5.機神
「いてえ。なんかまだいてえ」
「自業自得でしょこの変態! 馬鹿! エッチ! 色魔!」
「一つ増えたし……」
さすりさすりと拳をもらった顔を撫でつつ、ビャッコは小さくため息を吐いた。
謎の影の襲撃から逃れるべく取った手段は何とか成功し、二人は現在召喚した操奏機神のコックピット内にいる。
やや薄暗い機神のコックピットは階段のような上下二段構成になっており、一メートル強の高低差があった。
構造上前面にあたる部分には壁一面の大画面が存在しており、現在そこにはコックピット内の図解説明が表示されている。それによると、下段が歌奏姫の搭乗位置で上段が操奏者の搭乗位置になるらしい。
「ふむ」
上段から下段を見下ろすと、そこには小さなステージ台のようなものと、その周りを囲む手すりのようなものがある事が分かる。画面の説明ではそのステージ台が歌奏姫の定位置になる旨が記されており、まさに歌姫という事のようだった。
しかし今現在ステージ台の上に歌奏姫の姿はない。成り行き上ビャッコの歌奏姫扱いになっていると思われるホウカは下段の隅っこで体育座りをしており、ものすごく恨みがましい目で彼の事を睨んでいた。
どうにもさきの発言がえらく彼女のプライドを傷つけたらしく、多少は良好に思われた関係が話しかけるたびに無視か罵倒かで返される関係に戻ってしまっている。
ビャッコとしても失言だったとは思いつつ、さすがにグーパンはないだろうという気持ちも捨てきれない。
「やれやれだな」
再びため息を吐きつつ、ビャッコは操奏者たる自分の立ち位置であるコックピット上段を確認する。
ステージ台と手すりくらいしか存在しない下段に対して、上段側には背もたれ肘掛付きの座席と、カードゲームをプレイするためのプレイングデスクと思われるものが設置されていた。
デスクのデザインは実にシンプルなまったいらのもので、通常は床と並行状態だが横のボタンで角度調節が出来るようになっている。これによって、背もたれ付きの座席に深く寄り掛かって座りながらでもちゃんとプレイングスペースを確認出来るような設計になっていた。
ただし座ると下段の様子をうかがえなくなるので、その場合は席に座らず立ってプレイする必要があるようだ。
「ふむ……」
そこまで確認して、ビャッコはある事に気が付いた。それはロボットにつきものの様々な機器に類するものがまるで存在しないという事だ。
カードゲーム的な要素は揃っているにしても、肝心のロボット操作に関する機器がどこにも見当たらない。座席の前にペダルやハンドルの類もなく、これでどうやって機神を操作するのだろうかと首を傾げてしまう状態だ。
「……ん。そういやコックピットにあるっていう最後の一枚はどこだ?」
あれこれ調べる過程で、ビャッコは登録時にゲームマスターから聞いていた、初期デッキに組み込む最後の一枚が見当たらない事に気が付いた。
アルヴァテラでは六十枚一組のカードをデッキとしてプレイするのだが、ビャッコは初期デッキの中身を確認した際に五十九枚しかカードがない事に気が付いていた。
当然にしてその事をゲームマスターに尋ねたのだが、その時の返答が最後の一枚はコックピットの中だと説明されたのである。
しかし場所に関して特に言及がなかったために分かり易いデスクの上にでも置いてある物だと思っていたが、デスクはおろか座席の上にも見当たらない。
さてどこだどこだと彼が周囲をきょろきょろと捜索し始めたところで――
『それではこれより戦闘チュートリアルを開始いたします。歌奏姫は所定の位置についてください』
突然コックピット内に女性の音声が流れ、それまでコックピットの説明を表示していた画面がぷつりと暗転し、直後に家々が並ぶ街のような風景を映し始めた。
ビャッコは一瞬それが何なのか分からなかったが、映し出されている家がチュートリアルの街のものだと気が付き、その風景が外の景色である事を理解する。
と同時に、眼前やや離れた位置に自分とは別の操奏機神が立っている事にも気が付いた。見た目はビャッコの選択した機体と同じようだったが、相手の周りにはゆらゆらと黒い靄のようなものが揺れていて実に不気味な様子である。
「始めるっても、まだデッキ完成してないんだがな……」
