プロローグ 「法師、参上」
AM 3:18 三十二郡街、上空
ネオン色に輝くビルの数々。緊急避難命令を受けたその地区は、嵐の前の静けさの如く一切の物音を許さない。
その静寂を破り一台のヘリが飛来した。
「第3部隊より本部へ。現場に到着。目標距離約一二〇〇」
そこに乗り込むのは6人で編成された小規模な“妖魔対策特殊部隊”だ。
暇を持て余した一人の隊員が口を開く。
「巨大妖魔の討伐と上から聞かされていたが、さすがにこの距離じゃ見えねえんじゃないか?」
「ああ、もう少し近づいた方が…」
同調するように他の隊員も言葉を交わすが、リーダーらしき男がそれを制止する。
「待て、上からの指示を」
その瞬間、地鳴りとともにビル群が揺れた。
「な、なんだ!?」
皆が言葉を失った。
ビルを超える巨体で起き上がった“それ”は、一台のヘリを米粒にも満たないと言わんばかりの大きさだ。
「あれが…目標…」
「いくらなんでも…。あれじゃあ妖魔じゃなくて、怪獣だぞ!!」
街の空を覆い尽くす化け物は、周りのビルを倒しながらゆっくりと進行方向を変える。
ぎょろりとしたいくつもの目でこちらを睨みつけた。
「まずい、こっちを向いた!」
「第3部隊より本部へ!目標の移動を確認。北へ向かっている!」
焦る隊員たちの通信を聞き流すかのように、本部は冷静沈着に応えた。
「ご苦労。本部より出動中の全部隊へ。撤退命令だ」
全隊、一瞬理解が追いつかなかった。この超巨体を残して撤退とは何事か。
「ま、まさか米軍から救援が?」
「そ、そうか。そいつは頼もしい」
「いいや?向かってるのは、法師一人だ」
隊員たちが下を見やると、怪獣の足元をマッハで駆けるバイクが一台。それに跨る法師が一人。
漆黒のフルフェイスが男の素顔を完全に隠している。髪型、輪郭、表情さえも、外からはまるで読み取れない。
バイク——キントーンが極限まで加速しても、法師の姿勢は微動だにしなかった。唯一、風に煽られ音を立てるレザーコートだけが、その疾走感を感じさせる。
彼の名は、玄奘。三蔵法師として認められ、各所を巡り駆けながら、天竺を目指す者だ。
「沙悟浄」
玄奘は一人の妖魔の名前を呼んだ。
彼の被るフルフェイスに内蔵されているマイクが声を拾い無線を飛ばす。
《はいっ!法師さま!》
今度は玄奘の耳元に無線が飛んできた。若い女性らしい声だ。
「見えるか?」
《捕らえました!分析結果、人の細胞と妖魔の細胞、両方を確認。大部分は妖魔細胞ですが、内臓はほぼ人間のものです》
玄奘は無線に耳を傾けながら上を見上げ、怪獣の容姿を再度確認した。
「人を基盤に作り上げられた妖魔……事故か何かか?」
《いえ、人間のものだったと思われる電脳はまだ生きていて、そこから信号を全身に送っているようですが…恐怖や苦痛、負の脳波は見受けられません》
「望んで化け物に生まれ変わったか」
玄奘はキッとブレーキをかけ、前輪を勢いよく上に上げる。
それと同時、マフラーから高圧エネルギーが噴出され、彼を乗せたキントーンは高く飛び跳ねる。
唸る巨大な肉体へと着地した玄奘は、頭部へと目標を変え再びエンジンを加速させた。
怪獣の肉体が蠢き、無数の肉片が分離して飛び出す。手足を生やしまるで一つ一つが意思を持ったかのように、玄奘の行手を阻まんと飛びかかってきた。
「チッ…」
玄奘は鋭く舌を鳴らした後、ブラスター「ゴールドシケイダー」を手に取り照準を定めた。
生み出されたばかりの小さな塊は、ブラスターの攻撃を喰らい更に小さく粉々になり、玄奘の体を横切っていく。狙い切れない個体はそのまま車体で轢き殺して進む。
止まることのない敵からの襲撃をものともせず玄奘は速度を緩めなかった。
———巨大妖魔、頭部。
