3.遭遇
仮想世界。バーチャルリアリティ。世界にその技術が確立されてからすでに半世紀を超え、人間の五感や記憶を含めて全てをデジタル化する技術は日に日に進化を続けている。
今やありとあらゆる分野においてバーチャルリアリティ技術の及ばない物はない。事に娯楽関係は生身では様々な要因から不可能な事も体験出来る場として、老若男女を問わず高い支持率を獲得していた。
そんな娯楽の最先端。各企業のバーチャルリアリティ技術の粋を集めたのがゲームランドだ。
そこには様々な企業の最新バーチャルリアリティアトラクションが存在し、日々多くのゲーマーたちで賑わっている。
今回虎之助が参加する『機奏戦記アルヴァテラ』は、イタリアの企業Colosso|Cibernetico社――通称CC社の日本支社が一年前に本リリースした物で、ゲームランドに専用のスペースを設けて展開宣伝されている新商品であるという事だった。
「っつーわけで、ここがCCG社のブースってわけだな」
「見てくれはどこかの遊牧民族の家みたいだな」
案内されてようやく辿り着いた場所は、白い布がつりさげられた天幕だった。それと分かる場所に『Colosso Cibernetico Giappone』という看板が下げられている。
「中は別の領域とつながっているから、外に比べるとずっと広いのよ」
上から下へと視線を動かして天幕を確認する虎之助に、ナタリアがそんな補足説明を入れてきた。慎一郎とともに何度も足を運んでいる彼女が言う事なのだからその通りなのだろう。
さっさと中に入ろうぜと言う慎一郎に促され、虎之助は先に天幕の向こうへ消えた彼とナタリアに続こうとして、ふと何かに呼ばれたような気がして背後を振り返った。
するとそこには先ほど慎一郎とナタリアの目を丸くさせた虎之助のアドキャラが希薄な存在感のまま追従しており、突然振り返った彼に『何か御用ですか?』という視線を向けている。
その視線に虎之助は首を振って何でもないと答え、気のせいかと内心で首を傾げながら天幕の中へ足を踏み入れた。
「……なるほど」
布をめくって潜った先は、さながら宇宙空間のような光と闇の世界だった。上下左右を問わず天の川のようなものが縦横無尽に走りつつ、その他の場所は吸い込まれそうな闇を内包している。
一見してどれだけの広さを持つものなのか分かり難いが、この場所が外から眺めていた天幕の比ではない事は良く分かった。
「おー。やっぱキャンペーン中は無駄に人が多いな」
「普段の二.六倍くらいかしらね」
通い慣れているであろう二人は当然にして環境の変化には特に反応を示さず、ただ周囲に数多く存在する別の人々を眺めての感想を漏らしていた。
虎之助も再度ぐるりと周りを確認してみるが、確かにかなりの人数がたむろしている。そこかしこで物珍しそうに周囲をきょろきょろしている人がいるところを見るに、あれらも自分と同じ既存プレイヤーの招待を受けた者たちなのだろうと彼は推測した。
「ま、それはともかくとっとと行くか。おーいビャッコ。受付にキャンペーン参加申請とお前のプレイヤー登録に行くからついて来い」
「ん? ああ、分かった」
慎一郎に呼ばれ、虎之助はてくてくと友人の背中を追う。自然と、彼は自分の気分が高揚しているのが分かった。
◆
登録を済ませ、キャラクターネーム『ビャッコ』となった虎之助は、キャンペーン特典の特別カードパック(一枚入り)を受け取った後で慎一郎と別れ、諸々の説明や追加登録を済ませた後で一人チュートリアルエリアへ至っていた。
「ふむ」
その場所はどこかの街の小さな広場だった。石畳みの道路に石造りの家々。見た感じは欧米の田舎町といったところだろうか。
そこかしこにファンタジックな衣装を着た人々の歩いている姿が見えるが、その誰もが頭上に青い文字を浮かべている。
