第百二十話 HEROES その9
その姿は蛇に近かった。色が真っ白な蛇だ。
変貌を終えたリヴァイアサンは、体長10メートルは優に超えるであろう、巨大な蛇の姿となっていた。
「なんで、七瀬さんを助けたのに、より強そうな感じになって...。」
とぐろを巻き、辺りを睥睨するリヴァイアサンを見て、先間はそう呟いた。
それは決してその規格外のサイズの事だけを指している言葉ではなかった。
もちろんどんな巨木よりも太そうな胴体や、その体をびっしりと覆う鋼鉄に匹敵する強度を持った鱗もこちらを怯ませるに十分な効力を持っていた。
しかし、それよりもリヴァイアサン自身が放つ雰囲気が変わっていた。
先ほどまでの人間の姿だったときは、不気味で得体のしれない恐怖の方が勝っていた。しかし、今の巨大な蛇の姿になってからは、その存在感が増している。
まるで神と対峙をしているかのような、畏怖の感情に包まれていた。
しかし、そんな先間の呟きを聞き、彰人は軽く肩を竦める。
「まあ、最初に我から奪った魔力の量が量だ。本来の肉体を生成できたことで、その魔力を十分に活用できる状態になったということであろう。」
「え、なんかそれだけ聞くとやっぱり強くなっているように聞こえるんだけど...。」
「そうだな。強くなっておる。」
先間が恐る恐る尋ねた問いに、彰人は即答する。
先間の顔が絶望に包まれた。
「しかし、先ほども言ったであろう?」
彰人はそんな先間を見て、ゆっくりと諭すように話す。
「いくら肉体を手にし魔力を活用できようが、元の存在自体が強大になるわけではない。あくまでより本来のパフォーマンスを発揮できるようになるだけだ。そして...あ奴が本来の戦闘能力を取り戻すことは、何ら問題になり得ない。」
そう言った瞬間、リヴァイアサンの目が彰人に固定された。
真っ赤な目でこちらを見下ろし、何度か同じく真っ赤な舌がチロチロと覗いたのち、その口を開いた。
「人間。」
その声は高圧の空気をすり合わせたように、不快な甲高い音で形成されていた。
思わず顔をしかめながらも、先間は心底驚いた。
(蛇が...喋った!)
彰人はその問いかけに無言で返す。
リヴァイアサンはそのまま次の言葉を放った。
「貴様ハ悪手を取ッた。」
しかし、それでも彰人は喋らない。緊迫という言葉が生ぬるく感じるほど空気が、その場には流れていた。
静かな空間にバクバクと自分の心臓の音だけ響き渡っている先間の額を冷たい汗が伝った。
「我はレヴィアタン。肉体ヲ得タ時点で、貴様の勝チハ...。」
「リヴィアタンとやら。」
彰人が口を開いた。
自らの言葉を遮られたリヴァイアサンは、目をギラリと光らせる。
先間はヒッと喉を詰まらせたが、その後に続いた彰人の言葉で吐きそうになった。
「お主が肉体を得てまでやりたかったことはお喋りか?」
「ナニ...?」
彰人の口から出てきた予想外の言葉に、リヴァイアサンは目を細めた。
(煽るのやめて!)
