願いはきっといつか叶うから
幕が閉まり、興奮醒めやらぬ場内は子供達の賑やかな声に満ちていた。親が中々席を立とうとしない子供の手を引いて扉に向かい出す。
ファルシオンは頬を上気させ、夢から覚めたように溜息を吐いた。途中からずっと座席の前に立ちっぱなしだ。
「はぁあ、カッコよかった! 満足だ」
思わず笑ってしまうくらい本当に満足そうで微笑ましい。
「今日ご覧になれて良かったですね」
「うん!」
色々衝撃を受けたりもしたが、ともあれファルシオンがこれだけ嬉しそうなのだからそれで何よりだろう。それに中々仕掛けが凝っていて、レオアリスも見ていて楽しめた。
(蛸魔人……あれすげぇ)
「他の客が大体出たら、我々も出ましょう。もう少しお待ちください」
「うん」
ファルシオンはこくりと頷き、それからどことなくもじもじと視線を落とした。その様子が気になって問いかけようとした時、「上将」、とクライフが素早く囁いた。
レオアリスが顔を上げると、男が一人急な傾斜の階段を登って来たところで、クライフのいる左側の通路に立ち、明らかにレオアリスに用があるように顔を向けた。見た感じ三十前後の、頬から顎に髭を蓄えた気持ちいい雰囲気の男だ。
「失礼ですが、もしや近衛師団の」
レオアリスはファルシオンの姿を隠すように立った。「いや――」
違うと否定する前に、男が嬉しそうに手を打つ。
「やっぱり! 良く演習場で拝見しているんですよ」
演習場? とこれまた問い返す前に話が進む。
「私も大将殿が大好きで――剣士というのがもういいですよねぇ! 昔っからそういうのが好きで好きで、それが高じて話を作るようになって、まあ今回はこんな話になったんですが」
言葉からするとどうやら男はこの劇の作家のようだが、話しながらさかんに手を振り瞳を輝かせ、何とも言えず子供っぽいというか、先ほど舞台に夢中になっていた子供達と大差無い。
この劇があれだけ子供達を夢中にさせる理由を見た気がして、レオアリスもクライフも何となく感心した。
「はー」
「劇は楽しんでいただけましたか?」
「それは、とても」
ファルシオンの喜びようを思い出して頷くと、男はまた手を打った。
「いやぁ良かった! 実は勝手に大将殿をこの劇の参考にさせてもらってたんで、怒られたらどうしようかと」
「えっ」
思いがけない言葉にレオアリスは瞳を瞬かせた。
(……妖獣蛸魔人?!)
戦った事はない。
「剣ですよ、やっぱりねー。中々思うようにはいきませんが」
「あっ、ああ」
「いやそれでさっき、役者の一人がそうじゃないかっていうもんで、こりゃあ確かめなきゃと急いで来てみたんです。あ、申し遅れました、私はこの劇団の主宰のバウアーと申します。本当にどうも光栄です、あの王の剣士殿がわざわざこんな小さな劇団の劇を見に来てくださるとは! 一同大喜びでして、これからも頑張ろうとか楽屋が盛り上がってしっちゃかめっちゃか」
「ちょ、静かに」
レオアリスは片手を上げて止めたが、バウアーはその手を握ってぶんぶんと上下に振った。
「ぜひまたお越しください! 剣士の貴方に観ていただけるなら」
「バウアーさん、取り敢えず、少し声を」
「上将、もうマズいっす」
レオアリスははっと辺りを見回した。
まだ残っていた子供達が周りに集まっていて、興味津々レオアリスにじいぃっと視線を向けている。
「剣士だって」
「ホンモノ? ホンモノ?」
「――ほんとうだ」
「見たことある」
「すごぉい」
まだ先ほどの興奮も冷めていない子供達の瞳がまたきらきらと輝き始め、期待に満ちてくる。
(しまった)
「あっ!」
クライフは唐突に大声を上げて舞台を指差した。
「ロードセイバーだ!」
その名は効果絶大で、子供達は一斉に振り返り、「どこ?! どこ?!」と舞台に駆け寄った。
「――申し訳ありませんが、急ぐもので、これで失礼します」
レオアリスはバウアーに一礼すると、左手を伸ばし、舞台の方に身を乗り出していたファルシオンをひょいっと抱え上げた。
