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第一章の2ー富士の樹海

第一章 向こうの世界へ


富士の樹海

 キムとホルヘは仲直りしたものの、なかなか今まで(つちか)ってきた文化や社会の違いというのは、頭では判っていても受け入れないものらしく、その後も何かというと衝突していた。だが、そんな衝突を楽しんでいる様にも見えた。

 次の日は皆で富士の樹海に行くことにした。ちょっとした肝試しのつもりの軽い感覚でいたのだ。富士山麓の青木が原富士の樹海は言わずと知れた自殺の名所である。地脈に磁石があるらしく、方位磁石が役に立たず、樹海の中に入ったら目印になる何かが見えるでもなく鬱蒼(うっそう)とした木々の中、同じ様な風景に、方角を見失い道に迷ってしまうのだ。

 キムは樹海近くに車を止め、ちょっと探検してすぐ戻ってくるつもりで荷物は車の中に置いたままで軽装のまま七人は一緒に樹海の中へ入って行った。先入観があるせいかも知れないが、木々に光は阻まれ薄気味悪い感じがする。

 車を止めて樹海の中に入っていこうとすると、木に自殺しに来た人へのメッセージが書かれた紙や立て札がある。それらを見ると昼間でも寒気がする気がする。

「あなたの大切な人があなたを待っている。命を粗末にしないで!」といったようなことが書かれた張り紙が木に貼り付けられていたりする。片方だけの靴が落ちていたり鞄が捨ててあったりするのだ。七人ははぐれない様に固まりながら歩いていた。


 木々の中に入って行って少しの間は道が踏み鳴らされている。多くの人が来たのかもしれないが、その後は原生林と呼ぶに相応(ふさわ)しく木々の下にも草が生えていて道がない。

 入り口の木に白い(ひも)を結んだ。通る道の先々で木に白い紐を結んでおく。そうすれば、帰りは紐を目印にすれば迷うこともない。

 「キャー」

かけるは木々の中を皆と一緒に歩き進む時、弱く小さな女性の声が遠くから聞こえてきた気がした。

「なんか今、女性の叫び声がしなかった?」

「おいおい、(おど)かすなよ!そんな声聞こえなかったよな!みんな!」と俊一は皆の顔を順番に見渡した。皆それぞれブンブンと首を横に振った。特に美樹は恐怖心を拭い去るかの様に強く首を横に振った。

「キャァー!」

「ほら、今聞こえたろ?今回はかなり近かったよ!」

「だから、聞こえないって、そんな声」俊一の声は震えている様だった。

「かける、霊感が強かったの?寄るな!霊感を感じたくない。変なもの見たくなーい!」と言ったのは美樹だった。

「ちょっとだけ見てくるよ!ここで待ってて!」とかけるは言い残して声のする方向に行ってしまった。美樹は「ちょっとかける、かけるったら!」と声を掛けたが既にかけるは走り去って行った後だった。


 かけるは不思議と恐怖を感じていなかった。元々、人間には苛められてもやり返すことも出来ないかけるだったが、幽霊には恐怖とかは感じなかったのだ。

 「かけるさん!かけるさん!お願い、助けて!」

先程の声は若干落ち着きのある声を取り戻し、かけるの名前を呼び続けていた。かけるは声のする方向に草をかき分けて進んで行った。

 でも何故僕の名前を知っているのだろう?とかけるは心の中で呟いた。すると先程の声が返ってきた。

「そりゃぁ、知っていますよ。あなたのことは…」

「えっ話してないのに、何で解るの!」

「テレパシー通信であなたの頭に直接話しております。あなたの頭で考えたことを読み取っているので言葉にならずとも会話出来るのです」

 かけるには何が何だかさっぱり判らなかったが頭で別なことを考えることで頭の中から追い払った。自分でも何故行かねばならないのか分からなかったのだ。皆には聞こえないのだから幻聴に違いなかった。それに面倒なことに首を突っ込みたくなかった。

