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ファルシオン、お忍びで劇を観る

「殿下のお席はこちらですね」


 小声で告げて最後列の通路から五番目の席を示すと、ファルシオンはこっくり頷いておごそかに席に近付き、申し訳程度に綿が入った固い座席に座った。

 座ったとたん舞台の方へ身を乗り出し金色の瞳をきらきらと輝かせる姿には、幕が上がるのを待ちきれない思いが溢れている。


 昼に居城に迎えに上がった時にはもうファルシオンの瞳は期待に輝いていて、それから全く色褪せる気配がない。

 今日という日が決まってからは毎晩なかなか寝付けないほど楽しみにしていたのだ、と、来る途中にハンプトンがそう言っていたが、何となくその様子が想像がついてレオアリスは思わず笑みを零した。


 レオアリスは左隣の通路側の席に腰掛けた。ファルシオンと共にいるにも関わらず軍服ではなく完全に私服で、耳を覆う形の帽子を被り、襟を引き上げてさりげなく口の辺りまで隠している。

 ファルシオンもぱっと見るだけでは少しいい家の子供だな、と思う程度の服装だった。この格好なら、端からは歳の離れた兄弟か親戚くらいに思われるだけだろう。


 二人が座ると一列前に座っていた男が振り向き、「おや、こんにちは」と軽く会釈した。顔見知り程度の挨拶を寄越したのはヴィルトールで、隣に座っている小さな女の子は彼の四歳になる娘に違いない。

 レオアリスも「賑やかですね」と他人行儀に返し、ついでに左右と前二列の席もほぼ埋まっているのを確認する。


 改めて辺りを見渡せば、三百席ある客席を占めているのはやはり殆んどが小さな子供とその親達だ。子供達はこれもやはり男の子が多いが女の子も三割近くはいるだろうか、非常に賑やか、というか騒がしい。

 追いかけっこをして階段状の通路を走り回っては興奮した高い声があちこちで上がり、それを追ってまた親の呼び戻す声や叱り付ける声が響く。

 わあっとどこかで火のついたような泣き声が上がったと思ったら、それにつられたのか別の場所からも泣き声が響いた。


(はは、すげえ……。盛り上がってんなぁ)


 感心、というか圧倒される。


(ま、何だかんだこんな状況なら、周りなんか気にする暇はなさそうだ)


 レオアリスはそう独りごちて、まるで運動場と化している場内を眺めた。

 そういえば何故小さな子供は隙あらば走り回るのだろうと単純な疑問が湧く。かくいう自分も、小さい頃は雪の上やら樹々の間やらさんざん走り回った記憶がある。


 ふと気になって横を確認すると、案の定ファルシオンも周りの子供達に触発されたようで、走り出したくてウズウズしていた。


(あーあぁこっちもか。そういやいつも庭を走っておいでだ、刺激もされるよな)


 レオアリスは苦笑してファルシオンの顔を覗き込んだ。


「お帰りになるまで我慢してください。それにもうすぐ始まります」

「うー、――うん」


 ファルシオンは多分彼の中で湧き上がっている衝動をぐっと堪え、こっくり頷いた。


「お隣、失礼しますよ」


 明るい声と共にレオアリスの右隣に座ったのは――クライフだ。この親子連ればかりの場内に大人の男一人、明らかに浮いている。

 それが照れ臭いのかクライフは座席の背に両腕を預けて凭れかかり、わざと大きな声を出した。


「いやもーすんげぇ楽しみ、早く始まんねえかなぁ! おっ、ボウズ、弟と一緒かーいいなあ仲良くて」


 と通路を挟んだ隣に座っていた男の子に声をかけ、七、八歳くらいの男の子に胡散臭そうな眼で見られた。


(黙ってりゃいいのに)