最後の一枚がなければ最低必要枚数の六十に届かない。特典パックのカードはデッキに組み込めない特殊カードのため、ベストの胸ポケットに入れたままだ。
「先に進めれば出てくるのかもしれないな。とりあえずはアナウンスに従うか……。なあおい」
下段を覗き込んだビャッコは、相変わらず隅っこに居座るホウカに声をかける。
「………………」
しかし、その呼びかけはガン無視されてしまった。
とはいえここで引くわけにもいかないので、ビャッコは再度声をかける。
「いつまでも拗ねてないで定位置についてくれ。話が進まない」
「…………いや」
まるで駄々っ子のように頬を膨らませてぷいっと顔をそむけられてしまった。そんな姿がやや愛らしくはあるのだが、とにもかくにも始めない事には終われないのだからやってもらうより他にない。
さてどうしたものかとビャッコが頭をかいていると、彼はふいにドスドスと何か重いものが走ってくるような音を捉えた。何の音だと下へ向けていた視線を水平に戻した時、外の風景を映していた大画面一杯にあるものが映っている事に気が付いた。
それは離れた場所にいたはずの黒い靄に覆われた操奏機神であり、まさに今この瞬間に思いっきり拳を振りかぶっての右ストレートを放とうとしている状態だった。
「げっ――」
まずいと思った次の瞬間には、大砲でも撃ち込まれたかのようなとんでもない音と同時に衝撃がコックピット内を襲っていた。
「うおっ!?」
「きゃあっ!?」
地震の様に揺さぶられる衝撃に、ビャッコは床に倒れ込まないまでも思わずその場でたたらを踏む。
「なん――」
急いで大画面を確認すると、そこには一面の青空が映し出されている状態だった。直感的に、彼は機体が仰向けに倒されているのだろうと思い至る。
どうもコックピット内はリアリティの演出かある程度の衝撃は伝わるものの、機体の姿勢に関係なく水平状態が保たれる仕組みになっているようだった。
「ってかおい今のフライングだろ! チュートリアル開始前に襲われるってどんだけシビアなんだ!」
一つ叫んで、ビャッコは再び上段から下段の様子をうかがった。すると隅っこで座り込んでいたホウカが立ち上がって何があったのかときょろきょろ首を巡らせており、彼の視線に気が付いたのか首を傾げてくる。
ひとまず無事な様子である事に安堵し、しかしビャッコはすぐに気持ちを切り替えた。
「厄介な事になったぞ。こっちが準備出来てないのにチュートリアル用の敵機が普通に攻撃かましてきてる。このままじゃ何もしないで負けちまうぞ」
「……負けたら、どうなるの?」
「知るか。けどなんか向こうの機体に黒い靄がかかってたし、嫌な予感しかしねえ。もしこのフライングがさっきの変な影のせいなら、負けたら飲み込まれる可能性は十分にあるぞ」
機神の召喚位置がチュートリアルの街中であった以上、あの場から逃げられただけで相手を振り切れたわけではない。最初の機神召喚がチュートリアル戦闘へ移行するためのフラグである以上、チュートリアルで戦う敵機もまた同時に召喚されたと考えるべきだ。謎の影がそれを乗っ取って襲い掛かってくる事は十分に考えらる。
「とにかくそこのステージ台へ移動してくれ。早いとこ手を打たな――」
「あっ……」
大画面へ視線を向けたホウカの表情の変化に気が付いたビャッコは、自分もまた画面へと視線を向けた。そこには先ほどまで青空のみが映っていたのだが、今は先ほど殴り飛ばしてくれた敵機の姿も映り込んでいる。
相手は片足を高々と持ち上げており、これから何をしようとしているのかを聞くまでもない状態だった。
「ちいっ!」
持ち上げられた重厚な足が振り下ろされ、再びの大音と衝撃がコックピット内を襲う。
「くっ、おい!」
「わ、分かったわよ!」
さすがにのっぴきならない事情である事を理解したのか、ホウカが急いでステージ台の上に立った。すると――
『歌奏姫の搭乗を確認しました。操奏者はデッキをセットしてください』
ガイド音声が流れ、合わせてビャッコは背後から物音を聞く。弾かれたように振り返ると、プレイングデスクの右上部分がスライドしてデッキをセットするためと思われる穴が出現していた。
「デッキをセットしろったって――」
最後の一枚どこだよという彼の言葉は、穴から飛び出してきた一枚のカードの出現によって遮られた。
