える位置に立った時、その距離で受ける魔力量がリヴァイアサンの中の警報アラームを鳴り響かせたのだ。
リヴァイアサンの体は無意識に攻撃を選択した。
作戦も戦略もない、ただ自らの本能に従い、丸太のような巨体を俊敏に動かすと、尻尾を彰人に向かって叩き付けたのだ。
音速を超えた速度で尻尾が地面へと激突し、暗闇の中に轟音が響き渡った。
「急くでない。まだ、話が途中だ。」
「ッ!」
リヴァイアサンは驚愕の表情と共に、その声が聞こえてきた自分の後方を振り返った。
そこには先ほどと変わらない様子の彰人が腕を組んだまま立っていた。
(そんなはずはっ!)
リヴァイアサンは、心の中で叫ぶ。
もちろん攻撃を仕掛けたのだ。相手が避ける、もしくは反撃するなどの行動を選択すればそれに対応するよう、リヴァイアサンは気を張っていた。
そしてどれだけ早く動こうと、気を張っているリヴァイアサンの目と感覚は騙しようがない。そう思っていた。
だが、先ほどの彰人は動いた気配するなかった。
しかし...現に彰人は今自分の後ろに立ち、何事もなかったかのようにこちらを見ていた。
「とはいえ、それほど長く語る話もない。先間たちが待っておるしな。」
いまだに混乱の最中にいたリヴァイアサンは、彰人の声を聞いてハッと顔を上げた。
そこには手に持った鞘をゆっくりと掲げる彰人の姿があった。
(違う。)
リヴァイアサンは、一見して気づく。
先ほどまで彰人が持っていたのはただの鞘だった。確かにリヴァイアサンは、その鞘にも奇妙な感覚を抱いており、警戒はしていた。
それはこの空間に飛ばされる前からだ。得体のしれない気配を纏うその鞘の事は、常に注視していた。
だからこそ見間違えることは無い。
先ほどまで単体だった鞘に、今は何かが突き刺さっていた。
「この鞘は我がドローレンス家に伝わる国宝だ。」
彰人は目の前に掲げた鞘を見ながら話す。
「本来、国王のみが入れる宝庫の中に置かれ管理されている。だが、この試験の間だけ貸し出される決まりなのだそうだ。それを知らされたとき、我は別に必要ないと言ったのだが...まさかこれほど早く使うことになるとは思わなんだ。不甲斐ない。」
そう言って彰人は緩く首を振った。
リヴァイアサンにその話し声は届いていたが、リヴァイアサンはその鞘に刺さっている物に目が奪われていた。
それは鞘と同様、黒い柄だ。
なんの装飾もなくシンプルな姿をしているが、リヴァイアサンの感覚は敏感にキャッチしていた。
今はまだ鞘により抑え込まれているが、それでも禍々しいオーラがあふれ出ている。
蛇に汗腺はない。しかし、もしあれば冷たい汗が噴き出していたに違いない。
それほどまでに顔をこわばらせているリヴァイアサンは、彰人の話を聞きながら自分の中で渦巻く不可解な感覚を覚えていた。
「少し話がズレたが...そう、貸し出されるのはこの鞘だけだ。しかし、もちろん宝庫の中にこの鞘だけの状態で置かれているわけではない。それにはきちんと剣も収められている。」
「しかし剣は必ず国王になってから正式に授与されるもので、試験に貸し出すことは出来んらしい。」
そこまで話した後、彰人は目線を鞘からリヴァイアサンへ移した。
そして少し大きな声で「そこでだ。」と言った。
「我は考えた。無いのならば...作れば良い。」
そう言ったのち、彰人はゆっくりと鞘から覗いている柄に手を伸ばした。
「我は実物を見たことは無いが、その効果は聞いたことがある。それを聞いて以来、自らが国王になった時の事を考え、度々想像していた代物だ。」
彰人の手が柄を握った。
「あくまで実物ではなく我のイメージの産物だが...この空間内であれば具現化できる。」
彰人はそういうと、鞘から剣を一気に引き抜いた。
それと同時にまるで封印から解き放たれたかの如く、剣からオーラが爆発的に膨れ上がった。
その中心には刃まで真っ黒な、刃渡り30センチほどの短刀があった。
(あれは...駄目だ。)
それを見たリヴァイアサンは、瞬時に理解する。
その短刀が秘める力は規格外だ。決して相手に振るわせてはならない代物だ。もしその切っ先が自分へ向けられたなら...。
リヴァイアサンは、攻撃される前に彰人を消そうとする。
そのため、この空間に飛ばされる前に放った攻撃、膨張の効果を持つ光を辺り一面にまき散らそうとして口を開けた。
しかし...それは叶わなかった。まるで自分の体と意思が切り離されてしまったかのように、体が一切動かせなくなっていたのだ。
「ああ、言い忘れておったが。」
