第二話
海なのか、湖なのか、それとも深池?
泳ぐことは出来るのに、水面へと浮上する事が出来ない。
次第に水面が汚れていくのが見える。倒木やら土砂やらが沈んで来る。そうして、さらに底へと沈んでいく――
「っ、はー……はー……」
飛び起きながら周りを見る。
廃校舎の地下に居たはずだが、どこかの民家に横たわっていた。すぐ隣には澪も居る。
どうやら先に見たものは夢だったらしい。
廃校舎に棲まう水の怪異。そんな場所で見た夢が、水に関係する夢なら、きっと何かあるハズだ。
「澪……良かった……本当に……」
隣で静かに眠る澪を撫でる。
もう離さないという意志か。今度こそ守るという覚悟か。気づけば透真は澪の手を強く握っていた。
「……脈は安定してる。すぐには起きない……か」
つい先ほどまでびしょ濡れだったハズだが、服も髪の毛も乾いている。目が覚めたら場所が変わっていたり、種類豊富な水の異変。ここは過去に遭遇した“廃旅館”よりも危険な場所だ。
澪の顔にかかっていた髪をそっと払い、バッグから先ほど手に入れた小さな風鈴を取り出して、彼女の枕元に置いた。根拠はないが、この風鈴には邪を祓う力があると考えている。
「この風鈴なら、ちゃんと守ってくれるよ」
俺は立ち上がり、再度部屋を見回す。
昔の日本家屋らしい、二階建ての木造住宅。
同時に不思議な感覚もする。この家に、どこか懐かしさを感じていた。見覚えがあるわけでも……いや、“知っている気がする”
「まずは、この家の中を調べよう。……ここが安全な場所か、確かめなきゃ」
あの廃校舎の校長室程ではないが、この家はセーフルームと似た雰囲気を感じていた。襲ってくるようなモノはいないだろう。しかし万が一の事がある。離れたくはないが、大丈夫だと確信を得たい。
「必ず……帰らないとな」
この家は、廃校舎に向かう際に通り過ぎた、あの廃村のうちの一つだろう。校長室で見た記録を考えれば、この村にも何かありそうだが……ともあれまずはこの家だ。広そうな予感がする。
「縁側か……こんな事態じゃなきゃ、一眠り……してたな」
広い庭を見ると、特徴的な木を見つけた。それは当時、澪と一緒に木登りした木と瓜二つだった。二人で登って、一緒に落っこちたんだよな。俺は澪のクッションになって地面に激突したが、顔を見合わせて、二人で笑った。澪との楽しかった記憶だ。あの後すぐ、父さんにこってり絞られた事も思い出す。
1階から順に他の部屋も見ていくと、今度はリビングで家族写真を見つける。澪が小学校を卒業した時の写真だというのに、結局家族四人で撮ったんだ。
あの出来事から、もう六年が経過している。
当時18歳だった俺と、13歳の澪の2人で遊んでいた時、突然現れた水の塊が澪を連れて行った。無事だったオレは両親に必死に話した。助けないと。だけど両親は……何も話してくれなかった。つらそうな顔をしていた事だけは今でも鮮明に思い出せる。
結局、小さな場所だったが、すぐにご近所中に噂が流れてしまった。水神に連れていかれただの、祟だのなんだのって。俺たち家族は、そのまますぐに引っ越すことになった。澪を探すこともなく……
「ウソだろ……コレって、澪が俺に作ってくれた御守り……だよな」
物置部屋に入ってすぐ、その"黒い"御守りを見つけた。
この御守りは、俺が澪に、澪が俺に渡したものだった。
互いに大きな怪我をしないように。そんな子供らしい願いを込めて、それぞれ自作した御守りを渡した事がある。ただ引っ越した後に、気付いたら俺の手元から消えていた。澪から貰った大切な御守りが消えたと言って、俺はかなり泣いていた事がある。
けどーーどうしてこの場所にある?