説明ではチュートリアルエリアには自分と『歌奏姫(ディーヴァ)』と呼ばれるサポートキャラに扮した自分のアドキャラ以外は外部からの存在がいないという事なので、彼らはいわゆるノンプレイヤーキャラと呼ばれるゲーム側の用意したモブキャラなのだろう。
少し観察していれば、一定の周期でずっと同じ行為ばかり繰り返している事がすぐに分かる。
「とりあえず酒場……だよな」
説明された事を思いだし、虎之助――ビャッコはひとまず歩き始めた。
今現在、彼の容姿はゲームのために作成したアバターの姿となっており、現実とは似ても似つかない姿となっている。
白と黒の虎縞のような髪の毛。眼鏡をかけていない、空の青を映すスカイブルーの瞳。頬には黒墨で野性的な爪痕のような刺青を入れてあり、肌の色も若干本来の物よりも白くしてあった。
機奏戦記アルヴァテラの世界観には設定上で獣人族の概念もあり、キャラクターエディットではそれらのパーツ選択も出来るようになっていたのだが、さすがにそれは自重していた。
説明を行ってくれたチュートリアル担当のゲームマスターから、もともとの身体に存在しない器官を付けると慣れるのがかなり難しいと聞かされたのが止めた要因である。
服装は初期選択可能なものの内、黒のアンダーの上に明るめの青いハンティングベストを羽織、ズボンはカーキ色のカーゴパンツをはいている。足元の靴は丈夫そうな皮のブーツを選択した。
見た目的には実物のそれらに比べると多分にファンタジックなデザインに変化しているが、着心地は悪くない。
このゲームの世界観としては操奏機神関係以外の機械工学があまり発達していない世界であり、またプレイヤーはあらゆる世界から異世界『アルヴァテラ』へ召喚された者という扱いらしく、やや現実的な服装からもろにファンタジーな服装まで何でもありというフリーアバターシステムを採用している。
初期選択出来る装備以外の物は、ゲーム内通貨で購入するかリアルマネーで特殊なゲームポイントを購入する事で手に入れる事が出来るらしい。
つまるところ、このゲームはあくまでロボット対戦とカードゲームを楽しむものであって、世界観を堪能しつつ各地を冒険する事が主目的のゲームとは異なるという事だろう。
「しかし、最近のゲームは作り込みは半端ないんだな。石とか土の質感まであるってのはなんともはや」
ビャッコにとっては実質的にこれが初めてのバーチャルリアリティゲームになるため、いろんな事が新鮮だった。
彼は道すがら適当なモブキャラに話しかけ、ゲームにありがちな説明調の言葉を耳にする。
大概が専門用語の説明だったり、カードの種類や簡単な効果、世界観説明や街にある施設とその利用法など基礎知識に関する事ばかりだ。
ふと、ビャッコは歩きながらベストの左の胸ポケットに手を入れ、中から一枚のカードを取り出す。やや分厚めのそれは銅色の縁取りのされたカードで、表一面には西洋の丸みを帯びた鎧甲冑を着込んだ戦士のようなロボットが描かれていた。名称欄には『パラディーノ・アルミジェロ』という機体の名前が印字されている。
「これ、本当に叫ばないといけないのか……?」
事前に受けた説明によれば、チュートリアルエリアではまず酒場に行く事で現在離れ離れになっているアドキャラ、つまり歌奏姫と遭遇するイベントが発生し、その流れでロボットを召喚して戦闘訓練に移行するというイベントが組まれているという事だった。
ちなみに、その際にはこの機体の描かれた『ユニットカード』を天に掲げ、とある決まり文句を唱えなければならない設定となっているらしい。
説明をしてくれたゲームマスター曰く、『ゲームですから』という事であった。
「……ふむ」
次にビャッコは右の胸ポケットからユニットカードとは別のカードを取り出した。こちらは普通の厚さのカードで、大まかに上下二つの枠に分かれている。上にイラスト、下に説明文といった感じだ。
