4.赤蛮
「なるほどね。確かに小鳥ちゃんもこのゲームをプレイしているのなら、何かの拍子にホウカちゃんの存在に気が付いたとしてもおかしくはないかな。まあその場合、同じ白の陣営に属している事になるんだろうけど」
テーブルに置かれた琥珀色の液体で満たされたグラスに口をつけ、オディットが小さく息を吐き出す。
あれから部屋に戻ったビャッコは、妹と入れ替わりにカラスの行水で風呂を済ませた後、オディットと連絡を取ってアルヴァテラにログインしていた。
例によって噴水前でも良かったのだが、どうせならと彼に誘われ、街の中に数件ある飲食店へと場所を移している。
「十中八九それで間違いないとは思うが、問題は誰が小鳥なのか全く分からないって事だ」
何のゲームかを突き止めはしたものの、外見がまるで変化しているこの場所で人探しなど不可能に近い。加えて歌奏姫の見た目も変更出来るとなれば、そこからの線で見つけるのも困難な可能性がある。
せめてプレイヤーネームが分かっていればよかったのだが、ないものねだりでしかなかった。
「広場の連絡掲示板には書き込んだのかい?」
「お前を待っている間に書き込んでおいた。向こうは俺の事に気が付いてるみたいだからな。具体的な事を書かなくても見れば分かるはずだ」
そこまで言って、虎之助も自分の前に置いてあるグラスを手に取った。口を付けると柑橘系の甘酸っぱい味が口の中に広がる。
「ねえ虎之助君。小鳥ちゃんが普段どういう名前でゲームをしていたのか聞いた事とかはないのかしら?」
ふと、何かを思いついたようにナタリアがそんな事を言ってくる。
しかし残念な事に、小鳥がゲームをやっている事自体は把握していても、どんなゲームをやっていたのかすら知らなかったビャッコには、彼女の登録ネームなど分かるはずもない。
ナタリアの質問に、彼は黙って首を振るしかなかった。
「そう。困ったわね」
片手を頬に当て、ナタリアがほうと憂いのため息を吐き出した。
ちょうどそんなタイミングで、
「あっちだ! 回り込め!」
店の外から騒々しい声が聞こえてきた。それに続いて、周囲の客がざわざわひそひそとし始める。
「またバルバロのグループが何かやってるみたいだね」
「飽きない連中だよな。あの子大丈夫なのか? しばらくゲームにログインしなけりゃいいと思うんだが」
アルヴァテラは所詮ゲームだ。楽しむ事が出来ずに追いかけ回される状況など、もはやゲームとは言えない。
「ねーねー。もしかして妹さんの問題ってこの事だったりしないよね?」
「ん?」
不意に、それまでちうちうと大人しくストローでカルピスソーダを飲んでいたホウカが口を開いた。それはなんとなく思いついた事を適当に言ってみたという感じで、
「いや、さすがにそれは――」
だからこそ虎之助は軽い気持ちでそれを否定しようとした。しかし彼の言葉は、
「ちょっと待ったビャッコ。今のホウカちゃんが言った事、大当たりかもしれないよ」
「は?」
目を見開きながらやや焦ったような声を出すオディットに、虎之助は間の抜けた声を出した。なにがどうなってホウカの発言を大当たりとするのかがまるで分らなかったためである。
しかしそんなビャッコの様子を無視して、オディットはやや早口にまくしたて始める。
「ルシーニュってフランス語で『白鳥』って意味があるんだよ。君が『白』河『虎』之助で『ビャッコ』にしたように、小鳥ちゃんも『白』河小『鳥』で『ルシーニュ』という名前にしている可能性はあると思うんだ」
「ふむ……」
さすがに兄妹そろってそんな安直なと考えた虎之助だったが、逆に兄妹だからこそあり得るかもしれないとすぐに思い直す。
「あらあら。そういえば、あの子の歌奏姫は金髪のおかっぱだったわね。確か天鈴ちゃんもそうじゃなかったかしら?」
「………………」
続けられたナタリアの言葉で、虎之助はつい最近ルシーニュと出くわした時の事を思い出した。確かに彼女の歌奏姫は金髪のおかっぱで、なりも小学生程度とばっちりあてはまっている。
加えて、あの時ビャッコに気が付いた時の二人の明らかにおかしな反応。いよいよもって怪しさが増してきている感じだ。
「おいおいおい……」
仮にそうだとした場合、先ほどから外を騒がせている連中は人様の妹を追っかけ回しているとんでもない連中であるという事になる。
