《 姿無き脅威 》
一見平和に思えたこの世界にも脅威が!
放牧地の外れ、森に繋がる茂みの手前でエステルは馬を止めた。茂みの中からは勢子役の兵の声と犬の鳴き声がしていた。彼らは軍営の異変には気付かなかったようだ。
「小隊、集合せよ!」
ようやくエステルに追いついたローリー隊長が大声で命じると、8名の兵士と犬4頭が姿を現した。
「全員揃ったか? 知っている者もおるだろうが、私は王都警備隊長のアルバス・ローリーだ。本隊は予定を変更して砦に向かう事になった。兵5名と犬達は俺と残って狩りの続きだ。他は本隊と合流せよ」
「ローリー隊長、私は伍長のワッツと申します。まだダン小隊長が戻っておられません」
周りを見回した兵士の一人が困ったように答えた。
「小隊長を最後に見たのはどの辺だ? 犬も一緒か?」
「はい、犬を連れて北側の森に入って行かれました。犬笛を鳴らしてみます」
兵士が犬笛を強く吹いた。人には聞こえぬ音が響き渡ったのだろう、そばに居る4頭の犬が仲間を呼ぶように遠吠えを始めたが、森からの返答はなかった。後方では本隊が移動を開始したらしく、蹄の音が響いてきた。
「よし、ワッツとあと犬係4名は残れ。他は本体に合流だ」
ローリーが兵士と話している間、エステルは森との境の茂みを観察していた。狼は群れで狩りをする。このところの日照りで地面が乾いているとは言え、10頭もの群れがいるのなら、何かしら形跡が残されているはずである。しかし、それらしき跡は見当たらない。
【妖精さん、誰かいる? 私はエステルと言うの】
エステルは妖精に呼び掛けてみた。これほどの森や草原ならば複数の妖精が居るはずだが、返事は無かった。
アベルが馬上の鞄から不安そうに顔を覗かせている。エステルが更に森へと進もうとした時、突然頭の中に鋭い声が飛んだ。
【入っちゃいけない! 逃げるんだ!】
【妖精さん、森に何か危ないものがいるの?】
エステルが重ねて問いかけた。
【お前は本当に俺たちと話せるんだな。だったら直ぐに仲間を連れて逃げろ、ここには恐ろしいヤツが居る】
【私はエステル。アエネーイス様とは何度もお会いして、ラスゴー付近の妖精さんとも仲良しよ。恐ろしいヤツって何?ここで何が起きているの?】
【何かはよく分からん。ヤツはこの世のものではない、悍ましいものだ。さっきは人間も襲われていた】
【人間も!? それはどの辺?】
妖精の答えにエステルは緊張した。きっと行方不明の兵士だ。
【もう少し北側だが、行ってはいけない。お前も食われるぞ!】
「エステル殿、我らは行方不明者の捜索をするが、君はここで待っていてくれ」
妖精との会話に気を取られ、ローリーがそばに来るまで気付かなかったエステルはハッとして顔を上げた。
「エステル殿、大丈夫か? 顔色が悪いが」
人が襲われたと聞き、顔色が青ざめていたのだろう、ローリーが心配して声をかけた。
「いえ、なんでもありません。私もご一緒します。この森、静か過ぎて何かおかしいです。分散しないほうが良いと思いますから」
エステルは馬の所に戻ると、アベルにここで待つようにと告げ、矢筒を担ぎ弓と剣を持ってローリー達と北側の森に向かった。
森の入り口付近で犬を放すが、何かを恐れているのか森に入って行こうとしない。仕方なく犬はその場に残し、ローリーを先頭に5名の兵、殿にエステルと言う陣形で森に入った。
空気が淀み重苦しさを感じる。
(これは、瘴気?!)