先ほどまで続いていた猛攻が幻だったかのように辺りの空気は落ち着いていた。
抵抗は無駄だと悟ったのか、あるいは静かにこちらを歓迎しているかのようだ。
「義体化だけじゃ飽き足らず、妖魔までも取り込もうとした醜き生命体」
玄奘はキントーンから降り、剥き出しになった電脳に向かってゆっくりと足を進める。
「貴様の核を拝んでやろう」
玄奘は自身のうなじあたりにあるスイッチを押した後、電脳に手を伸ばした。遠隔で相手の脳内にダイブする手順だ。
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何もない、真っ白な空間。
そこに一つだけ置かれてある椅子と、それに腰掛ける中年の男。
白髪混じりで皺が少しあるだけの普通の見た目をした男だ。
「…客人か」
男は玄奘を見つけ呟いた。
玄奘は男に向かい合うようにして立つ。
「外見とは裏腹に、温厚そうなおじさまだな。妖魔研究のドクターか?それともサイボーグオタク?歪んだ愛情を追求するあまり、自身の肉体も制御不能になったか」
「自分で望んだ結果だよ」
「あんたは妖魔か?人間か?希望に沿って送ってやる」
「ふっふっふ、そうだな…人間、そして妖魔を超越した存在。またはその始祖と言うべきか」
「はっ…まさか“神”に成り代わろうってんじゃないだろうな」
嘲笑う玄奘の顔をぐっと覗き込み、男は不敵な笑みを作った。
「そのまさかだよ。そしてそのためには君の存在が不可欠だ…金蝉子」
「…貴様何者だ」
玄奘はマスクの下の表情を変える。
「いずれ知ることになるさ。君はまだ、我々の脅威に気づいてないだろうがね」
「そいつは楽しみにしたかったが、生憎あんたの計画は今日で終わりだ」
「ふん…愚かな。我々はもう個としての意思を捨てた。この体も、ただの捨て駒に過ぎんよ」
「まさか…」
玄奘が気づいた頃には既に男の姿はそこにはなかった。
真っ白な空間が少しずつ闇に包まれていく。
玄奘の魂まで包み込もうとしたその瞬間、激しい電子音と共に玄奘の視界が遮断された。
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「………さま!……しさま!」
頭上から沙悟浄の声が聞こえる。
フルフェイスのサイドが赤く点灯した。それを見て玄奘の意識が戻ったことを確認した沙悟浄は安堵の表情を見せる。
「法師さま!よかった…こちらから強制退去させました。ご無事ですか?」
「沙悟浄…助かった」
玄奘は、沙悟浄の膝に乗せていた頭を上げ起き上がる。
旧文明のメイド服を身にまとい、四肢に特殊な義体化を施している彼女が、玄奘と旅を共にする妖魔、沙悟浄だ。
清廉な黒髪の内側から炎のようにぎらついた紅い髪が見える。
「キントーンは?」
「回収済みです」
「倒壊する前に出るぞ」
———2人を乗せた移動用車両が自動操縦で街を出ようとしている。車両前方にある看板には『玉龍』という文字がデカデカと書かれてある。
「…自分から電脳を?」
「ああ、元からそのつもりだったんだろう。俺を取り込んだ状態で…奴はどこに向かうつもりだった…?」
「やはり奴も、法師さまにかけられた呪いが目的だったのでしょうか」
「これは呪いじゃねえ。俺に課せられた贖罪だ」
玄奘の核には、彼自身も知り得ない世界を揺るがすほどの“ブラックボックス”が眠っている。それを狙う妖魔が次々へと襲撃に来ることは、彼らにとってもはや日常となっていた。
時間をかけ崩れ落ちていく巨大妖魔を背に、玉龍は次の街へと2人を運んでいった。
———ここから少し離れた街。人気の少ない裏路地に、明かりを灯す武器屋が一軒。欲に塗れた武器職人が一人。
店頭に並ぶ自慢のコレクションを眺め、下品な笑い声を上げていた。