 この富士の樹海で、集団行動を乱し皆から離れると、下手したら帰れない危険性があるのも分かっていた。いつものかけるならそんな危険なことになるべく近寄らなかったものだ。それが、自分を呼ぶ声に自分では抑えることが出来ず、皆の止めるのも聞かずに声に向かって走って行ったのだ。そうしている間もかけるを呼ぶ声は続いていた。

「早く、早く、私達を助けてぇ!お願いです」

かけるは夢中になって声のする方向に走って行った。声は近くなり段々と大きくなっていったのだが、明瞭な声だったのに次第に苦しそうな途切れ途切れな声に変わっていた。


 ぼこっと大きく陥没した場所に出た。陥没した地域は直径30メートル程の広さの地域で7メートル程の深さの陥没地域だった。

 その陥没した下の方から声が聞こえてくる。かけるは穴の(ふち)に立って穴の中を覗き見た。穴の下の奥に横に続く洞穴が見えた。どうやらその洞穴の中から声は聞こえて来る様だった。かけるは穴の中に降りていった。幸いにも急な坂でもなかったし穴も深くなかったので降りることが出来た。しかし、かけるは坂を降りる際に草に足を取られて転んでしまった。ドゥと穴の底に転がってしまった。

「いてて、痛いなぁ!」とジーンズに付いた埃や土をパンパンと(はら)った。そして、洞穴の方に目を向けた。洞穴の中の光景を見て、かけるは瞬きするのも忘れて、ゴクンと大きく(つば)を飲み込んだ。


 洞穴は3mぐらいの高さで2m程の幅があった。入り口が開けており、外の光が洞窟の中を照らしていて、洞穴の中の様子が(うかが)えた。かけるは目を見開いた、そして(しばら)くの間開いた目を閉じるのを忘れていた。

 洞穴の中には二つの眼が鋭く黄色い眼光を放っていた。あろうことかかけるを見ていた。かけるが転んだ音を聞いて、驚いてかけるの方を見ていた。

 そいつは黒い毛に覆われているゴリラに様に見えた。だがゴリラではないのは一目瞭然(りょうぜん)だった。黒い毛の下には象の様な硬そうな表皮があった。そして何より違っていたのは背中に蝙蝠(こうもり)の様な翼が生えていた。さらにゴリラより顔は突き出ており、牙をむいて威嚇(いかく)する姿は狼の様にも見えた。


 そいつの口からは赤い血がぽたぽたと(したた)っていた。体にも所々赤く血が付いていた。かけるにも誰の血かすぐに判った。その得体の知れない動物の下には、若い人間の女性が横たわっていた。右肩の辺り大きく(えぐ)られて消失していた。

 おそらくこの目の前の獣にやられたものだろう。抉られた個所から大量に血が流れており、その女性の顔は血の気を失って蒼白(そうはく)な顔をしていた。目は(うつ)ろに見開かれ目の中には涙が溜まって、顔は獣と同じくかけるの方を見ていた。

 かけるは急に恐怖に襲われた。無理もない。幾らなんでもこんなシーンに出くわすとは思っても見なかったのだ。

 先程からかけるの頭の中に(ひび)いてきた女性の声が「お願い!助けて!」と声をかけてきた。そして、洞穴の中で獣の前にいてかけるを見ている瞳が(つぶや)いた気がした。声の主は目の前にいる女性であることにほぼ間違いはなかった。

 「助けなくちゃ!助けなくちゃ!」とかけるは思うのだが、かけるの足は震えて立てなかった。(まばた)きすら出来ない恐怖に体が縛られていた。助けたい思いだけが空回りして行動に移せなかった、気持ちとは裏腹に体が付いて行かず動かなかったのだ。

