009話 そこまでだ
質素ながらも堅実さが伺える装飾品や調度品で飾られた部屋の執務室。その奥に座る人物。領主ノワール・フォン・アザノールは険しい顔である書類に目を落としていた。その目の前では【破槌】ラミットが静かな面持ちで言葉を待つ。
「B+3名、B -2名が殉職…A -1名が重体、C +5名が行方不明、か。恐らくこの5名は…」
「喰われて跡形もない…と考えるのが妥当じゃろうて。」
「王令依頼と重なった事が不運だな…この街から出た冒険者は誰なんだ?」
「王令依頼に行ったのはA+【結晶】のミアンとA -【不屈】のロイドじゃな。重体者は【火炎】ザックス、今回の王令依頼では相性が悪かったので外れておったんじゃ。」
「…Aランクや大半のBランクがまだ無事だったのが不幸中の幸いか、唯今回の【暴走竜】の件では、彼らの協力なくしてあの成果は無かった…そうだな?ラミット。」
少しでもハランスに【暴走竜】を到達させるのを遅れさせる為、危険を顧みず障壁の外で戦い散った冒険者達。彼らが時間を稼がねば、市民の避難は終わっていなかった。
「そうじゃ。冒険者とは原則、全て自己責任。例えそれが自らの命を落とすことになってもじゃ。しかし今回の件、冒険者としてではなく、この街の人間として、この街の為に殉職した…それは揺るがぬ。」
「うむ、殉職した者達の遺族に補償は必ず行おう。逆に言えば、命を賭した事に対する報いがそれしか出来ない事に自分の無力さを痛感するよ。」
アザノールはそう自称気味に漏らした。本来であれば冒険者として死んだ場合ギルドがその責任、及び補償を行う事はあり得ない。しかし今回の件では領主たるアザノール本人が特例として補償を確約した。
「…さて、嘆いてばかりはいられんな。街の損害はラミット達が奮闘したお陰で極めて軽微、南門の修復に時間は掛かるが、兵士を詰めれば問題ないだろう。目下の懸念事項はサトキという冒険者についてだ。」
「…それはどういう意味じゃ?アザノールや。サトキはこの街の英雄と言っても過言ではない働きをした者じゃ。万が一それを排するとでも言うつもりか?」
ラミットの双眼が鋭くアザノールを射抜く。しかしアザノールは顔色ひとつ変える事なく、ゆっくりと首を振った。
「別にどうこうしようと言うわけではない。唯、それ程の力を持った人間が、何故この辺境に来たのか?と思うところがあるのでね。」
このハランスは国の最南端に位置する辺境とも呼べる土地。かく言うアザノールも辺境伯という爵位を国王から賜っている。聞けばサトキという冒険者は、つい先日ギルドに登録したばかり、しかもその容姿は可憐な少女の様な少年と言うではないか。アザノールからしてみれば余りにもタイミングが良過ぎると感じてしまう。
「確かにのぉ、アザノールの懸念も最もじゃな。しかし安心せい、深くは言えぬがあやつは無害じゃ。タイミングは本当に偶然じゃろ。」
「…知っていて話せない。もしくは話せない、か。だがお前が言うのならばそうなのだろう…わかった、信じるとしよう。」
ラミットはどんなに見積っても高校生程の容姿、対するアザノールは辺境伯を賜るに相応しい年齢を重ねており、今年で51になる。しかし実はラミットとアザノールは同い年なのだ。ラミットはエンダードワーフという、普通のドワーフ種よりも長命の種族で、平均300歳程生きるとされている。そして2人はかれこれ40年来の付き合いで、それなりの信頼関係があるのだ。
「すまんなアザノール。でじゃ、サトキは今回の件でランクを特例規則法によりC -に昇格させる予定なんじゃが…この規則法を使う場合、王都ギルドより委託された認定官が派遣されるんじゃがな…」
「ん?それは知ってるが、どうしたラミット。お前にしては嫌に歯切れが悪いな。」
何か言いにくそうにしているラミットに、アザノールは訝しげに尋ねる。
「…ブライト王子じゃ。」
「…は?」
「じゃから、認定官として派遣されるのはブライト第2王子なんじゃ!」