描かれているのは光り輝くロボットのイラストで、カード名称には『昇格(プロモヴィメント)』とあった。どうやらユニットカードを一段階上の機体に昇格させる事が出来るカードであるらしい。
慎一郎曰く、消耗品だが序盤で手に入っているに越した事はないカードという事だった。
そんなこんなで説明された事を思い出しながら街の中を散策して行き、ビャッコは手近にいるノンプレイヤーキャラクターに話しかけた。
「酒場の場所? 酒場ならすぐそこの建物だよ」
中年の男性モブキャラが丁寧に指で示してくれた建物は、確かにビールジョッキに並々と琥珀色の液体が注がれた看板を下げている建物だった。赤い文字で『PUB』と書いてある以上は間違いはないだろう。
「さてさてどういったイベントが起こるのかね」
事前説明を聞く限りではあまり期待は出来ないだろうと思いつつ、ビャッコは扉を開けて建物の中に入った――途端、言葉で言い表せない感覚が全身を貫き、足の力が抜けてよろめいた。
「っと……」
しかしすぐに力を込め直して踏ん張り、転倒を避ける事に成功した。やれやれと軽く息を吐き出し、いったい何が起こったんだと首を傾げながらも顔を上げて酒場内を一望して、彼は思わず目を瞬かせてしまった。
「……はい?」
建物の中はがらんとしていて無人だった。手を離した事で自動的に背後で閉まった扉の音が、やけに大きく聞こえてくる。
「……うん?」
再度首を傾げつつぐるりと見回してみても、酒場の主人も客も誰一人としておらず、しかしテーブルやカウンターの上には料理の盛られた皿や飲み物の入ったグラスが置かれていた。
何とも奇妙な状況である。
「おいおい……」
加えて、酒場に行けば起こるはずのイベントが起こる気配も全くない。
さっきの感覚といいこれは何かがおかしいぞと考え、ビャッコは踵を返してひとまず酒場の外へ出ようと扉に手をかけた。しかし――
「っと。お? なんで開かないんだこれ?」
今さっき押し開いたはずの扉が、まるで固定されてしまったかのようにびくともしない。押しても引いても、全く動かなかった。
「バグか?」
真っ先に思い至るのはそれだが、果たして不確定要素が限りなく少ないチュートリアルエリアでバグ等起きる物だろうかとも思う。
しかし現実に何か起きている事は間違いないので、ビャッコはがりがりと頭をかきつつも緊急コマンドでゲームマスターコールを選択。外部との連絡を試みた。
「…………ん? 今の反応してないよな」
ゲームマスターコールを行うと電話の呼び出し音のようなものが鳴るはずなのだが、なぜかそれが一向に聞こえてこない。
ビャッコは首を傾げつつも再度手順を確認してコールをするが、やはり信号が発せられている様子がなかった。
「………………」
その後も二度三度とコールに失敗し、現状があきらかな異常事態と認識しながらも、彼はさほど取り乱す事もなく状況分析を開始する事にした。
酒場の中には料理やコップが残されており、おそらくはその位置にモブキャラが存在していたのだろうと推測出来る。だが、今はそのモブキャラが全員いなくなっていた。
そして壁と一体化して固定されてしまったかのごとく開く気配のない扉。端的に言って、閉じ込められている状態である。
ではそれらの原因が何かと考えれば――
「ここに入った時のあの感覚だよな」
言葉では表せないような謎の感覚。それでも強いて言葉にするのであれば、自分の中で何かがぷつりと切れた直後、それがまた結び直されたような感じだろうか。
それを意識すると、前と後で何も変わっていないようで決定的に何かが変わってしまったような座りの悪さがある。
「……ってな事が分かっても、現状なにも変わらないんだよな」
