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第百八話 葵の告白 後編

自分の中に燻っていた思いを吐き出した葵は、少しの間自分の中で膨れ上がる感情を押さえつけるように、肩で息をしていた。

そして一息ついた後、目の前で黙ったままでいる彰人に気づき、「ごめん。豊島君は関係ないのに...こんなこと言って。」と呟いた。


そんな葵の姿を見ながら、彰人は何かを言わなければならないと思っていた。

もちろん、それが今ここに自分がいる意味で、朝霧から託された役目だからだ。


しかし、目の前に座る葵を見ながら彰人は推考する。

確かに葵の本心は今聞いた。それは紛れもなく、葵を苦しめている要因の一つだった。


(だが...それが全てではないだろう。)


葵は学校で行ってしまった行為、“友人を傷つけた”ことに対して、大きな罪悪感を感じていた。

しかし、本来負の感情を向けてくるであろうはずのその友人からは、そんな最低な行為すら許されてしまう。

今葵が吐き出したのは、その結果行き場をなくした自分の中の罪悪感との葛藤だった。


(しかし、ここで聞かなければならないのは全ての始まりだ。つまり、友人を傷つけてしまうまでに、お互いがすれ違う羽目になってしまったその原因を聞かなければならぬ。)


そう、本当に解決しなければならないのは、その部分だ。

確かに友人を傷つけたショックは大きいだろう。しかし、あれほどまでに仲の良かった香織と葵がすれ違ってしまった原因こそが、全ての元凶と言える。

そのきっかけさえなければ、そもそも事故すら起きていないのだから。


そして、その元凶に葵は覚えがあるはずだった。

先ほど葵が口走った“私の罪”という言葉からは、ただ香織を傷つけてしまったことだけではない、もっと深刻な苦悩が感じ取れたからだ。

そう考えた彰人は、目の前で項垂れている葵に向かって口を開いた。


「申し訳ない。先ほど我が言った朝霧がお主と仲直りをしたがっているという発言は、七瀬自身の気持ちを考慮できていない軽率な発言だった。」


「別にそんなこと...。」


否定の言葉を口にしかける葵に彰人は手を向け、その言葉を制した。

そして今度こそしっかりと葵と目を合わせると、「だからこそ、聞かせてくれないか。」と言った。


「七瀬自身の本当の苦悩を。事故とはいえ朝霧を傷つけ、だが誰からも責められない現状が辛いのは分かる。しかし、お主を苦しめている本当に原因は、それを引き起こすきっかけとなった“何か”ではないのか?...何が七瀬をそこまで追い込んだ。」


彰人が問いかけたその言葉に、しばらく葵は答えなかった。

いや、正確には答えたくなかったのだろう。なぜなら、その問いはまさに正鵠を得ていたからだ。

葵が本当に苦しみ悩んでいたのは、香織を遠ざけなければならなくなるほど葵自身を蝕んでいる“何か”に対してだった。


しかし、その問いをはぐらかすには、葵は心身ともに疲れすぎていた。

誤魔化す気力もなく、心の奥底では誰かに救いを求めていた葵は、(多分これを話したら豊島君にも嫌われるだろうな)という考えが頭を掠めつつも、ついに全てのきっかけを打ち明け始めた。


「全ては私の中に眠っていたある感情が原因なの。この世で最も醜悪な感情。」


そう前置きをしたうえで、葵はまるで自分の罪を懺悔するかのように語り始めた。


まず...家庭環境の影響だろう、葵には夢がなかった。

幼い頃から“自分の能力を磨け”と親から刷り込まれて育った葵は、いつしか自分のやりたいことを探し実現するためではなく、親の期待に応えるために生きるようになっていた。

