第百十九話 HEROES その8
彰人が術名を唱えた次の瞬間、扉が開かれた門の中から光が放たれた。
それと同時に、リヴァイアサンの体に巻き付いていた鎖がジャラジャラと擦れ合う音を響かせながら、徐々に門の中へと引っ張られていく。
異変を感じ取ったリヴァイアサンは大きな声で吠え、必死で体を揺らし脱出を試みる。
しかし、鎖は一向に弱まる気配を見せない。ついには門からリヴァイアサンまでを一直線につなぎ、ギチギチと不吉な音を立て始めた。
その様子を固唾をのんで見守っていた香織だったが、その異変に最初に気づいたのは先間だった。
「なんか、身体がブレて...。」
それを聞いた香織も気づく。
逆側からそれぞれ鎖で肉体を引っ張られていたリヴァイアサンだったが、その姿が徐々にブレ始めていた。まるで動いている物を撮影した写真のように、徐々に不明瞭になっているリヴァイアサン。
その間も鎖はゆっくりと門の中に引きずり込まれていく。
そしてしばらく経ち、ようやく彰人の言っていたことの意味が分かった。
「別れていってるわ...。」
今でははっきりと見えていた。リヴァイアサンの体はブレていたわけではなく、2つに分裂し始めていたのだ。
そして白と黒の鎖が引っ張るその先には、2つの姿があった。
黒い鎖で引っ張られている先には、先ほどまで戦っていたリヴァイアサンの姿があった。いまだに抵抗するように身を捩り、何かを叫んでいる。
そして、白い鎖で引っ張られている先には葵の姿があった。まだ上半身の半身ぐらいまでしか見えていなかったが、眠っているように目を瞑り、俯くその姿は確かに葵だ。
時間にするとそれほどでもない。しかし、その姿を見たのは、すごく久しぶりな気がする。
香織は思わず息を呑み、身体から少し力が抜けた。
「先ほど言ったことは覚えているな?」
不意に彰人が喋った。
それを聞き、香織はハッと我に返る。
(そうよ。安堵するにはまだ早いわ。最後の仕事が残ってるもの。)
「もちろんよ。いつでもいいわ。」
「よし、ではもうしばらくだ。その時が訪れたら合図を出す。」
彰人の言葉を聞き、香織は再びギュッと拳を握った。
それからきっかり10秒後。
葵の上半身とリヴァイアサンの上半身が完全に分かれた時、その合図がかかった。
「朝霧、今だ。」
「...っ!任せなさい!」
彰人の声を聞き、香織は足にグッと力を込めた。
そしてふっと鋭く息を吐きながら、リヴァイアサンに向かって一直線に跳躍した。
「これでも食らいなさい!」
威勢の良い声と共に、香織は振りかぶった腕を思いっきり振り下ろし、平手を食らわせた。
白い鎖が引っ張る、葵に対して。
「え。」
その声は先間だったか、彰人だったか。倉庫内に響き渡るパチンという音でかき消されたが、確かに香織は葵の頬を思いっきり弾いていた。
その反動のまま葵の体は吹き飛ばされ、2度ほど倉庫内をバウンドすると、最後は地面を滑り止まった。
呆然とその光景を眺める彰人だったが、当の本人である香織は満足そうにふーと言っている。
そしてバッと彰人の方を振り返ると、サムズアップしながら言った。
「OKよ。あとは任せるわ!」
それを聞き、彰人は思い出した。
確かにリヴァイアサンとの戦闘前、香織は確かに言っていた。『一発ぶん殴る』と。
彰人はそれをリヴァイアサンの事だと思っており、今回一撃を見舞う相手もリヴァイアサン前提で話していた。
しかしどうやら、香織が殴りたい相手は初めから決まっていたらしい。
(確かに朝霧は“誰を”とは口にしていなかったか。)
おそらくその平手には、香織の葵に対する想いが詰まっていたのだろう。
勝手に劣等感を抱いていたことに対する憤り。
自身の良さに盲目過ぎることに対する歯がゆさ。
そして何より、親友と思っておきながらそんな葵の気持ちに気付けなかった香織自身に対する後悔。
今までのそんな綻びを全て清算し、ここから新たに始める。
不満も感謝もきちんと伝えあう、そんな関係を築くための一撃に思えた。
(そうとは言え、この状況で先ほどまで戦闘をしていた相手ではなく、友に平手を食らわれるとは。七瀬よ、お主のヒーローはたしかに目標に向かって真っ直ぐに突き進む奴だ。)
彰人はこれから待ち受けているであろう七瀬の心労を察し、クックと笑った。
そんな彰人に後ろから先間の心配そうな声がかかった。
「だ、大丈夫なの?敵っぽい奴じゃなくて、七瀬さんぶっ飛ばされたけど。」
「ふむ。」
彰人は顎に手をやるとリヴァイアサンの方向を向き、言った。
「まあ、大丈夫ではない。」
その瞬間、倉庫内に耳障りな咆哮が響いた。音が聞こえた方を見れば、リヴァイアサンが低い体勢でこちらに向かって吠えている。
その光景に思わず硬直した先間だったが、更にまずいことに気付く。
先ほどまでリヴァイアサンをがんじがらめにしていた黒い鎖が、いつの間にか跡形もなく消えていた。
「な、なん、やばそうだけど!!!鎖!消えてる!」
先間はパニック状態で叫ぶ。
しかし相も変わらず、彰人は冷静に説明する。
「それはそうだ。この魔法は分裂させる効果しかない。先ほど、七瀬の肉体と精神。それとあ奴の精神は分裂し終わった。そうすると役割を果たした魔法は消える。」
彰人が「消える」と口にした瞬間、今まで見えていた白い門と黒い門も、空中に溶けるように搔き消えた。
それを見た先間はヒッと喉が締め付けられたように声を上げた。
更に、自由になったリヴァイアサンの姿に変化が訪れる。
今まではまだ人間の姿をしていたが、突如ぼこぼことその体が隆起し始め、見る見るうちに2倍3倍とその姿を大きくし始めたのだ。
「やばやばやば。」
足を震わせながら先間が絶望の表情であわあわしている。
彰人はそんなリヴァイアサンを目を細めて見ていたが、何かに納得したように「なるほどな。」と口にした。
(今までは七瀬の肉体を依代に現界していた。通常肉体を失い精神だけになった存在は、程なくして消える。しかし、どうやらあ奴の大元の存在は、この世界で有名なのだな。人々の心の中に存在するイメージを収集し、肉体を生成しようとしておる。)
通常、イメージから物質を作り出すことは不可能だ。
しかしイメージの総量が桁違いに多く、更にそこに途方もない魔力が加わればその限りではない。
どうやら悪魔として古今東西、恐怖の対象となっていたリヴァイアサンは、それを実現できるほどの存在のようだった。
「やるではないか。」
彰人は素直に称賛の声を送る。
しかしそれを聞いた先間は叫ぶ。
「いや!僕としては彰人に“やるではないか”って言いたいんだけど!相手にじゃなくて!」
しかし、急速にその姿を化物に変えつつあるリヴァイアサンを見ながら、彰人は告げる。
「心配するな。化物退治は我の専売特許だ。」
それに、と彰人は言葉を繋げる。
「たとえ肉体を手にしようと、その存在が強大になるわけではない。今、目の前に立っている者が誰なのかを分からせてやろう。」
葵を取り戻すという本来の目的は達成された。
それはつまり、手加減をする必要がなくなったことを意味する。
彰人は手に持つ鞘の感触を確かめながら、格の違いを示すためにゆっくりと笑った。