「あ、ねえビャッコ。外でどこかに追い詰めたとか何とか言ってない?」
「っ!」
ホウカの言葉を受けて、雷に打たれたように立ち上がったビャッコは全神経を耳に集中させて、
「おい。東区画で袋小路に追い詰めたって連絡が回って来たぞ」
「ボスには連絡したのか?」
「もうとっくに行ってるだろうよ。俺たちも見物に行こうぜ。あの勝気な女の泣きが見れるのかと思うと楽しみだぜ」
不穏極まりない外の声を拾う。
「あんのくそ野郎ども……!」
ギリと奥歯を噛みしめ、ビャッコは怒りで全身の毛が逆立つ感覚を味わった。思わず拳をテーブルに叩きつけ、その場に三人以外にも周囲の視線が一気に集まるが、そんな些細な事は毛筋ほども気にならない。
「オディット。俺らも急いで東区画に向かぞ」
「おっけー。付き合うよ」
「……びっくりした」
「あらあら。でも、確かに急いだ方がいいわね」
約一名だけストローを加えてきょとんとしていたが、ビャッコは全員の顔を見回し、
「行くぞ」
短くそれだけを言って、真っ先に店を飛び出した。
◆
目的の場所はすぐに見つかった。なにしろ東区画に向かうだけで続々と赤スカーフの連中がどこかへ向かって走って行く様を目撃出来るのだ。
連中の後を追い、二十人以上のプレイヤーと歌奏姫が集結している場所へ辿り着くのにそう時間はかからなかった。
「……いた!」
人垣の向こう。三方を壁に囲まれた路地の奥に銀髪の黒縁アンダーリム少女と、バイザーを付けた金髪おかっぱの歌奏姫の姿がある。
彼女たちと相対しているのは燃え上がる炎のような髪型の赤髪皮ジャンの男と、そばに控える黒髪ボブカットの歌奏姫だ。
「うわ。バルバロのグループってこんなにいたんだ」
「あらあら。結構な人数ね」
「うー。これに追っかけられるとか絶対に嫌だ」
オディット、ナタリア、そしてホウカが目の前の集団を確認してそれぞれに感想を漏らしている。ビャッコとしてもこれだけの人数に連日追っかけ回されるなど御免被るというものだ。
だがしかし、そんな連中に妹が連日追っかけ回された結果が最近の変調だとするのなら、兄として黙っている事など出来るはずがない。
「でもビャッコ。これどうするんだい? ちょっと人数多過ぎだとおも――」
「関係ないな。どうせここでは暴力行為は出来ないんだ。とにかく突破してあいつを助ける」
「え? あ、ちょっとビャッコ!」
オディットの静止を無視し、その後に続いたホウカとナタリアの声も振り切って、ビャッコは集団の最後列にいるプレイヤーの肩を掴んで強引に横へどかした。
「うおっ!?」
「あん? なん――っと」
「なんだよ今いいとこ、おお?」
一人二人とどんどんどかして行き、周囲の連中がいきなりの出来事に反応出来ずにいる内にビャッコは静かかつ迅速に人垣をかき分けて突き進む。
「おいなんだあいつ」
「グループのメンバーじゃないぞ」
「誰か掴まえろ」
ようやく集団からそんな声が漏れ始めたころには、ビャッコは完全に路地を塞いでいた集団を突破しきっていた。
普段の彼ならこうも簡単に人を押しのけられるのか微妙なものだが、いわゆる火事場の馬鹿力状態なのかもしれない。全身を駆け巡る怒りの感情を、彼はひしひしとその身に感じていた。
「あん?」
背後での騒ぎに気が付いたのか、バルバロが煩そうに振り返ってくる。しかしビャッコはそんな彼の横を当然のように素通りし、追いつめられているルシーニュの方へと歩いていく。
「なっ!? おいてめえ。なに勝手に――」
いいところを邪魔された上に素通りされた事で気分を害したと見えるバルバロが手を伸ばしてビャッコの肩を掴んできたが、
「邪魔すんなよ……このくそ野郎」
「っ!」
底冷えした声とともに、今ならそれだけで人を殺せるのではないかというほどに怒りで満ち溢れた視線を向け、相手が一瞬怯んだ隙にその手の範囲外へ移動する。
そうして再び、ビャッコは唖然としている銀髪の少女――ルシーニュへと近づいて行った。
「おに――」
彼女は驚愕の表情で何かを言いかけて、しかしはっと我に返ったかと思うと、
「あ、貴方いったい何をしに来たの? というか、なんでこんなところに来ちゃってるわけ?」
ふんと顔をそらしながら、やや震えたような声でそんな事を言って来た。いや、その身体は確かに小刻みに震えている。
