第百五話 すれ違う2人 前編
高校一学期の一大イベントである体育祭が終わった。
汗と涙にまみれた一日を終え、しばらくは生徒たちもまだ浮足立ち、校内で話す話題ももっぱら「いやー今年も盛り上がったね。」と体育祭の思い出話がメインとなる。
中には体育祭の最中失恋し、そのダメージを引きずっている者もいれば、数々の種目で異例の活躍を見せた結果、校内で様々な生徒から声をかけられ、しばらく学校生活が慌ただしくなっている者もいる。
しかし、そんな日々も長くは続かない。笑顔が多く元気な声が響いていた校内も、徐々にピリピリとした空気が漂い始めていた。
そうなぜなら、体育祭からそれほど期間が空かず、もう一つのイベントが待ち受けているからだ。
体育祭が待ち受けてた時期とは一転し、生徒のほとんどは険しい顔をして、図書室に通い始めている。
そうそのイベントの名は、『期末テスト』という。
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「はあ...暑い中外で走りまわされたかと思えば、次は一日中紙切れに文字や数字を書き込まされる...。全く、学校は高校生の本分を何だと思ってるのさ。」
「勉強だと思うが。」
テスト期間の2日目を終え、机に突っ伏しながら愚痴を漏らす先間に、彰人は正論で返す。
その言葉に肩をピクリと動かした先間は、小さなため息を吐きながら顔を上げた。
「...順調そうだね。」
「苦戦してはおらぬ。」
うつろな目で尋ねてくる先間の問いを、彰人は肯定した。
顔色悪く元気のない先間に対し、彰人はいつもと変わらない様子だ。その顔を見て先間は何度目かになる疑問を心の中で呟く。
(彰人ってホント常識的なことは驚くほど知らないことがあるのに、相変わらず勉強となれば驚くほど優秀だよね。...謎。)
しかし、そんなことを思っていても仕方ない。
自分の友人の謎な部分にいくら目を向けたところで、自分の成績が上がるわけではないのだ。
どちらかといえば、その謎な部分を受け入れ、自分の為になるように工夫する。それが大事だと先間は学んでいた。
先間はその場でシャキッと姿勢を正すと、彰人を真正面から見た。
そしてはきはきとした声で、告げた。
「テスト期間も残すは二日。先生、今日もお願いします。」
その言葉を聞いた彰人は、「ふむ。」と返答をする。
ふむ。は彰人が考える時の口癖だが、今回のそれは肯定を意味していた。
その証拠に彰人は鞄を手に持つと、立ち上がりながら言った。
「では、カフェへ向かうか。」
「そうだね。...あのーちなみに僕の家は。」
「駄目だ。」
先間がおずおずと切り出した提案を、彰人は跳ね除ける。
そして静かな目線のまま、先間に告げた。
「先間は家だとすぐに漫画やゲームに意識が向かうではないか。だから駄目だ。」
「ですよね...。」
自分の性格を誰よりも知り尽くしている先間は、彰人の正論過ぎる返答に頷くしかない。
そして2人は鞄を持つと、翌日のテスト勉強をするため、教室を後にした。
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商店街の中にあるカフェに入り、席を探すため店内に目を向けた瞬間、先間は「あっ。」と口にした。
その目線の先を見た彰人も、ある女子生徒の姿が目に入った。
「朝霧さん。」
先間が歩いて近づきながら、その後姿に向かって声をかけると、香織ははっとしたようにノートからこちらに顔を上げた。
「あんた達か...。ここで勉強?」
「うん、そうだよ。」
先間は頷きながら、ペロッと舌を出す。
「といっても、もっぱら僕が教わるんだけどね。この先生から。」
そう言いながら先間が隣に立つ彰人を見た。
そんな光景に香織は、「はん!」と鼻を鳴らした。
「あんたは相変わらず順調そうね。」
「苦戦してはおらぬ。」
