《 謀反 》
エステルがここに来るきっかけは、彼女が17歳になったばかりの寒い朝だった。
アーサー王はマーリンを伴って長期の遠征に出ていた。エステルは同行を懇願したのだが、母上と城を頼むと言われ、留守を預かる円卓の騎士モードレッドと共に渋々キャメロット城に残っていた。
「さて、これで準備万端ね」
エステルは美しい赤髪を後ろで軽くまとめると上着のフードを被り鏡の前で微笑んだ。エステルはいつも少年のような身なりだった。少しは姫様らしくしてはと乳母に小言を言われたが、マーリンとの魔法や医術の習得に加え、騎士たちとの武術訓練に忙しく、ドレスなど着ている時間はなかった。
腰に愛用の剣を差し、エステルが部屋を出ようとした時だった。モードレッド付きの侍従がエステルの部屋に飛び込んできた。
「エステル様! 大変です、アーサー様が重傷を負われたとの伝令が!」
「父上がお怪我を?! どの砦からの伝令ですか?」
エステルはフードを払いのけ侍従に詰め寄った。
「東のハント砦です。モードレッド様がエステル様もご一緒にと正門でお待ちです、お早く!」
侍従の後を追って走りながら(おかしい)とエステルは思った。マーリンが一緒なのだ、伝令など使わず、なぜ魔法で呼びかけてこないのか・・・
正門に着くと物々しい装備の兵士がひしめいている。これではまるで出兵ではないか。
「モードレッド殿、これほどの兵を率いて行く必要がありますか? これでは城の守りが手薄になります」
既に馬に跨っているモードレッドに向け、息を整えながらエステルは声を掛けた。
「大丈夫ですよ、エステル姫。 城は既に私が掌握しましたので、アーサー様のお命を頂く為には、これくらいの兵が必要なのですよ」
鎧に身を固めたモードレッドが薄ら笑いを浮かべた。
「モードレッド、円卓の騎士である貴方が謀反ですって!」
腰の剣に手をかけ、モードレッドに詰め寄ろうとしたエステルの背後から、二人の兵が彼女の両腕を拘束し剣を取り上げる。
兵士の腕を振り解こうともがくエステルの目に、館の壁沿いに多くの兵士が血を流しながら拘束されている姿が飛び込んできた。
「離せ、無礼者! モードレッド、母上は何処です! ご無事なのですか!」
「ご心配なく、王妃様とエステル様は大事な人質ですからね。すぐに会わせて差し上げますよ。では、私はアーサー様のお命を頂きに参りましょう」
モードレッドはエステルに軽く頭を下げると馬を進めた。
エステルは後ろ手に縛られて兵に引き立てられながら『会話の魔法』でマーリンを呼び続けたが、何故かマーリンは答えなかった。
【 なぜ! なぜ答えてくれないのマーリン! マーリン!! 】
母グィネヴィアの居間に連れてこられたエステルは窓際の椅子に座った母に駆け寄った。
「母上! ご無事でしたか、お怪我はありませんか?!」
「ええ、大丈夫よエステル。さぁ、腕の縄を解いてあげましょう」
母の無事を確かめて安心したエステルは、立ち上がり側のテーブルからナイフを取った母に背を向けた。
「うぐっ!!」
右肩に受けた激痛にうめき声を出してエステルが蹲る。
「母上?! 何を・・・」
両膝を床につき、肩越しに振り返ったエステルの眼前には、血染めのナイフを手にしたグィネヴィアが薄ら笑いを浮かべて立っていた。
「何をって? お前を殺すために、まず利き腕を使えなくしたのよ、エステル」
グィネヴィアはエステルの腕の縄を切ると、ナイフをテーブルに戻し、窓際に立てかけてあった剣をとり、鞘から抜き放つとエステルの前に回った。
「私を殺す?! なぜ? なぜなのですか、母上!」
「お前がいては私が女王になれないからよ。 アーサーはもう帰らないわ。モードレッドに『死の呪い』を付与した剣を与えたからね。 謀反など成功しようが失敗しようが、アーサーに一太刀でも傷を負わせることが出来れば、王国を継ぐのはこの私よ」
(しまった! 母上は人質などではない。人質を監禁した部屋にナイフや剣があるはずないもの。 なぜ部屋に入った時に気付かなかった! 窓に格子すらない部屋に、拘束もせず、見張りも付けず、人質を放置する訳がないのに・・・)
エステルは自身の迂闊さに気付き、唇を噛んだ。
「謀反が成功すれば、お前はモードレッドに処刑して貰えば良いけれど、失敗して家臣たちが城を取り戻した時の為に、お前は私を守ろうと奮戦したが、力及ばず命を落としたって事にしておきたいの。だから正面からも何度か切らせてもらうよ。お前ほどの腕前なら、かなり抵抗した傷にしておかないとね。」
エステルは母を睨みつけ、脳裏に『治癒魔法』の呪文を記した。 右肩の痛みは徐々に薄れ血も止まり始めた。だが右腕は動かない、神経を損傷していればエステルの魔法では回復に時間が掛かる。
エステルは力を振り絞り立ち上がろうとするが、なぜか足に力が入らない。無傷の左腕もまるで鉛の様に重い。
「動けないでしょ、エステル。 ナイフに毒を塗っておいたのよ。 そのままおとなしく私に切られた方が苦しまずに済むわ」
剣を手にしたグィネヴィアが冷たい目で見下ろす。
「絶対に諦めたりしない!! 父上に『呪いの剣』の事をお知らせして守って見せるわ!」
声を振り絞り、エステルは渾身の力を籠め立ち上がる。
「なんと、あの毒も効かないのかい?! やはりお前は私の娘などではない! アーサーが魔物と契約して生まれた赤髪の怪物よ!!」
絶叫したグィネヴィアが剣を振り上げエステルに切りつける。
毒で満足に動かない左腕をなんとか胸の前にかざし、振り下ろされる剣を腕輪で受けたエステルは辛うじて致命傷を免れた。だが、腕輪は粉々に砕け、深手を負った腕から大量の血が噴き出し、エステルは再び床に両膝をつき蹲った。
(怪物!? なぜ母上はそんなことを? 魔物と契約って、赤髪が魔物の色だとでも言うの? 父上もマーリンも祝福の色だって喜んで下さったわ)
【 マーリン!マーリン! どうか父上を守って! 】
治癒魔法を使うのも忘れ、エステルは頭の中でマーリンに呼びかけ続けた。
「もう少し傷を負わせてからと思ったけれど、これ以上その憎らしい顔を見ていたくない! 覚悟しなさい、エステル!」
グィネヴィアは両手で剣を握りしめ、エステルの心臓めがけて剣を突き出した。
【 エステル! 目を瞑れ!! 】
革ベストの左胸に剣の切っ先が届くと思った瞬間、エステルの頭にマーリンの叫び声が響いた。
エステルがギュッと目を瞑った瞬間、不思議な浮遊感が身体を包んだ。