 「かけるー!かけるぅ!」と皆が呼ぶ声で我を取り戻した。皆がかけるを心配してかけるの後を追って来てくれたのだ。かけるは胸に一杯空気を吸い込むと「ここだぁ!来てくれー!早くぅ!」と力の限り叫んだ。呼吸をするのも忘れるくらいに恐怖を感じていたのだ。

すると不思議なことにあの獣も若い女性も消えて行った。洞穴の奥に消えたのではなくスーと空間から薄くなって消えたのだ。


 かけるはやっと恐怖の呪縛(じゅばく)から解けた体を起こして、おそるおそる洞穴に近づいた。そして外から洞穴の中を見渡した。そして大丈夫であることを確認すると洞穴の中に入って行った。

 あの獣も若い女性もどこにもいなかったし、洞穴の中は中に続く道があるものの、あの大きな図体をした獣が入れるほど大きくなかった。隠れる所などどこにもなかった。それどころか洞穴の中にいた痕跡すら見つけられなかった。あの女性はかなりの出血をしていたし、獣の口から血が洞穴の中で滴っていたはずだ。ところが、かけるが洞穴の中を念入りに探しても血痕を見つけることは出来なかった。

 幻覚だったのかと思いかけていたかけるは一つの物を見つけた。青い宝石が付いたペンダントだった。先程の女性が付けていたものだか判らないが、手に取ってみるとまだ暖かい気がした。

 かけるが一旦洞穴の外に出た時に皆がやってきた。かけるは陥没した穴からよじ登って皆のいる所まで行った。皆に今見たことの一部始終を説明したが、当然のごとく夢でも見ていたんじゃないの?と信じきれない様子の皆に先ほど拾ったペンダントを見せた。それでも皆信じていない様だった。中でも特にキャサリンはまるで信じていない様で「そんな非科学的なことが起きる訳がないじゃない」とまるで信じていなかった。無理もない。あの光景を見たかけるでさえ幻だと思う程、否思いたい程ありえない光景だった。かけるは、それ以上言っても喧嘩になるだけなので、その話は打ち切ることにした。


 誰からともなく帰ろうということになった。かける達は後で判る様にその陥没した地点まで紐を結わえておいた。帰るのは今まで結わえてきた紐を追っていけば帰れるはずだ。結わえていた紐を一本一本解いて(しばら)く進んだ。

 キャサリンが「ここさっき通ったんじゃない!」と言った。皆、周囲を見渡すがどこも同じ様な木々と草としか見えない。木々の隙間(すきま)から山でも見えれば方角が(つか)めそうなものだが、たまに木々の隙間から見えるのは青い空だけで全く方角を掴む目印になるものは見えなかった。

 キャサリンに言われて皆不安になってきた。加奈が「そうだわ!通ったわ!なんとなくこの木覚えてる!」と言って木々の一本に幹が(よじ)れている木を指した。

 「そんなことないよ!だって俺たちは結びつけた紐を目印に歩いているんだよ!」と言ったのは俊一だった。ホルヘが「いや、確かにおかしいよ。見てごらんよ」と指を指した。

ホルヘが指を指す方向には、来る時に目印として木に縛り付けた白い紐が見えた。

 だがその白い紐は一本の道として方向を指しておらず、前にも後ろにも左にも右にも点々と見えた。縛り付けていた白い紐は解いて手に持っていたから、少なくとも後ろには木に縛り付けられた白い紐はないはずだった。ところが後ろにも点々と白い紐が見えた。キムが希望を失った声で「俺たち、迷ってしまった!」と言った。

