第百十話 常識の向こうへ 前編
「うわっ!」
「きゃあっ!」
視界を埋め尽くした光と暴風に、先間と香織は思わず目を覆った。
しかし、目の前の光景とは裏腹に、実際に二人の体にその衝撃が襲い掛かることは無かった。
耳をつんざく様な爆発音だけが鳴り響いただけで、それ以外の影響と言えば緩やかな風が体を撫でた程度だった。
(これは...彰人だ。)
目の前で起きている大爆発の影響を受けない現状から、先間はそう結論付ける。
何もなければ即死しているはずの爆発に見えたが、おそらく魔法でガードしてくれたのだろう。
(それにしてもなんで急に爆発して...っ!そう言えば、爆発の中心地にいた七瀬さんは!)
先間は周りの音から爆発が終わったことを察し、顔を覆っていた手を退けた。
初めは爆発時に発生したのか濃密な煙が視界を遮っていたが、徐々にそれも晴れていく。
うっすらと倉庫の中が見渡せるようになると、先間は先ほど彰人の隣に立っていた葵の様子を確認しようと目を向けた。
そして、思わず目を見開いた。
(なんだ...あれ...。)
元々葵が立っていた場所には、爆発の規模を物語るように大きなクレーターができていた。
そしてその中心地。まさに先ほどまで葵が立っていたクレーターの中央に、その生き物はいた。
最初その生き物を見た時に抱いた感想は“白い”だった。
手も足も髪も、その体を構成する部位の全てが、まるで一切の色素が向け落ちたように真っ白だった。
フォルムは人間と同じに見えたが確証はなかった。
なぜならその生き物はまるで猫が眠っている時のように、手足を折り曲げ、身体を丸めたまま地面に寝転がっていたからだ。
そして、葵のふんわりとしたボブとは似ても似つかないストレートヘヤが、その生き物の体を覆っていた。
大きなクレーターの中心に、見たこともない明らかに異質な白い生き物。
どう考えても異常事態だ。先間の中の危険アラートも最大限に鳴り響いている。
しかし、先間はその生き物から目が離せないでいた。
(でも...なんであそこにいる生き物が...七瀬さんの制服を着てるんだ?)
そう、一見すると人間と判断するのも怪しい白い生き物だ。
しかし、なぜだか身にまとっている服がまさに先ほどまで葵が着ていた制服と同じ物だった。
(だって、アレが七瀬さんのはずがない...七瀬さんはあんなに髪も長くないし、そもそもあの全身の色は...。そう言えば彰人は!?)
異常な姿で眠る白い生き物を見ていた先間だったが、先ほどまで葵の隣にいた彰人が見当たらないことに気づいた。
先ほど爆発から先間たちの身を守った時点で無事だと思っていたのだが、まさか彰人の身に何かあったのだろうか。
先間はキョロキョロと辺りを見回した。
そしてクレーターから5メートルほど離れた位置に彰人の姿を発見した瞬間、思わず叫び声が口をついて出た。
「彰人!」
「...大丈夫だ。」
先間の叫び声にそう返答した彰人だったが、自分の姿を一瞥すると心の中で舌打ちをした。
(...少し強がったか。確かにこれで大丈夫は無理があるな。)
彰人が考えている通り、その姿から今の彰人が大丈夫でないことは一目瞭然だった。
そもそもすぐそばで先ほどの爆発に巻き込まれた彰人は、普通ならば塵も残さず蒸発している。
つまり今もまだ喋れるということは魔法で自分の身を守ったということなのだが...。
万全の状態なら、何も問題はなかった。今もまだ無傷で立っているはずだ。
しかし、その直前に葵に奪われた魔力の代償は大きかった。
爆発時、彰人は先間と朝霧の周りに障壁を張った後、この倉庫で起こっていることが外部に洩れないよう、咄嗟に倉庫自体にも障壁を張った。
その結果、本来なら倉庫街の一角が丸ごと吹き飛ぶ規模の爆発にもかかわらず、倉庫街には光も音も洩れることはなかった。爆発の影響のすべてを、倉庫の中だけに押し留めたのだ。
だが、2つの障壁を同時展開した瞬間、彰人は察した。
(くっ、これは間に合わん。)
魔力が少ない影響で、障壁の展開にいつもより時間を要してしまったのだ。目の前で広がる爆風から自身への到達速度を計算し、彰人は障壁の展開を諦めた。
その代わりに、少しでもダメージを軽減できるよう、咄嗟に魔力を見に纏い後方へと飛んだ。
しかし、残り少ない彰人の魔力では全ての衝撃から身を守り切ることは出来なかった。
(左手は駄目か。だが、足はどちらも生き残ったのが不幸中の幸いだな。)
彰人は全身が血で染まる体を見下ろしながら、冷静に分析した。
まともに爆発を受けた左手は、肘から先がほとんど炭化している。力も入らないので、だらんと垂れたままだ。
足も随所が張り裂けており、血が噴き出している。無事とは言い難いが、それでもしっかりと彰人自身を支えてくれていた。
そして端正な彰人の顔は、左目が閉じられており、その瞼の隙間からは血が流れ出ていた。
(目も...駄目だな。爆発時の熱で眼球が焼け、水晶体が蒸発している。)
そんなことを考えながら、身体の稼働を確かめる彰人だったが、先間はあまりにも凄惨な彰人の姿に、一瞬意識が飛びかける。
しかし同時に先間の隣から響いた声に、かろうじて意識を繋ぎ止めることができた。
「何が起こって...っ!なに、あそこにいる白い...え?まさか...葵?」
先間が隣を見ると、そこには多少髪が乱れてはいるが爆発の影響を受けた様子はない香織がいた。
しかし先ほど起こった爆発に頭の整理が追いつかないのか、自分の体を両手で抱きかかえながら辺りを伺うように目を凝らしていた。
その後、多少考えがまとまった時、爆発前に葵と話していたことを思い出し、そちらの方向に目を向けた。
そしてそこにある大きなクレーターに思わず息を呑み、その中央にいる葵の服を着た白い生き物に目を疑った。
(なんで葵の制服が...そもそもあのクレーターは何?それにあんなに大きな爆発だったのに、なんで私は無事なの?)