「そこにあったか!」
ビャッコはデスクに飛びつくようにして空中で静止しているカードをひったくり、一瞬で手に入れたカードの内容を記憶して即座に自分のデッキと一緒に開かれたくぼみにセットする。
ぴったりはまり込んだデッキから手を離すと、スライド部分が元に戻ってデッキを覆い隠した。
『デッキセットを確認。続いて操奏機神の操作方式を選択してください』
「操作方式? うおっ!」
再びコックピット内に衝撃が走る。ビャッコの機体が動けないのをいい事に、敵機がスタンピングを繰り返しているようだ。
「ちょっと何やってるの! 全然動かないじゃない!」
通常であればこのような状況になるはずがないので、ガイド音声は緊急事態であっても懇切丁寧かつゆっくりと話を進めてくれている。
『操奏機神の操縦方法は三種類あります。一つ目は操奏者本人の動きをトレースするフィジカルトレースモード。二つ目は操奏者の思考によって操作するブレイントレースモード。三つ目は操奏者と歌奏姫でカードプレイング及び機体の操作を分担するセパレートモードです。セパレートモード選択時も操作形式をフィジカル、ブレインの二つから選択してください』
音声の言葉尻に合わせて、デスクの上に『FTモード/BTモード/SF・SBモード』という選択肢が表示される。
『操作モードは試合開始前であればいつでも変更する事が出来ます。初心者の方にはカードプレイングと機体操作を分担出来るセパレートモードがオススメです』
「え? なに? わたし絶対無理だよこんなの。動かせるわけない」
下段からホウカの素っ頓狂な声が上がってくる。
確かに、とビャッコは彼女の言葉に同意した。
セパレートモードは完全にアドキャラのための操作モードだ。大抵の事を自動的にそつなくこなす事の出来るアドキャラであればカードプレイも機体操作をある程度のレベルで任せられるだろうが、何せ今コックピットにいるホウカはアドキャラとは違う何かである。この操作モードは却下せざるを得ない。
そしてもう一つ。フィジカルトレースモードも却下だ。これは現実に何かしら武道やスポーツを嗜んでいる人間のための操作モードである。
運動部に所属しているわけでなく、武道もせいぜいが学校の授業で柔道をやった事があるだけのビャッコにはまるで向かない方式と言えるだろう。
そうなると自動的に残るのが――
「ブレイントレースモードを選択する」
全てのパターンを一瞬で並列処理し、ビャッコは消去法で操作モードを選択した。
『ブレイントレースモードの選択を確認。コックプット内を最適化します。操奏者及び歌奏姫は所定の位置にて待機してください』
「っと」
アナウンスに促され、ビャッコは急いで座席に着いた。途端、コックピット内をスキャンするような赤い光の線が走り回り、
『ブレイントレースモードに最適化完了。機体の操作確認を行って下さい』
再びそんなガイド音声が流れた。直後――
「また来るよ!」
「させるか!」
今まさに踏み下ろされんとする敵機の足。先ほどから無抵抗のままさんざん踏みつけられていたが、ビャッコは即座にイラストに描かれていた自機の姿を想像。仰向けに倒れている状態で両腕を動かし、踏み下ろされる前にがしりと敵機の足を掴んだ。
「あ……」
ホウカが驚きの声を漏らす。それは大画面の中に敵機のものではない重厚な腕が映り込み、ビャッコの思い描いた通りに相手の足を掴んだためだ。
「いい加減に、しろ!」
ビャッコは自機を左に寝返りを打たせるように回転させ、同時に掴んだ敵機の足を巻き込むように全力で引っ張り、その勢いを利用して思いっきり相手をぶん投げた。その結果を耳で確かめながら彼は素早く機体を立ち上がらせ、ぶん投げた敵機の方へ視線を向ける。
そこには家をなぎ倒しながら地面に転がる操奏機神がいた。相変わらず黒い靄をまとったままだが、今のところは倒れたまま動かない。
『操作性に問題があるようであれば、操作モードの変更が可能です。操作モードの変更を行いますか?』
ビャッコの目の前に『Yes/No』の選択肢が表示される。彼は当然『No』を選択し、
『それではこれより実戦形式でのカードプレイング説明を――』
「必要ない。カードプレイングに関する全ての説明をスキップしてくれ」