 その言葉に加奈は不安を覚えてパニックになって「どうしたらいいの?こんな薄気味悪い所で迷ってしまったのよ。だから止めようって言ったのよ!」と叫んだ。

確かに富士の樹海に行こうという案に最後まで反対していたのは加奈だった。

俊一も「かける!お前が勝手にどこかに行っちゃったから迷ったんだぞ!どうしてくれるんだよぅ!」とかけるに掴みかかった。

「そんなこと言っても仕方ないじゃない!冷静になろう!冷静に!」と美樹は言ったが自分自身に言い聞かせている口ぶりに聞こえた。


 「そうだ!携帯電話で助けを呼ぼう!」と俊一は言った。

「何でそんなことに気付かなかったんだろう」俊一は携帯を取り出した。

「あぁしまった、電源が切れてる」

「もう仕方ないわね!」と加奈が言って自分の携帯を取り出した。

 「バッテリーぐらい、ちゃんと充電しておきなさいよね!」と自分の携帯が充電されていることをちょっと自慢げにしながら携帯を握った。

「アンテナも三本立ってるし、これで大丈夫。どこに電話すればいいの?警察でいいのかな?」

「警察は違う気もするが、番号分からないから警察でいいんじゃない」と美樹が言った。

「警察はイチイチゼロでいいのよね?」と言いながら電話した。

「おかしいわねぇ、駄目だわ。電話がツーと鳴りっぱなしで通じない」美樹は一度電話を切ると「もう一度やってみるね」と言って電話を掛けなおしたが「やっぱり駄目だわ!」と不思議そうに言った。

 「じゃあ、私やってみるわ!」と加奈が言った。加奈の携帯は携帯電話のキャリアーもメーカーも違う。違うキャリアなら掛かるかもしれない。何度か加奈が電話してみたが、やはり通じなかった。加奈は自宅にも電話してみたがやはり通じなかった。俊一もキムもホルヘもキャサリンも自分の携帯で試してみたが同じ様にツーとだけ鳴って呼び出し音も鳴らなかった。

「おかしいな!ケータイのアンテナは立っているのになぁ」と皆それぞれに首を振った。


 「そうだ!」思いついた様に言ったのはキャサリンだった。キャサリンの父は外交官なので誘拐などに会った時のために、父がキャサリンに持たせている物があった。発信機だ。発信機を子供に持たすとは随分と心配性な親ではあるが、キャサリンの父はいろんな外国を転々とすることを考えて危険な地域に行けば娘のキャサリンが誘拐などの危険に遭う可能性があるとの心配があったのだ。

 この日本でさえ誘拐事件は過去に何度もある。ましてや、誘拐事件の多い海外では発信機はオーバーではなく必要だと考えていたのだ。キャサリンは発信機の電源を入れたが、発信機は機能が働かず発信していなかった。通常電源が入るとLEDが点灯するものだが、発信機は沈黙したままだった。


 「メールだったら届くかなぁ?」とかけるが言ったのを皮切りに皆自分達のケータイメールを友達のケータイアドレス宛に送付した。メールは送信を押してもそのまま固まってしまい、電源を切って幾ら送信先を変えても同じだった。移動している訳でもなく、電波状況が悪い訳でもないのにメールも送れなかった。

「富士の樹海って電波も届かないのか?」と俊一が半信半疑で言った。

「そんなことはないはずだよ!磁場が狂うだけで電波は届くはずだよ」とかけるは言った。

「それなら何故通じないんだ?」と俊一はかけるに苛立ちをぶつけた。

「それは……」かけるにも誰にも答えられるはずがなかった。


 七人はその場で座り込んだ。かけるは改めて周囲を見渡した。確かに白い紐は前後左右に散らばっているが、その中でも白い紐が沢山(たくさん)見える方角、白い紐の密度が濃い方角が来た方角ではないかと思ったのだ。ところが、不思議なことに見渡す限り前も後ろも右も左も同じ本数ずつ白い紐が見えた。自分達が結んだ紐を取って進んできただけに不自然な感じがした。何か人為的な力によって道を迷わされている気がした。そして前方数十メートル程先に見慣れた木を見つけた。「ちょっとそこまで行って道を確かめてくる」と言い残して歩き出した。皆、絶望に支配されへたりこんでいて何も言わなかってしまった。

