4.襲影
「あーもう最悪! 変なのには追っかけられるし。変なところに迷いこんじゃうし。おまけに変な奴に触られるなんて!」
出会いがしらに他人を押し潰しておきながらそれを謝りもせず、挙句の果てには馬鹿だの変態だのとののしった上で悪態を吐き続ける少女。
事そこに至って、ビャッコはやはり目の前にいるのが自分のアドキャラではない事を確信する。
バグにしてはあまりにおかしい話だし、そもそも疑似人格を乗せていないアドキャラが何かしら異常をきたしたとして、それによって疑似感情に変わる何かを獲得出来るはずがないのだ。
そしてもう一点。彼が彼女を自分のアドキャラではないと考える理由は、その瞳の色だった。彼のアドキャラは初期状態の黒い瞳をしているはずなのだが、この悪態を吐く少女は瞳の色が綺麗な闇色をしている。
夜空の青を思わせる不思議な色合い。それだけでも彼女がビャッコの知る相手ではない事は明白だった。
また、よくよく観察してみれば驚きが勝っていた時はそっくりに見えた容姿も、髪型と服装が同じな上にどことなく似ているというだけで、決して瓜二つというわけではない。
「…………うーん」
しかしながら、それが分かったとしても大きな問題がある事には違いなかった。なにが問題なのかといえば、それは本来この場にいるはずのビャッコのアドキャラの所在だ。
酒場で落ち合えるはずの彼女は、いったいどこに行ってしまったのだろうか。
加えて、目の前にいる少女の服装。彼女の服装が見事なまでに小鳥のコーディネイトしてくれた服装そのままというのも気にかかる。特に胸元の赤いリボンは電子マガジンの懸賞品で、合計で百個程度しか出回っていない貴重なものだと小鳥に聞かされていた。
今日このタイミングで同じ服装に希少なネクタイリボンまで付けた別人に出会える可能性など皆無に等しく、ゆえに彼女の服装はやはりビャッコのアドキャラのものだと考える方が自然なのだ。
「なあ」
「何よ。気安く話しかけないでよねこの変態」
「…………まあいい。勝手に聞かせてもらう。――その服をどこで手に入れた?」
「う……」
すっと目を細めたビャッコの言葉に、がるると今にも噛みつかんばかりの勢いだった謎の少女がギクリと身体を震わせる。明らかに不味いしまったという表情を浮かべて目を泳がせ始め、
「な、なな、な、何の事だかさ、さささっぱり分からないわね」
いっそ笑えるほどの動揺っぷりを示してくれた。彼女が何か知っているであろう事は、火を見るよりも明らかである。
「正直に答えろ。その服を元々来ていた俺のアドキャラは、今どこにいる?」
「し、知らないよ。わたし何にも知らないよ。ここに迷い込んだ時に間違って吸収しちゃったとかソンナコトナイヨ」
「ん? って、はあっ!? おま、吸収ってちょっと待てなんだそりゃおい!?」
ベタな嘘バレかと思いきや、少女の口走った言葉にビャッコは素で絶叫を上げた。
すると、彼の声に驚いた少女は再びビクリと身体を震わせ、
「だ、だってここに来た時にちょうどその子とぶつかっちゃって、あの子あんまり丈夫なデータじゃなかったから思いっきり損傷させちゃって、このままだと消滅しちゃうから一時的に保護しようと思ったらそのままわたしに同化しちゃったんだもん」
いじけたように床にのの字を書き始めてしまう。――かと思ったら、彼女は再びきっとビャッコを睨みつけ、
「って言うか今時疑似人格の入ってないアドキャラなんて見た事も聞いた事もなかったんだからしょうがないでしょ! 芯の無い子を取り込んだらそりゃ吸収しちゃうに決まってるよ!」
ばっと立ち上がるなりつかつか彼に歩み寄ってきて、びしっと指を突きつけながら逆ギレし出した。完全に支離滅裂である。
「こんの、逆ギレしてんじゃねえよ。ってか、あいついなかったらどうやってこのゲーム進行すんだよ」
「知らないわよ。アドキャラをただの道具みたいに扱って、大事にしなかった罰が当たったんでしょ。あの子吸収しちゃったせいであなたに関する事も断片的に知ってるんだからね。名前すら付けてないってどんだけなのよこの変態」
「誰が変態だ誰が! お前、人が下手に出てればずいぶんと偉そうだなおい」
なぜだか分からないが、ビャッコは無性に気が立っていた。それが目の前の謎の少女の態度が気に食わないからなのか、それともずっとほったらかしにしていたとはいえ自分のアドキャラを消された事によるものなのかは分からない。
しかしただ一つ言える事は、どうにも腹の虫が収まらないという事だ。
「そんなに言うなら今すぐ俺のアドキャラ返せ。あと服も返せ。それ借り物なんだよ」