色に関しても、元々は俺も澪も白と差し色の赤だけだった。しかし、場所が場所だ。水の怪異とやらの影響で黒くなったんだろう。
「ただの汚れってわけじゃ、無さそうだしな……」
仮にも御守りがこんなに黒くなるなんて……澪は、そんな場所に6年も居たんだよな……澪……お前はまだ、俺が作った御守りを、持っているんだろうか……?
2階へ続く階段の前に立つと、ギシ……ギシ……という誰かが歩く音と、そして水の滴る音が聞こえてきた。少し、嫌な予感がした。
警戒しながらも階段を登り、二階へと入る。
起きた時には感じなかったハズの、何かの気配を今感じている。誰かが、何かが居ることは間違いない。
「……?あの端の部屋……いや、この匂い……」
一番端にある部屋から、懐かしい匂いがした。
誘われるようにその部屋へと歩みを進め、いざ扉を開けてみれば。
「澪の……部屋じゃないか」
少し呆然としたが、すぐに気を取り戻し部屋を確認する。本当に同じかどうか、全てを覚えている訳ではないが、とにかく見落としのないよう確認していく。
「全部同じだ。この部屋は澪の部屋で間違いない」
澪の私物に、俺がプレゼントしたものまで。
懐かしい──けれど、不気味でもある。
どうして、こうも俺たち家族……それも、澪に関わるものばかりが見つかる?
そうこうしてる間に、空気がヒンヤリと冷たく変わった。
廊下からこの部屋へと近づいてくる足音に、部屋の中から水の音。なるべく壁側へと背中を預けて何が起きてもいいように備える
「はぁ………はぁ……っ……」
この部屋の扉は空いている。
足音は部屋の入り口手前で止まった。
影は見えない。
ここに来て体が震える。冷や汗も半端ない。
澪を連れて、さっさと家に帰宅するべきだったかと少し後悔する。
バンッ!
「っ!?」
思わず部屋の真ん中へと飛び出る。
背を預けていたハズの壁から突然叩く音がした。
当然、ここは二階だ。叩けるはずがない
「俺を、狙ってるのか?」
そう呟いた時、窓ガラスに突然文字が浮かび上がり始めた。
「”苦しい“」「”怖い“」「”助けて“」
続いて浮かんできたのはーー
「”気づいて“」「“お兄ちゃん”」
「澪……?」
『“見つけた”』
いきなり暗転したかと思えば、窓ガラスが砕けた音と共に、大量の水が雪崩れ込んできた。まるで体に鉛を巻かれたように、簡単に自由が奪われていく。直感で気付いた。コイツは澪を拐った奴と同じだ。
「ッ!?」
寒い、冷たい。痛いほどの冷水があっという間に、足元から胸、喉、鼻へと迫り、溺れて視界が滲む。
その中で水音と、何か大きなモノが水へと沈む。そんな音だけが、やけに遠くで響いている気がした。
……と、その瞬間。
音も、冷たさも、痛みさえも──すべてが、ふっと消えていった。
気づけば、俺は子供部屋の真ん中に倒れていた。
「ぜぇっ……はぁっ……なに、が……?」
起き上がり、部屋を見回す。しかしどこにも水の気配なんて、無かった。部屋の真ん中で倒れていた事実に困惑しながら、もう一度部屋を見回してみれば、先程まで澪の部屋だったハズのこの場所は、普通の子供部屋でしか無かった。
夢……それとも幻覚を見ていたのかもしれない。
ココまで攻撃的な怪異は初めてだ。
ガラス窓に浮かんだ文字、謎の足音、そして俺を飲み込んだ水の怪異……さらに“澪の部屋”の再現まで。
正体の掴めない恐怖が、澱のように胸に沈み続けている。
それ以上は、深く考える前に、1階へと足が勝手に動いていた。
「お兄ちゃん……?」
「澪……澪!」
澪の居る部屋へと駆け寄ると、彼女は目を覚ましていた。少しぼんやりしてはいるが、自力で体を起こし、座っていた。あの地下で見た時とは違う。澪本人がここに居る。
「ん……ちょっと、苦しいかも」
「あっ、悪い……!」
気づけば、思わず強く抱きしめていた。
再会できた喜びと、ついさっき味わった底知れぬ恐怖とが混ざり、抑えきれずに感情が溢れてしまった。