「…嘘だろう。まじか…」
アザノールが頭を抱える。別に件の第2王子の素行に問題があるわけではない。認定官とは、特例規則法という一定の功績を挙げた冒険者のギルドランクを2段階以上上げる際、その人物の人格、技量、適正が果たして相応しいかどうかを見極めるために王都にあるギルド本部から派遣される冒険者の事だ。認定官自体の人格は元より原則B+以上の冒険者が務めることになっている。そして今回派遣されてくるのはブライト第2王子、王族で第2位王位継承を持つブライト王子は、一言で言えば脳筋だった。一に戦闘、二に戦闘、三、四が無くて五に鍛錬…全く政に興味がなく、許されるならば武者修行の旅に出かけたいと豪語する程の人物だった。
「あのお方は何を考えてらっしゃるのか…と言うよりよく陛下がお許しになったな。」
「いや、半ば強引に決まったらしいぞ?あの方は面白い事に敏感じゃからな…」
アーク王国の王族は、王位継承権を持つ12歳以上の王子王女には冒険者登録する事とギルドランクをD−以上にする事を課している。健全な肉体に健全な精神が宿る…という王族の家訓らしい。なので歴代の王位継承権を持つ王族の中には、一定以上ブライト王子の様な脳筋が誕生してしまうのだ。
「サトキの功績はもう既に彼方に伝えてあったからのぉ…【暴走竜】の単独討伐、それを成した者がギルドに入りたての者ならば、余程の事情がない限り特例規則法を使うのは明白じゃ。そもそもギルドに入りたてののものがこんな功績を打ち出す事自体おかしいが大方、その話を聞きつけた王子が戦ってみたくて半ば向こうのギルド長に志願したんじゃろうて。」
「いや、まぁそうなのだろうが…まだ当の本人が目を覚ましていないのだろう?」
「そうじゃの、あれから3日経つがサトキはまだ寝ておる。暴走竜からのダメージが原因なのか、はたまた無理な魔法行使が原因なのかは分からぬがな。」
「聞くところによると、かなり歪な魔法構成らしいな?なんでも基本魔法オール1に特異魔法、更に成長上限MAXとか?」
「…お主も耳が早いのぉ。」
聞けば聞くほど常識外の少年に興味が湧くアザノール。出生や経緯については謎が多いが、今のところこの街に害をなす存在ではないというのはわかる。ならばそれ程の実力者、逃しては損というものだ。
「彼には末永く街に留まってもらいたいものだね。」
「何、奴の目標が叶うまではここにおるじゃろう。」
「目標…ギルドの設立、か。でも中々条件が厳しいな。」
アザノールの手元にはどこから調べ上げたのか、サトキに関する詳細な情報が記されていた。その中には何故かギルドでラミットと話した内容も含まれている。
「…聞き耳を立てるとは感心せんのぉアザノール。」
「あの時点では得体の知れない人物だったんだ。これくらいは勘弁してくれラミット。勿論口外はせんし、お前の人脈についてもとやかく言うつもりはない。」
その内容にはサトキがハイヒューマンである事やこの世界の住人ではない事が会話の中でされた事が記されていた。アザノールの人となりや性格を知っているラミットはこれ以上は言うまいと口を閉じる。確かに街を預かる領主としては必要な処置だからだ。そしてそれはアザノールも一緒で、ラミットを信用しているからこそ、その怪しげな人脈に言及することはなかった。
「まぁ良いがな。ともかくブライト王子の件、確かに報告はしたぞ?」
「ああ、警備などの手配はこちらで行う。全く、あの方も自分が要人である自覚をもう少し持ってもらいたいものだな。」
「はっはっは!あの剛毅な王子には無理じゃろう、何せ性格が良くも悪くも陛下に似とる。」
「…否定はしないが。」
仕事が増えた…とため息を漏らすアザノールを尻目に、ラミットはその場を後にするのだった。
※ ※ ※
「…知らない天井だ。」
某お約束のセリフと共に寝ていたベットから起き上がるサトキ。知らない天井というか、ここが何処なのか全くわからない状態である。