「ばっ、そ、で、出来るわけないでしょ! もうあの子はわたしの一部になっちゃってるんだから、今さら元になんか戻れるわけないじゃない。それにふ、服脱げとかマジで変態発言してんじゃないわよ!」
「だから誰が変態だこのやろ! お前いったいなんなんだよ。誰なんだよ」
まったくもって意味が分からないというのがビャッコの正直な気持ちだ。
話の端々から感じられる事を総合すれば、この謎の少女はビャッコのようにログインをしている人間ではないと思われた。となれば自然と誰かのアドキャラか何かという結論に至るのだが、それにしてはあまりにも表出する感情が激し過ぎる気がする。
今も自然と口論をしているが、はたしてここまでくだらない口論を主人ではない他人とする事が出来るアドキャラなどいるだろうか。
舌戦を飛ばしつつも、別の場所でビャッコがそんな思考を展開していると、
「え? あ……そうか。わたしはあなたの事ちょっと知ってるけど、あなたはわたしの事全然知らないんだよね」
突然しおらしくなってしまった少女が、いじいじと両手の指先で胸元のリボンを弄び始めた。
不意打ちのその仕草にドキリとさせられたビャッコは、
「そ、そんな事当たり前だろ。知ってたらこんなに――あ……」
自分をごまかす目的でそう口走って、はたと気が付く。
そうなのだ。彼は彼女の事など何一つ知らない。分からない。簡単に言えば理解出来ていないのだ。
未知なるものとの対面。そこに生まれる感情。だから彼は知らずに警戒して攻撃的になっていた。知らないものへの潜在的恐怖が、少女の感情に引っ張られて表面化していただけなのだ。
「そうなんだよな。俺は、お前の事何も知らないんだ」
人なのか、そうでないのかすら分かっていない。そして分かっていないなら分かればいい。
そう考えてしまえば、気持ちを落ち着ける事はさほど難しくもない事だった。
自分でも不思議なほどに熱くなっていたビャッコは、急速にその気持ちを冷めさせていく。そうして気持ちを沈めた事で、ようやく心の余裕が戻ってきた。
「なあ」
「……なによ」
少しだけ頬を膨らませてどこか拗ねたような態度だったが、少女は静かにビャッコの呼びかけに答える。
「お前って、何者なんだ?」
「何者って、わたしはわたしだよ。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「……じゃあ、どこから来たんだ? ここってゲームの中で、しかも限られた者しか入れないはずのエリアなんだが」
「そんなの分かんないわよ。気が付いたらここにいたんだから」
情報を得られるかどうかは別として、ひとまず会話には応じてくれるようだった。
相手の気持ちが変わらない内にとビャッコは質問を続けていく。
「お前、名前はあるのか?」
「あるわよ。当然でしょ」
馬鹿にしてるのとでも言いたげな表情をされるが、ビャッコはそんな少女の姿に妙な可愛らしさを覚える。
「そっか。俺はし――ここではビャッコって言うんだ。お前は?」
彼はごくごく自然な笑みをもってそう名乗った。本名を告げなかったのは、ここがゲームの世界の中であり、見てくれが本来の自分ではなかったためである。
少女はそんなビャッコに対し、形の良い眉をピコンと跳ね上げた。
「ビャッコって、もしかして白虎の事? ものすごい安直なネーミングだね。苗字と名前から一文字ずつなんて」
「ほっとけ。ってか、お前は俺の本名を知ってるのか?」
「別に知りたかったわけじゃないけど、あの子のデータの中にあったから。成り行きよ。な・り・ゆ・き」
念を押すように言葉を強調させる少女を見て、ビャッコは彼女が彼のアドキャラを取り込んだとか何とかで記憶が混ざった類の事を口走っていた事を思いだした。もしそれが本当であるのならば、名前を知られていたとしてなんの不思議もない。
やれやれという気持ちを溜息に変えて吐き出し、彼はもう一度目の前の少女を見た。
「それはそれとして、お前の名前はなんていうんだ? こっちだけ知られてるのは不公平だろ」
「なんでわたしがあなたなんかに――と言いたいところだけど、いいわ。教えてあげる。わたしの名前はおおと――」
何かを言いかけた少女はぴたりと言葉を止め、その後で口元に手を当てて何やら難しい顔をし始めた。躊躇っているような悩んでいるような、どっちつかずな感じである。
「おおと、なんだよ」
「……やっぱ本名教えるのはなし」
「はあ?」
「代わりに、わたしもあなたと同じ安直な名前にするわ」
びしっと鼻先に指を突きつけられ、ビャッコは思わず半歩下がった。
