第百十五話 HEROES その3
「このー!」
またもや攻撃を繰り出す前に叫んだ香織に、彰人は思わず(この馬鹿!)と声を上げかける。しかし代わりに放ったのは、香織の体に纏わせている魔力を練った衝撃波だ。
その目的は今まさに香織が突っ込まんとしている空間にとどまっている、衝撃波を相殺するためだった。
魔力と魔力がぶつかり合う音が響き、衝撃波が霧散する。
その瞬間、香織が自分の頭上で組んでいた腕を思いっきり振り下ろした。その場からすでに離脱していたリヴァイアサンにその攻撃が届くことは無かったが、“ぶおん”という凶悪な風切り音が響き、拳が当たってもいない地面は風圧でべこりと凹んだ。
「はあ...はあ...。全く、ちょこまかと逃げるわね。」
香織は頬にかかる髪の毛を鬱陶しそうに払うと、悪態をついた。
彰人はリヴァイアサンの動きに気を配りながらも、チラリと倉庫内の惨状に目をやり、やれやれと首を振る。
(倉庫自体に障壁を張っているからいいものの...普通ならばこのあたり一帯が更地になっておるぞ。)
香織とリヴァイアサンが戦い初めて小一時間。その戦闘は熾烈を極めていた。
今では完璧に身体能力を把握し切った香織は、怒涛の攻撃を繰り返していた。
時に壁を蹴り、時に天井を蹴り、効率を度外視したその攻撃は、リヴァイアサンのみに集中して降り注ぐ小型ミサイルを思わせた。
一方のリヴァイアサンも、反撃の手は緩めない。
始めは肉弾戦での攻防も試みていたが、香織の一撃一撃は全てが全力な分、当たれば致命傷だ。そして純粋な身体能力でも分が悪いと見たのか、今では衝撃波を中心に積極的に魔法での攻撃を繰り返していた。
その結果、倉庫の中はまさに戦場と化していた。
木箱をはじめとする備品の数々は、もやは何一つ原型を留めていない。地面もいたるところが隆起し、まるで数多の隕石が降り注いだかのような様相を呈していた。
未だ相手に一撃も入れられず、互いをにらみ合う両者を見ながら、彰人は少しだけ顔をしかめた。
(ここまでは奇跡的に負傷なしか。だが、状況は良くはないな。)
というのも、香織のフォローで神経をすり減らしているのもあるが、その理由はもう一つあった。
フォローする回数が時間を追うごとに加速度的に増えているのだ。それが意味することは1つだった。
(香織の動きが読まれつつあるな。)
当然といえば当然だ。
なぜなら、香織の動きはあまりにも正直すぎた。
ここまでは、もはや第六感を思わせる察知能力でリヴァイアサンからの攻撃を躱し続ける香織だったが、やはり勘だけで全てを躱しきれるほどリヴァイアサンの攻撃は甘くない。
衝撃波を飛ばすだけでは相手にダメージが与えられないと察したリヴァイアサンは、相手に当てるのではなく、相手から当たってくる戦法に切り替えつつあった。
つまり香織の動きを読み、次に香織が動く先の空間に衝撃波を置いておくという攻撃を繰り出してきていたのだ。
自分に向けて放たれる衝撃波は察知し躱す香織だったが、目の前にそっと設置された衝撃波には気づくことができない。現にすでに何度も突っ込みかけている。
その度に彰人は先ほどのように、リンクさせている自身の魔力を練って衝撃波を放ち、相手の攻撃を相殺していた。
このまま戦闘を続けていては、いつ香織が相手の攻撃に捕まるか分からない。
彰人はここまで長時間香織と対峙を続けるも、一切変化のないリヴァイアサンを見ながら思考を回す。
(...博打にはなるが、次のステップへ移行するか。)
実は本来香織に伝えていた『葵を救い出す作戦』には、大きく2つのステップがあった。
その1つ目のステップが、今行っているこの戦闘だ。
そもそもで一度は香織の姿を見て狼狽えたリヴァイアサンだったが、一度眠り意識を定着し直している。
そのためリヴァイアサンの意識はより強固に、逆に葵の意識はより深く奥底にしまい込まれただろうと推測した。
だからこそ、まず最初に行わなければならないことは、その葵の意識を再び浮上させるための一手だった。
現在のリヴァイアサンは、自身の体ごとこの世界に召喚されたわけではない。あくまで葵の肉体を依代として、意識だけを現界している。
ではその肉体にダメージを負うとどうなるのか。
当初彰人がそうしようとしていた通り、肉体を完全に破壊されたリヴァイアサンはこの世界に留まることができなくなるのだ。
そうなれば、もちろんリヴァイアサンはそれに抗おうとするだろう。
抗う為には、ダメージを負った肉体を癒すしかない。
