悪魔との凄舌戦
姫の住む小さなお城には、毎日多くの人々が訪れた。
国内の商人や外国の商人。遙か遠方からやってくる大金持ちやその国の大臣や執事。時として大国の王までがわざわざ訪れた。
彼らの目当ては姫の部屋にある老婆の石像だった。
その石像がいつから姫の部屋にあるのかは誰も知ず、いつ誰がどこから仕入れたかは王でさえも知らなかった。
石像の噂は国内から国外にまで風のように伝わり、興味本位で見に来た評論家達は声をそろえて「美しい」と唱えた。それを聞いて集まった人々は、石像を譲ってもらおうと、小さな城なら買えてしまいそうな程の金額を提示した。
王は誰と交渉するときも同じ事を繰り返し唱えるだけだった。
「あの石像に関しては私の一存ではどうすることも出来ない。姫に交渉してくれたまえ」
姫は誰にも譲る気はないようだった。それがその石像の価値をさらに高めていった。
姫は部屋に一人でいた。問題の石像の頭をピタピタと叩きながら言った。
「困ったわね。問題が大きくなる前に捨てておけばよかったわ。ここまで来ると下手に売るわけにもいかないし」
姫は石像のまえにしゃがみ込み、石像の顔をのぞくように眺めながら言った。
「これが美しいですって。バカじゃないの?どう見たって醜いわ。『まるで生きた老婆を魔法で石に変えてしまったようだ』って言っていた評論家もいたわね。あったりまえじゃないの。だってそうなんだもん。あ~あほらし」
その時、姫の背後から部屋全体が響くような低い声がした。
「ふふふっ。俺様は悪魔だ。その石像を頂きに来た」
姫は不思議そうな顔で振り向いた。誰もいないのを確認しながら呟いた。
「空耳かしら」
「空耳ではない。俺様は悪魔だ」
姫は首を傾げながら言った。
「空耳ではないって聞こえるわ。変な空耳」
「空耳ではないと言っておるだろ」
低い声は少し大きくなった。
「むきになってるわ。かわいい空耳ね」
「空耳ではないと言っておるのがわからんのか!」
「どうしても空耳じゃないって言い張る気ね。この空耳は」
「ちゃうっちゅーとるじゃろ!」
「別に空耳だからって、隠すことはないのよ。立派な空耳だっているんだから。聞いてる?空耳さん」
「何が立派な空耳じゃ!そんなのがどこにおるんじゃ!」
「立派な空耳に会って、自分も立派な空耳を目指すのね。それはいい志しだわ。がんばるのよ。空耳さん」
「俺様は悪魔だ!空耳ではない!」
「悪魔?ふふ、自分が空耳だってことに気づいていないの?」
「空耳ではないと言っておるだろ!」
「空耳よ。ソー・ラー・ミー・ミー」
「ええい!もう我慢出来んわ!」
黒い煙とともに姫の三倍はありそうな巨大な男が姿を現した。顔は人というより牛に近かった。頭には二本の大きな角が生えていた。色はどす黒く、腕も首も太く大きな胸板は針金のような剛毛に覆われていた。目は小さく大きな黒目は不気味に光っていた。
一歩後ずさりした姫が言った。
「でも、ここに来る人はどうして、いつも黒い煙とともになんだろ?」
「何の話だ?」
「いえ、何でもないわ。でも、驚いたわ」
「驚いたか。はははっ」
「私ね、お姫様育ちで、世間の事はよくわからないの。だから初めてなの」
「何がだ?」
「空耳をこの目で見るのは…」
「空耳など見た奴は世界中を探してもおらんわい!」
「じゃ、私が世界で初めてなの?空耳を見るのって!」
「だから、俺様は空耳ではないって言っておるだろ!」
「じゃ、さっき私と言い合ってた空耳はあなたじゃないの?」
「いや、あれは確かにおれ様だ」
「ほら、やっぱり空耳はあなたなのね」
「そうじゃ。さっきの空耳は俺様だから、つまり俺様は空耳で…ちゃうやろがあ!」
「べたべたね」
「何がだ?」
「いいえ、何でもないわ。で?」
「俺様は悪魔だ」
「嘘ばっかり」
「何で嘘なんだ」
「私も悪魔なのよ」
「何!お前のどこが悪魔なんだ?」
「どこが悪魔?悪魔ってここが悪魔でここは違うってもんなの?肩から腰にかけては悪魔だけど足は悪魔じゃないとかって」
「そんなわけないだろ!」
「でも、あなたの質問の仕方はそう解釈できるわよ」
「馬鹿者!悪魔は全身が悪魔だ!」
「そうでない人は」
「そうでない奴は全身がそうでない!」
「へえ、そうなんだ」
