第百十八話 HEROES その6
しかし予想したような衝撃や痛みは訪れなかった。
代わりに目を閉じた香織の上から振ってきたのは、聞き馴染みのある絶対的な自信にあふれた声だった。
「そのように目を閉じていては、まるで諦めている様だぞ。」
「え?」
思わず口から洩れた呟きと同時に、目を開いた香織は見た。
自分の目の前に、先ほど倉庫の外に吹き飛ばされたはずの彰人が立っている。そして今しがた香織に向かって振り下ろされたであろう、リヴァイアサンの腕を止めていた。
(何が起こって...。)
予想だにしていなかった光景に、香織は目を疑う。
そんな中、後ろからまた新たな声が聞こえた。
「朝霧さん!大丈夫!?」
その声に勢いよく振りむいた香織の視界に映ったのは、痛む脇腹を押さえながら荒く息を付く先間の姿だった。
先ほど彰人が吹き飛ばされた際に、倉庫の壁に空いた大きな穴から体を出し、こちらを見ていた。
(あれ先間...そうだ。そう言えば確か戦闘が始まる前に、豊島が何かを取りに行かせてて...。)
しかし、今こちらを見ている先間は特に何も持っていないようだった。
(と、いうことは...。)
香織は改めて目の前にいる彰人を見た。そして気づく。
彰人はリヴァイアサンの攻撃を、その手に握った何かにより受け止めていた。
「諦めてなんか、ないわよ。」
その光景を見ながら香織は声を振り絞る。
強がってみたが、その声は少し震えていた。
「そうか。」
「ええ。」
彰人と短いやり取りを交わす。
しかし香織の心を再び奮い立たせるには、それだけで十分だった。
(ところで...あれは何?)
香織は再び彰人の手元を見た。リヴァイアサンの腕をしっかりと受け止めているそれは、棒状の形をしていた。
最初は何か分からなかったが、記憶を手繰り、ある物が思い当たった。
「あ、あんた...なんでそんなもの...。」
それの実物を香織は見たことがなかった。
いや、香織だけではない。普通に生きている中で、大多数の人が見る機会など無いはずだ。
おそらく教科書などの資料で、小さく載っている写真を見たことがある程度だろう。
しかし引き攣った声を上げる香織に対し、彰人は「話は後だ。」というと、リヴァイアサンの攻撃を受け止めていた手を素早く振るった。
その勢いのまま後ろに軽く飛んだリヴァイアサンは、着地後じっと彰人に目線を注ぐ。正確には彰人が手に持つそれを警戒するように凝視していた。
「ふむ。久しぶりに持ったがやはり手になじむ。」
彰人は手に持ったそれを眺めながら、そんなことを呟く。
その姿からは先ほどまでの緊張感は感じられない。いつも通りの冷静で余裕のある立ち振る舞いだった。
まだうまく事態が飲み込めない香織が混乱する頭で声をかけようとするが、不意に彰人が「何にせよ、まずは回復か。」と言った。
次の瞬間、香織は目を疑った。
目の前で彰人の体を淡い光が包んだかと思うと、見る見る傷が癒えていくのだ。
ほぼ炭化してた左腕も、皮膚が張り裂け血が噴き出していた脚も、まるで時間が逆再生されているかの如く、急速に元通りの状態へと復元されていく。
(な、な、な...。)
目の前の非日常に、あわあわと口を開閉させる香織だったが、光は最後に彰人の閉じている左目を包み込むと、空中に溶けるようして消えた。
「さて。」
そう言って彰人が目を開く。
そして元通りになった両目で、自分の体の状態を確認するように眺めた。
両腕を軽く振り、片足ずつその場で軽くジャンプする。そして軽く頷くと言った。
「うむ。問題ないな。」
それを見ていた香織は、なんなのよそれ!と叫ぼうと息を吸った。
しかし、いざ叫ぶ寸前になって、
「えーーー!なにそれ!?」
先間に先を越された。
香織は大きく口を開けた状態で振り返る。
そこには香織同様、あんぐりと口を開けた先間が、震える指で彰人を指していた。
しかし、叫ばれた当の本人である彰人は何を言っていると言わんばかりの態度で告げる。
「回復魔法だ。」
「ゲームなら結構上位のやつ!」
