《 出会い 》
武術大会の賞金のおかげで、エステルの治療院は順調です
「エステルさん、そろそろ『武術大会』ですよ。来年の参考に見に行かないんですか?」
数日振りにスーの食堂で夕飯を食べようと訪れたエステルに、久しぶりにラスゴーに戻っていたアレンが尋ねた。
「行くのかい?」
隣のテーブルに料理を運んできたスーがエステルの顔を覗き込んだ。
「行きません! それに来年も出ませんよ。去年は本当に賞金が必要だったんです。さもないと治療院は今頃潰れています。今後、資金が必要になって他に手立てが無かったら考えますが・・・ それでなくても、数か月ごとにフィンレー将軍からお誘いの手紙が届くので困っているんです。次に優勝したら恐らく王都から出してもらえないでしょう」
エステルは肩を窄めて溜息をついた。
「そりゃぁ拙い、エステルさんがいなくなったら俺達は大弱りだ。近いとはいえ怪我人を砦に運ぶのは大変だった。今じゃ、ひとっ走りしてエステルさんを呼べばいい。安心して仕事ができらぁ」
そう言ってビールを煽ったのは大工の親方アルだ。そうだそうだと、店の常連客達が相槌を打つ。
「皆さんにそう言ってもえらえて嬉しいです。でも親方、飲み過ぎて屋根から落ちては嫌ですよ!」
エステルはだいぶ出来上がっているアルに笑顔で釘を刺した。
「こりゃ、一本取られたな!」
頭をかくアルに周りからヤジが飛び交った。
「確かに資金は欲しいけれど、これ以上将軍に目を掛けられては困るわ・・・ 国の偉い人に係ると私の素性を詮索されかねない。ここでなら、異国の商隊と逸れた娘が偶々医術の心得があって、治療院が無かったこの街に居付いたってことで怪しむ人もいない。なにより妖精達と離れるとマーリンとも連絡が取れなくなるから、王都に住むわけにはいかない」
食堂を後にしたエステルは治療院への道を辿りながら『本音』をつい口にした。心配そうに見上げるアベルがミャーと鳴いた。
「さぁ、早く帰って休みましょう。明日は東の森に薬草を採りに行くわよ、アベル」
早朝、家を出ようとしたところに急患の知らせが入り、エステルが森へと向かったのは午後になってからだった。
「エステルお姉ちゃん、何処に行くの?」
森の手前の花畑でアルの末娘エミリーが声を掛けてきた。彼女はエステルが摘んでくる薬草に興味を持ち、時折森へも付いてきていた。
「こんにちはエミリー、薬草採りだけど今日はついてきてはだめよ。崖下の危険な場所に行くからね」
「この間、珍しい薬草があるって言ってたあの崖? だったら崖の上の茂みで木の実を採って待ってるわ。今日、父さんは隣村に行ってて、夕方あのそばを通るの」
「それでここに居たのね。わかったわ、絶対に崖に近づかないと約束出来たら連れて行くわ」
エステルはエミリーを連れて行くことにした。
森には隣村に通じる小道があり、行商人やアルの様な職人達が時折使っている。小道から少し分け入ると中央付近には高い崖に囲まれた美しい湖があった。エステルは崖の上の安全な茂みにエミリーを残し、崖の縁に立つ大木に長いロープを結び付けた。
エミリーのそばに戻ったエステルは、そばで心配そうに見ているアベルを抱き上げエミリーに渡した。
「エミリー、何があってもここを動いてはダメよ。もし私が戻らなくても、お日様があの木より低くなったら道に戻って親方に事情を説明するのよ。約束できるわね」
エステルは西側の木立を指さした。
「うん、約束! 気を付けてね、エステルお姉ちゃん。もし助けが必要だったら大声で知らせて。私、隣村まで走って父さんを呼んでくるから」
エステルは笑顔で頷くと、腰にロープの先を結び付け、器用に崖を降りて行った。
1時間ほど経っただろうか、かなり下まで降りて目当ての薬草を十分採取したエステルは、ゆっくりとロープを手繰り険しい崖を登り始めた。