なぜか化物を挑発する彰人に、先間は気が気ではない。
しかし、彰人はいつも通り飄々と言い放つ。
「我も暇ではない。喋りたいだけなら今度の機会にしてくれ。だが、もし我と戦いたいのであれば...。」
彰人は一歩前に踏み出し、鞘をリヴァイアサンに突き付けた。
「御託はいらぬ。さっさと来い。」
その瞬間、リヴァイアサンが口を大きく開けた。
そしてその口の中から、彰人が一度倉庫外へ吹き飛ばされた赤い光が無数に彰人の元へと降り注いだ。
「あ。」
先間はその光景に口を開くことしかできなかった。圧倒的な死の予感。それを感じた。
しかし、リヴァイアサンが口を開くと同時に彰人も動いていた。
手に持った鞘をくるりと一回転させると、地面へと勢いよく突き立てたのだ。
彰人を中心に勢いよく煙が撒き上がった。
赤い光は次々とその煙に衝突すると、まるで霧散するかの如く、その姿を消していった。
しかし、全ての赤い光を飲み込みつつもその煙は急速に広がり続け、ついには倉庫内全域を覆ってしまった。
「ちょ、何よこれ!」
濃霧に包まれたような空間で、向こうから慌てる香織の声が聞こえてきた。
先間の視界も白一色。眼前に伸ばした手すらうっすらとしか見えないような状況で、彰人の名を叫ぼうと口を開いた。
「先間、朝霧。」
その声は白い霧の向こうから聞こえてきた。
しかし具体的には聞こえたというと少し語弊がある。その声は脳内へと直接響いていた。
「すぐ戻る。」
次にそう聞こえた瞬間、先ほどまで彰人とリヴァイアサンがいた方向から強い光が見えた。
思わず目をつぶり顔を反らした先間だったが、すぐに違和感に気づく。
(あれ、さっきまでの威圧感が...化物が発していた雰囲気が...消えた?)
そう思った先間は恐る恐る目を開いた。
そして見えた光景は...がらんとした倉庫内だった。
先ほどまで視界を覆っていた霧が嘘のように搔き消えている。
そして、破壊し尽くされた木箱、至るところが隆起した地面は何も変わっていない。
向こうの方で地面に倒れている葵と、その横で座り込む香織も、先ほどのままだ。
しかし、その中心で対峙していた彰人とリヴァイアサンの姿が、消えていた。
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(なんだ...ここは。)
リヴァイアサンは突如変わった光景に目を見開いていた。
先ほどまでは矮小な人間が4人だけいる、小さな空間にいた。
その中の1人、多少腕に覚えのありそうな人間が生意気な口を聞くので、消し去ろうとしたのだ。
しかし、その人間の足元から白い煙が立ち上ったかと思うと、気づけばこの空間に飛ばされていた。
(人間の姿は消えている。いや...全てが消えているのか。)
リヴァイアサンの視界に映る光景は、何もない真っ黒な空間だった。
大きな空間なのか、小さな空間なのかもわからない。ただひたすらに黒く、静寂に包まれていた。
リヴァイアサンは、ゆっくりと辺りを見回しながらも、徐々にとぐろを巻いていた体を伸ばしていく。
ゆっくりと少しずつ伸ばしていき、先ほどまでの倉庫内だと壁に当たる辺りまで体を伸ばすが、何にも当たる気配がない。
(やはり、ここは先ほどまでとは別の空間か。)
一見、別の場所のように思えても視界を操作されている可能性もある。
しかし、実際に身体を伸ばし、ここが先までいた場所でないことを確信する。
(ふん、生意気な。だが、どれだけ別の場所へ飛ばそうが我が行うことは変わらぬ。先ほどの人間を殺す。それだけだ。)
リヴァイアサンは、悪魔として長らく存在してきた。そのため、今回のように空間の転移などを経験するのも初めてではない。
だからこそ知っていた。このような場合は、術者を殺せばこの転移は解かれることが多い。
そして、今回の術者は先ほどまで自身の目の前にいた人間だということは間違いない。なぜなら、この空間内から気配を感じるからだった。
(隠れているつもりなら小癪な。辺り一面を破壊し尽くし、炙り出してやろうか。)
そう考えたリヴァイアサンは自身の魔力を練り、攻撃を放つ準備に入った。
しかしその瞬間、背後から足音が聞こえてきた。
間違いない。先ほどの人間だ。
(探す手間が省けたわっ!)
リヴァイアサンは、勢いよく振り返るとそこにいる人間に向けて攻撃を叩き込もうとした。
叩き込もうとして...止まった。
(なんだ...。)
「ふむ、人間の姿も悪くない。しかし...。」
(その姿はっ!)
リヴァイアサンは、そこで初めて自分の大きな勘違いを知ることになった。
「やはり元の姿は格別だ。」
先ほどの場で自分の目の前にいたのは、人間ではなかったのだ。