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第百十二話 常識の向こうへ 後編

「ねぇ彰人。僕たちが来る前、この倉庫で七瀬さんと何を話したの?」


その先間の言葉の意図が彰人には理解できなかった。

たった今まさに九死に一生を得たタイミングで、なぜそれを知りたがるのか。

しかし先間に続いて香織までもが「私も知りたいわ。」と言った。


彰人は悩んだ。まだ現状が危険だということに変わりはなかったし、七瀬の秘密を打ち明けるようで申し訳なかったからだ。

しかし、確かにこのまま先間と香織の記憶を消してしまえば、葵が自身を避けることになった原因を香織は一生知ることができなくなってしまう。


(消えてしまう記憶ではあるが...知る権利はあるか。)


そう考えた彰人は、葵の葛藤について話すことにした。


「我が話していたのは、七瀬が朝霧を避けていた理由だ。七瀬は自分の人生に目標がないという意識から、自己評価が低かった。そんな中、外聞だけが良い自分に対して、周りの目を気にせず目標に向かって正面から突き進む朝霧が眩しく映っていたようだ。その中でいつしか生まれた朝霧に対する【劣等感】...それが朝霧を避けていた理由だったようだ。」


だが、実際はその【劣等感】自体はきっかけに過ぎない。

葵と香織との仲たがいが生まれた原因の真実は、葵の中の負の感情が魔方陣の効果で助長された結果だ。

そこまで伝えるため彰人は「しかし」と話を続けた。


「それもすべては先ほどの魔方陣が原因だ。あの魔方陣の効果で、葵の負の感情が助長され...。」


「助長?」


その声は彰人が喋っている途中、静かに響いた。

消して大きな声ではなかった。しかし、その声が持つ圧は彰人が喋るのを止めるには十分だった。


「今、助長って言ったわよね?つまり少なからず葵は私に対して【劣等感】を抱いてたってこと?」


静かにそう問いかけてくる香織の声は何かを耐えるように震えていた。

確かにあの魔方陣の効果は、あくまでその人の中に存在している負の感情の助長だ。負の感情を一から作り出す効果はない。

そのため、彰人は頷きながらそれを肯定した。


「そうだな。」


その瞬間だった。


「あの...馬鹿。」


香織はそう呟くと、彰人の方を見た。

その目は力強く、先ほどまでの悲しみは映っていなかった。


「ごめん、あたしここから出ることは出来ないわ。」


そう言い切った香織の言葉に、彰人は思わず絶句しそうになる。

先ほど白い生き物が再度眠りについたおかげで、今すぐに攻撃を受ける心配はない。しかし、一刻を争う状況に変わりはないのだ。

彰人は先間にも香織を説得してもらおうと、声をかけた。


「先間。朝霧を連れて逃げてくれ。アレとの戦闘が始まると、お主たちを守る余裕がなくなって...。」


「それは無理だよ。」


先間の返答に今度こそ彰人は絶句した。

ついさっきまで先間は香織を連れて倉庫から出ようとしていたはずだ。

それが今では香織同様、力強い目で残ることを主張している。


全くと言っていいほど合理的でない言動をする先間と香織に、彰人は思わず困惑する。

そんな中、先間は自分を納得させるかのように言った。


「七瀬さんは大きな誤解をしてるよ。だから...やっぱり朝霧さんの想いをきちんと伝えないと。」


「そうね。葵は頭いいけど、馬鹿ね。それに気付けない私も馬鹿。だから一発ぶん殴って目を覚ましてから...きちんと伝えるわ。」


そう言って何かを確認し合う先間と香織を見て、彰人はつい疑問が口をついて出る。


「七瀬に何かを伝えるために残ると言っているのならば...先ほども言ったが七瀬はもうこの世にいないのだぞ。」


そう言った瞬間、彰人は後悔した。今のは、あまりにも心無い発言だったかもしれない。

しかし、返ってきたのは力強い返答だった。


「それ、今もまだ絶対って言い切れる?」


先間が言った。その目は正面から彰人を見ていた。

彰人は肯定しようとして口を開き...そして、様々な考えが頭をよぎった。


(あの魔方陣の召喚効果は絶対だ。依代となった葵の意識は、現界した対象によって上書きされる。魔力も持っていない七瀬にとって、それに抗う術はない。だが、先ほど朝霧の姿を見た際の言動はなんだ?まるで何かを思い出すかのように苦しんでいたではないか。本来あり得ぬ。...我の常識ではあり得ぬのだ。)