澪は少し、驚いたようにきょとんとしていたが、次第にその目元が緩み、小さく笑ってくれる。
「お兄ちゃん。お兄ちゃん……なんだよね」
「ああ、俺だよ。お前のお兄ちゃん、透真」
再度、今度は優しくゆっくりと、互いに抱きしめあった。しばらくの沈黙。けれどそれは、心がやっと追いついた時間だった。
「ここ……どこか、分かる?」
「ううん、分かんない。夢の中で見たかもだけど……分からない。お兄ちゃんが来てくれて、安心した」
「そうか……あぁもうっ……本当に無事で、本当に良かった」
正確には“無事”とは言えない。けれど、こうして再会できて、ちゃんと生きている――それだけで、胸がいっぱいになった。
透真はそっと彼女から離れ、真顔で周囲を見渡す。 もうこの家に長居するのは危険だ。気配はまだ完全には消えていないから。
「澪、すぐにここを出よう。俺の車が、廃校舎の前に停めてある。あそこまで戻れれば……ここを離れられる」
「……そっか……うん、大丈夫。歩けるよ」
澪はまだ完全ではないが、しっかりと立ち上がり、彼の手を取った。
その手は冷たい。それでも確かに――生きている。
車に戻るために、澪を連れて廃村を出る。
その道中、ずっと見られているような視線を感じていた。
それは澪も同じだったらしく、ずっと透真の手を強く握っていた。そして水の音。こっちは視線とは違って、ずっと一定の距離を保ったまま俺達の後をついて来ていた。
ただそれだけだった。
何かに道をふさがれることもなく、そのまま廃校舎の前、止めていた車のもとにたどり着くことが出来た。
「これが……お兄ちゃんの、車?」
「あぁ。座席を倒して寝れるぞ」
「ほんとにっ!?」
目をキラキラと輝かせてそう反応する澪に、何だか自分も嬉しくなった。車の中に置いてある機材を見て、そういえば、ネット掲示板を更新していなかった事を思い出した。
地下室に向かうとだけ伝えて、それっきりだ。
さすがに心配している人も居るだろうし、先に報告だけしておくか。
【オカルト板】
【深夜定例】心霊スポット探索スレ《第42夜》【現地実況】
666 名前:◆夜廻り透真[sage] 投稿日:20--/07/06(日) 20:14:32.20 ID:xTmaTOMA0
報告遅れてすまん。
あの地下で妹を見つけた。昔話した事あったよな?
澪、本人だった。今は車まで戻ってきたところ。
667 名前:本当にあった名無し[sage] 投稿日:20--/07/06(日) 20:15:07.61 ID:QlpYtD20O
【速報】透真氏無事だった!!
つーか、666レス目でこれってマジか……
澪ちゃんの事は覚えてるけど、
どういう事だ?何があったんだよ……
668 名前:本当にあった名無し[sage] 投稿日:20--/07/06(日) 20:15:42.19 ID:cqTt6RwM0
いや待て、地下ってあの「非常階段の先」だよな?
あれって、そんなに深かったのか?
地下に行くって言ってから1時間以上経ってるぞ
669 名前:本当にあった名無し[sage] 投稿日:20--/07/06(日) 20:16:44.98 ID:5qkrWJoU0
流石に震えてる
こういう「失踪してた人が戻ってくる」系って……普通じゃないよね?ともかく透真氏、よく戻ってきたな……
670 名前:◆夜廻り透真[sage] 投稿日:20--/07/06(日) 20:16:21.88 ID:xTmaTOMA0
悪い。けど本当なんだ。
俺もまだ、整理しきれてないけど……でも澪は、生きていた。俺のこともちゃんと覚えてた。
今は、それで十分かなって。
(本人は少し休ませてる。落ち着いたら、もう少し聞く)
671 名前:本当にあった名無し[sage] 投稿日:20--/07/06(日) 20:17:13.50 ID:Fgj39Wlq0
結局、あの時のIDの文字化けって何だったんだ?