「わたしは……そう、ホウカ。鳳凰の鳳に難しい方の華でホウカ。いい名前でしょ?」
突き出した指で少女がすっすと空中に見えない文字を画いていく。
「鳳華。ホウカか。ふーん。なんか放火に聞き間違いそうだな」
「なっ!? せっかく考えたのになんでそういう事言うわけ? あなただって冷奴みたいな発音の癖に」
「ひやや――って、さすがにそりゃないだろ。頭文字が濁音じゃねえぞ」
「ふん。あなたなんか冷奴で十分よ。大体なん――っ!」
突然に少女――鳳華ことホウカがびくっと何かに驚いたように身体を震わせ、ビャッコから視線を外した。外された視線は酒場の出入り口の方へ向けられていて、彼女はそちらに焦点を合わせた途端に両手で口を押えて息を飲む。
その様子があからさまにおかしかったので、ビャッコもまた首を回して出入り口の方へ顔を向け、
「なんだあれ……?」
開け放たれたままの扉の前に存在している謎の直立した影を見つけた。
正直なところ、それを影と呼称していいのかどうかに関してはビャッコとしても甚だ疑問の余地が残るが、かといってその光が当たってもなお黒いのっぺりした謎の人型を他になんと呼べるだろうか。
ただ一つ分かるのは、それがゲームに登場するキャラクターではないだろうという事くらいだ。ホウカも大概だが、その影はいろんな意味で別格だった。
「撒いたと思ったのに、まだ追ってくるなんて……」
「追ってくる? そういやお前、さっきも変な奴に追っかけられたとか何とか言ってたよな?」
まともに聞こうとしていた言葉ではなかったが、ビャッコの脳は彼女がぶつぶつと口走っていた言葉を聞こえた限りにおいて一言一句違わずに記憶している。その中に目の前にいる存在を示しているであろう言葉があった。
「記憶力良いんだね。……そうだよ。もう三日くらい逃げ回ってる。でもどこに隠れても追っかけて来て、さっきも慌ててここに逃げ込んだから……その、あなたのアドキャラを――」
「それに関しては後でいい。今知りたいのはあれが危険なものかどうかだ。いや、十中八九危険なんだろうとは思うけどな」
ビャッコは自然な動作でホウカを自分の背後に隠す。先ほどから幾度もゲームマスターコールを試しているが、相変わらずなんの反応もなかった。
いまだ継続中である一連のバグの原因は、十中八九ここにそろった二体のイレギュラーだ。
ともにゲーム外からの侵入者。運営がそれを把握しているのかいないのか不明だが、何の干渉もない事を考えればまだ把握されていないと思われる。
おそらく酒場に閉じ込められたのはホウカがビャッコのアドキャラを――本人曰く――吸収してしまったため、進行フラグが折れていたせいだ。それはフラグトリガーであるアドキャラの要素を内包した彼女がこの場に現れたタイミングで閉じ込めが解除された事から見て間違いない。
となれば、その他の不具合の原因はあの影にあると考えるのが自然だろう。どうやってそうしているのかは分からないが、その目的ははっきりしている。それを外部から邪魔されないための措置というわけだ。
「わたしにだって分からないよ。ただ、あいつは触れたものを飲み込む性質を持ってるみたい。逃げ回ってる時に通りすがりのアドキャラが何人か取り込まれちゃってたから、たぶんわたしもつかまったら……」
「おいおい。最近のアドキャラの行方不明事件ってもしかしてこいつのせいなのか?」
とんでもないところで犯人が割れたものである。ここは何としても逃走を図りたいところであったが、面倒な事に外へ出るためには影が陣取っている出入り口以外に道がない。
それを分かっているのかどうか不明だが、影は先ほどからその場所から移動する気配がなかった。この状態では先に我慢出来なくなった方が負ける事になるだろう。そうビャッコは思っていたのだが――
「っておいちょっと待て」
「あ……」
突然微動だにしていなかった影がうねうね動き出したかと思うと、その身体が縦に真っ二つに分かれ、別れた場所からもこもこと元通り身体の半分が生え始めたのだ。まさかの分裂である。
「どうしよう。出入り口を塞がれたまま追い回されたらすぐに捕まっちゃうよ」
よほど驚いたのか、ホウカがビャッコの服の裾を引っ張ってきた。
「くそっ。何か手はないか」
分裂はすでに腰の辺りにまで達している。その速度から見て、猶予は後十秒もないだろう。
ビャッコは思考をフル回転で展開し、様々な可能性を検証していく。
触れたものを取り込むという性質からして、近づくのはアウトだ。足が遅ければなんとか出来るかもしれないが、さすがにそれは楽観的に過ぎる。