「あの竜の首をチョンパして、ラミット達と少し話したところまでは覚えてるんだけどな。……にしても平気だな。」
自分の手を見て首をかしげる。暴走竜の首を落とした時、そして落とした後、サトキは不思議に思った事がある。それは生き物を殺したことによる嫌悪感が全くないということ。
害悪な生物の討伐という事でそう感じていないかも知れないが、ゴキブリなどとは違い竜は言ってみれば動物である。サトキは高校時代は普通の学校に行っていたから、農業高校の様に鶏さえも締めた経験はない。異世界に来たことによって、精神がこちらの基準に引っ張られたのか、それともサトキ自身がそう変わってしまっているのか…今は分からない。
「今考えても仕方ないか…ところで本当にここは何処だ?」
「あら、気づきました?」
「ん?あ、アロンさん…という事はここはギルドの中?」
声がした方へ顔を向けると、そこにはギルド受付嬢のアロンがいた。という事はここはギルド内部の一室なのだろう。アロンはにっこりと笑うとサトキのベットへと近づく。
「はい、ギルドの医務室です。それにしても良かったです。かれこれ3日近く眠っていたんですよ?」
「3日も?と言うか暴走竜の件はどうなったんだ?」
「その事も含めてギルド長がお話があるそうです。大丈夫であれば此方へ呼びますけど、如何されます?」
「じゃあ頼んだ、それと出来れば何か食べたいんだけど。」
「ふふ、分かりました。何か軽いものを用意しますね?」
部屋から出て行くアロンを見送ると、サトキは今回の暴走竜戦に関して想いを馳せる。
「(今回生き残れたのは運が良かったな、何せ固有スキルが発動したおかげで新たな魔法が出来た。即死無効があるから一撃で死ぬ事はないけど、二度喰らえば間違いなく死ぬねあのレベルの攻撃だと。)」
今回の勝因は運良く固有スキルが発動した事、これに尽きる。ミランダ曰く、竜の攻撃というものは普通一撃でも喰らえばタダでは済まない。討伐の際には、盾と防御スキル又は土魔法に秀でたもので前衛を敷き、後方から魔法で仕留めるのがオーソドックスなやり方と聞いていた。間違っても接近戦を挑む相手ではない。
薄々、というか間違いなく分かったのが、サトキのステータスはこの世界の基準に照らし合わせると異常なのではないか?という事だ。魔力値に関してはラミットから明らかに異常と言われたので分かっていたが、恐らくHPも異常であると分かった。何せあの竜の攻撃(タックルと雷針)を防御もせず、まともに正面から喰らってHPの半分しか減らなかったのだ。連続で喰らえばサトキでもタダでは済まないが、それでも生身で一撃に耐えれるというのは異常である。固有スキルを考えれば、サトキという存在はこの世界のパワーバランスを崩す可能性があった。
しかし逆に今回の戦いで欠点も見つかった…というより漸く気づいた。それは固有スキルの発動条件だ。
「(最初は固有スキルの強さばかりに目がいったけど、この発動条件シビアすぎるぞ。)」
固有スキルの発動条件は、総HPの半分を下回る事。つまりその分自身がダメージを喰らわなければならないのだ。当然自分が望んだダメージになる訳ではないので、一々HPを管理しながら戦う羽目になるのは明白だ。しかも万が一にもHPコントロールを間違うものならば、窮地に陥る可能性が高い。サトキの解釈が正しいのなら、即死無効とはある一定以上のHPを上回る攻撃を耐えるものである。
この固有スキルと即死無効スキル、最初から用意されていたものの関係性を考えるならばそのボーダーラインは【総HPの半分】と考えるのが自然である。こういう事を楽観的に見ると痛い目をみるのは自分だ。違うかもしれないが当面はそう考えることにしたサトキ。と、そこにドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ?」
「おぉ、起きたかサトキ。どうじゃ?身体に異常ないか?」
「ラミットか、いや大丈夫だが…なんかの話があるんだったか?」