ビャッコはそれが恐怖によるものだと認識し、胸の内に新たな怒りを量産した。しかし表面上はその怒りを表さず、ただ穏やかな表情で目の前の少女を見る。
ツンとそらされた顔。恥かしさと嬉しさと、そしてばつの悪さが同居しているような表情。
それを見て、ビャッコは目の前にいるのがやはり自分の妹なのだと確信する。彼は一応チラリとそばにいる歌奏姫に視線を向け、向けられた彼女がコクリと頷いたのを確認してから、
「あ……」
何も言わずにルシーニュの小柄な体を抱き寄せた。頭と腰をがっちりとホールドして逃げられないようにし、相手の耳を自分の心臓に当ててやる。
抵抗されるかもしれないと思っていたが、存外素直にルシーニュはビャッコに抱きしめられていた。かすかな震えが抱く腕に伝わり、ビャッコは己の不覚さにさらなる怒りが蓄えられていく。
「もう、大丈夫だ。……小鳥」
「っ!」
耳元でささやいてやると、ルシーニュの身体がびくりと大きく震えて固まったが、すぐにその固まりは解け、彼女の方からもビャッコにすり寄ってくる。
「悪かった。あの時にちゃんと話を聞いてやればよかったんだ。そうすればもっと早くお前を助けてやれたかもしれないのに」
ぎゅっと、ルシーニュがビャッコの服を強く掴んだ。彼はホールドしていた手を緩め、代わりに胸元に寄せられた彼女の頭を優しく撫でてやる。
「なんにせよもう大丈夫だ。辛い思いをさせて悪かったよ。でも、お前もこれをやっているのなら教えてくれればよかったのにな」
「っ……それ、は……」
「ああいや、これは意地悪だったな。お前はせっかくゲームを始めた俺に迷惑がかからないように、一人で二週間以上も頑張ったんだもんな。ほめこそすれ、非難する資格は俺にはない」
瞳に涙を浮かべて見上げてくる顔に、ビャッコは自嘲気味な笑みを浮かべて首を振った。
頬を撫でてやりながら、こぼれそうな滴を指で拭ってやる。
おそらく、バルバロの嫌がらせはビャッコが彼女を始めて目撃した日からずっと続いていたのだろう。それがあの時にとうとう耐え切れなくなって相談に来た。
しかしその相談を受けてやらなかったために、彼女は再び孤独な戦いを強いられたのだ。まだ中学二年生の妹が、自分のためにそこまでしてくれていた。それに報いずして何が兄であろうか。
「お、おいお前! なにいきなりしゃしゃり出て来てどこかの三流映画みたいなラブシーン演じてやがんだ。関係ねえ奴はすっこんでろ!」
ビャッコの背後から空気を読めないバルバロのそんな声がかかる。このまま無視するのも一つの手ではあったが、そろそろビャッコとしてもこの場にいるくそったれな連中に一言言ってやらなければ気が済まない。
彼はルシーニュの頭をぽんぽんと軽く撫でてやり、そっと自分の身から離してやった。
「お、おにい……」
すでに彼女の方でも隠す気は失せているのか、ルシーニュがごく普通にいつも通りの呼び方をしてくる。
それに対してビャッコは優しい笑みを作ってやり、
「まあ、ここは俺に任せとけって。幸いここはゲームの世界だしな。ちょっと情けないが、腕っぷしでどうこう出来る世界じゃないから大丈夫だよ」
もう一度手を伸ばして彼女の髪をくしゃくしゃと乱暴にかき回してやった。
「虎兄様」
「ん。天鈴もよく頑張ったな。それに、小鳥を守ってくれてありがとな」
ビャッコの礼の言葉に、しかし天鈴はぶんぶんと首を振る。
「いいえなのです。姉さまを救ったのは兄様なのです」
「まだ救えてないけどな。けど、ご期待通りに今から救ってみせるさ」
表情から笑みを消し、再び怒気の仮面を張り付かせたビャッコは背後へ振り返った。
「ああん?」
バルバロがどこぞのチンピラの様にガンを飛ばしてきた。演技なのか素なのか分からないが、古典映画に出てくるチンピラか何かのような威嚇である。
現実世界であれば多少は恐怖の対象になるかもしれないが、仮想世界では完全に滑稽にしか映らなかった。しかしビャッコはそんな事にも表情を崩す事無く、相手と対してルシーニュから自分の表情が見えなくなった事でそれまで抑えていた怒りを目から垂れ流し始めた。
「おいお前。他人様の妹によくもまあ好き勝手な事してくれたじゃないか」
「あ? 妹だと?」
ピクリとバルバロが片眉を跳ね上げた。彼はじろじろとビャッコの足の先から頭のてっぺんまでを見回して、いきなり歯をむき出しする嫌な笑みを浮かべる。