「そうだ」
「で、悪魔って悪いの」
「決まってるじゃないか。悪いから悪魔っていうんだ」
「あなたは悪魔だから全身が悪魔なのよね。ということは、あなたは全てが悪いのね」
「俺様は悪の権化だ!」
「頭も悪いの?」
「何?頭?」
「そう頭」
「頭はそんなに悪くはないと思っておるが…」
「でも、全身が悪魔なんでしょ」
「そうだ」
「頭だけ悪魔じゃないとか」
「頭も悪魔だ」
「じゃ、やっぱり頭も悪いんだ」
「ううっ、そういうことになってしまうのか…」
「本当に頭も悪そうね」
「なんだと?」
「じゃ、あなたは空耳ではないのね」
「そうだ。何度も言っておるだろ」
「私の勘違いか、がっかりぃ~。大体あなたが悪いのよ」
「何で俺様が悪いんだ?」
「悪魔だもん」
「悪魔だったら悪いのか?」
「自分でそういったじゃないの。悪魔は悪いんでしょ」
「悪いから悪魔っていうんだ」
「だから、あなたが悪いのよ」
「俺様が悪いのか…」
「当然でしょ。悪魔なんだから。あなたが悪い!」
「はて?俺様は悪魔…悪魔は悪い…俺様は悪い…俺様が悪い?」
「悪魔をやめて、阿呆魔にしたら?」
「どつくぞ!」
「で、自分が悪いってことに気づいた?」
「おう、俺様が悪い」
「あなたが悪い」
「俺様が悪い」
「じゃあ、謝りなさいよ」
「なんで、謝るんだ?」
「あなたが悪いんでしょ」
「おう、俺様が悪い」
「悪い方が謝るっていうのが筋ってものでしょ」
「しかし…」
「ごたごた言ってないで、さっさと謝って、とっとと帰りなさいよ」
「ぬふふふ…」
悪魔は不気味に笑った。
「何が、ぬふふよ」
「そうだ、悪い奴が謝るのが正しい…」
「で?」
「俺様は悪魔だから悪い。それを解っていて謝らない。悪いのに謝らないのは悪いことだ。そうだ、俺様は悪くていいんだ。なぜなら、俺様は悪魔だからだ。悪魔だから悪いのが正しいんだ。はははっ。どうだ、反論出来まい!がははっ。」
「ははは」
姫は嬉しそうに笑っていた。
「貴様!何が可笑しい!」
「だって、見てよ。あのカラス」
姫は嬉しそうに窓の外を指さした。
「よそ見しながら飛んでいて、木にぶつかって落ちちゃったのよ。ははは」
「カラスのことなんてどうでもいいだろうが!俺様の言ったことに反論はしないのか!」
「え?ごめんなさい。聞いていなかったわ。もう一度言って」
「うがっ。もう一度いうのか?」
「いやなら、言わなくてもいいわよ」
「俺様は悪魔だから悪い」
「あたりまえじゃない」
「最後まで聞かんか!」
「はいはい」
「それを解っていて謝らない。悪いのに謝らないのは悪いことだ」
「そうかしら?」
「そうかしら?って、悪い事じゃないのか?悪いのに謝らないんじゃぞ!悪いじゃないか!」
「なに向きになってるのよ、あなたの言いたいことは解るわ」
「な、解るじゃろ!筋が通っておるじゃろ!」
「でも、悪魔が筋を通してどうするの?」
「んが~*」
「頼むから、気持ち悪い声を出さないで!まとめるわよ。つまり、あなたは悪魔だから悪い。悪い者が謝るのは正しい。でも、あなたは謝らない、それは悪いこと。でも、悪魔だから悪くてもいい。そう言うことでしょ」
「そうじゃそうじゃ」
「牛面で嬉しそうに喜ぶのはやめなさいよ。気色悪いわ」
「大きなお世話じゃ」
「でも、悪魔だから正しいことはしないっていうのは、正しいんじゃないの?」
「その通りじゃ」
「だから正しくてはいけないんでしょ?悪なんだから」
「あ。そうか…」
「悪魔は究極の悪だから様になるのよね。中途半端に正しい悪魔なんて最低だわ」
「そうじゃな…悪魔だから正しいことをしない。それは正しい…と、言う事は正しいこともする…すると究極の悪で無くなってしまう…徹底した悪であるためには…正しいこともすればいいのか…いや、その段階で正しいことをしているので、中途半端じゃ…ううう…時々正しいこともするお茶目な悪魔…あああ解らんようになってきた…」
「謝っちゃえば?」
「なんじゃと?」
「とりあえず謝っちゃえば、悩まずにすむわよ」
「んー。どうやって謝ればいいんじゃ?俺様は今まで謝ったことなど無いので、謝り方がわからぬ」
「そうね、とりあえず三つ指ついて」
「三つ指か…難儀な…」