遠くから攻めるにしてもこの場には武器になりそうなものが何もない。椅子や机の類は安全性の観点から持ち上げる事が出来ず、引きずれる範囲も決まっているのだ。当然料理の皿なども同様で、これらの物を投げつける事は出来ない。
とにかく逃げ続けるという手もあるが、相手が分裂で増えると判明した以上、二体でも捕まえるのが困難と相手に判断された場合はさらに分裂されてしまう可能性もある。
最終手段は危険を覚悟のログアウトだが――
「どうしよう……どうしよう……」
先ほどまでの強気な姿勢が完全に引っ込み、裾を掴む手が震えてしまっているホウカを見捨てる気にはなれない。アドキャラと同じくこちらの世界が現実であろう彼女は、ビャッコのようにログアウトは出来ないのだ。
明らかな怯えを見せる彼女の横顔に、彼はなぜか自分のアドキャラの面影を見た。その瞬間、すぽんと忘れていた事実を思い出す。
「もしかしたら――」
ビャッコは急いでベストの胸ポケットを漁った。そこから取り出されるのは一枚の銅縁カード。操奏機神のイラストが描かれたユニットカードである。
ヴェロニカの説明では、酒場で歌奏姫との遭遇イベント発生後に操奏機神に乗り込んで戦闘チュートリアルへ移行する予定となっているはずで、ずいぶんと変則的だがビャッコはホウカと出会う事で遭遇イベントを発生させたと考えられるはずだった。
つまりは――
「おい」
「え? な、なに?」
肩越しに背後のホウカを確認し、ビャッコは彼女にぶつからないように斜め後方へ一歩下がる。そうしてその隣に並び、
「ちょっと触るぞ」
「え? わっ! ひゃっ!」
ホウカの返事を待たずにビャッコは素早く相手の腰に左腕を回して強く抱き寄せた。別に邪な気持はない。しかしイレギュラーな状況ではあるので、万に一つの漏れがないようにするためだ。
しかしながら抱き寄せられたホウカには彼の考えなど分からない。当然にして驚きの声を上げる彼女は、顔を真っ赤にしながらもぐいぐいと手でビャッコの身体を押して離れようとする。
「ちょ、ちょ、ちょっといきなり何を――」
「いいから少し黙ってろ。これが成功しなかったらどうなるかわかったもんじゃないんだからな」
ビャッコは暴れるホウカの眼前に先ほど取り出したユニットカードを突きつけた。
意識がカードに集中した彼女の動きが止まり、ちょうどその時になって分裂が完了した影の一体がのそのそと近づいてくる。
「俺も初めてだからどうなるか分からないけど、とりあえずしっかり掴まってろよな」
「ちょ、初めてってあなた何い――」
「じゃあ行くぜ!」
ホウカの言葉を遮る形で吼え、ビャッコは右手に持ったユニットカードを高々と天に掲げた。
まさにそのタイミングで近づいてきた影が床から跳ね、大口を開けるように空中に広がって二人をまとめて飲み込もうとしたが――
「――機神召喚(コンヴォカーレ・マッキナ)!」
一瞬早くビャッコの宣言が終了し、直後にユニットカードから放たれたまばゆい光が襲い来る影を弾き返して世界の全てを埋め尽くす。
「きゃあっ!」
耳元にホウカの短い悲鳴が届いた瞬間、ビャッコはほんの一瞬の浮遊感を感じた。床の感覚が消失し、それによってぐらりとバランスを崩した直後に足裏の感覚が戻るが、踏ん張りきれずにものの見事にすっ転ぶ。
「ててて……。ってかなんか重……い?」
扉にぶっ飛ばされた時のように身体を強打する事はなかったが、再びどさりと覆いかぶさってきていたものをどけようと手で触れた時、ビャッコはそれがホウカであり、自分が触れているのが彼女の胸元だという事実に気が付いた。
相手の温もりが手に伝わり、すべすべした手触りのネクタイリボンが指の間をくすぐっている。
「あ……」
「れ?」
触れる手に伝わる感触。大きなリボンに隠れていたせいで見た目には分からなかったが、それは悲しいくらいにメリハリのないぺったんこであった。
なまじ妹のメリハリのあるそれを見慣れているせいか、ビャッコは探究心から思わずにぎにぎと本当にそれが存在していないのかを確かめてしまった。
「な、な、な、な……」
その行動にホウカが顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせ、しかしすぐに涙目になってビャッコを睨む。
対して自分の確認してしまったものが紛れもない事実だという事に衝撃を覚えた彼は、
「……本当に、ないな」
いっそ見事なほどに驚愕の気持ちを込めて口を滑らせた。
「っ! 馬鹿ーっ!!」
「ぐおっ!」
マウントポジションからの打ち下ろしが顔面に直撃し、ビャッコは本日二度目の鼻奥の鈍痛を味わった。