「セイバーは?」
真剣に尋ねられ、レオアリスは苦笑した。
「今日はもう帰らなくちゃいけません、また次の機会に」
バウアーとは反対側の客席は機転を利かせた隊士達が通路に出て、既に無人になっている。
レオアリスはファルシオンを抱えたまま通路へ抜けると、素早く後方にある扉から待合室に出た。クライフも後に続く。
その次には前の列にいたヴィルトールや他の隊士達も軒並み駆け足で待合室の扉へと消えていった。
取り残されたバウアーは、レオアリスと二列の客達が一瞬で立ち去った後にできた空間を束の間ぽかんと見つめた。
見事なまでの撤退ぶりだった。いや、それよりも、レオアリスが抱え上げたのは少年だった――さすがに一人で来る訳がない――ちょうど五歳くらいの、銀色の髪の――ぐるぐると考えていたバウアーはそれまで開けっ放しだった口を更に大きく開けた。
「……えぇえ、まさか」
レオアリスは待合室にいる親子連れの間を縫って素早く劇場を出ると、劇場前の小さな広場からすぐ細い路地に入り、そのまま早足で歩いた。
路地をついて来るのはクライフとヴィルトールだけで、他の隊士達は万が一後を追う者がないように路地の入り口前に留まった。腕に抱き抱えたままのファルシオンは、初めて眼にする少し裏寂れた路地の壁を好奇心に満ちた眼差しで見回している。
幾度か壁に沿って折れ曲がると路地が終わり、先ほどとは違う広めの通りに繋がる。レオアリスは迷う事無く通りを渡り、その先の角を曲った細い通りに止まっている馬車に近付いて、馬車の横に立った。
クライフとヴィルトールがそれぞれ前後に立つ。
馬車の扉が開き、ハンプトンが顔を出した。
「おかえりなさいませ」
「ただいま、ハンプトン」
溌剌とした声を聞いてハンプトンはにっこりと笑った。
「お気に召されたようで、ようございました」
「うん! 楽しかった! すっごくカッコ良かったのだ」
「ずっと夢中でご覧になってました。本当にお好きなんですね」
レオアリスはそう言いながらハンプトンに頭を下げ、彼女の前の座席にファルシオンをすとんと降ろした。
「まあ、それは本当によろしゅうございました。殿下、大将殿にお礼をお伝えなさいましたか」
ファルシオンは大きな瞳を瞬かせ、レオアリスを見上げた。
「レオアリス、今日は連れて来てくれてありがとう!」
「お役に立てて光栄です」
微笑んでそう返し、レオアリスは扉の木枠に手を掛けて身を起こした。
「では、俺は御者台におりますので、何かあれば」
ファルシオンがレオアリスの手を握る。まだ小さい手が掴むのは指くらいだ。
ただ手を握った後しばらく、ファルシオンは俯きがちに黙っている。
「殿下?」
「あのね、セイバーはすごくかっこいいんだけど」
ファルシオンはもじもじと視線を逸らした。そういえばついさっき、劇場でもこんな素振りを見せたな、と思い出したところでファルシオンは思い切ったように顔を上げ、さらにぎゅっと握る手に力を込めた。
「でも、レオアリスが一番かっこいいぞ。本当だ」
一番好きだ、とそう言った。
「ほんとうに私を守ってくれるんだもの」
「――」
どうやらファルシオンはファルシオンなりに、気になっていたらしい。レオアリスが気分を悪くしているのではないかと、幼心にそう思ったのかもしれない。
まっすぐ向けられる純粋な瞳を見つめ、吹き出しそうになるのを堪えながらレオアリスもにこりと笑った。
「当然です。俺は殿下の事が大好きですから」
ファルシオンが喜びに瞳をきらめかせる。レオアリスの手を握ったまま、伸び上がって顔を寄せた。
「ねぇ、レオアリス、あのね、お願いがあるんだ」
「お願いですか? 何でしょう」
「うん、あのね」
ふっくらした頬を紅潮させ、ファルシオンは期待に満ちて待ち遠しそうに告げた。
「今度、必殺技を見せてね」
「―― ―― ―― ――、ありません」
ぶは、とクライフが吹き出した。