「うむ、先の暴走竜の件じゃな。お主のお陰でこの街を脅威から救うことが出来た。代表者の1人として改めて礼を言う。」
ラミットは頭を深く下げる。そこには何時ものお気楽な雰囲気はなく、この街の安全を司る責任者としてサトキにお礼を述べていた。
「いや、前にも言ったが乗りかかった船だ。それで、あの後暴走竜はどうなったんだ?記憶がぷっつりと途切れてた全く分からないんだが。」
ラミットが言うにはこうだ。
暴走竜は首を落とされただけで極めて綺麗な状態で仕留められた為、王家が全て買い取って研究所に回すらしい。サトキにはその緊急依頼料+買取金額全てと特例規則法の使用許可が与えられるという事。その特例規則法を使用するにあたり王都から認定官が来て、試験を行うということだった。
サトキは買取金額は先陣を切った冒険者達の遺族に…と申し出たが、其方は然るべき手続きの上、領主が全て負担するということだった。
「認定官が来るのは、天候にもよるが4日から6日後くらいじゃな。それまではゆっくりとしておくがよいじゃろ。金はギルドカードに入れさせたからな。」
「わかった。それにしてもこんなに早くギルドランクが上がるとはな。」
「何、特例規則法と言ったじゃろ。お主のやった事は、そう簡単に成せる功績ではないんじゃぞ。では仕事に戻るとするかの、何かあったら受付で言伝を頼むがよい。」
そう言うが早いかラミットは部屋から出て行った。入れ違いでアロンがハムカツの様なサンドイッチを持って来たので手早く済ませ、お礼をアロンへ言うとサトキはギルドの外へ出る。その際ギルドカードに振り込まれた金額を調べる為に、新人受付嬢のルナーに照会を頼んだところ目を疑った。
「俺のギルド(仮)の運用資金の50倍あったぞ…どんだけ高値で売れるんだよあの竜。」
とボヤくがそれも当然だ。本来ならば複数パーティーで討伐する竜をほぼ一人で討伐した上で、その死体の状態は極めて綺麗、というより首以外の傷がほぼ無い。死体の状態で買取金額が跳ね上がった上に、その報酬がサトキに全て振り込まれたのだその金額も当たり前である。
つまり今のサトキの財政状況であれば50年は働かずに普通の生活を送ることができる。それでもこれをギルド運営費として使うならば決して多くはない。最近、ギルドの運営を間近で見て見て感じたが、やはり普通の会社と同じで人件費や諸経費、ギルド独特の素材の買取や臨時出費など多岐にわたりお金が必要なのがよく分かった。そう考えると最初に備え付けられていたあの金額は、本当に初期運営費なのだとわかる。
「ったく、アフターフォローが悪すぎるだろ。」
悪態を吐くがそれを向ける相手がいない…否、分からない。果たしてあの公園に現れた女性は一体誰だったのか?未だに謎のままであった。
「次から次にやる事が増えるなぁ。とにかく金は入ったんだ、装備でも揃えるか。」
よくよく自分を見てみると、最初この街に来た時とたいして服装は変わっていない…つまり、普段着のままだ。突進猪の討伐の時も普段着、採取依頼で森深くに入った時も普段着、挙げ句の果てに暴走竜と対峙した時も普段着だったのだ。今更ながらなぜ誰も突っ込まなかったんだろうと不思議になる。
「というか服の替えも買わなきゃな。防具店で一緒に買えたら楽なんだけど。」
と、歩き出したサトキだが、ふとある事実に思い当たった。この街に来て寄った場所といえば、宿にギルド、そして飯屋だけだ。当然そのほかの店の場所など分かるはずもない。
「そしてこういう時にミランダは居ないと…」
ミランダは現在、街を守護する障壁を貼り直している最中らしく、それに時間を取られている為にこの場には居ない。となると自分で探すか人に聞くかなのだが、どうも先程から遠巻きに見るような視線が痛かった。どうやら暴走竜討伐の功績が広まって、尊敬や畏怖があるようだが、サトキは街の人間にそこまで顔が売れていないはず。何故、顔まで知らないはずのサトキを知っているのか?
