地獄の入り口が現れた
「師匠、本当に修行するんですか? 一応仕事が控えてる身なんですけど……」
ギルドで書いてもらった地図に従ってアルヒの町を歩くアスカを追いながら、無駄と知りつつもシンシアはその背中に問いかけずにはいられなかった。
「だからこそ、かな。覚悟しとけよ。けっこう厳しめに行くぞ」
「……えっ!? か、確認しますけど、依頼を受けたんだから三倍コースじゃないんですよね……?」
おそるおそるといった様子でシンシアが確認してくる。
「当たり前だろ? だから普段の二倍コースだ」
アスカは今日一番のさわやかな笑顔を見せた。
「さ、詐欺だーっ!?」
シンシアの絶叫があたりに響いた。
突然のことに道行く人が皆、シンシアに驚きの目を向けた。
しかしそうなことに構っている余裕は、今のシンシアにはない。
「聞いてませんよ、そんなこと!! 詐欺ですよっ! 詐欺っ!!」
「人聞きの悪いこと言うな。ちょっと説明を省いただけじゃないか」
「確信犯じゃないですか!? 余計にタチが悪い!!」
三倍と二倍とでは、たしかに相対的には負担は軽くなってはいる。
しかしシンシアにとっては普段の修行、いわば一倍コースで既に手一杯なのだ。
それが二倍になってしまうと、もう五体満足でいられるかすらもわからない。
「無理ですって! 死んじゃいますよ!!」
「大丈夫。お前ならできるさ」
シンシアの必死の訴えもどこ吹く風にアスカはどんどん歩いていく。
仕方なしに重い足を引きずっていくシンシアは、ふとある疑問に思い至った。
「二倍って本当に普段の二倍やるんですか? 単純に考えて時間も普段の二倍近くかかるから、相当遅くまで修行することになるんですが……?」
「あぁ、あれは冗談だ」
しれっとそんなことをのたまった。
「…………えっ?」
まったく予期していなかった知らせに、シンシアの時間は一瞬停止した。まるで表情がごっそりと抜け落ちたかのような呆け顔である。
「ただ量多くこなせばそれでいいというような単純な話でもないしな。ただし、おそらくキツさは二倍の時とそんなに変わらないだろうから覚悟はしとけよ」
「な、なんでいつもそんな無駄な嘘つくんですかぁ!!?」
顔を真っ赤にして心の底からシンシアは叫んだ。安堵やら怒りやらで、その目にはうっすらと涙すら浮かべている。
「無駄ってなんだよ、無駄って」
アスカは心外そうに返す。
「無駄じゃないですか! 今の嘘をつくのに一体どんな意味があるんですか!?」
「意味ならあるさ。お前は反応が素直で可愛いからな、からかい甲斐があるんだ」
「そんなどうでもいい理由で嘘をつかないでくださいっ!!」
シンシアの怒りもどこ吹く風。
アスカは手元の地図と自分の進路方向とを何度も確認する。
その様子で何かを察したシンシアの表情が急に青ざめる。
「お、あそこじゃないか?」
アスカが指差す方向には、なるほどたしかに十分運動できるだけの開けたスペースがある。
その奥には木々が生い茂っている。
「イヤです! 行きたくありません!!」
体裁などかなぐり捨てて、シンシアは全力で首を横に振って拒否の意を表す。
後出しで出された様々な情報に完全に臆してしまっている。
「大丈夫だ、きっとなんとかなる」
「ムリーっ!! これは師弟間イジメだー!」
「だから人聞きの悪いことを言うなって! これは今のお前を強くするのに必要なはずだ!」
こんな言い合いをしながら、逃げようとするシンシアの腕を引っ張ってアスカが連行するという、嫌がっているのかじゃれ合っているのかよく分からない戦いがそこで繰り広げられた。