07 ルナ・ノア
ナインちゃんの○の話です。
2018/07/08 修正・加筆しました。
唐突だが、ナインが転生した世界の話をしよう。
この世界は、多くの神々から『ルナ・ノア』と呼ばれている。
世界同士が幾つもの扉で繋がり、繋がっている世界の事を、他の世界は月として認識できる。
扉といってもその種類は多々ある。たとえば、一見普通の家の扉が別の世界に繋がっていたり、大人5人分の高さほどもある扉だったり。様々だ。
通り抜ける条件も様々で、一定数のモンスターを倒す、特定の国から通行許可を得る、お金を払う等。
幾つもの世界が繋がった、稀有な世界。世界同士が扉で繋がり、繋がった世界は、その世界からは浮かぶ月に見える。地球のように、月は1個ではない。色とりどりの月が、幾つも浮いている。その見える全ての月が1つの世界であり、その世界から見れば、他の世界もまた月にしか見えないのだ。
複数の月(世界)が繋がるその世界は、実に多くの種族が暮らしている。人が住めそうな世界であれば、どこにでも人間は住み着くのだ。
人族然り、亜人然り。
当然、モンスターの楽園的な世界もまた、存在してしまう。
故にモンスターのはびこる、危険な月もある。
中でも、漆黒の月はとびきり危険だ。
人間の多くは、漆黒の月よりも手前に住む『魔族』と呼ばれる種族を敵視する。これは、魔族の住む月から、凶悪なモンスターが数多くやってくるからである。
だが魔族以外の人間が、漆黒の月の脅威を目にする機会はほとんど無い。モンスターが漆黒の月から溢れている事など、他の人間は知る由も無いのだ。
漆黒の月は邪悪の結晶。強靭な肉体を持つ漆黒のモンスターを無限に生み出し、人々に悪夢を植え付けるという、迷惑極まりない月だ。
しかもこの月は、はた迷惑な事に定期的に暴走する。
暴走期にはモンスターが増え、普段防波堤の役割を担う魔族も漆黒の月から遠ざかる。
普段漆黒のモンスターを相手にしている魔族が、常に平和ボケしていると言える人里に降りてくる。これだけでも脅威なのだ。
加えて漆黒のモンスターも押し寄せてくる。人々はその脅威に立ち向かえるような力を持たず、それでも脅威に直面しなければならない。
月同士を繋ぐ扉を通る条件は、漆黒の月に近付くにつれて厳しくなる。魔族はその厳しい条件をクリアした猛者ばかり。それらが恐怖する漆黒の月のモンスターなどは、魔族よりずっと恐ろしいのだ。
過去、暴走期における死傷者数は回を重ねるごとに増加していた。元々、総人口が増えた事も一因だが、それ以上の原因は何一つ分かっていなかった。だからと言って人口をわざわざ減らせるかと言えば、それはまた別の大問題だ。そんな事が出来るわけ無い。
結局この圧倒的とも言える脅威に対し、人間達はある1つの希望にすがりつく。
―― 勇者の存在だ。
古代の言い伝えでは、漆黒の月から最も遠い世界に生まれる勇者が、漆黒の月の脅威を鎮めるという。
漆黒の月から最も遠い世界。そこに住む奇跡の種族によってもたらされる勇者。過去の暴走期には幾度となくその言い伝えを裏付けるが如く、とある国には勇者が誕生していた。
……前置きが長くなってしまったが、これはその、勇者の話である。
「陛下! 12番目の御子が誕生いたしましたぞ!」
「それは誠か、ゼバン」
奇跡の種族―― エルディラと呼ばれるその種族の国の王は、執事のゼバンの知らせを受け取り、喜んでいた。もっとも、書類に埋もれていたためにゼバンがその表情を見る事は叶わなかったが。
エルディラは、人間族の中でも特に長寿な種族。長寿ゆえに本来なら子宝に恵まれ難いはずで、それゆえに12番目の子供が生まれたという吉報は珍しいものだった。
ちなみに、一般人が道端で偶然ピンクダイアモンドの原石を拾うくらいの珍しさだ。
「性別は?」
「男児にございます」
「そうか、男か! では、第4王子になるわけだ」
種族特性の関係から一夫多妻制、及び、一妻多夫制を採用している王は、愛する正妻の元へと向かった。お腹が膨らんでいたのは、彼女だけだったからだ。
他の妻を愛していないわけではない。しかし王が最も愛し、政略など存在せず婚姻を結んだ第二の妻こそが、王である彼には正妻であった。
「クレーネル! 息災であるか!」
王は第二の妻、クレーネルのいる部屋に辿り着くと、待ちきれんとばかりに扉を開け放った。近くに控えていた騎士は仕事を1つ奪われたわけだが、相手は王なので下手な事は出来ない。
そんな騎士などお構い無しに部屋へ入っていく王だが、隣にいた執事長のゼバンは手でサインを送った。内容は『そのまま待機、今夜奢る』である。
敬礼した騎士の冑の下では、少しだけ頬の緩んだ女性がいた。
「あ、陛下。お静かに。ようやく眠ってくれましたの」
「む、そうであったか。あいすまぬ。しかし1人目の時はとても具合が悪くなったであろう? それで、クレーネルの身体は?」
