1.友人
「機奏戦記(きそうせんき)アルヴァテラ……?」
とある昼休みの時間。購買で目当ての焼きそばパンと生クリームアンパンをゲットした白河虎之助(しらかわとらのすけ)は、友人から聞かされたその名称をオウム返しにした。
散髪以外に手を入れた事のない黒髪はうっとうしくならない程度の長さにまとめられており、黒縁のアンダーリムの向こうにある黒い瞳はやや眠そうな印象を与える。
顔立ちはほどほどに整っているが、中肉中背の身体は十六歳という成長過程においてこれといった特徴を示す事もなく、今はただ片眉を跳ね上げて怪訝な表情を作っていた。
「そうそう。一年前に本リリースしたVRゲームなんだけど、巨大ロボットでのバトルとトレーディングカードの要素を組み合わせたゲームなんだよね」
そんな虎之助と同じく、机の上にカレーパンと独眼竜(厚切りガーリックバタートーストの中央を浅く切り取って半熟卵を落とした物)を並べてホクホク顔の友人――八神慎一郎(はちかみしんいちろう)がぐっと拳を握って力説をしている。
色素の薄い茶色の髪に同色の瞳をしており、どこか飄々としていていつも楽しそうにしているため、いわゆるムードメーカーとしてクラスメイトたちに愛されている存在だ。
虎之助とは小学生時代からの付き合いがあり、親友とも悪友とも腐れ縁とも称せる中であった。
「どうだい虎之助。これがなかなかに面白いんだけど、君もやってみる気はないかい?」
サクリと揚げたてのカレーパンに齧りつきながら、慎一郎がそんな事を言って来た。
その言葉に対し、虎之助は無言で焼きそばパンをほおばる。
「虎之助があまりゲームに興味を持っていないのは知っているけど、昔からあるレベル制のゲームともスキル性のゲームとも違ってオンラインのトレーディングカードゲームだから、虎之助でも楽しめると思うよ。ほら、小学生の時は一時期はまってたたじゃないか。一日で千種類以上のカードを暗記するくらいに」
「……カードゲーム、ね」
慎一郎の言葉に、虎之助は昔の記憶を掘り起こした。
小学生の頃にやっていたカードゲーム。
それは彼にとってあまり楽しい思い出ではない。あの頃は慎一郎も同じものをやっていたはずだが、彼は早々に飽きて別のゲームに走ったため、虎之助がカードゲームを止めた理由についてまでは知らない。
だからこそ、今ここでこんな事を言ってくるのだろう。事情を知っていればおそらく誘ってくる事などなかったに違いない。
人一倍、いや、通常ではありえないような記憶力を有している虎之助にとって、あの頃の出来事は忘れたくても忘れる事の出来ないトラウマのようなものだった。
だからこそ、彼は娯楽というものにあまり興味が持てなくなってしまったのだから。
「うーん。これだけだと分かり難いだろうから、ちょっと説明を聞いてもらえればいいと思うんだよね」
「説明?」
「そうそう。えっと……」
慎一郎がごそごそと制服のポケットを漁ると、中から携帯端末を取り出してきた。姿形こそ旧来ではスマートフォンと呼ばれていたデザインのままだが、その性能は過去と比べるべくもなく、今や完全な生活必需品として幼稚園児ですら所持している代物である。
そしてその圧倒的な普及率の要因を担う技術の一つが――
「あらあら。今はまだ学校じゃないの? 駄目よ慎一郎君。学校では学校の端末を利用しないと」
突然、おっとりした女性の声が慎一郎の端末から聞こえてきた。
「大丈夫ですって。今は昼休みですから誰に怒られもしませんよナタリアさん」
だが彼は驚く事なく、ごくごく自然に言葉を返す。しかしそれはあくまで画面を眺めながらの事であり、電話をかけているようには見えなかった。
実際、彼は電話をしているわけではないのである。
「こんにちは虎之助君。いつも慎一郎君がお世話になってるわね」
「ああいえ、どうも」
慎一郎が虎之助にも見えるように向けてきた端末の画面。そこには一人の女性キャラクターが映し出されている。
腰まで届くアイスブルーのストレートロングに瑠璃色の瞳を持った妙齢の美人で、清楚な白のワンピースを着た姿がバストアップで映し出されていた。
