4.居候・妹の懐疑
とっさの行動でパソコンの前に移動して鳳華を隠した虎之助は、
「あ、ああ悪いな小鳥。ちょっと慎一郎と電話で、な」
手に持った端末を小鳥に示しながら乾いた笑いで応える。
その時には彼の背中に隠された鳳華も急いで自分の口に手を当て、必死に声を抑えていた。どうも小鳥がドアが開け放った音でようやく我に返ったらしい。
「……電話?」
仁王立ちしたままの小鳥がピクリと片眉を跳ね上げた。そうして明らかに疑いのまなざしを虎之助に向け、
「おにいって電話するときスピーカー状態にするの? あたし、二人分の声を聞いたんだけど?」
何を隠しているのかと問い詰める様に一歩部屋の中に踏み込ん出来た。
虎之助はそんな彼女に対し、無意識的に視線を斜め上にそらす。
「き、気のせいじゃないのか?」
「ううん。絶対気のせいじゃない。それに、あたしが聞いたのは慎一郎さんの声じゃない。あれは絶対女の子の声だった」
虎之助は背後で鳳華がギクリと身体を震わせたのをパソコンからわずかに漏れたノイズ音で感じ取った。懸念していた通り、先の一件で完全に小鳥に何かしら勘付かれてしまったというわけだ。
「ねえおにい。さっきまでしてた声の人って、誰?」
じと目のままゆっくりと、しかし着実に小鳥が虎之助に近づいてくる。
後ろに鳳華を隠した彼はその場から逃げるわけにもいかず、ただ追いつめられるのを待つ事しか出来ない。
「そういえば仮想世界から帰って来た時も誰かと話してたよね? それもやっぱり女の子の声だった。わたしの知らない女の子の」
「え、と……な、何の事だかさっぱりだな」
苦しいにも程があるいいわけだが、先ほどから必死に頭を巡らせても何一つ現状の打開策を思いつけない。
そうこうしているうちに小鳥は虎之助の目の前までやってきて、そのままぐいぐいと身体を押し付け始めた。
彼女の持つ柔らかな二つの双丘が虎之助の腹の辺りに押し付けられてむにゅりと潰れ、その筆舌に尽くしがたい感触に彼は男の性として否応なしに体温を上昇させる。
「とぼけようったって駄目だよおにい。おにいはあたしに後ろめたい嘘を吐くとき、絶対に一度目を左上にそらすんだから」
「む……」
小鳥に指摘され、虎之助はぐっと押し黙ってしまった。そうして、確かに言われてみれば視線をそらしているという事実を認識する。
さすがに兄妹というべきか、細かな癖も熟知されてしまっているようだった。
「それともう一つ。おにいって昔から何かを隠すときは結構慎重にやる方だけれど、とっさに隠す時だけは自分の身体を使って後ろに隠そうとするよね?」
「っ!」
二つ目の指摘は虎之助の動揺を誘った。そしてその動揺を見逃さなかった小鳥が、虎之助が押し止めるよりも早くさっと隠されていたディスプレイの画面を視界に入れてしまう。
「…………あれ?」
しかし、虎之助のガードをかいくぐった小鳥はきょとんとした顔になって首を傾げた。
それもそのはずで、虎之助が隠していたパソコンの画面には特別なものは何一つとして映っていないからだ。なぜなら彼が指示を出すまでもなく、鳳華は自分の判断で画面から姿を隠したためである。
当然にして秘匿すべき対象である彼女の姿さえ見えなくなれば、あくまで何かを耳にしただけの小鳥ではそれ以上の追及手段がない。
もちろん途中でパソコンを操作する仕草を見せたわけでもないため、彼女から見れば虎之助は何も隠してなどいないという結論に達さざるを得ないのだ。
「むむむ。変だ。絶対におかしい。いったい何を隠してるの? おにい」
「だから、何も隠してないって。今それをお前自身で確かめただろう?」
小鳥の態度に余裕を取り戻した虎之助は、内心ひやひやながらもどうにか取り繕って肩をすくめて見せる。
