《 魔法がない世界 》
エステルが辿り着いたのはアルビオンの300年後なのか・・・
翌朝、エステルが調理場に行くと先客がいた。
「おはよう」
エステルが声を掛けると娘が振り返った。20代前半だろうか、栗色の髪に碧色の瞳の小柄な娘だった。
「おはよう。初めて見る顔だけど、昨夜来たの? 私はノーマ、よろしくね」
娘は物怖じしない様子で、笑いかけてきた。
「エステルよ、よろしく」
エスエルが会釈して名乗ると、ノーマは手にしたやかんを持ち上げた。
「ちょうどお茶を淹れるところよ、一緒にどう?」
エステルが頷くと、水桶からやかんに柄杓2杯の水を注いで、台の上にある丸い金属の輪の上に置いた。エステルが竈はどこだろうと思っていると、ノーマは台の手前についている取っ手を押した。やかんの下から突然勢いよく炎が上がった。
(火が! これって魔法? それとも、マーリンが作っていたような機械?)
エステルは危うく声を上げそうになったが、幸いノーマはポットに茶葉を入れていて、こちらを見ていなかった。
「コンロってホントに便利よね~ 私の村はまだ竈なの、柴拾いは子供の仕事だからってずっとやらされてたわ。エステルは?」
ノーマはつまみを回して火の強さを調節しながらエステルを振り返った。
「そうね、私もやってた」
エステルは平静を装って適当に話を合わせた。ノーマに聞いても仕組みを知っているとは思えなかったし、小規模な下宿屋にさえあるのなら、街では至極普通に普及しているのだろう。初めて見たと言えば怪しまれると思ったのだ。
ノーマは陽気な娘で、こちらから話題を振らずともラスゴーの街や自身が生まれ育った村について話が途切れなかった。
「ところで貴女、街へは来たばかり? 誰の紹介でここに来たの?」
ノーマが二杯目の茶を注ぎながらエステルに尋ねた。
「えぇ、昨日着いたところ。紹介してくれたのは食堂の女将さん、スーさんだったかな」
それまで黙ってノーマの話を聞いていたエステルが返事をすると、ノーマが目を輝かせた。
「やっぱり! 遅い時間に来るのはほとんどがスーおばさんの紹介なのよ。アニーさんはとっても慎重な人でね、飛び込みの人は敬遠するの。でも、スーおばさんは長年商売やってて人を見る目があるから、彼女の紹介なら断られることはまず無いわ」
ノーマはうんうんと納得顔でカップを傾けた。
「ノーマさんは二人の事をよく知っているのね」
エステルがカップを置いて尋ねた。
「さん付けなんて必要ないわ、ノーマと呼んで。実は私ね・・・」
ノーマは勢い込んで身の上話を始めた。ノーマの母とスーは同じ村の生まれだと言う。村では若い娘の働き口は少なく、スーの口利きでこの近くの精肉店に勤めていると言う。
「エステル、貴女運が良いわよ。着いたばかりでスーおばさんに声を掛けられるなんて。そうそう、運が良いと言えば今日は氷があるのよ! 残りのお茶はアイスティーにしましょう」
いそいそと立ち上がったノーマは、棚から見たことがないほど透明な器を二つ取り出すと調理台の下部にある引き出しを開けた。
「氷、多めで良いわよね」
ノーマはそう言うと葡萄粒ほどの大きさの透明な何かを器に入れ、少し温くなった茶を注いだ。
渡された器の冷たさにエステルは驚いた。器は透き通り、中の紅茶と透明な粒がはっきり見えた。キャメロット城にもグラスはあったが半透明な物で、これほど透き通った物は無かった。ノーマが『氷』と呼んだものには心当たりがあった。深い洞穴に凍った湖から切り出した氷を保存し、夏場の涼を取るために使われることがあったからだ。だが、湖の氷はゴミなども混ざっている為、食用にする事は出来なかったのだ。
(清浄な氷を簡単に保管できるなんて・・・ 貨幣や夜明石だけではなく、まだまだ知らない事が沢山ありそうね・・・)
ノーマとアイスティーを飲みながらエステルは更なる不安に駆られていた。
下宿屋を拠点に、エステルはアベルを連れて街を散策した。
街は街道を挟んで南北に分かれていた。南部は商店や民家が立ち並び、中心の教会付近には大きな屋敷が目立った。北部は職人が多く様々な工房があり、エステルが見たことも無い道具も数多く並んでいた。街の井戸には不思議な機械がついており、幼い子供でも簡単に水をくみ上げることが出来たし、大きな宿屋や商店には、井戸まで行かずとも屋内に水が出る機械があると言う。キャメロットでは考えられない事だった。これらも『錬金術』が使われているらしかった。