彼女は『Administration Character』――通称アドキャラと呼ばれる存在で、本物と見分けがつかないほどにリアルな疑似人格を搭載した端末管理人工知能だ。
機器の内部メンテナンスや目視による監視を代行してくれる他、カスタマイズデータとして販売されている疑似人格を組み込む事で様々な性格付けをする事も出来る。
同時に疑似人格に含まれる疑似感情により、アドキャラは『思考』する事が出来るため、かなり曖昧な命令を与える事も可能である。
そのため携帯端末に移す事によって親が子供の目付け役として同行させたり、教育プログラムの導入で簡易的な家庭教師にするなどその利用用途は実に幅広い。
単純な話し相手としても有用で、長期入院患者や一人暮らしの高齢者の心のケアにも一役買っている。
一般的にもスケジュール管理やらメール作成に情報収集と日々の生活をデジタル面からサポートしてくれるため、昨今では一人に一体のアドキャラを持つ事が普通になってきているほどだ。
アドキャラは往々にして見た目も含めてカスタマイズを行い、ちゃんとした名前を付けるのが通例になっている。
「ところで慎一郎君。何の御用かしら?」
「ああ、えっと、ビャッコにあのゲームについてちょっと説明してくれませんか? 今やってるキャンペーンも含めて」
「ゲームって『機奏戦記』でいいの? でもこれ、わざわざ私が説明しなくてもホームページを教えれば虎之助君のアドキャラが説明してくれるんじゃないかしら」
画面の中のナタリアがきょとんとした顔で首を傾げている。その感情表現の豊かさと会話の精度は本当に人間のそれと大差のない域に達していた。
「それはそうなんですけどね。ほら、ビャッコって自分のアドキャラを全然いじってないんですよ。疑似人格組み込んでないし、外見もデフォルトのままで逆に新しいというか。あの無表情さで説明されても絶対に心躍らないと思うんですよね」
「あらあら。確かにそれはそうかもしれないわね」
「ほっとけ」
いきなり友人とそのアドキャラに自分のアドキャラについて突っ込みを入れられ、虎之助は思わずポケットに手を突っ込んで自分の携帯端末を握り締めた。
この上端末に入れていないと知れたら、何を言われるか分かったものではないと思ったためだ。
しかし幸いにしてそれ以上の突込みはなく、
「それじゃあ僭越ながら、私ナタリアから説明させていただくわね」
青髪の女性は慎一郎の端末の画面内で静かに一礼した。
「まずは『機奏戦記アルヴァテラ』のジャンルを説明するわね。このゲームはVRロボットバトルにトレーディングカードゲームの要素を絡めた対戦ゲームになるわ。特徴として、アドキャラと一緒に参加出来る事が挙げられるの」
端末の画面が切り替わり、ナタリアの姿が消えた代わりに『機奏戦記アルヴァテラ』というタイトルロゴが表示された。
「プレイヤーは通称赤・青・黄・緑・白・黒の陣営と呼ばれる六つの国家勢力から所属陣営を選択し、操奏機神(ソリスディオ・マッキナ)と呼ばれるロボットに搭乗する操奏者(マエストロ)として敵対陣営のプレイヤーと戦う事になるわ」
ナタリアの音声はそのままに画面が変化し、六分割された画面にそれぞれのシンボルマークと色が表示されて、その全てにまたがるようにどどんと人型のロボットが表示される。
ただし装甲の関係かメカメカしい印象はそれほどない。どちらかというと生物チックなゴーレムがファンタジックな西洋甲冑着込んでいるという印象が強いだろうか。
「プレイヤーはこの操奏機神を操って相手プレイヤーと戦うわけなんだけど、その戦闘の際にカードゲームバトルの要素が組み込まれていて、プレイヤーは自分で組んだ六十枚一組のデッキを駆使して戦局を有利に展開させつつ勝利を目指すというわけ」
再び画面が変わり、『Sample』と銘打たれたカードが一枚表示される。ぱっと見のカード名称は『魔弾の射手』。種類は奏術カードとあり、コストは一.五と記されていた。