「もう、実の息子より妻を心配するなんて。陛下ったら」
クレーネル。
彼女こそ、王が駆け落ちを覚悟してまで愛した、貧民街出身の女性だった。
本来であれば、絶対に結ばれる事のない身分差。下位の貴族でさえ、王族と友人になる事すら難しいのだが、クレーネルは平民の中でも、日々の食事にも困るほどの貧民であった。
彼等の出会いを語るには、時間が足りないほどの紆余曲折を経た。
今は、彼等がどの王族よりも深い愛を抱いている事を理解していただきたい。
「……コホン」
ゼバンがわざとらしく咳き込めば、にわかに桃色空間が形成されようとしていた場が静まる。
王とて人間だ。人の話を聞かない事もあれば、仕事をおざなりにする事だってある。
それを諌めるのは、いつだって執事長であるゼバンだ。
長寿な上、寿命が尽きる10年前になるまで容姿が20代にしか見えない種族、エルディラ。ゼバンもまたその種族であるため、容姿では年齢が読めない。
だがこれでも、4000年の時を過ごした古老の1人である。王はその半分も生きていない、この種族にとっては中年辺りの若者だ。王という立場であっても、ゼバンには頭が上がらない。
「この子の名前、決めてあるかしら?」
「いいや、まだどれか決めかねておってな。しかしそれでも、あの儀式は行わねばなるまい」
「ああ、そうね。名前はきちんと決めねばならないわ。何たって、私達の子ですものね!」
「陛下、その辺りで。神官が首を長くして待っておりますゆえ」
いくら止めても、この2人はすぐ桃色空間を作ってしまう。
これは止められないものだと、ゼバンは諦めていた。だが、さすがに今はそれどころではない。国の決まりで、生まれた子を『鑑定』しなければならないのだ。
先程も述べたとおり、この国の王族には、世界を救う勇者が生まれる可能性がある。勇者となる子が生まれれば、それは世界が危機に瀕している証明であった。
漆黒の月から最も離れた世界であるが故に、漆黒の月に近い世界の情報が入りづらいのだ。逆に、勇者の誕生に過敏になっている漆黒の月近辺の世界は、この世界の情報を逐一入手しているが。
部屋の外に控えていた、異様に背の低い神官を王達は呼ぶ。神官は大きなふわふわのベッドに横になっていたクレーネルに音も無く近付くと、彼女の抱える赤ん坊に手をかざす。
神官の手が淡い青色の光を帯び、次の瞬間、空中に大きなウィンドウが浮かんだ。
ワクワク顔で、王とクレーネルはそれを覗き込む……。
すると。
「……何て事なの」
「まさか、このような事が……っ!」
2人は揃って、驚愕を露にした。
そのウィンドウに映し出されていたのは、赤ん坊のステータスである。
2人が驚くのも無理は無かった。何故なら――
【 コノエ Lv.1 】
HP:5300/5300
MP:42000/42000
種族:人間・エルディラ
所属:エルディラ五国連邦 第4王子 勇者
筋力:C 速力:B
守力:EX 学力:SS
運力:C 抗力:HEX(‐C)
適性:全属性 聖属性 光属性
《情報規制》
エルディラ五国連邦に誕生した、王の12番目の子にして、世界を救う勇者。
勇者になった経緯はともかく、理由は大っぴらに語らない方が吉。
技能:
言語理解EX 鑑定EX 記の加護EX 剣の極意EX 防具の極意Ⅴ 勇者の成長
後光 威圧 地図化 収納EX 魔法全書EX 記憶の完全保存 手加減W
称号:
全魔法習得者 記の加護を得た者 転生者 終末の勇者
第一に、既に名前がついている事。
第二に、勇者という単語が表示されている事。
第三に、転生者という彼等に聞き覚えの無い単語があること。
第四に、ステータスが色々おかしい事。
普通の赤ん坊ならば、ステータスは運力以外が軒並み、ランクとしては最下位に当たるGであるはずなのだ。それのほとんどがCであり、かつ学力はSS。守力に至っては最高ランクのEXである。
これで驚かない方がどうかしている。
「陛下、どうなされました?」
唯一蚊帳の外で待機していたゼバンもまた、驚いていた。先程までとは打って変わってただならぬ雰囲気を醸し出す2人を見れば、誰だって驚くだろうが。
ゼバンの声に、ハッとなった王は声を震わせていた。
「大変だ、ゼバン、この子が……勇者なのだ!」
「何ですって! では、漆黒の月が暴走期に入ったと?」
「う、むぅ。そうなるな」
ゼバンは、長く生きているからこそ焦っていた。前回の暴走期は、約3000年前に起こったのである。その時の惨状をその目で見ていたからこそ、慌てた。
一方で、暴走期の後に生まれた王は、それほど焦っていない。いや、焦ってはいるのだが、些かその方向性がゼバンとは違っていた。
戦争を知らぬ者が、どうやっても戦争を甘く見ている事と同じである。
現実味が無いのかと、ゼバンは王の様子を受け入れた。だからといって、いやに冷静な様子の王に苛立ちを覚えてしまった事は、責められることではない。