結果が想像とは違うにせよ、彼女はすでに今の攻防に勝利している。実のところそれは彼がそうなるように仕向けたのだが、なんにせよ今この場で一つの結果は示されたのだ。
人間は一つの行動に対して一つの結果を得るとそこで思考を止めてしまう生き物だ。いわゆる心理的トラップというやつである。
ゆえに小鳥の追及は肩透かしの結果に勢いを失い、最後の追及はただの負け惜しみだ。
その証拠に、彼女は肩をすくめて見せた虎之助に対しそれ以上何も言ってはこない。本当にまだ疑っているならこの程度で引き下がるわけがないのだ。
「むむむ……」
納得のいかない様子ではあるが、最終的に小鳥は小さいため息を吐き出して、
「ごめんおにい。あたしの早とちりだったかも」
「おう。まあ気にするな。うるさくしてたのは本当だし」
どうやら危機は脱したらしいと、虎之助は内心でやれやれと首を振って安堵の息を漏らした。そうして彼はさりげなく妹に自分の部屋に戻るように促そうとして、
「あ、でもせっかく来たんだし貸した服のデータ回収させてよね。お母さんからのメールはもう届いてるでしょ?」
彼女の至極真っ当な要求に対してピシリと表情を固定させてしまった。
「……あー、えっと、うん。ソウダナ」
「なんで変な発音になってるの? まあともかくおにいのアドキャラ呼んでよ。ケーブルつないで服のデータを端末に送ってもらうから」
はいと小鳥が自分の端末とケーブルを差し出してくる。
ここへきて、一気に虎之助の状況が悪くなってしまった。どうにか顔には出さないものの、一度気を抜いた心の内は嫌な汗をかきまくりの状態である。
「おにい?」
行動を起こさない虎之助に対し、小鳥がちょこんと首を傾げてきた。これ以上何もしないでいれば、確実にまた勘ぐられるだろう。それだけは避けなければならなかった。
「……おう」
なるべく自然な動作になるように気を付けて端末とケーブルを受け取り、虎之助は椅子を引いて腰かける。当然にしてその背後には小鳥がくっついてきて、背もたれに手をかけてじっと画面を見つめ始めた。
虎之助としてはデータを入れたら持っていくと言って彼女を部屋から追い出したいところではあったが、そんな行動をとれば確実に疑念を再発させるだろう。それはいかにも不味いが、かといってこのまま鳳華を晒していいものかという気持ちもあった。
いずれにしても考える時間が欲しいところだったが、状況がそれを許さない。それでも虎之助は必死に考えを巡らせつつなるべくゆっくりとした動作で小鳥の端末をパソコンに接続した。
すると――
「お呼びですか? マスター」
「お?」
「あ」
画面の端からひょっこりと鳳華が姿を見せた。服装は先のメイド服のままだが、その顔はどこかぼーっとしているような、感情の色を一切見せない無表情なものになっていた。
「うっわ。おにい服装これにしたの?」
「え? ああ。その、か、母さんが送ってきたのがこれだったんだよ」
一瞬目の前にいるのが本当に鳳華なのかどうか分からなくなっていた虎之助は、背後から聞こえた小鳥の声にはっと我に返り、何とかそれだけを口にした。
よくよく考えてみればなにゆえ美雪がこの服を選んで送ってきたのかは甚だ疑問ではあるが、今はそんな些事に構っている暇はない。
画面の中の鳳華は、そんなやり取りにまるで興味がないというように表情を変えずにじっとしている。
「ふうん? お母さんこんなの持ってたんだ」
背もたれをくいくい押している小鳥が、しきりに感心の言葉を漏らしていた。
彼女のアドキャラである天鈴も大概奇抜だが、総じて可愛らしい服装には興味が惹かれるのだろう。その辺りは実に女の子らしい趣味である。
「マスター。ご用件はなんでしょうか?」
鳳華が平坦な声で再度そんな事を言ってくる。おそらく先の虎之助と小鳥のやり取りを聞いていたのだろう。言外に早く用件を済ませて妹を外へ出してという意味合いが感じ取れた。