暫く進むと、犬が倒れていた。大型の獣に腹を食いちぎられ絶命している。
「これはかなりの大物だな・・・」
ローリー隊長が犬に残された噛み跡を確認する。
地面がカラカラに乾いているため、足跡ははっきりしないが、何かを引きずったような跡と血痕が微かに残っていた。付近を警戒しながら進むと前方の深い茂みから人間の足の様な物が出ていた。
「ダン小隊長!」
ローリーのすぐ後ろを歩いていたワッツが叫んで走り出した。
エステルは魔法で気配を探知していたが、不意に20メートルほど先の茂みに悍ましい気配が出現した。
「伏せて!!」
エステルは鋭く叫ぶと、矢を2本番えて茂みに放った。
「ギャオ~!!」
耳をつんざく様な恐ろしい叫び声が上がった。兵士達が剣を構え、ローリーとエステルは弓を引き絞った。だが、森は静まり返り、何事も起こらない。
警戒しつつローリーと兵が左右に分かれて茂みを回り込む。そこにあったのは片足と胴体の一部だけが残されたダン小隊長の無残な姿だけで、彼を襲ったものの姿は無かった。
(瘴気が濃い・・・)
エステルは眉を顰めた。魔法探知から悍ましい気配は消えていたが、辺りの空気が更に酷く淀んでいて息苦しい。
「ヤツが傷を負ったのは間違いない、この人数での深追いは危険だ。ダンの遺体を回収して砦に戻ろう」
ローリーの指示にワッツをはじめ兵士達は、涙を堪えながら上官の遺体を丁重に包んだ。
【ヤツは帰ったようだ】
遺体の回収を少し離れて見守っていたエステルの脳裏に先程の妖精の声が響いた。
【帰ったって、どこに?】
【それは分からん。2か月ほど前に突然現れて狩りを繰り返している。毎回、突然現れては突如消える。本当に消えると言った感じなのだ、まるで別の世界から出入りしているかのようにな】
(別の世界!!)
エステルは雷に打たれたような衝撃を受けた。
【あ、妖精さんたちに被害は? アエネーイス様にお伝えすることはある?】
すぐに立ち直ったエステルが妖精たちの安否を尋ねた。
【いや、俺達に被害は無いが、この辺りは瘴気が濃くなっていて近づけない。女王様には二日ほど前に使いを出したよ】
【分かったわ。今回の報告が国に上がれば、大規模な討伐隊が来ると思うの。妖精さんたちには迷惑だろうけど】
【人が踏み荒らすのは面白くはないが、あの魔物を退治してくれるのなら有難い。だが、人間にあれが倒せるかな?】
【どんなヤツなの?大きさは?】
【真っ黒い大きな犬だ。お前たちが連れている犬の5倍くらいかな】
【ブラックドッグ・・・ 】
エステルはキャメロットで以前戦った魔物を思い出していた。
【お前、ヤツを知っているのか?】
【似た魔物に昔出会ったことがあるの。でも、この世界に居るとは思えない・・・ あ、そろそろ行かないと。心配して見に来てくれたんでしょ、有難う】
遺体を砦へと運ぶローリー隊長たちと途中で別れ、エステルはラスゴーへと帰った。
後日、あの森で大規模な捜索が行われたが、大型の肉食獣は発見されなかった。あれ以降、家畜の被害も報告されなかったが、万一を考慮して、森に繋がる放牧地を国が買い上げ、住民は移転することになったと、ウィリアムからエステルに手紙が届いた。
「別の世界との『通路』があの森にあったのかしら。私一人で確かめに行くのは危険すぎるし、次にマーリンに会ったら意見を聞くしかないわね。それにしてもブラックドッグだなんて、あの頃だって滅多に現れない魔物だったのに・・・ マーリンの知識と屈強な騎士たちが居たからなんとか退治できたのよ、この国の兵士で太刀打ち出来るのかしら」
エステルはキャメロット郊外での壮絶な戦いを思い出していた。
3週間後、今夜は大月だとアエネーイスからの使いが来た。
幸いにして、エステルの心配は無用のものとなった。あの森の妖精から、あの日以降魔物は姿を見せないとアエネーイスに報告が入っていたのだ。
【ブラックドッグとは聞いた事が無いのぉ。この世界で人を襲うような魔物は聞いた事が無い。エステルは向こうの世界で見たそうじゃな】
【はい、アエネーイス様。一度だけですが対峙したことがあります。マーリンの話では、遥か昔、瘴気が濃い時代には同様の恐ろしい魔物が多数いたそうですが、あの時代で現れるのは珍しいことなのだと。もしかしたら私がこちらに来たような『通路』がもっと古い時代と繋がったのではないかと思うのですが・・・】
【今宵、お前の師匠と話してみるがよい。さぁ、そろそろ開けそうじゃ】
アエネーイスが両手を空に掲げると、空間が捻じれだした。
マーリンと話した結果はエステルの仮説に近かった。アルビオンに当時現れたブラックドッグと同種だったとしても、もっと古い時代と繋がったと思われると。さらに、実際にエステルが姿を確認した訳ではないので、アエネーイスが知らない程昔に、よく似た種類の魔獣がこちらの世界にも居た可能性も否定しきれない。ただ、妖精の言うように複数回行き来していたのなら、偶然『通路』が開いたとは考えにくい。その森には過去や別世界と繋がりやすい要素があるのかもしれない。そうだとしても、危険なので決して一人で調べようとするなとマーリンに厳しく言い渡された。
「その要素が解明できれば、帰る手段が見つかるかも・・・」
明け方、山を下りながらエステルは呟いた。
のんびりファンタジーが少し変化し始めました