彰人の返答に、先間がすかさず突っ込みを入れる。
確かに今目の前で起きたことを説明するなら回復魔法だ。それ以外にないだろう。
しかし、あれだけ満身創痍だった体を一瞬のうちに全て癒しきったのだ。凄まじい回復量と言える。
先間の突っ込みに軽く肩を竦める彰人だったが、香織も先ほど吸った空気をこれ以上溜めておくには限界だ。
傷が一瞬で癒えた件については先間に先を越されたため、香織はその矛先を彰人が手に持つ物に変えた。
「ていうか、あんたそれなによ!」
そう言って香織が指さした先を見た彰人は「ふむ。」と言った。
それと同時に、先間も抗議の声を上げる。
「ほんとだよ!それをここまで持ってくるのに、僕がどれだけ人目が気になったと思ってるんだ。下手すると警察沙汰だよ。」
「そうだったのか?」
「そりゃそうでしょ!だってそれ...鞘じゃん!」
そう言いながら先間が指を指す先には、直径30センチほどの小刀を収める鞘があった。
そして現在彰人が手に持つその鞘こそが、先間が机の引き出しを開けた際に、目にしたものだったのだ。
香織と先間の射るような視線を受けながらも、彰人は手に持つ鞘をじっくりと眺める。
高校生が鞘を持っている光景など、それこそ漫画やゲームの中でしか見たことのない光景だ。
しかし、そんな光景を見ながらも香織と先間は二人とも同じことを考えていた。
鞘を持つ彰人の姿は驚くほど違和感がない。
それどころか、まるで日ごろから持ち歩いてるかのように馴染んで見えていた。
「これが何かと問われれば...簡単に言えば国宝だ。」
彰人は鞘を眺めながらそう言った。
その言葉に香織と先間の思考は止まる。
(こくほう...国宝って言った?)
先間の頭の中で『国の宝』と言う文字が躍る。
確かに一目見た時から妙な圧は感じる鞘だった。しかし、急に国宝などと言われると、さっきまでそれを持っていたことが急に恐ろしく思えてくる。
しかし、サッと顔を青ざめさせる先間には気づかず、彰人は語り始めた。
「まあ、国宝となり得るのは中身があってこそだが...それはまだもう少し先の話だ。しかし、中身がなくとも十分な性能を有しておる。その一つが魔力の貯蔵庫としての効果だ。」
彰人がそう言うと同時に、鞘が淡い光を放つ。
「貯蔵庫として使用できる数ある魔具の中でも、これが蓄えておくことのできる魔力量は一線を画している。なにせ、我の総魔力分と同等の魔力量を溜めておくことができるのだ。」
鞘から目を反らした彰人は、その目をすっと細めてリヴァイアサンを見た。
「奴もこれの異常性には気づいているようだな。...だが、感知できる魔力にしか気づけないのは3流だ。」
正直彰人が何を言っているのか香織には理解できなかった。
しかし、理解不能な情報の数々により頭が混乱していた香織も、彰人がリヴァイアサンを見たその姿にハッと我に返る。
そう言えば、先ほどの事を彰人に伝えなければならない。
「さっき、あいつの目が葵になって!あ、全部じゃないけど一個だけ茶色で、それで私の頭に葵の声が聞こえて、だからやっぱり葵は生きててっ!」
焦りから香織の説明は支離滅裂になる。
しかしそれを聞きながら、彰人は小さく頷いた。
「ああ、今でははっきりと分かる。奴の中に...七瀬の意識が存在している。」
その言葉に先間も目を見開いた。
そして小さく安堵の息を吐いた。
「我が間違っていた。全てを自分の常識に当てはめ考える中で、危うく取り返しのつかないこと...自分の友人を自らの手で失わせるところだった。」
そう言うと、彰人は香織と先間に向かって深々と頭を下げた。
「すまない。そして感謝する。」
日ごろミスなどしない彰人が頭を下げるのを初めて見た香織たちは、思わず目をぱちくりとしてしまう。
しかし、そんな香織たちの前で彰人は再びリヴァイアサンの方に振り向くと、言った。
「その罪滅ぼしではないが、ここからは我に任せろ。」
それと同時に手に持った鞘を一振りした。
空気が切り裂かれる音が響く。その音に混じって、彰人の声が聞こえた。
「...反撃の時間だ。」