「ああ。そうそうそうだった。えっと、さっきまで来てた服のデータをこの端末に移してくれ」
「承りました。少々お待ちください」
鳳華はきっちり綺麗なお辞儀をしてみせると、すっと手を振って画面の中に小さなホログラムウィンドウを表示させ、すっすと作業を進めて行く。
すると、画面の端にデータ転送中という表示が現れ、すぐに完了という文字に変化する。
それを確認した鳳華は全てのウィンドウを閉じて、
「データの転送を完了いたしました」
再びお辞儀をしながら作業終了の旨を伝えてきた。
虎之助はそれに軽く礼を言って、パソコンからケーブルの接続を取り外して後ろの小鳥に手渡そうと頭の上にあげる。
しかしそれは受け取られず、妙に思った彼が後ろに振り返ろうとして、
「うお!」
「………………」
背後にいたはずの小鳥が自分の真横へ移動している事に気が付いた。
彼女はじーっと画面に映る鳳華は凝視していて、見られている鳳華は無表情のままじっとその視線に耐えている。
「お、おい小鳥。お前いったいな――」
「ねえおにい。おにいってあたしと天鈴がこの子のコーディネイトをした後で、外見の設定いじった?」
「え!?」
自分の言葉に被せられた小鳥の言葉を聞いて、虎之助は変な声を出してしまった。
その声に驚いたのか、彼女は目を見開きながらやや身を引いて彼を見ている。
「ど、どうしたのおにい? あたし何か変な事言った?」
「あ、いや。えと、なんで外見いじったかもなんて思ったんだ?」
「なんでって、顔が少し違うように見えたからだけど、それよりも明らかにあたしの記憶と食い違うところがあるから気になったの」
虎之助のアドキャラと鳳華の相違点。確かに顔立ちが似てはいるが、並べてみればはっきりと別人と分かるだろう。だがそれは所詮人の記憶。事に虎之助のような能力でもなければ気のせいで押し通せる問題だ。
しかし、彼女は他に明らかな違いがあると言った。その違いに関して、虎之助は真っ先に思い至ってしまった事がある。そしてそれは、鳳華にとっての禁句だ。
「小鳥それは――」
「だってこの子、明らかに胸のボリュームが減ってるもん」
びしっと鳳華の盛り上がらない胸元を指を差しながら、小鳥は同意を求めるように虎之助の方へ視線を向けてきた。
そのおかげで、彼女は無表情だった鳳華が額に青筋を浮かべて口元がひくつかせた瞬間を見逃す事になる。
対して、虎之助は小鳥と画面とを同時に視界に入れていたため、妹が鳳華の変化を見逃した事を確認しつつ、殺意の孕んだ視線を画面の彼女から向けられた事に気が付いた。
なぜ自分がそんな視線を向けられなきゃならないんだと嘆きつつ、虎之助はこの場をどう切り抜けたものかと脳をフル回転させて思考を加速させる。
幸いにして夕食を食べたばかりという事もあり、脳に送るエネルギーは補給されていた。
複数の思考を同時展開させ、常人の倍以上の速度でそれを処理していく。
今回問題なのは小鳥の指摘が至極真っ当であるという点と、この話題が鳳華にとって実に面白くないものであるという点だ。
最良なのはこれ以上この話題に突っ込まれずに小鳥をこの場から退散させる事なのだが、問題の争点が鳳華の胸の無さにあるのだから当然それは不可能だ。
前提として、鳳華にはもう少しの間この話題に耐えてもらう必要がある。
となれば、次策はどうして元のアドキャラよりもぺったんこになっているのかについて論理的に説明して納得してもらう他にないだろう。
この場合の最も信憑性のある説明としては、虎之助自身の好みであると言ってしまう事である。人の好みは千差万別。自分の性癖などそうそう他人に話すものでもなし、何を言おうが本人がそうだと言えばそうなるのである。
だが、当然この手法にはリスクがある。それはしばらくの間は自らの公言してしまった性癖を装わなければならないという事だ。
