第百十八話 HEROES その7
(反撃って言っても...先ほど七瀬さんがあの化物の中にいるって言ってたし。彰人、何をしようとしているんだろう?)
そんなことを考えながら、先間は恐る恐るリヴァイアサンの様子を確認した。
完全回復を遂げた彰人と対峙しながらも、グルグルと喉を鳴らしているだけだ。相変わらず彰人が手に持つ鞘を気にする素振りは見せているものの、大きな動きは見られない。
(向こうも何をしてくるかわからない分、この静かな時間が不気味だな。)
先間がそんなことを思う一方、同じくリヴァイアサンへと目を向けていた香織は、全く別の事を考えていた。
(...おかしいわ。)
そう、リヴァイアサンの様子がおかしい。
先ほどまで目の前の化物と全身全霊の戦闘を繰り広げていた香織だからこそ気付ける違和感だが、今のリヴァイアサンはこちらの様子をうかがう為に、その場に留まっている感じではなかった。
纏う魔力は減っているものの、香織の動体視力は未だに強化された状態だ。
その動体視力で観察した手や足の僅かな動きから推測するに、リヴァイアサンは現在進行形で動こうとしている。
地面を踏みつけ跳躍するのか、もしくは衝撃波を飛ばすため腕を振るうのか。どう動こうとしているのかまでは分からなかったが、それでも明らかにこちらに対して攻撃を仕掛けようとしていた。
だが、実際には一歩たりとも動けていない。
(まさか、また葵...?)
一瞬そう思った香織だったが、すぐにそうでないことに気付く。なぜなら今のリヴァイアサンの瞳は、両目とも真っ赤だ。
それに体を意志通り動かせていないという状態は同じでも、その様子は大きく異なっていた。
動こうとする体を押さえつけられているようだった先ほどと比べ、今のリヴァイアサンはまるで、何かに身体を縛り付けられているかように見えた。
「なんか...動きが変じゃない?」
どうやら先間もリヴァイアサンの挙動に違和感を感じたらしい。
先間の口をついて出た疑問の言葉を聞きながら、彰人は香織に声をかける。
「朝霧、後1発殴れるか。」
「え?」
急に話を振られ、思わず聞き返す香織だったが、彰人は振り向くこともなく再度告げた。
「最後に一撃、あ奴に食らわせることができるか?」
それを聞いた香織は意味を理解する。
一度大きく息を吸い、元気よく答えた。
「当たり前じゃない。」
「良い返事だ。」
彰人はふっと笑いながらそう言うと、鞘を持った手を掲げた。
そしてリヴァイアサンを見ながら、宣言する。
「刮目せよ。これがドローレンス式魔術の真骨頂だ。」
そう言うと同時に手の中でくるりと鞘を反転させると、空中に向かって突き立てように腕を振り下した。
その瞬間、彰人の目の前の空間が光り輝いたかと思うと、鞘を中心に大きな魔方陣が現れた。
(え、はぁ!?)
突如現れた視界を埋め尽くすほどの大きな魔方陣に、香織は目を見開く。
そんな中、先間は別の物に目を奪われていた。
「なんだあれ...門?」
それは魔方陣が空中に描かれたと同時に、出現していた。
リヴァイアサンの左右に、高さ3mを超える大きな門が現れたのだ。
片方は真っ黒、もう片方が真っ白という両極端な色をしたその門は、そのどちらもが禍々しい装飾で飾られている。
そして、見るだけで体が委縮してしまうほど、厳かな雰囲気を漂わせていた。
先間の呟きを耳にした香織は魔方陣から視界を反らし、その門の存在に気づくと再び目を見開いた。
しかしそれと同時に、なぜリヴァイアサンがまるで縛られているかのように体を動かせていなかったかの謎が解けた。
なぜなら、現にリヴァイアサンは縛られていたのだ。
2つの門の扉は互いに開かれている。そして、そこからは鎖が伸びていた。
門と同じ色をした白と黒の2種類の鎖は、リヴァイアサンへと一直線に伸びており、その体をがんじがらめにしていたのだった。
リヴァイアサンはその鎖の束縛から逃れようと身体を揺するが、鎖は一向に緩む気配がない。それどころか、より一層きつく締めあげていく。
(さっき、この化物が鳴らすグルグルという喉の音は威嚇だと思ったけど...違ったんだ。)
目の前のリヴァイアサンの様子を見て先間は思った。
それは威嚇ではなく、鎖で締め付けられる苦しむから出る、呻きの声だったらしい。
あまりに非日常かつ理解不能。そんな光景に唖然とすることしかできない先間と香織だったが、不意に彰人は香織に向かって話し始めた。
「あれは、肉体と精神を引き剥がすための魔法だ。引き剥がした精神を他の肉体へと埋め込むことで、不老不死を実現しようとした魔術師が編み出したと記述が残されているが、本来肉体と精神の繋がりはかけがえのない物だ。代用は出来ぬ。そのためその目論見は失敗と終わったのだが、この魔法の効果自体に
倫理的な問題が問われており、今では禁術とされている。...我が会得しているのは、他言無用だ。」
(へ?)
なにやら、そこそこ重要な秘密を打ち明けているらしい。
他言無用と言われているが...大いに安心してほしい。香織には彰人の言っていることの意味が何一つ分かっていない。
しかし、ポカーンとしている香織を置いて、彰人の話は続く。
「しかし、今回はこの魔法を応用できる。なぜなら現在、七瀬の体に2つの意識が存在している状態だからだ。」
何故“なぜなら”なのかはわからなかったが、香織は頷いておいた。
彰人は鞘を持っている方とは別の腕を上げると、リヴァイアサンに巻き付く鎖を指さした。
「そこでだ。あちらの白い鎖では七瀬の肉体と精神を、そしてもう一方の黒い鎖では憑依している者の精神を引っ張り、分裂させる。そこで朝霧の出番だ。」
「え?うん、なるほどね。うんうん...え?」
分からないなりにもとにかく相槌を返す香織だったが、最後急に自分の出番だと言われ頭の上に?が浮かぶ。
彰人はそんな香織の反応に軽く肩を竦めると言った。
「風前の灯火ではあるが、まだお主を纏っている我の魔力は切れておらぬ。そして我はこの魔法を使用している間はここから動けぬ。そこで、奴らが分離した瞬間、朝霧から一撃を見舞ってほしいのだ。」
その言葉の意味は香織にも理解できた。
つまり自分の役割は、一撃ぶん殴ればいいらしい。
「任せなさい!」
香織はふんすっと気合を入れると、元気よく返事をした。
それを聞いた彰人は軽く頷くと、魔方陣の中心に突き立つ鞘を両手で掴んだ。
「では、始めるか。」
そう言った瞬間、彰人の全身から魔力が迸った。先間や香織でも認識できるほどの高濃度の魔力が、彰人を中心に渦巻き吹き荒れる。
バタバタと服がはためく中、それらの魔力は彰人が持つ鞘を伝い、少しづつ魔方陣の中に流し込まれていく。
先間と香織が固唾を呑んで見守る中、目に見えていた全ての魔力が注ぎ込まれた。そこには、先ほどより強い光を放つ魔方陣の姿があった。
その前で、彰人は目を閉じた。
(七瀬よ。今連れ戻してやる。)
そして静かに息を吸うと、告げた。
「封の式――離魂の門。」




