第百十七話 HEROES その5
その瞬間、繭が開花した。
自身を纏っていたリヴァイアサンの白い髪が大きく波打ち、四方にばらけたのだ。
それと同時に、大きな咆哮も響いた。空気がびりびりと震え、リヴァイアサンを中心に放射状に衝撃波が走る。
目を見開く香織だったが、彰人は叫ぶ。
「大丈夫だ!続けろ!」
香織に纏わせた魔力を操ると、香織と自分の体の周りに障壁を張った。衝撃波が障壁に接触し、甲高い音が倉庫内に響き渡る。
その中で香織は見た。
ばらけた髪の間から除くリヴァイアサンは、顔の片側を手で押さえ、苦しそうに顔をしかめている。
(もう少し!もう少しで葵に届くわ!)
リヴァイアサンの様子からそう思った香織は、自分を奮い立たせるように大きく深呼吸をすると、未だに叫び続けるリヴァイアサンに向かって大きな声で呼びかけた。
「これが私の気持ち!今まで言えなかったこと全て、誠心誠意伝えたわ。...だから、次は葵の番よ!」
衝撃波が吹き荒れ、周りの地面が根こそぎひしゃげていく光景の中、香織はリヴァイアサンの姿だけを見て語り掛ける。
「今の話を聞き逃げなんて許さない!急に避けられて、理由を聞いたら勝手に劣等感を抱かれてて。私は大きく傷ついたわ!しっかり謝ってもらうからね!それから...葵が謝る人はもう一人いるわ。」
衝撃波の勢いは増す一方だ。しかし、それらを障壁で受け止めながら、込められた魔力にバラつきがあることを彰人は感じ取っていた。
まるで、統一性を失った意識で、でたらめに仕掛けているような攻撃だ。
そしてそれが本当なら、意味することは一つ。
(七瀬の意識が、覚醒しつつあるのか。)
彰人がそう考えている最中、香織の言葉が響いた。
「それは今まで良さに気づけず、傷つけてばかりいた...自分自身よ。」
香織がその言葉を発した瞬間、またリヴァイアサンの様子に変化が訪れた。
まず、乱暴に辺りを破壊し尽くしていた衝撃波が途切れた。そして、今まで顔を覆っていた片手をだらんと垂らすと、リヴァイアサン自身も下を向き、動きが止まったのだ。
正直なところ、彰人も最初は「もしや」と思った。
永久にこの世を去ったと思われた友人が、本当に帰ってきたのではないかと。
しかし、リヴァイアサンが纏う魔力の動きを察知した瞬間、その考えは吹き飛んだ。
しかし、自分の思いのたけをぶちまけた香織は、動きの止まったリヴァイアサンを見て、一瞬警戒心が完全に緩んだ。
そして、香織は思ってしまったのだ。
葵に自分の言葉が届いたのではないかと。
「葵!」
そう叫び、香織は駆け出した。
「待て!」
叫ぶように自身に向けられた彰人の制止の声が、耳に届いた時にはすでに手遅れだった。
駆け出した香織が見たのは、ゆっくりと顔を上げたリヴァイアサンの目だった。
その目は血のように赤く、憎悪の炎を灯していた。
「あ...。」
香織がそう呟くのと、リヴァイアサンの目が光ったのは同時だった。
その攻撃は、今まで放っていた全てを圧縮し尽くす衝撃波と逆の性質を持っていた。膨張だ。
その光が当たった個所は分子が増殖し、破壊的な膨張をもたらす。
つまり、物であろうと人であろうと、一瞬にして膨れ上がりはじけ飛ぶ。
そんな死の光だった。
彰人の魔力によって底上げされた反射神経を使いこなしていた香織は、その光にももちろん気づいていた。
もし落ち着き払った状態で対峙をしていたら、躱すこともできただろう。
しかし、その攻撃は気の緩んだ香織の不意を完璧に衝いていた。
突如、香織は自分に纏っていた力がごそっと引き出されるのを感じた。
そして次の瞬間、自分の前に彰人の背中が現れた。
「下がっておれ!」
リヴァイアサンの魔力の動きが、目に集中したのを察知していた彰人は、その目が光る前から動き始めていた。
しかし、香織から魔力を引き出しつつ、いざ赤い光と相対した彰人は、気づく。
その光に込められた魔力は、今までの衝撃波の比ではなかった。
「ぐっ!」
彰人は顔をしかめながらも、まだ動く右手を突き出し精いっぱいの魔力を放つ。
目の前で赤い光とぶつかり合った魔力が、一瞬その場で停滞した。