彰人は本日二度目となる返答をした。
それを聞いた香織は肩を竦めると、言った。
「まあ、頑張んなさいよ。ただ私は一人の方が集中できるから、勉強するなら少し離れた席でお願いね。」
「わかったよ。朝霧さんも勉強頑張って。」
先間の返答を聞いた香織は、再びノートに向かって顔を落とした。
少しの間が空き、何の気なしに話題を提供するような口ぶりで、先間が言った。
「でも...朝霧さんもカフェで勉強するんだね。家でしてるイメージだった。」
それを聞いた瞬間、香織はビクッと体を震わせた。
そしてこちらに顔を向けないまま、言う。
「まあ、基本は家よ。今日はたまたまカフェの気分だったの。」
声色は明るい。しかし、先間も香織とは短くない付き合いだ。
その声の裏にある、感情の機微に気付いていた。
「...七瀬さんは一緒じゃないの?」
おそらくその返答は香織も予測していたのだろう。今度は体に反応は現れなかった。
しかし感情を整理するよう軽く息を吐く。そして、こちらを振り返りながら言った。
「葵は...一応声をかけようとしたんだけど、その時にはもうすでに帰っちゃってて。まあ、仕方ないわよ!今まで中学では常に学年一位を死守してたのに、今回はそれを脅かす敵がいるんだもん。」
そう言いながら香織は、彰人を指さした。
そしてそのまま言葉を繋ぐ。
「あんたも順調かもしれないけど、葵だって負けないわよ。あの子が本気出して勉強すれば、必ずあんたから一位の順位を奪い返せるんだから!」
「...そのような話はしているのか?」
「...え?」
彰人が言った言葉の意味がすぐには理解できず、香織は口をつぐむ。
そんな香織の事をじっと見ながら、彰人は再び言った。
「七瀬と今回のテストの事について...いや、そうでなくても良い。体育祭の後、七瀬と話しているか。」
「っ!」
彰人の言わんとしていることを察した香織は顔を歪めた。
そんな香織に対して、心配そうな先間も口を開く。
「そうだよ。なんか最近二人...あまり話してないよね...?」
「だからそれは!」
自分が思った以上に大きな声が出たことに気づき、香織は口元に手をやった。
それから声を抑えつつも、明るい声色で言う。
「...さっきも言ったけど、葵は今勉強を頑張ってるの。だからあまり話すタイミングがなくて。」
「前回のテストの時だ。我は朝霧と七瀬がこの店で勉強をしている姿を見たことがある。」
「...それが、なに。」
「先ほど、朝霧は今日この店に来てるのはただの気分だと言った。しかし...本当にそうか?」
香織の瞳が揺れた。そして、それを悟られないよう、地面に目を向けた。
その姿を見ながら彰人は一呼吸間を空けると、静かに告げた。
「本当はここなら七瀬と会えるかもと、そう思ったのではないか?」
「止めて!」
目の前で香織は叫んだ。
そして地面に置いていた鞄を手にとると、彰人の隣をすり抜けた。
「あ、朝霧さん!」
その後姿に先間が声をかけるが、香織はその声も無視をし、お店の外へと走り去っていった。
少しの間、心配した顔で香織が去っていったお店の外を見ていた先間だったが、先ほどまで香織が座っていたテーブルにノートが置かれたままになっていたことに気づいた。
香織の忘れ物だ。
先間はそのテーブルに近づくとノートに向かって手を伸ばし、そこで固まった。
そしてそのまま静かに彰人の名を呼んだ。
彰人がそのテーブルに近づくと、先間は香織のノートを持ち上げ、こちらに見せた。
「こういう時、どうするのが正解なんだろう...。」
そう呟く先間の声を聞きながら、彰人は心の中で思う。
(朝霧と七瀬が正面から向かい合うしかない。どちらかが目を背けている内は、物事は進展しない。)
そう思いながら彰人は、先間が手に持つノートに目を向けた。
先ほどまで朝霧が向かい合っていたはずのノートは、何も書かれておらず、白紙のままだった。