禍々しいオーラを放つ剣を手に持ったまま、彰人は喋る。
「この空間は我のイメージの具現化と言ったな。そしてその中にいる以上、お主の自由も我が握っておる。つまり、お主が自分の意志で何かを選択する機会は永遠に訪れぬ。」
その言葉を聞いてリヴァイアサンは、生まれて初めて絶望し、震え上がった。
それと同時に理解した。先ほど自分が感じていた違和感の正体。それはある感情のせいだったのだ。
今までは誰かから自分へ向けられるだけだった、だからこそ気づけなかった。
「さて、仕上げだ。せっかく本来持つことすら叶わないこの件を具現化したのだ。効果も説明しておこう。」
彰人はそう言うと剣を構えた。
「これはドローレンス家に伝わる2つ目の国宝だ。この剣の効果は1つだけ...切った相手がその世界に存在しているという理を断つ。」
「つまり、切られた相手は世界に存在していた痕跡ごと永久に消え去るということだ。」
それはこの数千年で築いたリヴァイアサンの恐怖、逸話、歴史...その全てが無くなることを意味した。
リヴァイアサンはその切っ先から逃れるため、気品も尊厳も捨て、その場から逃げようとした。
しかし、焦り恐怖する感情とは裏腹に、自分の体は微動だにしない。
(ああ、そうか。)
リヴァイアサンは悟った。
(この目の前の敵は...決して手を出してはいけない存在だったのだ。)
それは決して相性の良し悪しなどではない。
それは純然たる格の差だった。
「では、サヨナラだ。」
その声が彰人の口から出た瞬間、リヴァイアサンは生まれて初めて芽生えた感情、恐怖に支配された。
リヴァイアサンは大きく口を開ける。
もし声が出せたなら、断末魔の悲鳴が響いていただろう。
しかし、リヴァイアサンからはすでに、その自由すら奪われていた。
無音の暗闇の中で一閃が振るわれ、光が瞬いた。
************
「...ふーん。」
男はそれに気づき手を止めた。
「女を殺さずに退けたんだ。やるじゃん。」
今回仕掛けた罠は男としても自信作だった。
こちらの世界に来て仲良くなった友人を自分の手で殺させる。
面白い光景が見られると思っていた。
(どうやったのかは分からないけど、今回の奴は結構楽しめそうだね。)
そう思うと男は静かに口角を上げた。
「ひっ...もうわかった...やめっやめて...。」
「...はぁー人がいい気分だったのに、雑音を聞かせないでよ。」
落胆したようにため息を吐き、男は手に持っているものを乱暴に地面に叩き付けた。
水っぽい音が響き、辺り一面に赤い飛沫が飛んだ。
「...あ、ひ。」
地べたに座り込んでいた半グレの一人の顔に、その飛沫がかかる。
半グレは泣きそうな顔で後ろへ下がろうとするが、地面が滑っていて動けない。
いや、滑っているのは地面だけではなかった。よく見ると辺り一面が真っ赤に染まっており、ぴちゃぴちゃと水滴が地面に当たる音が響いている。
そしてその中に真っ白いオブジェが、無数に並んでいた。
「もう作品を作るのも飽きたし、ちょうどいいや。ここ掃除して終わろ。」
男はそういうと、半グレに目をくれず、踵を返して歩き始めた。
半グレは男が動いた瞬間、ギュッと目をつぶっていたが足音は徐々に遠ざかっていき、ついには聞こえなくなる。
「あ?...たす...かった...?」
ゆっくりと目を開けてみるが、どこにも男の姿はない。
半グレは周りにあるオブジェは視界に入れないようにしながら、何度か瞬きを繰り返した。
しかし、やはりその空間で動くものは自分以外いないようだった。
半グレは思わず拳を握り「良かった」と安堵の言葉を吐こうとして、それに気づいた。
「なんだ...あれ。」
それは地面に広がっている赤い液体が波打っている風景だった。
まるで風を受けて波が立っているように見えるが、今この場所は無風だ。じめついた暑さがあるだけだった。
そして半グレがその波を見ていた次の瞬間、赤い液体が大きく波打つと半グレに向かって飛び込んできた。
「うっ!ガガガガっ」
飛び込んできた液体は叫び声を上げかけた半グレの口の中に無理やり侵入していく。
そしてよく見ると周り一面、地面や壁に飛び散っていた全ての液体が半グレに向かって降り注いでいた。
(無理だ!だってここにあるのは、10人分のけつえ)
そこで半グレは自分の体内から小さな爆発音、自分の胃が破裂する音を聞き、その意識は途絶えたのだった。
ついに、一章最後の戦闘を書き終えることができました。
想像以上に長い時間がかかってしまった...。
次は、エピローグ的な奴です。