しかし、彰人は目の前の光景から察した。
光を打ち消すには、魔力が足りない。
次の瞬間、魔力を突き抜けるようにして赤い光が前進する。そして、光は彰人の体まで到達すると、そのまま突き抜けた。
自身を包む光に吹き飛ばされた彰人は倉庫の壁を突き破り、その姿を消した。
「豊島っ...!」
思わず吹き飛ばされた方向に顔を向ける香織だったが、突如感じた凄まじいまでのプレッシャーに身体が硬直した。ゆっくりとプレッシャーを感じる方を振り向く。
そこには先ほどまで離れた位置にいたリヴァイアサンが、手の届く距離で香織を見下ろしていた。
そして、間近でリヴァイアサンと顔を付き合わせた香織は気づく。
(目が...。)
先ほど彰人を吹き飛ばした光を放った目は、光と同じ赤色だ。しかし逆側の目は...つまり途中でリヴァイアサンが手で押さえていた方の目は、赤色ではなかった。
その目の色は、すこし色素が薄い茶系の瞳孔をしていた。
それは...葵の瞳の色によく似ていた。
赤と茶のオッドアイで自分を見下ろすリヴァイアサンから、香織は目が反らせない。
もし攻撃を仕掛けられたら、全力で避けようと思っていた。しかし、彰人がいなくなった影響は大きかった。
香織は今まで張っていた虚勢が急速にしぼみ始めていることを感じていた。
(私が折れたら誰が葵を救うのよ...しっかりするのよ朝霧香織。絶対に諦めたら駄目。)
そうやって折れそうな自分の心を鼓舞していた香織だったが、妙なことに気付く。すぐに攻撃を仕掛けてくると思っていたリヴァイアサンが、グルグルと喉を鳴らすだけでその場から動こうとしない。
否、動こうとしていないのではない。
ぴくぴくと腕や足を揺らすリヴァイアサンの姿から察するに、どうやら動きたくても動けないように見えた。
そんなリヴァイアサンの姿に、考えをあれこれと巡らせる香織だったが、ハッともう一度リヴァイアサンの目を見た。
赤色の瞳は相変わらず憎悪の光を灯したまま、香織を射殺すような鋭さで睨みつけている。
しかし...茶色の瞳が灯すその優しい光に、香織は見覚えがあった。
「まさか...葵?」
香織は恐る恐るそう口にした。
リヴァイアサンは相変わらず低く唸るだけだったが、そんな中、茶色の瞳がちらっと光ったのを香織は見逃さなかった。疑惑が確信に変わる。
今、リヴァイアサンの動きを止めているのは、覚醒した葵の意識だった。
香織は、久しぶりにきちんと目を合わせたような感覚を覚える。
その目は、つい最近まで自分を避けていた目ではなく、香織が好きな優しく温かい葵の目だった。
瞬時に感じた喜びの後、(でも、どうしよう)という言葉が浮かぶ。
しかし、こちらを申し訳なさそうに見つめる目を見て、1つだけ伝え忘れていたことを香織は思い出した。
軽く咳ばらいをすると、茶色の瞳としっかり目を合わせ、静かに告げた。
「こんなことになるまで自分の気持ちを無視して...馬鹿ね。だからあの時も言ったじゃない。『困ったことがあればいつでも言ってね。私はいつでも駆けつけるから。』って。」
それは、香織と葵が友達になったあの日。
いじめられる葵を、香織が救った時に投げかけた言葉だった。
「でも、今回は私もごめん。自分の想いをちゃんと葵に伝えてなかったよね。これからは些細なことでも伝えるわ。だから、葵も些細なことでも言ってよ。私は他人の気持ちに、葵は自分の気持ちに...お互いに鈍感同士なんだから。」
香織がそう言った瞬間だった。
脳内に声が響いた。
“馬鹿でごめん、分からず屋でごめん、鈍感でごめん。”
それは葵の声だった。
小さく目を見開く香織だったが、葵の声は続いた。
“もっと早く、私のヒーローに言うべきだったよね。...助けてって。”
それを聞いた香織は、ふっと笑った。
「ヒーローじゃなくたって助けるに決まってるじゃない。友達なんだから。」
香織がそう言った瞬間だった。茶色い瞳から、光が消えた。
それと同時に体の自由を取り戻したリヴァイアサンが大きく吠えた。
そして赤い瞳で香織を睨みつけると、今度こそ叩き潰さんとばかりに、大きく腕を振り上げた。
それを見た香織は、静かに目を閉じた。