つまり、今葵の意識を押さえつけるために使用している内部の魔力のリソースを、外部...つまり肉体の修復に割かざるを得なくなる。
そのタイミングで移行するのが、2つ目のステップだ。
そこでやることは至極単純。
自分の肉体の再生と強化に魔力を使わせることで、おざなりとなったリヴァイアサンの内側に眠る葵の意識に向けて、外から香織が呼びかけるというものだった。
正直なところ行うことはシンプルだが、成功する確率は未知数だ。何をどう呼びかければ葵に届くのかも、彰人には見当もつかない。
しかし、「あくまで推測の域を出ない賭けのような作戦だ。」と話す彰人に対し、香織は「大丈夫。」と言い切っていた。
だからこそ、見切り発車ではあったが、この作戦はスタートした。
だが、ここまで戦闘してみて分かったことが一つ。
それは、リヴァイアサンへ攻撃を当てるのは至難の業ということだ。
香織の動きは決して悪くないものの、やはり年季が違う。
最悪先間が戻ってくるまで耐えることができれば、いくらでもやりようはあると考えていたが、このまま香織の動きを読まれ続けられたら、リヴァイアサン側の攻撃をもらう方が先になるだろう。
(それに、時間が経つごとに七瀬の意識がより深く沈んでいく危険性もある。どうせ攻撃を当てるのも、呼びかけるのも同じくらいの博打なのであれば...朝霧と七瀬の友情に賭けることのできる『呼びかけ』の方を優先すべきだろう。)
そう考えた彰人は、目の前で次はどう攻めようかと考えている香織に声をかけた。
「朝霧、いったん攻撃を当てることは諦めるぞ。」
思わぬ提案に香織は、「えっ?」と言いながら、彰人の方を見た。
「だってさっきの作戦だと、まずは攻撃をして...。」
「ああ、確かにそう言った。しかし、相手の方が一枚上手だ。このままでは、お主の方が攻撃を食らう方が先になる。」
「でも...。」
そう言いながら、香織は口ごもる。
彰人にはその言葉の先が予測できた。おそらく「まだ、葵に呼び掛けても届かないんじゃないか」という不安だろう。
確かに未だリヴァイアサンへ攻撃を与えることに成功していないということは、そのまま葵の意識は奥底に眠ったままということを意味する。
その状態でいくら呼びかけても、葵まで届かない可能性はある。
「今呼びかけても、七瀬に届く保証はない。」
その言葉に香織は口元をギュッと結んだ。
本来の香織なら、ここで「じゃあ、攻撃が当たるまで続けるわ!」と言うかもしれない。
しかし香織自身も徐々に感じ始めていた。この戦闘は自分に分が悪いということを。
そのため、何も言えずに口を閉じるしかできなかった。
しかし、彰人は事態が悪くなっているとは思っていなかった。
そもそもこの作戦は、はなから一握りの奇跡に賭けているようなものだ。
最初からすべてが可能性の域を出ていない。つまり、先ほどは「七瀬に届く保証はない」と言ったが、仮に攻撃を当てていたからといって「七瀬に届く保証がある」とは言えないのだ。
彰人は目線を落とす香織に語り掛ける。
「朝霧よ。我々はお主と七瀬の友情に賭けた。それを朝霧自体が信じなくてどうする。」
それを聞いた香織は、ハッとしたように顔を上げた。
そう、初めから確かなことなどない。確立などが意味を持つ常識的な世界の境界線は、とっくの昔に通り越している。
だからこそ、その中で正解へと繋がる道しるべは、朝霧と七瀬の友情だけだった。
香織は目の前でこちらを睨みつけているリヴァイアサンを見た。
獣を思わせる低い姿勢でこちらの様子をうかがうリヴァイアサンだったが、その姿を見ている香織に先ほどまでの固さはない。
それを見た彰人は気づく。
おそらく今の香織はリヴァイアサンを見ているのではない。その中に眠る葵を見ているのだ。
しばらく、リヴァイアサンと目を合わせ続けていた香織だったが、不意にふんと鼻を鳴らした。
「確かにそうね。葵の体を乗っ取ったあの化物はムカつくけど、私が今モノ申したいのは葵だわ。」
そう言うと香織はこの戦闘中、ずっと背中に背負ったままにしていた学校のバッグをゆっくりと下した。
そしてその中に手を突っ込みながら、再度リヴァイアサンを睨みつけると言った。
「葵が未だに眠りこけてるなら...私が無理やり叩き起こしてやる。」
何度も言うが、この作戦に何一つ確かなことなどない。
だがその瞬間、彰人は「七瀬を救えるかもしれない」という予感を抱いた。
根拠はなかった。いや、あえて根拠を示すなら、香織の目だ。
目の前で「葵を起こす」と宣言した香織の目に灯る決意の光が、余りにも眩しく輝いていた。