「うわっぷっ⁉︎」
ビュッウと突風がサトキの正面から吹き付ける。その風に乗って一枚の紙切れが顔に張り付き視界を遮った。
「ペッペッ…なんだこれ?んー…【号外 ハランスの竜殺し サトキ・カンバラ】⁉︎」
それは号外新聞ともいえるものだった。そこには竜殺しの名とフルネーム、更に似顔絵が書き記してあった。しかもその新聞の似顔絵はかなりの美少女よりの…サトキの顔が描いてある。
「……。よし、この似顔絵描いたやつ探すのが先か。」
が、この広大な街から一人の特定の人間を探すのは難しい。この絵を描いた絵師に的を絞れば簡単なのだろうが、どちらにせよ土地勘がない為難航するだろう。心の中でこの絵師を要探索人に指定したサトキは、先程の新聞を丸めてポケットに詰め込むと、取り敢えず防具屋へと行くために立て掛けの案内板を見つめる。
「えーと、防具屋、防具屋、は…この大通りを抜けた南通…から二つ店を超えた路地を抜け…そこから三軒先…の路地をまた抜けて、正面右から三番目…【装備屋 アザポート】…駄目だ、分からん。と言うか覚えられん。」
この世界にはGPSを利用した広域地図アプリはおろか、電子地図さえない。街の案内地図を売るところは存在するのだが、その売っている場所が分からない。結局のところこの道筋を暗記するしかないのだ。
「ん?」
そんな感じにウンウンと唸っていると、不意に服の袖をクイッと引っ張られる。そちらを見るとそこにはサトキよりも頭一つ分程小さい女の子がこちらを見上げている。
「女の子?」
と疑問に思ったのは別にサトキの様に中性的な容姿だからではない。髪は伸びっぱなし、着ている服も継ぎ接ぎだらけでボロボロ、肌は汚れが目立ち、恐らく10歳前後の子供だが、栄養状態が悪く身体つきからでは分かりにくい。所謂スラム街の住人だ。辛うじて女の子と思ったのは声が高いからだった。
「…道わかる。その店案内できる…小銅貨2枚でいい。」
どうやら道案内の申し出らしく、その対価に小銅貨2枚と言うことだった。この世界の通貨は小銅貨(10円)、銅貨(100円)、小銀貨(1000円)、銀貨(1万円)、小金貨(10万円)、金貨(100万円)、白金貨(1000万円)、王族宮殿府が特別に発行する王貨(ブラックカードの様なもの)が存在する。因みに日本の様に10円以下の端数はなく、10円刻み、100円刻み…となっている。
「ん?小銅貨2枚でいいのか?」
「ん、そのお店だけだったら、2枚。他にもお店があるなら、その店につき2枚。」
小銅貨2枚…20円だ。サトキはこの世界の物価は地球よりも安いと思っている。道端の食品露店などはどんなに高くても銅貨2枚を超えることないし、飯屋の定食なども大体は銅貨2〜3枚、宿屋の料金は小銀貨2〜3枚が普通なのである。しかし少女の申し出る小銅貨2枚は余りにも安過ぎた。が、せっかくの申し出なのでサトキは有難く使わせてもらうことにする。
「あー、じゃあお願いしようかな。アザポートの前におススメの飯屋に案内してもらえると有難い。」
「ん、わかったお姉ちゃん。」
「……悪いが俺はお兄ちゃんだ。そこんとこよろしく頼むよ。」
「え…わかった。じゃあ付いて来て。」
幼いからか、少女は驚きつつも素直に受け入れる。トテトテという擬音が似合いそうな歩き方の少女の背後を付いていくサトキ。おススメの飯屋と言うのは案外近かった。ざっと200メートル程進むと美味しそうな匂いがサトキの鼻をくすぐった。