「どうしたの?嫌なの?」
「手が蹄になっておるので三つ指は…」
「牛の蹄って二本しかないのね。知らなかったわ。ま、適当にやって」
「私が悪うございました…これでいいのか?」
「そうやって、最初から素直に謝れば可愛いのに」
「どうも、不愉快な気がするんじゃが…」
「そう?私はとっても愉快よ」
「納得が出来ん」
「納得する必要なんてないじゃない。悪魔だモン」
「そうじゃな…」
「もう、気が済んだわね。じゃあ、帰ってもいいわよ」
「おう、邪魔したな」
「じゃあね」
「ちゃうやろがあ!」
「あら、帰るんじゃなかったの?」
「俺様は、謝るためにここに来たのではない!」
「あら、そうなの?」
「この石像を頂に来たのだ!」
「ああ、この石像がほしいの。現金なら安くしておくわよ」
「誰が買うと言った」
「もう、冷やかし客はお断りよ」
「ふふふ…冷やかしでもない…俺様は悪魔…断りもなしに奪って行く…ははは」
「断りもなしに?あなたはアホだからそんな器用な真似はできないわ」
「なんじゃと!出来たらどうする?」
「出来なかったらどうするの?偉そうに言って、何もできないんじゃ様にならないわよ。中途半端な悪なんだから…」
「うぐ、言わせておけば!」
「じゃあね。出来なかったら魂を置いて行きなさいよ」
「何じゃと!」
「悪魔って人の魂を買ったりするでしょ」
「そうだが…」
「しかし、悪魔が人間に魂を手渡すとなると…」
「あ、奪って行く自信がないんだあ」
「ふふ、自信はある。俺様の魔力にかかれば、こんな石像ごとき、一瞬で魔界へ飛ばせるわい」
「それなら心配する事は無いじゃないの」
「そうだな、その賭にのった!」
「いいわ。賭が成立ね」
「おう!では、俺様の魔力を見せてくれるわ!」
悪魔は両腕を高く上げ、奇妙な呪文を唱え始めた。
「あなたの負けよ」
「何!」
「待て、まだ術を使っておらんぞ」
「そこまでする必要がないわ。賭の公約を思い出してよ」
「なに?俺様はこの石像を断りもなく頂いて行くってっことだろうが」
「そうね」
「だから、これから頂いて行くでわないか」
「でも、十分断ってるじゃないの」
「あ」
「魔力で石像を運んでも、断りもなしにっていうのは無理よね」
「あ」
「はい、魂を置いてとっとと帰ってちょうだい」
「…」
悪魔の胸が突然光り出した。黒く輝く玉がふわりと飛び出し、姫の元へ飛んでいった。それを手に取った姫は嬉しそうに言った。
「ふーん、これが悪魔の魂か…」
魂を抜かれた悪魔は姫に向かって言った。
「貴様、アホだな」
「え?どうして、私があなたにアホ呼ばわりされなければいけないの?」
「はははは。俺様の勝ちだ。この石像はもらって行く」
「あなたは賭に負けたのよ。どうして石像を持っていくの?筋が通らないわ」
「なぜ、悪魔が筋を通す必要があるんだ?気色悪いことを言うな」
「どうしたの、あなた突然性格が悪くなったわよ」
「仕方がない、貴様はアホだから簡単に説明してやろう」
「誰がアホよ。さっきから角があるわね」
「悪魔に魂を売り渡した人間がどうなるかしっておるか?」
「そうね、心が悪魔の様になるのよね、確か…」
「ははは、そうだ。俺様は誰に魂を手渡したと思っておる」
「私に?え。ちょっと待ってよ、私に魂を手渡したから性格が悪くなったって言いたいの?」
「やっと気付いたか」
「あーにくたらしい!でも、魂を手渡したら、相手の下部になるんでしょ!」
「誰がそんなことを決めた!」
「私が今決めたの!ガタガタ言ってると、魂を刻んでネズミの餌にでもするわよ」
「うぐ、それはやめてくれ」
「いいこと、あなたは私の下部。石像を置いてさっさと帰りなさい。そして私が呼んだら三秒以内に現れるのよ。解った?」
「なんという、滅茶苦茶な性格!魂を手渡したぐらいでは本物には勝てぬのか!」
「誰が本物よ!失礼なことを言わないで。私は心の優しいお姫様で通ってるんだから」
「あーそーですか」
「あーにくたらしい!とっとと帰りなさいよ!」
「あばよ!」
悪魔は煙と共に去っていった。
残された姫は呟いた。
「冗談じゃないわ。誰が性格が悪いって言うのよ。失礼ね。まあ、いいわ。あの悪魔使えるわね」
姫は窓の外を眺めながら軽く微笑んだ。