自分の心の声は押し殺し、周りからの見え方だけに気を配りながら生活をしていた。


また周りからの見え方を気にするにあたって、自然と自分を犠牲にして周りの子のために振る舞うことが多くなっていった。

周りの子たちが自分のやりたいことにエネルギーを注いている間、葵は同じだけのエネルギーを他の人に対して注いでいた。


そんな葵を、周りは優等生だと評価した。

確かに一見すると自己中心的な言動は一切見られず、常に周りに配慮し気配りのできる模範的な子供だ。

しかし、そんな人は果たして良い人、立派な人と言えるのだろうか。

...葵はそうは思えなかった。


もちろん頭がいいと褒めてもらえることもある。しかし勉強だって、何かの目的があってしてるわけではなかった。

幼い頃からの親の教育と、また周りからの見え方に気を配った結果、ただ流されるように勉強をしていただけだ。

そのため、多少いい成績が取れたって別に自分の強みとは思えなかった。


外聞だけがいい空っぽな人間。

それこそが葵の自己評価だった。


そこまで喋ると葵は一息ついた。

目の前で身じろぎひとつせず、静かに話を聞いている彰人の事は気になったが、ここまで喋るともう止めることは出来なかった。

葵は深く息を吸うと、話を続けた。


「でも...そんな空っぽな私と一緒にいてくれる人が現れた。もちろん、それが香織。」


「香織はそれまで私が出会った誰よりも自分の気持ちに正直で、やりたいことに全力で取り組んでた。」


「今まで自分がなく周りの評価だけに支えられてた私だったけど、香織と出会ってからは香織に引っ張られるようにして、少しづつ自分と向き合うことができるようになってた。」


「眩しかった。...ヒーローのように思ってた。」


目を細めてそう呟いた葵だったが、次の瞬間まるで胸が痛むように顔をしかめると、それまでよりも一層辛そうに、声を震わせながら告げた。


「でも...空っぽだと思っていた私の中に、この醜い感情は残ってたの。」


「自分の事を考えず、周りの事だけを考えて生きていた時は、意識することもなかった。でも改めて自分と向き合った時に、周りと自分との差がそこではっきりと分かった。その瞬間、この感情は芽生えたのね。」


「最初は無視のできる程度だったの。その感情と向き合う機会もなかった。...でも、その感情は()()()()をきっかけに徐々に私の中で肥大化していった。」


()()()()と言った時、葵はチラリと彰人を見た。

しかし、その後すぐにまた目を反らした。


「ずっと気にしないようしてた。気のせいだと誤魔化し続けた。...そんなの馬鹿げた考えだって。」


「でも...その感情はしつこく顔を覗かせ続けてた。」


「そんな時に行われたのがこの前の体育祭。そしてその中で行われた騎馬戦。...私は香織とチームが分かれた瞬間から、チャンスだと思うようにしたの。」


「今まで何もかも香織におんぶに抱っこだった私でも、この騎馬戦に私一人の力で本気で取り組んで、そして香織に勝つことができたら、私は香織の隣に自信を持って立つことができる。その証明になると思って。」


それまで前を向きながら喋っていた葵だったが、「でも...。」と言うと俯いた。


「結果は知っての通りね。そして騎馬戦に負けた時、私は真実に気付いたの。...やっぱり空っぽの人間がどれだけ全力で取り組んだって、本当の窮地の時隣には誰もいなくて、いつも自分のやりたいことに正面から全力で向かい合っている人間の隣には、窮地の時助けてくれる人がいる。」


「...そんな当たり前の真実に気付いたのよ。」


そう言うと葵は顔を上げた。その目を見た彰人は小さく息を呑んだ。

まるでこの世の絶望を押し込んだように暗く濁っており、そしてその目は...何も映していなかった。


「そして同時に、もう一つ気づいたの。ううん、これは気づいたと言うより、認めたと言うべきね。私は今まで見ないふりしていた私の中の感情を認めたの。」


「そう、その感情こそが私の中の最大の罪。今回香織を避ける、そして傷つけるきっかけとなった元凶。私が大っ嫌いな私が持つこの感情は。」


そこで葵は一度言葉を切ると、何も映していない濁った眼で彰人を見上げ、はっきりとした声で言い切った。


「【劣等感】。私は、私に足りないものを全て持ってる香織...自分の唯一無二の親友に対して、劣等感を抱いてたのよ。」

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