「ここ…おススメ。」
「おっ!そうか、どんな料理が美味しいんだ?」
「…分かんない。」
「ん?おススメなんだろ?」
「中には入ったことない。外の換気口から出てくる匂いはここが1番美味しそう。」
「あー、成る程…わかった。」
それもそうかとサトキは思う。道案内の代金ではいくら安いといっても飯屋で食べれる程の稼ぎではない。全く払えないという程ではないかもしれないが、何日分かの稼ぎは一瞬で飛ぶだろう。そう思いながらサトキは飯屋に入ろうとしてふと後ろを見る。少女は入り口の陰でひっそりと立っていた。
「ん?何してるんだ?入るぞ?」
「え?…私お金、ないから…」
「そのくらい払ってやるよ。道案内のお礼だ。」
お礼といっても、道案内の対価はもちろん別途払うつもりなので、これはサトキの自己満足だ。少女は若干戸惑ったあとサトキの後ろをおどおどと付いて来た。少女が付いて来たのを確認したサトキはそのまま中へと入る。
「…らっしゃい。」
剣呑な視線を送ってくる店主。何処と無く周りの客の視線も鋭い…というよりまるでゴミを見るかの様な目でサトキ、ではなく少女を見ている。
「スラムのガキじゃねぇか。」
「汚ねぇ…」
「ちっ、飯が不味くなるぜ。」
そんな声が周りから隠すことなく聞こえる。この様子が当たり前かの様に声に出していない他の客も顔を顰めていた。
「ふぅん。」
「…。」
だがそんな事はサトキは気にしない。金を払えば全て客。限度はあるだろうがその風習はどこでも同じはずだ…と、テーブル席ではなく、敢えて店主のいるカウンター席へと着く。
「…おい嬢ちゃん。そんな奴を一緒に入れてもらっちゃ困るぜ。」
「…っ。」
「いやぁどうしても腹が減ってね。A定食2つ頼むよ。」
そんな店主の苦言はどこ吹く風で受け流し、メニュー表にあった【日替わりA定食 銅貨4枚】を2つ頼み、代金と合わせてその中に銀貨を1枚紛れ込ませて店主の前へ出した。
「…今回だけだぞ。」
「どうも。」
「……。」
それだけ言うと店主は料理を作りに裏へと引っ込む。どうやらうまく丸め込めた様だ。未だにテーブル席の連中がヒソヒソと煩いが構わなかった。サトキは構わないのだが、どうも外野はそうではなかった様だ。強面の如何にもといった男がサトキたちに近づいた。
「おいおい嬢ちゃんよ、ゴミを持ち込まれちゃ飯が不味くなるってもんだ。処分してから来てくれねぇか?」
「…ゴミ?ゴミって何のことだ?」
「あ?そこのスラムのガキだよ。嬢ちゃんは構わんがそんなくせぇモン連れてくんなっていってんだ!」
「…ほう?俺は何も臭わないが?鼻の穴掃除した方がいいんじゃないか?」
「このっ!下手にでりゃいい気になりやがって!」
お分かりだろうか?嬢ちゃんを連呼されているサトキの心情を。我慢という言葉がある…言葉はあるが、生憎とサトキの辞書には載っていなかった。これまでサトキを女の子と間違える人は多くいた。だが、それはサトキに対して敵意を持っていない人が大半。しかし目の前の男は敵意を見せた上でサトキを女の子と勘違いしていた。つまり…加減の必要はないとサトキは判断する。