 まあそれでもグランスレイやロットバルトがここに居るよりは目立たない。ある意味場に馴染んでいるとも言えなくも無い。


「何だよ、兄ちゃん彼女もいねぇの、かっこわりぃ」

「かっこわるーい」


 弟が繰り返す。クライフは子供にからかわれ、何故か得意そうにふんぞりかえった。


「何言ってんだ、こーいうのは男の楽しみなの! まだお前等小さいからわかんねぇだろうけどな」

「彼女と来いよー」

「こいよー」

「モテないんだー」

「もてなーい」

「うっせ」


(――取り敢えず、他人のふりかな)


 レオアリスは襟を引き上げて笑いを堪えた口元を隠すと、顔を前に向けた。


 ここではクライフやヴィルトールとは知り合いでは無い。

 今日はファルシオンのたっての願いで、レオアリスはファルシオンと共に王都中層の南、カルハリ地区に建つ古びた劇場に来ていた。

 ここで行われているある演目が子供達に大人気なのだ。


 様々な演目がそれこそ日替わりで立つ王都でも、子供という層を中心的に取り込んだこの劇は爆発的に売れた。

 演目は絵本にもなり、それは侍従達の噂話になって王城の奥で暮らすファルシオンの耳にも届くほどの人気ぶりで、ファルシオンもハンプトンに手に入れてもらった絵本を見てすっかり虜になってしまったらしい。


 次は当然のごとく劇を観たがったファルシオンはハンプトンに頼み込み、エアリディアルに頼み込み、母である王妃や、最後には父王に直接頼み込んでやっと、待望のその劇を見に行く事が許されたのだった。


 という訳でレオアリスは王からファルシオンのお忍びの護衛を命じられ、今こうして劇場の席に座っていた。


 王はレオアリスに指示を下ろした時、何故だかにやりと笑った。


『その劇、おそらくそなたにも興味深かろう』


 理由を尋ねたが王は笑って取り合わなかった。


(――何でだ……?)


 しかし真面目な話、お忍びとは言え王太子の警護にレオアリス一人というのは、近衛師団として対応が不充分だと思われた。しかしあくまでもお忍びなのだし、しかも客層が客層なだけに、隊士を周囲に配置する訳にもいかない。




『なら副将とロットバルトが付けばいいんじゃないですか』


 官位的には条件満たしてるし、とクライフが言ったが、間髪入れずダメ出しが入った。


『止めた方がいいわよ、その二人は』

『何で。殿下の護衛だろ』

『良く考えてご覧なさいよ、周りは親子連ればっかりなのよ。似合わないにも限度ってものがあるでしょ』

『――あー、そっか、そうだな、そう言やそうだ。』


 と言ってクライフは一度眼を閉じて黙ってから吹き出し、膝を打った。


『それ見てェ~! 見てェヨ~! マジ見てェ~!』

『それはまあ面白いと思うけど、却って目立って任務も何もあったもんじゃないわ。ぶち壊しよ。劇場から雰囲気が台無しだとか言って文句が出そうだし』


 結構な言われようだが、ロットバルトは肩を竦めただけで特に異論は無さそうだ。まあ親子連れの真っ只中に入りたいなどとは微塵も思っていないのだろう。グランスレイもンン、と喉を鳴らしたきり黙っている。


『じゃ上将一人か? 実質問題ねぇけど、組織としちゃあんま示しがつかねぇよな』

『かと言って隊士も目立つのよね、やっぱり』


 ロットバルトが席から立ち上がり、書類をレオアリスの前に置きながら口を開いた。


『お忍びであれば周りの席を関係者で埋める程度しかできないでしょう。隊士ばかりで違和感があるのなら、子供がいる隊士に子供を同席させて、私服で周りを固めさせてはどうです。幸い場所も危険性という面での心配は少ない、問題は無いと思いますが』