突如、静かな森に狂ったような馬の嘶きが響き渡った。何事かと見上げたエステルの目に恐ろしい光景が飛び込んできた。エミリーが何かに押し出されるように崖から落下したのだ。エステルが息をのんだ瞬間、崖淵で馬が横倒しになり乗っていた男が鞍を蹴って空中に飛び出した。落ちてゆくエミリーに腕を伸ばしている。危険を承知で自ら飛び込んだようだった。
エステルは薬草籠を投げ捨てると、ロープをピンと張り、崖を蹴って二人の落下方向へと走りながら頭の中で叫んだ。
【シルフィー、お願い。力を貸して!】
度々この森を訪れシルフィー達とも知り合いになっていたエステルは彼らに助力を頼んだのだ。その声に応える様に、崖下から風が吹きあがりエミリーの落下速度が僅かに落ち、男はエミリーを抱え込むことが出来た。だが、エステルの腕力とこのロープの強度では彼らを受け止め無事に地上に降りることは難しい。エステルは強く崖を蹴ると二人に体当たりして湖方向へと押し出した。
【シルフィー、二人を深みまで飛ばして!】
湖の岸付近は水深が浅く岩が多いが、深みに落下すればまだ生還の望みがあるからだ。二人の落下方向を確認したエステルは腰のロープを外し、崖を蹴って自らも湖に飛び込んだ。
エステルが水面に浮かび上がると、すぐ脇にエミリーが立ち泳ぎしていた。
「エミリー、怪我はない?!」
「うん、大丈夫。でもあの人が・・・」
エミリーは泣きそうな顔でエステルに答えた。
「私が助けるわ、エミリーは岸に向かって」
エミリーが岸に向かうのを見届けて、エステルは息を大きく吸うと湖底に向かった。水中は見通しが悪く、エステルは魔法で灯りを点した。ほんのりとではあるが辺りを照らす光のお陰で湖底に沈んでいた男を発見したエステルは、背中側から脇へ腕を通し、男を抱えて泳ぎ始めた。しかし、意識が無い大の男を抱えて泳ぐのは困難を極めた。
【湖の精霊さん、水の妖精さん、力を貸して欲しいの! 助けてくれたら貴女とアエネーイス様に贈り物をするわ!】
知り合いではないが、エステルは精霊たちに助力を願った。
足元の水が渦を巻いてエステルを湖面へと押し上げる。
【シルフィー達が友達を助けてと言っているから】
恥ずかしそうな声がエステルの頭に響いた。
【有難う! 改めて会いに来るわ】
湖面に浮かび上がったエステルは波に押されて岸へと向かった。浅瀬の岩を避けながら重い男を引き上げるのは大変だったが、不安げに岸で待っていたエミリーのそばになんとか男を寝かせた。男は息をしておらず土気色の顔をしている。胸に手を当てエステルが脳裏に呪文を記すと、みるみる顔に生気が戻り、せき込んだ男は水を吐き出した。息を吹き返し安心したのか、エミリーが目に涙を浮かべて男の手を握った。
「もう大丈夫よ、エミリー。貴女、本当に怪我はない?」
エステルは改めてエミリーの体を確かめた。
彼が着水の衝撃から庇ってくれたお陰だろう、打ち身すら無い様だった。エステルは付近に落ちている小枝を拾い集め、焚火でエミリーと男を温めた。男の脈は安定し、呼吸もしっかりしてきたが意識は戻らない。
(この人の髪色、父上によく似ている・・・)
エステルがふとそう思った時だった。
「お~い! そこに居るのはエステルさんか?!」
崖の上から思いがけず声が降ってきた。驚いて見上げるとエミリーの父アルの姿があった。
「父さん!」
同時に見上げたエミリーが声を上げた。
「エミリー? 何でお前が! 待ってろ、直ぐに降りて行く」
迂回して崖下に降りてきたアルによると、森の小道を街へと向かっていたアルに突如アベルが飛びついたのだと言う。激しく鳴くアベルの様子に、エステルに何事かが起きたと思い、アベルの後を追って崖まで来たと言う。
「エミリー、何でお前がこんな所に居る!」
べそをかきながらエミリーが話し始めた。エステルが崖で薬草を採っている間アベルと茂みで木の実を採っていると、突然暴れ馬が飛び込んできて崖へと追いやられた。まずいと思った時には足元の地面が崩れて空中へ。もう駄目だと思ったら、男の人が崖から飛び込んできて、抱きしめられて水に落ちたからほとんど衝撃は無かったのだと。