「細かい説明は省くけど、ロボット同士の通常戦闘以外にこういったカードを使用してロボットを強化したり、他のゲームでいう魔法のようなものでダメージを与えたりする事も出来るの。ロボットの操作以外にもカードゲームの戦略性を要求されるゲームになっているわ。そして――」
みたび画面が切り替わり、控えめなファンファーレとともに『お友達紹介キャンペーン実施中!』という文字広告が踊り始める。
ここでようやくナタリアが画面に復帰し、どこぞの店員のように掌を上にしてその文字広告を示していた。
彼女は軽く咳払いをし、そっとのどに手を当てて調子を確かめると、
「現在『機奏戦記アルヴァテラ』ではお友達紹介キャンペーンを実施しています。既存ユーザーの紹介で新規ユーザー登録をした場合、紹介者とそのお友達にそれぞれ特別なアイテムが手に入るかもしれないカードパックをプレゼント中! 中身は見てのお楽しみ。皆様のご登録、お待ちしていまーす!」
満面の笑みを浮かべ、完全に宣伝キャラクターになりきって話を締めくくった。しかしそれに対して虎之助が何の反応も示さなかったため、後に残るのは実に微妙な沈黙である。
その沈黙を不思議に思ったのか、笑みを消したナタリアがやや不安そうな様子で慎一郎に話しかける。
「……えと、慎一郎君。私、なにか間違ったかしら?」
「え? あ、いやいやナタリアさんは何も間違っていませんよ。間違ってるのはこんなに頑張ってくれたナタリアさんに賛辞の一つも送らないビャッコの方ですって。まったく、ナタリアさんはこんなに美人で気立てが良くてユーモアもある最高のアドキャラなのに……男として間違ってます」
「え、と……その、恥ずかしいからあまり人前ではそういう事を、ね?」
力説する慎一郎の言葉に、不安そうだったナタリアがさっと顔を赤くしてもじもじと照れ始めてしまった。これも疑似人格のなせる業である。
表情こそ動かさないが、年上の女性が恥じらう姿というものは虎之助としても少し来るものがあった。たとえそれが人でないものだとしても。
彼はそんな自分の中に生まれかけている感情をどこかに追いやるため、
「それで、結局はその紹介特典が欲しいから俺にゲームをやらないかと言いたいわけだな?」
それまで黙っていた口を開いた。
「え? ああ、うん。有体に言えばそうだけど、実際これって面白いからどうかなって言うのは本気だよ。以前の延長で久しぶりにどうかなって」
「カードゲーム、か」
口に出しつつ、虎之助は再び昔の出来事を思い出す。
確かに最初の頃は純粋にゲームを楽しんでいた。しかし彼の持つ記憶力とは別のもう一つの能力によって派手に勝ち過ぎたため、当時のクラスメイトのだれかが放った言葉によって傷付けられてゲームを止めた。
あの一件で娯楽のほとんどに興味を持てなくなった事が、アドキャラをほとんどいじらないで放置している間接的な原因でもある。
他人が熱を上げているものほど興味の対象ではなくなるのだ。だから今回の話にしても、虎之助は正直まるで乗り気ではなかった。
いつもの様にそう思いつつ、しかし今こうしてまた誘われるのは何かの巡り会わせなのかもしれないとも彼は思った。いつまでも昔の事に囚われているのは面白くないだろうし、精神的にはあの頃よりずっと成熟してきている。
元より虎之助はゲームが嫌いというわけでもない。過去の傷と決別するには、いい機会かもしれなかった。
「……いいよ。その紹介されるのってのは、どうすればいいんだ?」
「うん? 本当にいいのかい?」
「そう言ってるだろ。紹介される必要があるんだったら勝手にホームページで登録したら駄目だろうし、その辺のレクチャーは誘った責任としてどうにかしてくれ」
それくらいは当然だろうと虎之助が目で物を言ってやると、少し驚き顔になっていた慎一郎がコクコクと首を縦に振る。
「了解了解。それじゃあ学校が終わったらVRログインしてゲームランド前に集合って事で。もしかしたらそこで新規に声掛けしてるプレイヤーがいるかもしれないけど、もう連れがいるって言えばしつこくはしないと思うからさ」
「了解」
