《 従者アベル 》
婚礼準備のために王城にやってきたエステル
しかし、思いがけない事がエステルを待ち構えて・・・
王城に到着すると、ジークフリートがホッとした顔で出迎えてくれた。本当に迷惑をかけていたようで、エステルは素直に到着の遅れを詫びた。だが二人でゆっくり話す暇もなく、待ち構えていた女官長に引きずられるように湯殿に放り込まれたエステルはこれから先を思い憂鬱な気分になった。
「あの・・・ 衣装の打ち合わせに、入浴までする必要はないのでは?」
「まさか、その埃だらけの身体で婚礼衣装に袖を通すおつもりですか! 髪形を決めようにもこのように傷んだ状態でまともに結えるとでも? ふつう花嫁は数か月前から手を尽くして隅々まで磨きをかけるものだと言うのに、何日も寝ていないような眼の下のクマはいったい何なのですか!」
恐る恐る声を掛けたエステルに女官長の雷が落ちた。
「す、すみません・・・ 治療院の引継ぎが忙しくて・・・」
蚊の鳴くような声でエステルが頭を下げる。
「エステル様が患者さんを大事にされていることは侍医長様からも伺っておりますが、一生に一度の晴れ舞台なのですよ。少しはご自分の為に時間をお取り下さいませ」
女官長は声を和らげて、エステルの髪を優しく洗い始めた。
「このお美しい御髪が傷んでいてはティアラが映えませんわよ」
湯あみを終え楽な服に着替えたエステルは、女官長に案内され試着室に向かった。王城の最奥、王族の居住区画は廊下の角々に衛兵が居るのみで人通りも少ない。本来なら嫁ぐ前のエステルが入れる場所ではないのだが、子爵位を賜った際に下賜された屋敷が王都にあるとはいえ、アンソニー以外の使用人すらまだ居ない為、エステルの支度は全て王家側でやってくれることになった。全てはジークフリートの嘗ての乳母で、現在は女官長であるメアリーが取り仕切っている。使い魔とは言えマーリンを試着室に入れるのは憚る為、エステルはアベルだけを連れ、マーリンは廊下で待たせることにした。
「おや、侍女たちは何処に行ったのかしら?」
控えの間に居る筈の2名の侍女の姿が無く、女官長は驚きの声を上げた。エステルは咄嗟に探知魔法を脳裏に記した。奥の部屋に3人、しかも二人は床に倒れている様だ。
【マーリン、側に来て! 様子が変よ】
声に応えて、使い魔の気配が背後に現れ、腕の中のアベルも身構えた。
女官長が奥に通じるドアを開けると、純白の婚礼衣装を着た娘が部屋の中央に立っていた。そして足元には二人の侍女服を着た者が倒れている。
「貴女は・・・ ヨークシャー伯爵令嬢、そこで何をしておられるのです! ここは貴女様が入って良い場所ではございませんよ」
女官長は侵入者の目を見てキッパリと告げた。
「あら、メアリー。このドレスを着る資格があるのは私だけだと貴女もよく分かっているでしょう? そこの何処の馬の骨とも知れぬ赤毛の下民ではないわ。幼い頃からジークフリート様とご一緒してきた、この私マーガレット・ヨークシャーだけがその資格があるのよ」
マーガレット・ヨークシャーと名乗った娘はドレスの裾を広げて自慢げに一回りして見せた。その右手にはナイフが握られ、不気味な光を放っていた。
「女官長殿、侍女たちの怪我が心配です。彼女は私が相手をします。廊下に出て衛兵と医官を呼んで来て下さい」
エステルが小声で女官長に囁く。
「何をこそこそ話しているの! メアリー、これでその女を縛りなさい。そして、ジークフリート様を連れて来て。私が直接お話すれば、すぐにでもその女との婚約を解消して、私を妻にと望まれるわ。さぁ、早く」
マーガレットが足元のロープを取ろうと姿勢を低くした瞬間、エステルの腕から飛び出したアベルがマーガレットの右手首に嚙みついた。ナイフを足元に落としたマーガレットに素早く走り寄り、エステルは彼女の腕を捕らえてロープで後ろ手に縛った。
【エステル、右のドアだ!】
マーリンの声がエステルの脳裏に響いた瞬間、隣室のドアが開き剣を持った男が飛び込んで来た。エステルは足元のナイフを拾い、男に向かって投げる。ナイフは男の右肩に深く突き刺さり、剣を取り落して蹲る。
「女官長殿、衛兵と医官を呼んで下さい。二人は私が見張っています」
男が落とした剣を拾い上げたエステルが声を掛けると、呆然と立ち尽くしていた女官長がようやく我に返って走り出て行った。
エステルはマーガレットの横に男を移動させ、ロープで二人を背中合わせに縛ったうえで、男の肩からナイフを抜き応急手当をしてやった。
【マーリン、貴方は手前の侍女を診て頂戴。私はドアに近い方を診るわ】
マーリンに声掛けし、エステルはうつ伏せに倒れている侍女を抱き起そうとした。
「エステル様、大丈夫ですか!」
衛兵が大声を上げて部屋に飛び込んで来た。
「えぇ、大丈夫・・・」
そう答えながら振り返った瞬間、腕の中の侍女が動いた。視線を侍女に戻そうとした時、生暖かい雫が横顔にかかり、エステルは硬直した。
(血の匂い・・・)
手元を見ると、抱き起そうとしていた侍女が構えた短剣にアベルが串刺しにされていた。
【エステル、直ぐに戻るよ・・・】
エステルの脳裏にアベルの消え入りそうな声が響いた。
「アベル! アベル! 嫌よ、アベル!!」
エステルは短剣ごとアベルをひったくって胸に抱いた。衛兵が走り寄り侍女をエステルから引き剥がす。
エステルはアベルの胸から短剣を引き抜き、時間を戻す魔法を使おうとしたが、何故か呪文を書き記すことが出来なかった。
【エステル、ダメだよ。アベルは既に事切れている。死者を呼び戻すのは『禁忌』だ】
マーリンが呪文を打ち消していた。
【でも、でも・・・ アベルはあの時だって剣の前に飛び出して私を守ってくれたのよ!今度だってホンの数秒じゃない・・・ アベルごめん、私が彼女から目を離したから・・・】
エステルは血まみれのアベルをきつく抱きしめた。
【エステル、アベルは直ぐに帰ってくるよ。7つ目の命を持つ『力を宿した猫』としてね。二人で待とう】
見えないマーリンの翼がエステルの頭をそっと包んだ。
知らせを受け駆け付けたジークフリートは、床に座り込み血だらけのアベルを抱き締めるエステルを見て愕然とした。声を掛けても動こうとしないエステルを、ジークフリートはアベルごと横抱きにして空中庭園に連れて来た。
「僕からもアベルに礼を言わなければな。アベルは立派な従者だ、エステルを命がけで守ってくれた。どんな騎士にも引けを取らない。何時でも会いに来れる様にここに彼を葬ろうと思うのだが、エステルはどう思う?」
ベンチに座らせたエステルの肩を抱き、ジークフリートはもう一方の手でアベルの頭を優しく撫でた。
エステルはただ泣き続けていた。私の為に誰かが傷付くのはもう二度と見たくなかったのにと心の中で叫びながら・・・
アベル・・・ 早くエステルの元に帰ってきてね




