17.名前呼び
「ん~! そろそろ帰るか~!」
俺はそう言いながら大きく伸びをした。
プレゼント交換から1時間くらいが経った。その間俺たちはお互いのプレゼントの匂いを嗅いだり、イヤーカフを付けたりと楽しんでいた。お互いに適当に駄弁ったりもした。
「そうね。もう外も暗くなってきてるし」
「そうだね~。あんまり長居しても悪いし。帰ろっか!」
外を見るともう太陽は沈みかけていた。やっぱり冬は暗くなるのが早いな…。
「じゃあ、片付けは俺がしとくよ」
遼太郎はそう言って立ち上がった。
「まじでか。いいのか? 俺たちも手伝うぞ?」
「いいっていいって。今日、ケーキとかいろいろ買ってきてくれただろ?」
それは俺たちが買ってきた方が都合が良いからだ。
「ほんとに良いのか?」
「いいのいいの。これから帰るんだから時間かかるだろ? やっとくから気をつけて帰れよな」
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて」
「ほんとにいいの? 遼太郎くん」
「うん! いいのいいの」
「ありがとう、一ノ瀬君。今日はお言葉に甘えさせてもらうわ」
「ありがと!」
「いいってことよ!」
俺達も荷物をまとめ、部屋を出る。
階段を降りている途中、俺はあることを思い出して遼太郎に話しかけた。
「あ、そうだ。遼太郎」
「ん?」
「これ、千朿ちゃんに渡しといてくんない? クリスマスプレゼント」
バックからプレゼント袋を取り出すと遼太郎に渡した。
どうせクリスマスに遼太郎の家に行くならと思って買っておいたやつだ。
「…マジかお前」
「え?何が?」
「いや、何でもない。千朿も喜ぶよ。あんがと」
「ういうい」
「じゃ、ありがとな~」
「ありがとね!」
「ありがとう、一ノ瀬君」
「は~い。気をつけてな~」
俺たちは遼太郎ママに挨拶をした後、玄関先で遼太郎に礼と別れを告げる。
「良いお年を~」
「ほいほーい。そっちもな~」
俺たちは帰るために三人で歩き始めた。
遼太郎はこっちを見ながらまだ手を振っている。俺たちもそれに振り替えしながら帰路についた。
***
「じゃあね~! 良いお年を~!」
「高橋さんもね~。じゃあな~」
「おやすみなさい。高橋さん」
高橋さんを家の前まで送り、別れを告げる。
高橋さんも遼太郎と同じで、姿が見えなくなるまで手を振っていた。
そうしてやがて見えなくなり、俺たちは二人で歩き始めた。
「いやあ、大成功だったな」
「あの二人。ついにくっついたみたいね」
「あ、やっぱりそう思う? 部屋開けた時のあれ、絶対キスとかしてたか触れ合ってたよね」
「そうね。あの焦りようは面白かったわ…。ンフフ」
浜松さんは思い出した様に笑う。寒い冬にマフラーに顔をうずめながら笑う彼女はとても美しく見えた。
浜松さんも楽しんでくれていた様で良かった。このクリスマス会の目的はあの二人がくっつくきっかけを作ることだったからな。正直、浜松さんも楽しんでくれていたなら良かった。
「ねえ、聞いてもいい?」
「ん? 何?」
笑っていた浜松さんはそう言った。
「千朿さん」
「千朿ちゃんがどうかしたか?」
「なんであんなにあなたになついているの?」
千朿ちゃんのことをやけに気にしている様に見えた。クリスマス会の途中も千朿ちゃんの名前が出るたびに反応してた。
「ああ、今年の初めくらいかな。ちょっと勉強教えていた時期があったんだ」
「…二人で…?」
「そ、そりゃもちろん。で、勉強を教えてたらなつかれたって感じ。今はもう教えてないけどね。地頭は向こうの方が良いし」
「…二人で勉強してたね」
「そ、そうだけど…」
なんだ? 何を気にしている? …もしかして、中学生と二人きりなんて何考えてんだって感じか??
ならば!
「安心してほしい。俺は何もやってない」
「…当り前でしょ」
なぜか呆れられてしまった。
何言ってんだこいつみたいな顔で見られてしまう。
…じゃあ何を気にしてるんだ?