 「やはりそうだ!」とかけるは呟いた。その木の近くまで行ってみると先程の洞穴のある陥没した地域だった。その陥没した地域に降りてよじ登る際に、穴の方に大きく傾いている木に白い紐を結んでいたが、紐がなくてもこの形状の木を覚えていたのだ。この陥没した穴から歩き出して、かける達はぐるっと回って、またここに辿(たど)り着いてしまったのだ。


 皆が待っている場所に戻ってきたかけるは皆にどう話そうか迷っていた。希望を失ってしまった皆はへたり込んでその場に座っている。一回りして振り出しの洞穴がある陥没した地点に戻ってしまったなどと言うと絶望に支配されてしまう。

「かける!何か見つけたのか?」

俊一が訊いてきた。皆顔を上げてかけるを見た。かけるが黙っていると、かけるのそんな様子がますます不安を(あお)った様で、俊一が「何があったか?って訊いてるんだよ!」と(つか)みかかってきた。隠しておいても仕方がないし、隠しきれるものではない。かけるは元の洞穴のある陥没した地域に戻ったことを話した。俊一は掴んでいたかけるの胸倉から手を放しその場に座り込んだ。皆何か言う気力も無くなった様に大きく項垂(うなだ)れてしまった。


 悪い時には悪いことが重なるものである。あれ程、太陽が出て青空だったにも関わらず、急に雨雲が空に広がったかと思ったら雨雲は一気に空を支配し、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。雨足を強め大粒の雨が降ってきた。

かけるは「とにかく、さっき僕が行った洞穴に避難しよう!」と言って皆を促した。さすがに雨に濡れたくないので皆先程の陥没した地域まで歩いた。陥没した地域に降りる時は雨で滑りやすくなっているのでゆっくりと根に捕まりながら一人ずつ降りて、洞穴の中に飛び込んだ。

 洞穴に入ったものの皆濡れてしまっており、しかもこの陥没した地域に降りる際にジーンズや服は泥まみれになってしまった。

 「いやぁ、(ひど)い目に合った!」とキムが言った。皆自分の泥を払い落としている。そうして暫く雨が上がるのを待っていたが雨は一向(いっこう)()まなかった。


 「寒い!」とキャサリンが言った。夏のことではあっても、天候の変化で寒くなり出したのに加えて、服が濡れているのだ。皆両手で自分の体を抱きぶるぶると震えていた。そこで誰が切り出すともなしに焚き火をして(だん)をとることにした。女子達は洞穴の中から、男子達は外から木を集めてきた。洞穴には木が少なかったし、濡れた木でも乾かせば(たきぎ)に使える。ライターは驚いた事に加奈が持っていた。ライターやマッチが無くて、どうやって火を(おこ)すのか、まさか原始時代みたいに木を(こす)り合わせて摩擦熱で熾すかと話し合っていた時に、加奈が恥かしそうにライターを出した。

 加奈はお嬢様然(しか)りとしていたが、実は影で煙草を吸っていたとのことだった。未成年だから禁じられているのは当人も知っているが、親や皆の前でいい子ぶっていることに、ストレスを感じる時に隠れて吸うのだと話している加奈は恥かしそうだった。出来たらライターは皆に隠しておきたかった、何故ライターを持っているかを話すと隠れて煙草を吸っているのを話さなければいけない。

 だが、自分自身が寒いのだから仕方がないと(あきら)めたのだ。加奈は何度も他の皆には内緒にしてくれと口止めしていた。

 加奈のライターは風が吹いても多少水に濡れても点火出来る優れものだった。まもなくして木に火が付いて、やがて(だん)を取れる程の火の強さとなった。


 外は相変わらずの大雨、雨が地面に水溜りを作り、洞穴の外の窪地には所々に出来た水溜りがくっつき、大きな水溜りになっていった。洞穴に水が流れ込んでくる怖れはなかった。