『そうだね。なら私が娘を連れて行くよ。ちょうど見たがってたし、喜ぶなぁ』


 ヴィルトールは後半が本音かもしれないがグランスレイもそれで承認し、一応クライフにも同行を命じた。

 一段落して、レオアリスは疑問を口にした。


『陛下はこの件をご命令になった時、俺にも興味深いだろうと仰ったんだが、どういう事か判るか?』

『今回の興業について、そう仰ったのですか』


 グランスレイは首を傾げた。


『陛下には何か意図がおありなのか……。ロットバルト、お前は何か心当たりはあるか』


『王がそうお考えになる理由ですか。――そもそも今回の興業の中身を良く知りませんから、何とも』


 ロットバルトが考え込んだのを見て、クライフは何やら喜びを抑えきれないように口元を震わせた。


『あれ、知らねぇの? ほー、へー、あーいやま、お前は知らねぇよな? こういうのはよぉ~。興味ねぇもんなァ~。つかそういうの駄目じゃね? 情報は常に偏り無く取っとけみたいな事言っててよぉー』


 また自分から矢の雨に飛び込むような真似を、と誰もが思ったが、ロットバルトはただ冷めた視線を向けただけだ。


『仰る通りです。反論は無いな』


 一言だけ返し、また机に戻る。クライフは勝ち誇った顔のまま固まった。

 レオアリスはロットバルトの普段通りの顔を横目で見つつ、込み上げた笑いの発作を堪える為に机の上に置いていた拳をぐっと握り込んだ。


(……こいつ絶対、明日の朝までには調べ上げて売れてる原因とか分析までやってそーだな)


 見かけと違って負けず嫌いな性格だ。

 と思った瞬間視線が合い、レオアリスはごくりと笑いを飲み込むと、極力業務用の声を出した。


『――ま……まあ、判ったら教えてくれ』


 これならすぐに判るだろうな、と思っていたら、昨日も今日の朝も何も説明は無かった。

 出てくる前にロットバルトを捕まえて『何か判ったか?』と尋ねたが、ロットバルトはああ、と呟いた後に口の端に笑みを浮かべただけだった。


『まあご覧になれば判りますよ』



(何なんだ)


 そんなこんなで今、ファルシオンの周りの席にはヴィルトールやクライフを含め、私服の隊士達とその子供達が観客として座っていながら、互いにそ知らぬふりをしているのだった。


 当然事情を知らない子供達は舞台の幕が開くのを待ちきれない様子ではしゃぎ、その空気が親達に伝播したのか隊士達も普段練兵場で見る顔つきと大分違う。ついでにレオアリスの前に座ったヴィルトールは娘にメロメロだった。激しくメロメロだ。


(護衛になってねぇ……)


 まあそれは構わない。護衛がなければ危険な内容であれば、そもそも子供達を連れてこさせない。


(と)


 ふっと場内が暗くなって、見回せば壁際にある燭蝋に係員が蓋をかぶせて回っているところだった。天井から数本吊り下がっていた大燭蝋が、全てガラガラと鎖の音を立てて引き上げられていく。


 藍色の幕が揺れ、舞台端に男が一人、歩み出た。一度客席に向けて頭を下げ、良く通る朗々とした声を張った。


「本日はご来場いただき、誠にありがとうございます。お待たせいたしました、まもなく幕が開きます。お坊ちゃまお嬢様方もどうぞお席にお戻りください!」


 それまで耳にじんじん響くほど騒がしかった子供達はたちまち席に飛び込み、見事なまでに一斉に、しんと静まり返った。


(訓練よりすげえ)


 まさに号令一下だ。


(でもまさか陛下はこれを見ろって仰った訳じゃない……よなぁー。訓練の参考にしろって言うにも)


 うーんと腕を組み、レオアリスは舞台を閉ざしている幕を見つめた。全ての明かりを落とし終え、客席は互いの顔がぼんやりと見える程度だ。

 幕が静まり返った劇場に滑車の軋む音を響かせ、左右に開いていく。舞台から零れた光が薄白く客席を照らした。






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