こういう輩は一度痛い目を見なければ分からないタイプだ。そう考えながらサトキはカウンターにあったマッチ箱を手に取った。別にマッチ箱で攻撃するわけではない。マッチ箱の一面に【薄羽刀】を発動、横幅3センチ、長さ15センチ、厚さ1ミクロン、ちょうどナイフくらいの大きさだ。男の伸ばした腕が丁度サトキの間合いに入ってきた…その腕をサトキは。
「そこまでだ。」
男の腕を斬り落とそうとしたところで声が掛かった。その人物は入り口付近のテーブル席から立ち上がり、サトキ達の方へと近づいて来た。
「なんだお前、文句あるのか⁉︎」
サトキに絡んで来た男は、今度はその人物…眼鏡をかけた優男風の男性に標的を移す。
「うーん、僕としてはどうなろうと構わないんだけどね?」
「あん?なら引っ込んでろよ!」
「うん、まぁ確かに。僕は君の腕がどうなろうと構わない。」
そういうと優男風の男性は持っていた赤い果物を、男が手を伸ばそうとした方向に勢いよく投げた。スパッ…その果物は何もないはずの空間で綺麗に分かれ地面へと落ちる。因みにこの赤い果物はメタルフルーツと呼ばれており、表皮が鉄の様に硬く、果肉は蜂蜜の様に甘い事で有名なものだ。
「なっ⁉︎」
「言ったろう?僕としては、君が腕を切り落とされても構わないと…あと、彼はあの竜殺しだ。無知は自分の首を締めることになるよ?」
「「「⁉︎」」」
「おや?知らなかったのかい?外で号外新聞というものが配ってあったから知ってるとばかり思ってたよ。」
「あ、あんなスラムのゴミどもが書いた記事なんて信用できるわけねぇだろうが!」
「そ、そうだ!竜が殺されたのは知ってるが、こんなガキが殺せるわけがねぇ!」
「本当に…アザノールが治めている街の住人とは思えん馬鹿さ加減だな。」
「「「……!」」」
優男風の男はそうボソッと呟くと、先程までの微笑を消し去り、鋭い目つきで野次を飛ばして来た男達を威圧する。優男風の男が出す威圧感は大の男達を怯ませるには十分な凄みが含まれていた。
「はぁ…一体これは何の騒ぎだ。ほらよA定食2つだ…食ったらとっとと出てってくれ。この騒ぎもお前さんが原因だろう?」
と、そこに料理を作り終えた店主が表へ出て、サトキと少女の目の前に料理差し出す。店主は面倒ごとは御免だ、とばかりにカウンターの空いた皿を片付け始めた。
「あとそこの眼鏡の兄ちゃん。あんまり店ん中で威圧するもんじゃねぇよ。」
「…おっと失礼、僕としたことが。まぁ人を見た目で判断するな…といい教訓になったと思いますよ?」
と、優男風の男は店を出て行った。その後を目線で最後まで追うサトキの目は困惑の色が濃ゆい。それは初見で【薄羽刀】を見抜いた事、それに、サトキを一目で男だと見抜いた事…この2つが原因だった。別段敵対するような意思は感じられず、寧ろ状況的に見れば助けてくれたとも取れる。
「……おっさん、コレ、皿ごともらってくよ。行こうか?」
「…(コクッ)」
店主の手元に銀貨2枚(皿代+迷惑料)を置き、サトキは少女を連れて外へ出た。因みに定食のメニューはパスタの様な麺と魚介類のソースが掛かった何とも食欲をそそるもの。こんなしがらみを残さなければまた来たかったと思えるほどだ。
「悪かったな、変な事に巻き込んで。そこのベンチでゆっくり食べよう。」
「ん。大丈夫。」
そうしてサトキと少女は路地脇のベンチで、魚介のクリームパスタ(の様なもの)に舌鼓を打つのだった。