 洞穴に入る敷居(しきい)となる様な岩があり、窪地よりも10センチメートル程高くなっているのだ。焚き火の炎が黄色く赤く洞穴の壁を神秘的にゆらゆらと照らしている。

 暖を取ったらお腹の虫が訴える様になった。一番最初に空腹を訴えたのは俊一だった。言葉で訴えるよりも先にお腹の虫がグゥグルルルーと鳴り出したのだ。彼の腹の虫が腹ぺこを訴えたのをきっかけに、皆自分が空腹だったことに気付いた。

 「そう言えば、私たち朝から何も食べて無かったわね!」と美樹が言った。

 「どうせなら皆で分け合おうよ」と言ったのは俊一だった。俊一はどんな食べ物も食べてみたいという欲求が強い。それで何でも腹の虫に関わらず食べ過ぎてしまうのだ。その結果が横に前に醜くも張り出したお腹になって表れている。

 皆もいろんな食べ物を食べたいという気持ちもあったため、俊一の言う事に従って各自のリュックから食べ物や飲み物を出した。おにぎりやパンやお菓子やジュースが揃いちょっとしたパーティーの様だった。不思議なもので富士の樹海で迷ってしまい絶望に支配された心も、食べ物を食べてお腹一杯になると落ち着きを取り戻し笑顔も出る様になった。

 「はぁ、食べた!食べた!お腹一杯よぅ」と美樹が言った。食いしん坊の俊一を残して皆お腹一杯になり満足な気分だった。俊一は皆が食べ終わった後も一人で食べ続けている。俊一が皆で食べようと言ったもう一つの理由がここにある。

 俊一は大食漢だから、自分が持ってきた食料だけでは足りないかもしれない。皆で分け合って食べれば、持ってきても食べれない人も多いので、お腹一杯に食べれるというちょっとあさましい考えを持っていたのだ。


 加奈はポケットから煙草を出して先程のライターで火をつけた。美樹が「おい、加奈!あんた未青年だろう!」と注意するのを、加奈は美樹が横目で見ながら「いいんだ!私はね、煙草吸うことばらしちゃったし、今更いい子ぶる気もないんでね」と言って煙草の煙を(くゆ)らして吐き出した。煙草を挟む指が慣れた手つきだった。

 加奈が煙草を美味(おい)しそうに燻らす姿を見てキムが「俺にも一本くれないか?」と言った。かけるが「おい、キムさん!」と声を掛けて(とが)めようとしたが、それよりも早く「俺にもおくれ!煙草」と言ったのはホルヘだ。三人は美味しそうに煙草を一緒になって燻らした。美樹がかけるの方を見て両手を上げて、どうしようもないといった雰囲気を表現した。


 気分も落ち着いた所で加奈は思い出す様な目をしてとつとつと(しゃべ)り出した。

「煙草はさぁ、中学生の頃から吸ってんだ!中学二年の時だったかなぁ。どこでも誰の前でも社長令嬢として振舞わないというのは疲れるもんなんだよ。誰にも自分の本当の姿を見せられずにお嬢様を演じていないといけないってのはね」

 かけると俊一は顔を見合わせた。お嬢様の加奈に漠然とした憧れに近い形で恋していた二人にとっては、加奈の意外な素顔をすぐさま受け入れられずにいた。

「でもさぁ、この樹海から出られるかどうか分からないし、今更お嬢様の姿を演じてることに意味なさそうだしね、それにこんな時には煙草を吸っていると気持ちが落ち着くんだぁ」と加奈は誰の顔でもなく宙を見る顔つきで話した。