香織は次々と起こる不可解な現象に、目が回りそうな思いだった。
ただ、その中でも一番の謎。
そう、目の前のクレーターの中で眠る、なぜか葵の制服を着た白い生き物に目を奪われた。
理由や根拠はない。ただ、見知った制服を見て、香織は思わずその生き物に向けて片手を伸ばしていた。
「動くな。」
しかしそんな香織に向かって彰人から指示が飛んだ。
その声を聞いて香織はハッと我に返った。
(そう言えば、豊島もいるんだったわ!)
そして、声が聞こえてきた方向を勢いよく見て、絶句した。
「あんた...その傷...!」
「心配ない。」
「そんな訳...!だって左手なんてっ。」
「大丈夫だ。そんなことより...。」
彰人は香織からの問いかけを強引に終わらせると、続けて言った。
「お主たちはこの倉庫から出ていけ。」
その言葉を聞いた先間と香織は驚いた。
その理由は内容についてだけではない。彰人の声が今まで聞いたことがないほど緊迫した色を含んでいたからだった。
現に今も先間と香織に声をかけた後、彰人の目線はずっとクレータの中で眠る白い生き物に注がれていた。一瞬たりとも目を反らさないその姿からは、強い警戒心が伝わってきており、見ているだけの先間と香織まで思わず唾を呑んでしまうほどだった。
異様な光景に互いに硬直する先間と香織だったが、それでも先に動いたのは香織だった。
「で、出ていけないわよ。だってあんたもそんなに傷だらけで、それに葵もなんか白くなっちゃってて...。」
「問答をする気はない。今ならまだ間に合う。早く行け。」
「無理よ!そもそも何が起こってるのか分かってないし、その中で急に出ていけって言われたって...。」
「...頼む。」
その声を聞いた香織は思わず閉口した。
また、先間も目を見開いて彰人を見た。
「もう友人を失いたくないのだ。」
その一瞬だけ、彰人は白い生き物から目を反らして先間と香織を見た。
その目とそして声は、深い悲しみをたたえていた。
それから彰人はまたすぐ顔を反らし、白い生き物に目線を向けた。
先ほど彰人が言った言葉の整理ができないのか、香織はまだ動けないでいるようだった。
その中で先間は恐る恐る彰人に尋ねた。
「...失うってどういうこと?友人を失うって...。」
本当は先ほど白い生き物を見た時に、脳裏を過った考えがあった。
しかし、それはあくまで先間の想像で、できれば誰に否定してほしかった。
だからだろう、先間はあくまでも単純な疑問としてその言葉を彰人に投げかけた。
先間の問いに対してしばらく黙っていた彰人だったが、小さな声でぼそりと「どちらにしても、同じことか。」と呟いた。
そして、目は反らさないまま、話し始めた。
「先ほど朝霧がアレを七瀬と言ったが、それは違う。」
彰人は、今もまだクレーターの中で眠る白い生き物を顎で指しながら言った。
「いや...それは正確な表現ではないな。確かに元々は七瀬だ。しかし、今はすでに七瀬ではなくなってしまった。」
その声は無理に感情を押し殺したように、倉庫の中に淡々と響いた。
一切の起伏がなく、事実のみを告げる機械のような声色だった。
それを聞いた朝霧は、思わず言った。
「あんた何を言って...確かに何か白いけど、でも、着てる服は葵の...。」
「すまない。」
震える声で彰人の言葉を否定しようとした香織だったが、それを遮るように彰人が謝罪の言葉を口にした。
「だが、それが事実で...そしてこれは我の責任だ。全て我がケリをつける。だから、アレが目を覚ます前にお主たちはこの倉庫から出ていってくれ。」
「ケリってどういうこと?何をしようと...。」
「あれをここで倒しておかねば、この世界が終わってしまうのだ。」
「さっきからあんたの言っていることは意味不明なのよ!だって、白くたって元は葵でしょ!だから倒すなんてそんな...。」
香織は激高したように、声を上げた。
しかしそんな香織の方を彰人は振り返りもしなかった。いや、正確には振り返れなかったのかもしれない。
なんとなく察しはついている、しかし認めたくない一心で声を荒げる香織に向かって、彰人は言った。
「アレが現界した瞬間に、七瀬の意識は取り込まれてしまった。...つまり、いくら元の体が七瀬だとしても、もうその存在は上書きされたのだ。」
そこで今まで淡々と話していた彰人が、一瞬だけ躊躇する仕草を見せた。
しかし緩やかに首を振ると、再び先間と香織の方を見た。
そして深く息を吸い、告げた。その内容は、まさに先間の中にあった最悪の想像を肯定する言葉だった。
「つまり...七瀬はもう、この世にいない。」