第百一話 波乱万丈の体育祭 その11
「やぁああ!」
「あぁ!やられた!」
横から帽子をかすめ取られた2年生の女子生徒が悔しそうにそう叫んだ。
その声を聞きながら香織は素早く周りを見渡す。
(だいぶ残っているグループの数も減ってきたわね...。1年のグループはもう数組しかいないかも。)
周りでは相変わらず様々なグループが熱戦を繰り広げているが、それでも最初と比べると人の数は半数以下になっていた。
その中で残っているグループに目を走らせ、香織は顔をしかめる。
(この時点で【白】グループの方が多く残っててほしかったけど...実際は少し押され気味かしら。)
「香織!横!」
「分かってる!」
周りを見渡していた香織に、下の女子生徒から声がかかる。
しかし持ち前の視野の広さで、自分に接近してきてる【紅】グループに気づいていた香織は、その声に答えながら上半身を反らして横から伸びてきた手を躱す。
「あ!惜しい!」
先ほどまで香織の頭があった場所を素通りした自分の手を見ながら、女子生徒がそう叫ぶ。
しかしあれだけ上半身を傾けたのだ、すぐには反撃できないだろうと高をくくり振り返った女子生徒が見たのは、すぐそばで自分の頭に向かって伸びる香織の腕だった。
「え!」
「もらい!」
赤い帽子を素早く取りながら香織は勝利の声を上げた。
帽子を取られた女子生徒は一瞬何が起こったのか把握できていないようだったが、自分の頬にかかる髪の毛の感触に我に返り、悔しそうに顔を歪めた。
「ほんと香織って素早いよね...体のバネが違うっていうか...。」
香織を下で支える女子生徒の一人が、そう感想を口にする。それを聞いて他の2人もうんうんと頷いていた。
もちろんバドミントン部での活躍や、日ごろの言動を見ているので多少は分かっているつもりだった。それでも、いざ目の前でその動きを目にして改めて思っていた。
先ほどの攻防もそうだ。
横から伸びてきた手をスウェーバックの要領で躱したのも驚きだが、そこから更に攻撃に転じるまでの素早さが尋常ではない。
まるで香織の上半身だけ、1.5倍速で流れる映像を見ているかのようだった。
(とりあえず今はガンガン攻めて【紅】グループを減らさないと...。でも何か変ね。私の気のせいじゃなければ、【紅】チームのある一定のグループの動きが妙だわ...。まるで何か意思を持った1つの動物のような...。)
香織がそんなことを考えていた時、興奮したアナウンスの声が運動場に響いた。
「ここで男子騎馬戦が終了!」
(早いわね!)
香織はびっくりして思わず隣の運動場で繰り広げられていた男子の騎馬戦側へと目をやった。
興奮した生徒の姿で残っているグループの姿は見えなかったが、周りで口々に叫ぶ生徒の様子を見ていて香織はどちらのチームが勝ったのかを察する。
同時にアナウンスでもその結果が告げられた。
「男子騎馬戦!その勝者は...【白】チーム!」
(よしっ!)
うぉぉおお!と叫ぶ【白】チームの面々を見ながら、香織はグッと拳を握った。
これで後は女子側が勝つだけだ。そうすれば今年の紅白戦を、【白】チームの勝利で終われる!【白】チームの男子たちありがとう!
「強い!未だかつて伝統ある騎馬戦で、ここまで1つのグループが大暴れをしたことがあったでしょうか!いや無い!まさに一騎当千!あのグループは3年生の誰のグループなんでしょう...え?1年グループ?」
(...これはあれね。豊島ね。)
香織は心の中で苦笑する。相変わらずムカつくほど頼りになる男だ。
いつも通りなんてことのない顔で“特に特別なことはしておらぬ。これは決まりきった結果だ。”飄々とぬかす彰人の顔が目に浮かぶようだった。
しかし今は素直に称賛しよう。
そして後は自分自身が頑張るだけだ。勝利という結果を掴む取るために。
(さて、男子側が勝ったことで【白】チームのみんなも力が抜けたんじゃないかしら。あとは着実に【紅】チームの数を減らして...え?)