 「俺は煙草を滅多(めった)に吸わないんだ。運動するのにさしつかえるからね。だが小さい頃からむしゃくしゃする時にはちょっとだけね。日本人には判らないだろうけど、在日韓国人ってことで苛められたり差別を受けたりもしたからね。小学校の時は朝鮮人学校に通っていたが、そんな時は歴史の授業なんかで日本人がどれだけ(ひど)い事をしたと学ぶんだけど、何故そんな酷い日本で学ばないといけないのか?なんて考えるとむしゃくしゃしてね。そんな時なんかはちょっと煙草を吸うんだ。でもボディービルを始めてから煙草は良くないから我慢してたけど、このまま帰れるかどうかも判らないしね、コーチもいないしちょっとだけならいいよな」とキムが煙草の煙を美味そうに吐き出しながら言った。


 「俺も日本で差別は感じていたなぁ。俺はメキシコ人だから肌の色が浅黒い。それでも、生まれも育ちも日本なのに肌の色で結構差別を感じたことあったよ。日本人って欧米やオーストラリアの白人には尊敬的な態度をするが、白人以外の外国人には差別するような所がないかなぁ?そんな時どうにも変えようもない何かにぶつかった時にむしゃくしゃして煙草をね。家の父さんなんかは煙草吸ってても注意されないしな、父さんも子供の時から吸ってたって言うし、母さんは煙草吸ってると一応は怒っていたけどな、あまり煙草に対して気にすることもなく育ったからな」


 かけるは三人の普段見せない顔を見て何も返す言葉が見つからなかった。かけるは皆が話している間、先程この洞穴で拾った青い宝石が付いたペンダントを(いじ)っていた。青い宝石が付いたペンダントは改めて見てみると青い宝石は2センチメートル程の大きなもので何面体にもカットされている。キラキラと輝く青さは、比較的浅い海の底から光が降り注いでいる海上を見上げたような輝きを放っていた。


 青いペンダントを(もてあそ)んでいるかけるを見て、俊一は「この宝石って値打ちあるのかな?結構高い値で売れるんじゃないか?」と言いながらかけるからペンダントを奪おうとした。

「やっ止めろよ!」

「いいじゃないか!見せてくれよ!売れるものだったらオークションで売ってやるからさぁ!」

「馬鹿!これは他人の物だろう!」

「こんな所で拾った物を警察に届けるのか?持ち主ももう死んでしまったかも知れないだろう。いいから貸してみろよ!」と俊一はかけるからペンダントを奪おうとした。

 かけるは(あらが)って俊一から逃げようとした際に、青いペンダントを手から落としてしまった。青い宝石の付いたペンダントはキラキラとマリンブルーの海の光を放ちながら地面に落ちてバウンドして焚き火の中に落ちた。

「ほらぁ、俊一!お前がふざけるから!」

とかけるが燃え盛る薪をどけて青いペンダントを焚き火から棒で掻き出そうとすると、青いペンダントは薪の中に落ちてしまい、真っ赤に燃え盛る炭の中に落ちた、まさにその時のことであった。


 突然、青いペンダントから光が映し出され焚き火の火の上に若い女性が浮かび上がった。その女性は半透明で、その女性の体の向こうの光景が見える。その女性は先程獣に噛まれていた女性より若く美しい女性だった。(りん)とした品格を兼ね備えた背筋をしていた。高貴な身分のお方であることが想像された。

 彼女は「私たちを助けてください!」と言った。俊一がその女性に恐る恐る手を伸ばした。俊一の手はその女性を突き抜けて向こう側に通り抜けた。俊一はその女性の映像の向こうで手を握ったり開いたりした。

 ホログラムつまり三次元立体映像だ。青いペンダントに立体映像を仕掛けられてあり、熱を加えるととホログラムを投影する仕掛けになっていたようだ。


 その女性のホログラム映像は続けた。

「我々の世界では大規模な戦争が十年以上続いております。ところが、最近になって敵の科学力の進歩により敵の勢力は増大しました。彼らの兵力に我々の仲間は殺されて、とうとう我々の部隊が最後の人類になってしまいました。これを見ているかけるさん、俊一さん、美樹さん、加奈さん、キャサリンさん、キムさん、ホルヘさん、お願いです、我々に力を貸してください。このままでは我々の世界の人類は死滅してしまいます。どうかお願い致します」そこまで聞き取るのが精一杯だった。その後はジジジとノイズが聞こえ音に雑音が入り女性の声が聞こえ(にく)くなり映像もやがてプツリと切れた。再び、焚き火の炎が七人の顔を赤々と照らした。