盛大なため息を吐き出し、ビャッコは手近の椅子に腰かけた。何とも早々に手詰まり感が全開である。
いや、最終的にはログアウトしてみるのも手なのだろうが、このおかしな状況でログアウトを試していいものかが問題だった。明らかにバグエリアに閉じ込められている状態なのだから、すんなり安全にログアウト出来るという楽観は持たない方が賢明である。
幸いにして致命的な問題が本体に生じているわけでもないので、ビャッコはしばらくその場で待機してみる事にした。むろん、ゲームマスターコールは定期的に行い続ける。
そうしてしばらく時が過ぎ、いつになればこの異常に誰かが気付いてくれるだろうかとやや憂鬱になりかけた、まさにその時だった。
「お?」
突然出入り口のドアが向こう側から激しく叩かれ始め、酒場の中に大きな音を響かせ始めたのだ。
ようやく助けが来たのかとビャッコは椅子から腰を上げ、てくてくと扉の方へ近づいていく。
激しい音はするものの相変わらず扉はピクリともしていなかったのだが、ビャッコは向こうとこちらとで同時に力を込めればもしかするかもしれないと考え、ひょいと軽い気持ちで扉のノブに手をかけた――直後だった。
「ぶっ!!」
それまで全く微動だにしなかった扉がいきなり内側に開き、もろに顔面を強打したビャッコは眼鏡をしていなくてよかったなと他人事のように考えながら後方に吹っ飛ばされる。
次いで扉を叩いていたとみられる誰かが勢い余って酒場の中に飛び込んできて、
「きゃっ!」
見事にバランスを崩して床に倒れ込んだ。しかしその倒れ込んだ先には扉に吹っ飛ばされたビャッコがいて、何者かはものの見事に彼を下敷きにする。
「がふっ!」
左胸に頭突きに強打を食らい、ビャッコは肺から全ての空気を吐き出した。リアルさを追求する仮想世界においては、日常生活での感覚差による事故対策のため、ある程度は軽減されるものの痛みもしっかり感じるようになっている。
そのため、ビャッコは強打した顔面や頭突きで押し潰された胸に結構なダメージを負っていた。しかしそれでもどうにか自分にのしかかっている相手をどかそうと密着している身体の隙間に手を差し込み、ぐいと押しのけようとしたのだが――
「きゃあっ!」
甲高い少女のような悲鳴が耳を叩き、のしかかってきていた何者かがものすごい勢いで離れて行く。
完全に自由の身になったビャッコは痛む鼻先をさすりながらむくりと身体を起こし、ようやく酒場に飛び込んできた人物をその目にする事が出来た。
セミロングの漆黒の髪をミニポニーテールにまとめ、腕に隠されたどこぞのセーラー服の胸元には良く映えている特徴的で大きな赤いネクタイリボンが見えた。程よい長さのスカートから覗く足は黒タイツに覆われ、ぺたんと床に座り込んでいるために妙に艶めかしい。
そこにいるのはどう見てもビャッコのアドキャラのはずなのだが、不思議な事に彼女は顔を真っ赤にして両手で胸元を隠し、瞳に涙まで浮かべながらとても非難に満ちた目で彼の事を睨んできていた。
閉じ込められるという異常事態が解決したと思ったら、次は自分のアドキャラに異常事態が生じてしまっている。
いやそれ以前に、あれは本当に自分の名無しのアドキャラなのだろうかとビャッコは思った。なにしろ見るからに感情が爆発寸前の様子なのだ。
疑似人格を搭載していないアドキャラは、ただ機械的に反応するだけの存在のはずである。決してぽろぽろと大粒の涙をこぼしながら口をへの字に曲げてうーうー言う事などありはしない。
「……はい?」
まるで理解が追いつかず、思考もまとまらないビャッコは思いっきり首を傾げた。
それが引き金になったのかどうかは分からないが、低く唸っていた謎の少女はへの字にしていた口を大きく開け、
「いきなり何すんのよ! エッチ! 馬鹿! 変態!」
開口一番。いきなり三言セットの罵倒をビャッコに浴びせかけた。