ぶっちゃけた話、虎之助は貧乳と巨乳のどちらかを選べと言われれば間違いなく巨乳を選ぶ人間である。貧乳を卑下し巨乳を賛美するつもりはないが、どっちが好きかと言われれば巨乳なのだ。
その意味では妹のそれは実に虎之助の好みに合う大きさだが、これは妹というだけで対象外になっているので、先の様によほど密着でもされない限りは性的興奮を覚える事はない。
公言する内容があくまで自分自身と妹との間だけのものだとしても、嘘というものはどんなに些細なものであってもどこでどうこじれて化けるか分からないのだ。
あくまでこれは最終手段として保留し、別の策がないかも検証する必要がある。
では他にどんな説得方法があるのかと言えば、それは今回のゲームをするためにはぺったんこである方が都合がよかったとしてしまう場合だ。
アルヴァテラの性質上、コックピット内では結構な頻度で揺らされる事が多い。つまりはアドキャラたちの胸が大きければ実に目の保養になるわけで、そんな状態ではまともにプレイングが出来ないというわけだ。
もしくは対戦がスクリーンで中継されてコックピット内が表示される事もあるので、衆人環視の晒し者にしたくなかったというのもありだろう。
ただしこの場合、ゲーム中にアドキャラの胸に欲情する変態野郎という不名誉極まりないレッテルを張られる危険性がある。それは避けたいところだ。
その後もいくつか案を考えてはみるが、結局最初の性癖依存以上にダメージの少ない物を思いつく事が出来ず、虎之助はじーっと見つめてくる小鳥に対して仕方なく自分の趣味で小さくさせたと伝える事にしたのだが――
「…………貧乳、趣味?」
「………………」
小鳥がものすごい蔑みの視線を向けて来る。
虎之助の記憶している限り、彼女がこういう目を向ける対象は道端に落ちている犬のフンだとか、痴漢で捕まったサラリーマンだとか、小学校の校門前で動画撮影している怪しい輩だとか、そういった類に対してだけのはずだった。
それがどういうわけか、貧乳好きだからと言っただけで『兄』という立場からそこまで貶められてしまっている。想像以上のダメージに虎之助はショックを隠せない。何か大切なものを失った気さえしていた。
「……ふうん。あ、そう。へー」
言葉のいちいちが刺々していてグサグサと虎之助の心に突き刺さる。予想外どころの話ではない。これならばまだ変態野郎と罵られた方が軽傷だったかもしれない有様だ。
落ち込む虎之助に対して、視界の端に映る画面の中の鳳華はなぜかやや嬉しそうな様子だった。小鳥の視線から外れている事も手伝ってか、胸に両手を重ね合わせて神にでも感謝しているような感じである。
「そっかそっか。おにいは貧乳が好きで、だから自分のアドキャラを小学生みたいにぺったんこにしたわけだ」
「っ!」
だが、鳳華のその幸せそうな表情は小鳥の放った流れ弾の直撃によって凍りついた。声を出さなかったのはほめるべきだが、今の状態を小鳥に見られたら絶対に怪しまれるだろう。
しかしながら運のいい事に、それ以降小鳥が画面を見る事はなかった。彼女はいまだに虎之助が持っていた彼女の端末とケーブルをひったくるようにして奪い取り、そのまま肩を怒らせながら部屋を出て行ってしまう。
そして最後になにがそこまで気に入らなかったのか、
「べーっだ!」
いつの頃の子供だという様な行動をとりつつ盛大な音を立たせてドアを閉めて行った。
後にはその残響が鳴り、収まってからは痛いほどの静寂が支配する。
そんな静寂を破ったのは、虎之助が吐き出したため息だった。彼はちらりとパソコンの画面を確認し、鳳華がペタペタと自分の胸を触って眉をひそめている様を確認すると、
「どうして、こうなった……」
がっくりとその場に膝と手を突き、一人悲しみに打ちひしがれていた。