ちゃんとヤバいやつだと思ってたんだが……
まだ向こう側と“繋がってる”とか、平気?
672 名前:本当にあった名無し[sage] 投稿日:20--/07/06(日) 20:17:50.81 ID:Oca9tRrU0
このスレ、過去最高にゾッとしたわ
透真氏がこんな嘘つくとも思えないし、どうか二人とも無事で帰ってきてくれ
673 名前:本当にあった名無し[sage] 投稿日:20--/07/06(日) 20:18:03.45 ID:xringr18
怪現象もそうだけど、普通に崩落とかの可能性もあるから、無事そうでマジ良かったわ。
詳しい話は無事に帰ってからで良いから、ちゃんと聞かせてもらおうか
674 名前:本当にあった名無し[sage] 投稿日:20--/07/06(日) 20:18:29.89 ID:cqTt6RwM0
澪ちゃんも無事!透真氏も無事!
もう無理しなくていいから帰ってきておくれぇ~
俺達はもう心配で死にそうだぜ……
675 名前:◆霧ノ翁[sage] 投稿日:20--/07/06(日) 20:19:01.66 ID:KrmYO3kY0
えっ、何?妹が居たの?
うぅむ……コレは……
676 名前:本当にあった名無し[sage] 投稿日:20--/07/06(日) 20:20:04.77 ID:Fgj39Wlq0
霧ノ翁が素になってる!?
レアすぎる瞬間!!
677 名前:◆霧ノ翁[sage] 投稿日:20--/07/06(日) 20:22:45.41 ID:KrmYO3kY0
──“封は未だ完全に閉じられず”
“水に触れてしまった”かな、夜廻り殿。
であれば安心するには早い。
“水の社”を、見ていないのだろう?
掲示板に顔を出して、澪のことを話す。
事が事なので、やはり疑うものも居るが、それはしょうがない事だろう。誰だって、『廃墟探索を続けていたら、行方不明になった妹を見つけた』何を言ってるんだお前は――となるのが、当たり前の反応だろう。
けど、こうして多くの人に思ってもらえているのは、うれしかった。
しかし……それよりもだ。
俺が地下室に向かってから2時間も経っていたのか?
翁の言う、水の社というのも、確かに見ていない。
あの地下では、澪しか居なかったはずだ。
それにこの空は……とてもじゃないが、山奥の20時にしては明るすぎる。
「……うん……うん。……だね……」
「……澪?どうか……したのか?」
ついさっきまで普通だった澪の様子がおかしい。
俯きながら何かを呟いている。
いや、誰かと話しているのか?
気づかないふりをしていたのか、それとも本当に気づいていなかったのか──それは、俺にも分からなかった。
けれど俺は、“気づいてしまった”。
その瞬間、ポチャンっと水が落ちる音が響いた。
「ここで帰るの?」
「……お前、誰なんだ?」
地下で見つけた時と同じだった。
澪の中に居る誰か。
「……社、放って行くの?」
「それは……」
このまま澪を連れて帰りたいというのは、紛れもない俺の本心だった。けれどコイツの言う通り、このまま全てを置いて去るのも、また違うと感じていた。
「……お兄ちゃん、行こ?」
「……澪。分かった。行こう。何があっても、俺が守る」
立ち向かう覚悟を悟ったのか、気づけばまた――澪は、いつもの彼女に戻っていた。
けれど、“それ”が居なくなったわけじゃない。まだ澪の中に居て、遠くから、あるいはすぐ傍で、俺たちを見ている。
廃村の中でずっと背後についてきていたのは、きっと……アイツだったのだろう。
澪の手を強く握りしめ、俺たち兄妹は再び、廃校舎へ向かうことを決意した。