「この方のお陰でエミリーは無傷です。とは言えあの高さから落ちたのです。ショックは大きいですから数日は気を付けてあげて下さい」
怒らないでやってくれと暗にエステルに言われ、アルは頷き項垂れるエミリーを抱き寄せた。
「アルさんが来てくれて助かりました。エミリーの命の恩人をどうやって治療院まで運ぼうかと困っていたところなんです。崖の上に馬はいましたか?」
「いや、見かけなかった。興奮していたのならそのまま逃げたのだろう。この人はこの辺では見かけないが何処から来たのだろうな。かなり上質の服を着ているが・・・ 怪我は酷いのか?」
「飲んだ水は吐き出したし、目立った傷はありません。しかし、全身を水面で強打しているので、治療院で詳しく調べないと安心できません。意識が戻らないのも気になりますし」
エステルが容体を説明する。馬が近くに居れば先に捕まえて来ようかと思っていたが駄目なようだ。
アルは少し考えていたが、森に入って直径7cm程の長い枝を2本切ってきた。邪魔な横枝を取り払い、自身の上着とエステルの上着を借り受け、袖を枝に通して急ごしらえの担架を作った。さすがは大工の親方である。アルとエステルで担架を担ぎ森の出口付近まで来ると、アベルが見知らぬ馬の手綱を咥えてチョコンと座っていた。
「アベル、その馬どうしたの?」
エステルの問いにミャ~と誇らしげに一声鳴いて、アベルはエミリーの腕の中に飛び込んだ。アベルが居た地面にはエステルが茂みに置いて行った鞄が置かれていた。どうやらアベルが逃げた馬を捕まえ、鞄まで回収して待っていてくれたようだ。
「さっき暴れていたのはこの馬だよ。こんなに大人しいのに、さっきは何で暴れていたのかな」
エミリーの言葉にエステルがよく見ると、右前足が腫れており小さな噛み傷があった。蛇に嚙まれたようである。エステルは鞄から薬を取り出し、馬の足に当てながら治癒魔法を掛けた。
「どうやら歩けそうですから、担架を馬の鞍に繋ぎましょう。その方が早く進めます」
エステルが馬の手綱をとり、アルが担架の後ろを支えて進む。もう少しで街に入ると言うところで、南方の丘から複数の蹄の音が近づいてきた。地元民しか使わぬこの小道を馬の一団が通ることは滅多にない。質が悪い連中でないと良いが目を凝らすと、鎧がキラキラと夕日に照らされている。
「あれはもしや・・・」
先頭を走る立派な鎧に身を包んだ偉丈夫は、エステルが見知った近衛騎士団のフィンレー将軍だった。
「エステル殿ではないか! そなた、その馬をどこで!」
馬から飛び降りたフィンレーがエステルに駆け寄る。
よほど慌てているらしい。馬の横に回って後ろの担架に気付いたフィンレーが叫び声をあげた。
「ウィリアム殿下!!」
フィンレーの声に、他の兵達も我先にと担架に駆け寄る。大勢の兵に囲まれて、父親の横を歩いていたエミリーが不安そうにアベルを抱き締めた。エステルは手綱を兵の一人に渡すとエミリーに歩み寄り肩を優しく抱いた。
「エステル殿、殿下は如何されたのだ! まさか、襲撃を受けたのか」
フィンレーが勢い込んでエステルに尋ねた。
「将軍、馬の脚をご覧ください、噛み傷があります。彼、いえ殿下は暴走した馬から振り落とされ湖に落下されたようです。私は崖から落ちる男性を目撃し、湖から引き揚げました。大きな怪我は無いようですが意識が無いため、ちょうど通りかかったアルさんに手伝ってもらい、私の治療院へ運ぼうとしていたのです」
エステルはエミリーについては一切触れなかった。王族に万一のことがあれば、引き金となったエミリーに責が及ぶ可能性がある。貴い身分でありながら身を挺して子供を助けようとした殿下なら、エミリーが責められるのは望まないと思ったからだ。
「そなたの治療師としての評判は砦の者からも聞いておる。砦に向かうよりもそなたの治療院のほうが近かろう。急いで案内してくれ」
フィンレーも事情を聴いてやや落ち着きを取り戻した。
「分かりました。親方、有難うございました。エミリーも疲れています、早く休ませてあげて下さい」