(確か、大陸には『水道』ってものがあったと思うけど・・・)
便利な仕組みはあるものの、人々の生活はキャメロットと大差無いとエステルは感じていた。
ラスゴーの街は商店や飲食店はかなり充実していたが、食堂の客が言っていたように治療院は見当たらず、小さな薬店が1軒あるだけだった。
「ここは恐らく未来のアルビオンだわ。マーリンの魔法で何年先に飛ばされたのか分からないけれど、ここで暮らしながら戻る方法を探すしかない。どこの馬の骨かわからない小娘を雇ってくれるところを探すよりも、マーリンから教わった医術知識と治癒魔法を使って自立したほうが良さそうね。ただ、昨夜の人が言っていたように採算が取れるかは・・・ それにしても『錬金術』って魔法とは違うものなのかしら・・・」
エステルは昼食をとりにスーの食堂に向かった。
「部屋はどうだった? 気に入ったかい?」
店に入るとスーが声をかけてきた。
「えぇ、使いやすそうな部屋です。ところで女将さん、この街で本が見られる所はないですか?」
エステルはスーに礼を言い、本について尋ねてみた。
「本かい? 砦には置いてあるだろうけど、訪ねて行っても見せてくれるかどうか・・・ 本は高価だから、王都でないと商っている店はないし・・・ そうだ、子供を集めて勉強を教えている人が居てね、あの人の所だったらあるんじゃないかね。多分、夜にはうちに食べに来るから、エステルさんもおいで」
エステルは頷いて食事を注文した。
食事を終えたエステルは、街の東側に広がる森を探索した。
「かなりの種類の薬草が大量にあるわ。砦の医官は国から薬が支給されるだろうし、街の薬店も王都から仕入れていると言っていたから、薬草を採る者がほとんどいないのね。これなら薬の備蓄が出来たら治療院が開けそうね、アベル」
夕暮れまで森を探索して薬草の配置を書き留めたエステルは食堂に向かった。
店に入るとスーが手招きした。
そばのテーブルには40代後半だろうか、栗色の髪の男性が座っていた。
「エステルさん、この人が昼に話したアルバート先生だよ。先生、この娘さんが本を見たいって言ってるんだけど、話を聞いてやってくれるかい」
「エステルさん、良かったら食べながら話をしませんか。貴女が読みたいと思っている本がどういう種類か教えて下さい。私もそうたくさんの本を持っている訳ではないから、わざわざ来てもらっても期待に沿えないかもしれないから」
アルバートは人懐っこく笑うとエステルをテーブルに誘った。
歴史、主に300年前のアルザー王について調べたいとエステルが話すと、アルバートはニコリと笑った。
「アルザー王伝説だね、僕も大好きだよ。子供向けから芝居の戯曲まで、たくさんの作品がある。私も数冊持っていたはずだ」
「伝説なのですか? 実在の王ではなくて・・・」
エステルは不安げに問い返した。
「実在したとも言われているが、僕は何人かの王の業績をまとめて、英雄伝にしたのだろうと思っているよ。円卓の騎士とか不思議な力を持つ宝剣とか、魅力的な要素が多いからね」
アルバートは手にしたウィスキーグラスを傾けながら答えた。
(宝剣? エクスカリバーの事かしら。だったら、やはり父上の名前が間違って伝わっているだけなのかも・・・ )
「伝説だと言われてがっかりしたかい?」
不意に黙り込んだエステルにアルバートがすまなそうに声をかけた。
「いえ、伝説だとしても知りたいので、本を見せて下さい」
うっかり考え事をして浮かない顔をしていたらしい。エステルは慌てて笑顔で答えた。
「では、地図を描くから、明日の午後いらっしゃい。アルザー王以外に見たい本はあるかい?」
「そうですね・・・ 魔法関係の本があれば」
「え? 魔法?! それって、もしかして錬金術の事かい?」
エステルが何気なく発した言葉にアルバートは戸惑ったような声を出した。
「そ、そう。錬金術の事を私の周りの者が魔法って呼んでいたので・・・」
(しまった! 魔法と言う言葉は使うべきではなかった!)