続くアナウンスの途中で説明のスキップを選択した。
「なんで!?」
再びホウカの素っ頓狂な声が聞こえるが、ビャッコはそれを黙殺。
『スキップが選択されました。これでカードプレイングに関する説明を終了いたします。それでは、敵機を撃破を目指して頑張ってください』
再度アナウンスが流れ、目の前のプレイングデスクの右上にホログラムで表示された山札(デッキ)が浮かび上がり、それに重なるように一本の空ゲージが出現する。
次いで山札から自動的にカードが引かれて手元の位置に並び、計七枚のカードが一斉に表になった。
同時にデスクの左上に途中までたまった状態の緑と青の二本のゲージが出現し、それぞれに『六』と『四』という数字が表示される。
最後は空きスペースに自機情報と敵機情報が表示され、プレイングデスクが一度だけ淡く光った。どうやらこれでセットアップは完了という事らしい。
しかし、ここからどうすればいいのかはチュートリアルを飛ばしたためにビャッコには当然分からない。
「説明聞かないでどうするつもりなの!?」
「悠長に説明を聞きながら戦ってたら一方的に攻撃されるだけだ。それに、別にここの説明は飛ばしても何とかなる」
「なんとかって、あなたやり方知ってるの?」
「知らねえよ。けどこういうゲームの場合、説明を聞けるのは別に一回だけじゃないんだぜ?」
ビャッコは口の端をにやりと吊り上げて笑い、
「プレイングマニュアルの表示を求める」
新たな要求を口にした。
『了解。プレイングマニュアルを表示します』
ガイドアナウンスが応え、ビャッコの右手の位置に『機奏戦記アルヴァテラ プレイングマニュアル』と題されたホログラム画像が表示された。
ビャッコは目次項目からカードプレイングの流れに関する項目を選択し、表示画面を変えていく。
そこから先は、言うなればフラッシュ読みのような感じだった。彼は停滞する事なく次々にページを送って行き、一ページを一秒とかけずにどんどんマニュアルを読み進めていく。
「あ……起き上ってきたよ!」
「もうちょい……」
送るスピードを若干早め、ビャッコはひたすらにマニュアルの内容を頭に叩き込んでいく。
「来た!」
「よしっ!」
指を滑らせ、ビャッコはプレイングマニュアルを閉じた。座席から立ち上がりつつすっと息を吸い込み、
「――イントナーレ!」
高らかに開始の合図を宣言する。
途端、ずっと薄暗かったコックピット内が一気に明るくなり、今がまさに目覚めの時だと訴える様な力強い駆動音が響き渡った。
「うおおっ!」
その音に後押しされるように、ビャッコは迫りくる敵機へ突進し、先のお返しとばかりに振りかぶった左拳を相手の頭部に叩き込んだ。交通事故も真っ青な音が聞こえ、わずかな振動だけがコックピット内に伝わって、拳の直撃を受けた敵機は再び吹っ飛ばされながら地面を転がる。
生身のビャッコにはまず無理な動きだが、頭の中で操奏機神を動かす分にはかなりの無茶が利くようだった。おそらくはこれがブレイントレースモードの利点なのだろう。
「うわすごいすごい!」
先ほどまでの様子から一転、下段でぴょんぴょんとホウカが飛び跳ねているのがビャッコの位置から確認出来た。おそらくあの綺麗な闇色の瞳をパッチリ開いてきらきらさせてでもいるのだろう。
そんな様を想像して、彼は少しだけ笑みをこぼした。しかし、すぐにその目を鋭くさせる。
「さて、とはいえこれで終わるはずもなし」
表示された敵機情報を確認すれば、まだまだ相手のライフポイントは残っている。対して先手を取られたビャッコの方はすでに半分を下回っている状態だ。
「あ、また起き上がってきた」
大画面に映し出されるのは、ゆらりと立ち上がる敵機の姿。身に纏う黒い靄はその濃度を増しており、機体のところどころが完全に覆われて見えなくなってしまっていた。
「さて、さっきまで散々やってくれたお返しだ。こっからは俺のターンだぜ」
プレイングデスクに並ぶ七枚のカード。異常をきたした敵機。それらを再度確認して、ビャッコの視線は山札の上に表示された黄色いゲージに移る。
徐々にたまっていくそのゲージがちょうど満タンになり、黄色がオレンジに変化すると同時にアラーム音が鳴った。
「ドロー!」
宣言と同時に、ビャッコは反撃を開始した。