エステルはアルとエミリーを先に行かせ、兵から手綱を受け取った。二人の兵が担架の後を持ち、一行は速足で治療院へと向かった。
「エステルさん、今いいかね・・・」
事件翌日の午後、おずおずとアルが診療院の扉を開け、声を掛けてきた。
「大丈夫ですよ、殿下はもう出立なさいましたから。ちょうど親方の上着をお届けしようと思っていたところでした」
エステルが笑顔でアルを招き入れた。
「あの殿下って、第一王子のウィリアム殿下本人だったのか?」
愛娘の恩人が王位継承者だと分かり、昨夜は一睡もできなかったとアルは溜息をついた。
「安心して下さい。殿下は事情をすぐに理解され、エミリーのことは一切話題になさいませんでした。将軍も不慮の事故だと信じておられますから、エミリーにお咎めは一切ありません。なかなか話が分かる勇敢な殿下ですね、あの方はきっと立派な王におなりでしょう。ただ、私は王都に来るように申し付かってしまいました・・・」
エステルは大きく溜息をついた。
真夜中に意識を取り戻したウィリアムは、真っ先に「あの娘は?」とエミリーのことを案じた。ちょうどフィンレー将軍が席を外していたので、エミリーには傷一つなかったこと、通りかかった彼女の父親が移送の手助けをしたことを話した。そのうえで、暴走した馬から放り出され、一人で湖に落ちたことにして頂けないかとエステルが頼むと、一瞬驚いた顔をしたものの、直ぐに事情を呑み込んだようで、ウィリアムはニコリと頷いてくれた。
「元はと言えば私が馬を御しきれなかったせいであの娘を危険に曝した。済まなかったと伝えてくれ。親御殿にも助勢を感謝すると。ただし、貴女には彼らの分も目立ってもらうことになるが、それは覚悟してくれ」
そう言ってウィリアムはエステルを王都に召還したのだった。
エステルが落下する自分に体当りして、崖下ではなく湖の深みに落ちるようにしたことをウィリアムは理解しており、正式に王の前で褒美を受け取れと言うのだ。
「殿下、本当にお身体は大丈夫なのですか? 砦の責任者にも聞きましたが、湖を取り巻く崖は尋常な高さではないと。エステル殿の医術が抜きんでているとは言え、半日お休みになられただけで・・・」
砦で馬車を調達し王都へと向かう道すがら、フィンレーがウィリアムを案じた。あの高さから落ちて打ち身だけとは奇跡だと砦の医官も驚いていた。
エステルも見落としが無いようにと一晩中ウィリアムに付き添い、体の隅々まで魔法で確認した。万一、後遺症などが残っては事件が再調査される可能性もあり、万全を期したのだ。だが、エステルの心配は妖精達の尽力のお陰で杞憂に終わった。着水時もシルフィーの呼び掛けに応じた湖の精霊が守ってくれたそうで、打撲程度の怪我で済んでいた。そのことはエステルが後日礼に行った際に湖の精霊が教えてくれた。妖精達に守られたウィリアムは、朝には食事がとれるまでに回復していたのだ。
「大丈夫だ。将軍はじめ皆にも心配をかけたが、大したことは無い。本当にエステル殿は腕が良いようだ」
フィンレーの問いに笑顔で答えたウィリアムはエステルの事を考えていた。
(たまたま崖の途中にロープで降りていたとはいえ、巻き添えになる危険を冒して落下してくる者に体当りするとは・・・ あのまま真下に落ちていたら命はなかっただろう。武術大会の際も只者ではないと思ったが、医術の腕も含め、あれほどの者を地方で埋もれさせるべきではない。なんとしても王都に招かねば・・・)
馬車で出立する際のウィリアムを思い出しエステルは呟いた。
「本当に父上の髪色にそっくり・・・ 残念ながら瞳色はちょっと薄いけど」
自身の馬が原因とはいえ、王族の身、しかも王位継承第一位の王子が一介の少女を救うために崖から飛び降りるのはそうそう出来ることではない。いや、本来ならやってはいけない事だと言える。
「でも、父上も迷わず飛び込んだでしょうね、きっと」
フッと小さく笑ってエステルは調剤の仕事を再開した。