気合いを入れ直した香織が、改めで戦況を確認したその時、まさかの光景に思わず目を疑った。
先ほどまでそれほど数が変わっていなかったお互いのチームのグループの数が、今は明らかに【白】チームの方が少なくなっていた。
(なんでっ!そんな実力差なんてないはず...。)
何かがおかしい。香織がそう感じ、改めて考えを巡らせようとした時、下の女子生徒が焦ったように叫んだ。
「香織!危ない!」
「え?...うわ!」
考えることに集中したあまり、周りの確認が疎かになっていた香織だったが、女子生徒の声に慌てて前を向く。
その瞬間、自分の頭に向かって伸びる腕に気づいて思わず小さく声を上げた。
「あぁ!触ったのに!」
腕を咄嗟に避けた香織だったが、相手の生徒の指が軽く帽子に触れた感触があった。
しかし、再度の瞬時に上半身を起こした香織は、その場から立ち去ろうとする素振りを見せた相手グループの後ろから手を伸ばし、赤い帽子を奪い去った。
相手の生徒は「あっ!」と叫ぶと、悔しそうに悪態をつく。
しかしそんな相手の生徒を見ながら、先ほどの場面を思い返し香織は思わず冷や汗をかいた。
(あっぶなかったぁ。騎馬戦が始まって以来、初めて帽子に触られたわ...。)
そんなことを思いながら、香織は自分に喝を入れた。
(私の馬鹿!なに油断してるのよ!男子側の勝敗なんて無視よ無視!まずは目の前の戦いに集中しないと!【白】チームが劣勢なら、その分私が取り返せばいいだけじゃない!)
「みんな!攻めるわ!ごめんだけど頑張って!」
香織は下で自分を支える3人の女子生徒にそう指示を飛ばす。
それを聞いた女子生徒たちは「大丈夫!」と言うと、混戦の中に向かって歩みを進め始めた。
(さて!ラストスパート!やってやるわ!)
そう意気込む香織だったが、本当はもっと自分が感じた違和感を真剣に考えるべきだった。
なぜ【白】チームが劣勢なのか。
なぜ【紅】チームの動きに統一性を感じたのか。
そして、なぜ香織が一息ついて考えを巡らせ始めた時に限って、【紅】チームから攻撃の手が飛んでくるのか...。
しかし、その時すでに香織の頭は考えることを止め、ひたすら目の前の敵を倒すことのみに集中していた。
そしてその様子を確認した【紅】チームの一人は、くすりとほほ笑むとぼそりと呟くように言った。
「計算通りだよ。香織。」
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「あぁ!駄目!最後の3年生のグループが帽子取られた!」
「分かってる!...やぁ!」
香織は悲壮感に溢れる女子生徒の声を聞きながらも、横を通り過ぎようとした【紅】チームのグループから帽子を奪い取った。
そして素早く周りに目をやる。
(こっちは残り...2年生のグループが1組。それに対して【紅】チームは...4組。)
劣勢だ。というより、ほぼ負けが確定している状況と言ってもよい。
香織は荒い息をつきながらも、自分の心を奮い立たせる。
(まだ大丈夫。私が頑張れば、まだ...。)
その時、【紅】チームから歓声が上がった。
香織がハッと顔を上げると、目の前で【白】チームの最後の仲間、2年生のグループの帽子が取られる光景が目に入った。
「香織...これはもう...。」
「大丈夫っ!」
下の女子生徒が思わず言いかけた言葉に、香織はストップをかける。
しかし、その生徒が言いたいことは香織にも痛いほど分かっていた。
1組vs4組
それは騎馬戦において、覆しようのない状況だった
そしてさらに、これまで積極的に攻撃を繰り返してきた香織たちのグループは、香織も含め全員が荒い息をついている。満身創痍だった。
(なんでこんな...そんなに実力に差はないはずだったのに...。)
香織は悔しさに顔を歪めた。そんな時だった。
自分を囲む【紅】チームの後方から、声が聞こえた。
「ごめんだけど、今回は私の勝ちかな?」
その声に香織はハッと顔を上げる。
そうだ、勝ちにこだわるあまり忘れていた。【紅】チームにいる、誰よりも自分の事を知り尽くしている親友の事を。
【紅】チームの2組が左右に分かれ、その開いた隙間から姿を見せたグループ、その上にいる女子生徒の姿を見た香織は呟いた。
「...葵。」
そこには、まるで先ほど騎馬戦に参戦したように全員が余裕のある顔で立つ、葵たちのグループがいた。