「…千朿ちゃんって呼んでるのね…?」
「え?」
何の話だマジで。全く分からんぞ…。
浜松さんはそう言って、不満げに口をとがらせた。眉を寄せて顔をマフラーにうずめる。
「随分と仲よさげにお互い名前で呼んでさ」
「ま、まあ。勉強教えてたくらいだし。あいつも苗字一ノ瀬だし…」
「そうね。名前で呼ばないと不便だものね?」
「……?」
駄々をこねている子供のように彼女はぼそぼそと言った。
でも今は周りが静かだ。冬の住宅街。もう日も暮れてる。お互いの声がよく聞こえていた。
「浜松さん…どういう…」
「私のことは名前で呼んでくれないのにね」
ああ、なるほどな。そういうことか。
「私だってそこそこ仲良くなったつもりなのに。いつまでも浜松さんって」
「あ、いやそれは別にそう言う意味じゃなくて」
「なら。……私のことも名前で呼んで」
「っ……」
ドキッと胸が跳ねる。
血が顔に集まっているかの様に顔が熱くなる。冬の夜だ。寒いはず。なのに、俺の顔はまるで真夏の太陽の下にいつかのように熱かった。
浜松さんの方を見ると、マフラーに潜るようにさらに顔をうずめていた。マフラーから見える耳は寒さのせいか。恥ずかしさのせいか。ミニトマトの様に赤くなっていた。
別に仲良くないから苗字で呼んでいたわけじゃない。ただ最初にそう呼んだから。それだけの理由だった。
「名前……」
「……胡町って呼んで」
浜松さんはそう言う。その声はどこか震えているように聞こえた。
それは恥ずかしさからなのか、俺が拒否するとでも思っているからなのか。恐いからなのか。もし、断られることを怖がっているのだとしたら…?
「……胡町」
俺は彼女の名前を呼ぶ。
その瞬間。彼女はこちらを向いてにこやかに笑った。その頬はまだ赤い。
「…ええ。春成」
彼女の口から俺の名前が紡がれる。すこし照れながら。
「っ!」
思わず、顔を背けてしまう。彼女の澄んだ声で俺の名前が呼ばれた。そしてその美しい顔を赤く染めながら笑っていた。
……くそ。こんなの反則だろ…!
「春成? どうしたの?」
「……」
「こっち向いて? 春成」
「……」
「春成?」
俺の名前が気に入ったのか。それとも俺の様子を面白がっているのか。自分も恥ずかしいだろうに俺の名前を連呼する。
ならば…俺も反撃だ。やられてばかりじゃ居られない!
「なんだ? 胡町」
努めてキリッとした顔を保つ。それでも耳まで熱くなっていくのを感じる。
どうだ! 俺ばっかり恥ずかしくなって不公平だ! お前も照れろ!
「ンフフ! 何でもないわよ、春成っ」
「っ!」
嬉しそうに笑いながら跳ねる。
クリスマス会のプレゼント交換の時よりも嬉しそうに、優しく笑う。
そんな彼女はまるでこの世界に降り立った天使の様で、後ろに羽と天使の輪が見えそうなくらい、輝いていた。
***
「胡町って名前で呼ばれちゃった…!」
春成と別れ、家に着いた胡町は自室に籠もり、ぬいぐるみを抱きしめた。
「ンフフフフフ! 呼ばれちゃった…!」
先ほどまでの美女の顔は崩れ、今はだらしなくにやついている。
完全に恋する乙女のそれである。
「つ、次からは名前で呼び合えるってことだもんね…!」
そのか細い手をぎゅっと握る。
「しゅ、春成…。…春成。…春成」
彼の名前を連呼する。その度に胸の鼓動が早くなるのを感じた。
「あ、で、でも。一ノ瀬くんの妹がライバルなんて…思ってもみなかった」
そう。彼女は一ノ瀬千朿を自分のライバルだとして認識していた。実際に、自己紹介の時、マウントを取ってきたのだ。そういうことだろう。
『妹みたいなもの』なんてあの年齢になれば分かるだろうにわざと言ってきた。やっぱりそういうことなのだ。
「負けないようにしなきゃね…」
千朿は自分の先を行っている。名前で呼び合い、二人の時間を多く過ごしている。
それに追いつける様に自分も頑張らなくてはいけない。今回は名前で呼び合える仲に発展した。この調子で、どんどん発展させていこう。ゆくゆくは……。
先を考え、浜松胡町はゆでだこの様に顔を染めた。
彼女は案外、初心であった。