自分の常識では測れない、あり得ないことが起きている。

それをしっかりと自覚した彰人は、軽く首を振った。


「...分からぬ。本来なら、七瀬の存在はこの世から消えているはずだ。しかしそれで考えると、先ほどアレが取った不可解な言動の説明がつかぬのだ。」


そんな彰人の返答に対して先間は言った。


「常識で考えればって、もうすでに現状が僕らからすると常識外なんだ。だからこそ、次は彰人の常識外の出来事が起きたって、不思議じゃないよね。」


続けて香織が言った。


「私の常識で言えば、葵がいないはずがない。あの白い奴の中に、葵は必ずいるわ。」


(それは常識とは言わんだろう...。)


彰人は香織の言葉を聞きながらそう考える。

しかし、同時にこうも思った。


(今まで我は元の世界で自分の中の常識に従い生きてきた。だが、ここは日本だ。我の常識が及ばぬ出来事が起こっても...不思議ではないのではないか。)


彰人は、香織を見た。

突如、原因不明の爆発に巻き込まれ、友人の姿形が変わり、そしてその死を告げられる。絶望という言葉すら生ぬるく感じるような状況だ。


しかし、まさに昨日までの常識が一切通用しないこの状況で強張った顔をしながらも、それでも香織は力強い意志でこの場に残ると言っている。

そんな香織に彰人は問いかけた。


「朝霧。怖くないのか。」


「怖いわよ。」


香織は即答する。

だが、「でも」と続けた。


「葵が困ってるなら助けたいし、今はそれ以上に葵を引っ叩いてやりたい。そして、伝えたいことがあるの。...それだけよ。」


それを聞いた彰人は「そうか」と呟いた。

そんな中、先間も口を開く。


「多分彰人の中では色々と思うことがあると思う。さっきの爆発や目の前で眠る白い生き物の件だったり、僕らの理解を超えてる出来事ばかりだ。だけど、彰人にはそれらの真実が分かってて、そこから導いた彰人の答えのおそらく大半は正しいと思うよ。」


そうだ。

彰人は今何が起こっているのかを大半は理解しており、分かったうえで先間や香織に指示を出している。

だから、本来ならその指示に従い、今すぐこの倉庫から逃げるのが良いのだろう。


(そんな中、彰人の指示に従わないことがどれだけ無謀かなんてことくらい...わかってるさ。)


先間は心の中で苦笑しながらも、話を続けた。


「...でも結局のところ、全てのきっかけは朝霧さんと七瀬さんの間にある問題でしょ?そうなると彰人が全てを把握することは無理だよ。やっぱり彼女たちにしか分からないことがある。...それに、現状を打開する糸口はそこに隠れてるんじゃないかな。」


彰人はその言葉が持つ意味をじっくりと考える。

現在がどれだけ切羽詰まっている状況なのかは彰人にしか分からないことだ。

葵は消え、正体不明の化物が現界した。彰人はこの世界を守るためには、その化物を倒すしか道はないと思った。

しかし本当に香織と葵の絆を信じるのならば...もしかすると他にも打開策があるのだろうか。


「確かに現状を一番理解しているのは我だ。その我の見解では現状は悪い。最悪に近いとすら言える。...しかしそんな状況の中に確かに潜む不確定要素。それに賭けると言うのか。」


「不確定要素に賭けるんじゃない。朝霧さんと七瀬さんの友情に賭けるんだ。」


先間はそう言うと、緊張したような顔で少しだけ笑った。

その顔を見た彰人は、目を瞑った。


(理屈はない。理論的でもない。あまりに不明瞭で一縷の望みに縋る様な賭けだ。常識で考えれば、やはりこのまま先間たちを逃がし、我が一人でアレの相手をすべきだろう。...だが。)


彰人はゆっくりと目を開いた。


「ここから先は我の常識が通用しない世界だ。だから、お主たちを導くことは出来ぬ。それでもやるか?」


「やるわ。」「やるよ。」


即答で帰ってきたその声は見事に重なっていた。

その返事を聞いて彰人は...決意を固めた。


「わかった。我も朝霧と七瀬の友情に賭けよう。」


彰人のその言葉を聞いた先間と香織は、ホッとしたような顔で笑った。

その笑顔を見た瞬間、彰人はなぜか自分の中にあった緊張感がゆっくりと溶けていくのを感じた。


「あの化物から七瀬を取り戻すぞ。そんな常識の向こうにある良い結末を、皆でつかみ取るとしよう。」


そう言ってから彰人は気づく。

今までなんでも一人で解決してきた彰人にとって、友人と助け合い答えの見えない結末に向かって突き進むという経験が初めてだということに。


そして、同時に理解する。

先ほどまで自分の中にあった緊張感。その原因は全ての問題を一人で解決しようと意固地になっていた自分の意識に原因があったのだと。


(我は先ほどまで現状を自分の常識に当てはめ、その中で最適だと思われる答えを探そうとしていた。つまり、はなから先間と香織ができることは無いと決めつけ、自分一人ですべてを解決しようとしていたのだ。)