「エステルさんは他国から来たばかりだったね。そうか、他国では魔法と呼んでいるのか・・・ 珍しいもの・不思議なものって感じなんだろうね」
アルバートはふわりと笑った。
「たぶんそうだと・・・」
エステルは苦笑いをして胡麻化した。
食事を終え地図をもらって店を出たエステルは、未だ慣れない明るい夜道を下宿屋へと向かった。
「魔法の痕跡はなく、父上の名が正しく伝承されていない・・・ 何故?」
エステルの呟きを足元のアベルだけが聞いていた。
アルバートが子供を集めて塾を開いている家で、エステルは10冊ほどの本を見せてもらった。どの記述もアルビオン統一を目指した王はアルザー・ドラゴニアとされ、側近にマーリンと言う魔法使いの存在はなかった。それ以外は、円卓の騎士や宝剣エクスカリバーなど合致点が多かったが、騎士の中にモードレッドの名はなかった。アルザー王はカムランの戦いで戦死したが、反乱を起こしたのは聞いた事もない名前の騎士になっていた。
確かに父アーサーが遠征に向かった方向に「カムラン」という場所があった。本に記載されたアルザー王の最後と符合する点もある。しかし、マーリンの名もそれらしき人物すらアルザー王の話には全く出てこない。アルビオン統一にマーリンの功績は大きく、それを無視して本が書かれたとは考えにくい。単にアーサー・ペンドラゴンの名が、誤ってアルザー・ドラゴニアと伝承されただけとは考えにくいのだ。
「本当にこのアルザーと言う王が居た時代に、魔法は存在しなかったのかしら? だからマーリンらしき人物はアルザー王の側に居ない・・・ この歴史は私が居た時代とは全く別のものかも・・・」
ここは自分が知る世界とはまったく別物なのではと、言い知れぬ不安に背筋が寒くなり、エステルはその場に蹲った。幸い、部屋には誰もおらず、アベルが心配そうにエステルの手の甲を舐めた。
「大丈夫よ、アベル。ここが私が居た時代の延長ではないと決まったわけじゃないわ。もしかしたら、ここに書かれていることは意図的に改ざんされたものかも・・・」
エステルには一つ思い当たることがあった。それは彼女の祖父にあたるウーサー王の事だ。ウーサーは魔法を憎み、魔法使いを徹底的に排除していたと聞いている。
「もしかしたら、おじい様のように魔法を憎む王が即位して、父上の偉業から魔法を消し去る為にマーリンの痕跡をすべて消し、父上の名前さえも変えてしまったのではないかしら・・・ でもその場合は、父上はカムランで亡くなっていることに・・・」
父アーサーが無事であるなら、いっそここが別の世界のほうが良いのにとエステルは思った。
頭を一振りして、エステルは『錬金術』についての本に目を通した。基本的には「価値の低い鉱物を金などの高価値の鉱物に変える術」で、この地には250年ほど前に渡来したと説明されていた。
「あの『夜明石』も何か身近な石を変化させた物ってことかしら。魔法との違いはよく分からないけれど、物を動かしたり、病を癒す事などは出来ないのかしら?」
結局、この場にある本からは魔法と錬金術の類似点を見つけることは出来ず、エステルはアルバートに礼を言って下宿へ戻った。
灯りもつけずにベッドで蹲っているエステルの膝をアベルがやさしく叩いた。
「ごめんねアベル、落ち込んだって何かが変わるわけではないものね。ここが何処であれ、私は今ここに居る。ここで生き抜くことを考えないとね。ここでの基盤を作ってこそ帰る方法も模索できるはず。私、諦めないわよ。さぁ、まずは腹ごしらえね」
エステルはベッドから降りると、午前中に買っておいたパンを皿に乗せ、呪文を脳裏に描いた。硬くなっていたパンが焼きたての香ばしい匂いをたてた。