「陛下、一刻も早く、勇者の生誕を公表しませんと」
「勇者の公表、か。それは今しばらく伏せておいた方がよいであろう」
「っ、何故です? もし漆黒の月が動き出したのであれば、すぐにでも公表した方が……」
苛立ちは焦りに。焦りは王との距離感の変異に現れる。一介の執事が国のトップに詰め寄ったのだ。本来であれば厳罰モノなのだが、まあ、そこは2人の仲である。特に咎められる事はなかった。
むしろ、咎めた時に古老であるゼバンの方が有利になるのは、目に見えていた。
それに、ゼバンがそんな態度になることも、王は予測できていた。
「勇者という存在そのものであれば、それは迎え入れるべきものだ。であれば、その証明のためにも民の前でこの子を『鑑定』せねばならぬ」
プライバシーの侵害は、この世界でもタブーである。個人情報が視覚情報に現れるこの世界では、それが顕著と言えるだろう。
だが、同時に自身の証明にもなる。殺人を犯せば殺人犯の称号が付くが、ステータスに表記されるのは、自身の罪だけではない。
勇者という職業もまた、表記されている。それはつまり、今後どのような職業についているのかが、一目で見分ける事が出来るのである。手に入れたスキルによってそれは増えていき、やがて確認しきれない数になる事は、長寿の種族の間では常識だ。
そんな中、王の目についた『不安要素』が、1つあった。
「……転生者、ですか?」
「うむ。死者の魂は、その全てがすべからく輪廻に従って転生する。我等とて、前世が存在しここにいるのだぞ? しかし『転生者』なる称号は持っておらぬ」
クロウのような、新たに生み出された魂でなければ、全ての命に前世が存在する。稀に前世の記憶を持って生まれる者がいる事からも、それは間違い無いのだ。
不死でもない限り、生き物というのは死を迎える。それは世界共通の認識であり、逆らえないルールだ。その死んだ者達が神の手によって次の生を受けるのは当然の理なのだ。
しかし。当然であるが故に、人が人を転生者と呼ぶ事は無い。一部の例外を除いて全ての命がそうなのだから、わざわざそれがそうだと呼ぶ必要性が無いからだ。
これは言わば、人間が自分を人間だと、わざわざ言うということである。一々言うだけ無駄なのだ。
それがどういうわけか、この赤ん坊にはわざわざ書かれている。一体、何故なのか?
「せめて、転生者について何か分かるまで、この件は我々だけの秘密だ。よいな、ゼバン」
「はっ。全ては陛下の心のままに」
本来ならば、勇者が現れた事を世界へ告知しなければならない。本来王が決断したことは、世界を裏切る行為なのだ。
だからこそ、少しでも勇者らしからぬ要素を残しておきたくない。それは本音であり、転生者という単語がそうではないと感じたことが理由であった。
調べて分かる物であればそれで良し。分からないのであれば、分からないなりに、王として何とかするだけなのだ。
ゼバンはその覚悟を感じ取ったが故に、即答してみせる。
2人の間には、確実な絆があったのだ。
しかし、王としての厳格な雰囲気が保たれたのはそこまでだった。
真剣な眼差しがふにゃりと崩れ、王の視線はクレーネルに抱かれた息子へと注がれる。
勇者であろうと、転生者であろうと、愛する息子である事には変わりが無いのだから。
それは王ではなく、1人の父の顔だった。
「さて、これまでに考えていた名前を一新せねばなるまいな」
「せっかくこの子にコノエという名があるのだもの。この名に合う名前を付けてあげたいものね」
「僭越ながら。ミドルネームとして採用しては?」
「おお、その手があったか! 名案だ!」
方向性が決まれば、彼等の顔から不安の色は消えていく。
その手の中で安らかに眠るのは、紛れも無く彼等の息子なのだ。そこに勇者という要素が加わっただけであり、本質は変わらない。
とはいえ、勇者である事をいつ公表するのか?
それは、彼が成長する50年以内で決めねばならない。
寿命の長いエルディラは、50年でようやく少年期に入るからだ。そうなれば学校に通わなければならなくなり、必然的にステータスもバレる。
だが……それまでは。
王と王妃に包まれる者は、ただの子供である。そう、彼等は判断したのだった。
ちなみに、漆黒の月の暴走期についてであるが。
エルディラは能力が高く、勇者が生まれる唯一の種族だ。
もっともその成長の遅さから、暴走期の前兆として勇者が生まれる傾向がある。
勇者誕生の約200年後に、本格的な暴走期が訪れる事を意味していた。
勇者はまだ幼い。
だが、事態はゆっくりと進行している……。彼の生誕は、それを意味しているのだ。
実際には一刻を争う事件だ。だが、そこは長寿の種族。50年は、人族の感覚で言う1年くらいである。急ぐという概念が、根本的に違っていた。
歴代の勇者も、このような感じでゆっくり育った。
が、まあ、それは完全な余談であるので、ここで終わらせておこう。