「っと、その時はちゃんとアドキャラも連れて来ないと駄目だよ。さっきナタリアさんが説明した通り、このゲームはアドキャラとペアでやるものだからさ」
「おう」
念を押されて、虎之助は自分のアドキャラの事を思いだす。
黒瞳黒髪のボブカット。病院着のような薄い青色の前合わせ一枚。無表情。
慎一郎の指摘の通り、見事なまでに全てが初期のままだ。それ以前に名前すら付けた覚えがない。
今まで全く気にしてこなかったが、人前に出すとなれば多少考えものである。前合わせに関しては好んでそれにしている者も少なからずいるようだが、せめて服くらいは何か用意するべきかもしれない。
「母さんにでも借りるか……」
「うん? 何か言ったかい?」
「いや、なんでもない。それじゃあ、今日の十七時にゲームランド前でいいな?」
「おっけー」
ひとまずその場での話はお開きという事で、虎之助は再び焼きそばパンにかじりついた。濃いソースが絡んだ麺に、コッペパンの味気なさがちょうどいい。
購買の焼きそばパンは価格の割に贅沢なほど野菜と肉が使われているため、実に食べ応えがあるのだ。
「相変わらず美味しそうだよね焼きそばパン。僕も独眼竜じゃなくてそっちにすればよかったかな」
「残念だが分けてはやらんぞ。そっちのパンは分けるには向かないからな」
「分かってるよ。……あーあ、どうせならナタリアさんの手作り弁当とか食べたいなぁ」
ガーリックトーストをザクザクと噛みながら、慎一郎が机に置いた端末の画面を覗き込む。画面内ではナタリアがちょっと困ったような表情になっていた。
「さすがにそれは無理だろ。アドキャラをダウンロードさせる機巧アンドロイドの開発はされてるが、まだまだ研究段階だって話だぞ」
「だよねぇ。噂じゃ有機アンドロイドの方もどこかで研究されてるって話だけど、どっちが実用化されても相当に高いんだろうしなぁ。うーん…………一千万くらいかな? ナタリアさん。僕が一千万貯めるのにどれくらいかかる?」
「あらあら。一千万円だと今の慎一郎君の収入から考えて四十年くらいは必要でしょうね。ちゃんとした定職に就けば十年もあれば可能だと思うのだけれど」
ひどく現実的な見解を述べられ、慎一郎ががっくりと机の上に突っ伏した。自分で尋ねておいて自分でダメージを負ったのだから自業自得である。
アドキャラは基本的に主人の命令には逆らわない。曖昧な命令に対しては確認を取ってくる事もあるが、今のように質問内容が明確な場合はきっちりと答えてくれる。
それでも確定していない未来の事項を絡めて付け加えたのはナタリアと慎一郎の付き合いが長いせいだろう。いわゆる気を使う事が出来るというのは、そういう事である。
「長い付き合い、か」
虎之助もアドキャラを持ってからの期間はそれなりだが、慎一郎とナタリアのような関係は築いていない。それ以前に疑似人格すらダウンロードしていないのだから、虎之助のアドキャラはただの人形のようなものだ。
それをどうと思った事もないが、いざこうして二人の漫才のようなやり取りを見ていると、その時はやはり多少うらやましいと思ったりしないでもない。勝手な話だとは虎之助自身でも思っていた。
「そういえば話は全然変わるんだけど、最近ネットで話題のアドキャラの行方不明事件って知ってる?」
「……ああ、何か騒ぎになってたな。確か外に出掛けたアドキャラが帰ってこなくて連絡も取れないって話だろ?」
「そうそう。なんか某国が絡んでるみたいな話もあるけど、ちょっと怖いよね。僕のナタリアさんが巻き込まれたらと思うとぞっとするよ」
「慎一郎君。あまり縁起でもない事を言わないでちょうだい。こういう事って口にすると自分に降りかかったりするんだからね」
場合によっては他人事では済まない事になる当人のナタリアに叱られ、しかし慎一郎は若干嬉しそうに謝罪の言葉を口にしていた。
そんないつも通りの友人に一つ溜息を吐き、虎之助は窓の外を眺める。
青い空には白い雲が浮かんでいたが、見つめるその雲は急速に薄くなっていき、とうとう空の青に溶けてなくなってしまった。