しかし先間と朝霧はそうではなかった。

右も左も分からない不安な状況の中でも諦めず、一筋の光明を見つけ出したのだ。


そして彰人自身も、自分の常識の向こうで光っていたその希望を実現するため、一人ですべてを背負うのではなくみんなで手を取り合い現状を打開すると意識を変えた。その瞬間、緊張感から解放された。

とどのつまり、端的に言うのならば友人たちと協力し合うことで、少しばかり肩の荷が下りたのだ。


彰人は思った。


(我と七瀬は似ているのかもしれぬ。我は自分の能力を正確に把握できているからこそ、全てをその中で解決しようとするあまり、他人の限界を勝手に決めつけてしまう。一方葵は他人の可能性を信じるあまり、自分の能力を客観的に把握できず、自分に限界を決めがちだ。)


これは内容こそ正反対であれ、お互いに反省すべき部分で、そして改善しなければないならない部分だ。


「ふっ。我も七瀬に伝えることができたな。こうなると是が非でも七瀬には自分の体を取り戻してもらわねば困る。」


彰人そのつぶやきは、先間と香織の耳には入っていないようだった。しかしそれでも構わなかった。

なぜなら、目の前に立つ二人の視線は、彰人と同じ思いであることを雄弁に物語っていたからだ。

決意を固めた顔で立つ先間と香織を見た彰人は、まず先間に指示を出した。


「先間。我の家まで行き、我の部屋の机の一番下にある引き出しから()()()を持ってきてくれ。」


「ある物?」


「ああ、見ればわかる。」


彰人はそう言うと「頼んだぞ。」と言いながら前を向いた。

その後姿から全幅の信頼を感じた先間は、元気よく「分かった!」というと背後にある扉に向かって駆け出していった。


「私は外へは行かないわよ。」


走り去っていく先間を見ながら香織が言った。

それを聞いた彰人は「心配するな。」と呟くと、体内を巡る全魔力を右腕に集中させながら言った。


「朝霧、お主にはもっと責任感のある仕事が待っておる。」


************


葵の体を乗っ取り召喚されたソレに、名はなかった。

しかし、現代においての通称は「レヴィアタン」。またの名を嫉妬を司る悪魔「リヴァイアサン」といった。


嫉妬と密接に関わっている劣等感。

その強大な感情に導かれるようにして現界したリヴァイアサンは、自分の眠りを妨げる何かの違和感を感じ、目を覚ました。


目の前に立つ生き物が視界に入った。

先ほど、少しの間相対した生き物だ。一度自分の攻撃を防いでいた記憶がある。


しかし、一度眠りさらに力が増した自分の前では、存在自体が希薄に思えた。

リヴァイアサンは、その矮小な生き物を排除しようと腕を振り上げた。


「すまないがお主の相手は我ではない。」


目の前の生き物がそう口にした瞬間、リヴァイアサンは上空から強大なプレッシャーを感じた。

リヴァイアサンはまだうまく馴染まない人間の体を無理やり動かすと、その場から飛びのいた。

その瞬間、直前までリヴァイアサンがいた地面を蹴りつけるようにして、一人の人間が降ってきた。


爆発音を響かせながら、地面に降り立ったその人間を見た瞬間、リヴァイアサンの眠気は吹き飛んだ。

見た目はただの人間だ。しかし、その身に宿すエネルギーは強大だった。


リヴァイアサンはその人間を瞬時に自分の敵だと認識した。

本ら、数ある悪魔の中でも上位に位置するリヴァイアサンが、はっきりと脅威だと認識する相手は数えるほどしかいない。

しかし、目の前の人間はそれに該当していた。


だが、それと同時にリヴァイアサンの中で妙なざわめきが起こった。

先ほど自分の眠りを妨げた時にも感じた違和感だ。

まるで自分の中に何か別の存在が蠢いているような...そんな違和感を感じていた。


初めての経験に苛立つリヴァイアサンだったが、まずは目の前の敵だ。

リヴァイアサンは目の前で自分を睨みつけている、髪を二つに結んだ小さな背丈の人間の女を見た。

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