 かけるは「やはり、この青いペンダントは先程獣に殺された女性のものだったんだ!これでみんな、僕の言ったことを信じてくれるかい?」

皆押し黙っていたが、美樹が沈黙を破った。

「うん、未だに信じられないし判らないけど、とんでもない事に巻き込まれたことだけは確かなようね」

「怖い?」とホルヘが訊いた。

「いいえ、ワクワクしてきたわ!」

 かけるは美樹と幼馴染なので知っていた。美樹はこういった冒険が人一倍好きなのだ。読書というと、子供の時から普通の女の子と違って、少年用の冒険小説などしか読んでいなかった。

 かけるは逆に危険なことに巻き込まれずに平凡に暮らすことで満足だし、災いごとに巻き込まれたくなった。なるべく危険から遠ざかって生きてきたのだが、今ではそのかけるですら、ワクワクするというより逃げることは出来ないと責任感を感じていた。

 それは先程、獣に襲われる女性を助けることが出来なかったことで、かけるは自分を責めていた。助けるどころか動くことも出来なかった。「今度こそ逃げないんだ!立ち向かうんだ!」という強い思いがあったからかもしれない。

 「それにしても何故俺たちの名前を知っているんだ?」と俊一が誰にともなく尋ねた。皆首を(かし)げていたが、キャサリンが口を開いた。

 「たぶん、私たちのことを見ていて知っていたのよ。それか、私達が巻き込まれる運命であることを知っているかじゃないかしら?だから私達のことは性格から何まで、彼女は知っていると見るのが的確じゃないかと思うわ」

「俺たちの何を知っているって言うのか?性格以外にも全てか?」とホルヘが訊いた。

キャサリンはコクリと頷いた。


 「それにしても助けてくれって言ったって、誰から助けるんだ?どうやって?俺たちに何が出来るって言うんだ?」と言ったのはキムだった。

「そうよ、私達に何が出来るっていうのよ?それに私達がどうして助けないといけないの?我々の世界とは別の世界のことでしょう!私達にはどうすることも出来ないわ」と加奈が言った。

「とにかく幸か不幸か僕らは選ばれてしまったんだ。逃げることは出来ないよ!今考えると、この富士の樹海で迷ったのも偶然ではない。どう考えたって僕らが木に結びつけた白い紐があんなに不自然に再配置されていたのはおかしい。僕らをもう逃がさない。そのために彼らがやったことだとすれば納得がいく」とかけるは言った。

「彼らって一体誰だよ?」と俊一が言った。

「判らない。でも向こうの世界で彼らが最後の人類だって言ってた。『我々』って言ってたから彼女一人ではなく彼女の部隊の人類は残っているんだ」とかけるが答えた。


 「戦争をしてるって言ってたわね!それじゃあ、彼らを助けることが私達の運命なの?戦争に参加しろ!ってこと?」

戦争と聞いて皆下を向いてしまった。

「最後の人類が戦っているんだから、敵は人類じゃないのよね」と加奈が言った。

 人類じゃないという響きに、かけるは背筋にタラリと冷や汗が流れるのを感じた。先程見た黒い獣のことを思い出したのだ。皆も恐怖がじわじわと背筋を這い上がってくる様な感覚を感じた。

「かける、お前がさっき見た獣、そいつらが敵なのか?」と俊一は言った。既に恐怖に俊一本来のお茶らけた調子はなかった。かけるは何も答えなかった。というより答えることが出来なかった。洞穴の外は相変わらず雨が降り続いていた。

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