「なんだよ。ロールな騎士様でも登場かと思ったら、マジもんでリアル兄貴のご登場ってか? おいおい、そんな話聞いた事ないぜ?」
冗談きついぜとでも言うように、バルバロが大げさに肩をすくめた。その動きに合わせて、背後の連中からも笑いが起きる。
しかしその程度の挑発にもなっていない挑発など、今のビャッコにはそよ風ほどの効果もない。
「お前らが知らないからどうだっていうんだ? 世の中にはお前らごときが知らない事なんてごまんとあるだろうさ。自分が知らないからあり得ないなんて考えが通用するのは、せいぜい小学生までだぞ?」
「なっ……」
ビャッコの完全に相手を見下した発言を受けて、まさかそんな事を言われるとは思っていなかったであろうバルバロが絶句する。
しかしそれはほんのわずかの間だけで、彼はビャッコ同様にその目に仄暗い怒りを宿し始めた。
「……ざけた事言ってくれんじゃねえか。ここがゲームの世界だからって調子に乗ってんのか? 直接手を下せなくても、やりようはいくらでもあるんだぜ?」
「やってみろよ。俺は妹と違って大人しくなんかないぜ? それに今の俺はお前らのせいですこぶる機嫌が悪いんだ。ここにいる全員、やる気ならありとあらゆる手を尽くして一人残らず徹底的に再起不能になるまで叩き潰すぞ」
バルバロだけではなく、ビャッコはその背後にいる取り巻き連中にも殺意といっていい感情を乗せた視線を向ける。
リーダーと違って度胸が据わっているわけではないのか、それともそこまで入れ込んでいるわけではないのか、いずれにせよ彼らはビャッコの視線を受けるやそれぞれにそっと視線を外している有様だった。
ふと、ビャッコは取り巻きたちの後方でオディットが顔に手を当てて天を仰いでいる姿を見つける。隣ではにこにこ顔のナタリアがいて、さらにその隣では身長が足りなくて様子が見えないのか、必死にぴょんぴょん跳ねているホウカの姿があった。
彼らには少なからぬ迷惑をかける事になるだろうが、後で謝ろうと心に誓う。
「……おもしれえ。そこまで言うからには覚悟は出来てるんだろうな?」
「当然だくそ野郎。ランキング八位だか何だか知らないが、潰してやるからかかってこいよ」
視線と視線がぶつかり合い、見えない火花が飛び散る。
しばしそんな睨み合いが続いた後、険しい顔をしていたバルバロが急にいやらしい笑みを浮かべて視線合戦を終了させる。
「けっ。なら場所を変えるぞ。ついて来い」
くいと顎と手で後に続けと示した彼は背後へ向き直り、ずっと様子をうかがっていた取り巻き連中へ声をかける。
「おいお前ら。こいつらがちゃんと俺の後をついてきてるかしっかり見張っとけよ。途中で逃げられたらたまんねえからな」
肩越しに頭だけ振り返りながらの小馬鹿にするような言葉に、赤スカーフグループがゲラゲラと声を上げた。
そうして道を塞いでいた彼らは海を割るように左右に分かれ、開かれた道をバルバロが悠々とした足取りで進んでいく。
ビャッコもそれに続こうとして、ぐいと腕を後ろに引っ張られた。何事かと振り返ると、ひどく心配そうな表情をしたルシーニュが彼の右腕に抱き付いてきている。
「お、おにい。大丈夫なの? あいつはあんな奴だけど、上位の実力がある事に変わりはないんだよ?」
「大丈夫だよ。俺を信じろ。このゲームは先に始めた方が強いっていうレベル制のゲームじゃない。重要なのはどれだけ上手く機体やプレイングの相性に合わせたデッキが組めるのかと、それをちゃんと使えるかどうかだ」
「そ、それはそうだけど、だっておにいはまだ始めて一か月も――んぐ」
なおも心配そうに言葉を並べるルシーニュの口を、ビャッコは人差し指を当てて塞いだ。
「心配するなって言ってるだろ。ああ、そういえばなんで俺がゲームをずっとやってこなかったのか、お前に言ってなかったよな」
ビャッコはにやりと獣じみた笑みを浮かべる。
「いいか? 俺がゲームを止めた理由ってのは――」
単純明快にしてたった一言で済まされたその理由を聞いて、ルシーニュがぽかんと口を開けてしまっていた。
ビャッコはその表情に満足そうな笑みを浮かべると、
「というわけだから、まあここは任せておけって」
ルシーニュの頭に手を置き、くしゃくしゃとかき回してやった。




