第六部
国境を越えて、アレンティアに戻った俺は、何度も何度もサラのことを思い出しては、とんぼ返りしようかと考えていた。
何も考えず、側で彼女を看取れるまで一緒に生きようかと思った。
獣人だとバレてしまっても、フロリアンの人達なら受け入れてくれる気がした。
開き直ってしまえば、子供など諦めて、夫婦円満に生きていける・・・何度もそう思った。
だが世間がそう甘くないのは十分身に染みていた。
誰かが俺の存在を悪人に囁いてしまえば、捕まってまた売り飛ばされるだろう。
ルーカスのような研究熱心な野郎につかまれば、一生研究材料にされかねない。
サラと一緒にいれば、美しい彼女もどんな目に遭うか容易に想像できてしまう。
それだけはダメだ・・・
そして何より・・・別れることを提案した際に彼女と話したことは、いつかサラが誰かと結婚して子供を授かることが出来て、また俺が戻ることが出来たら、その子に会わせてほしい、親にはなれなかったけど、抱っこさせてほしいと頼んだ。
それがせめてもの、彼女に希望を抱かせる方法だった。
未来を想像して、懐かし気にいつか会いに来る俺を思い浮かべてほしかった。
気休めにしかならないことを吐いて、悲しみを紛らわせることしか出来なかったから。
そしてその後、ひたすら逃げるようにアレンティアの町を巡った。
安全に生きられる場所をいくつか見つけて、しばらく野良猫同然に過ごした。
何年・・・何十年経ったかはわからない或る日、寝床にしていた路地裏の近くに、新しくカフェが建った。
アレンティアの片田舎フロンの街外れ、誰かの帰りを待つように、地味な看板を立てて。
その頃はもう、考えを割り切るしかなかった俺は、サラをただの過去の恋人だと思い込みながら時を過ごしていた。
実際そうなのだけど、執着心や焦燥感を抑えるために自分を誤魔化し続けた。
「おや・・・こんにちは。」
初老の髭を綺麗に整えた男が、腰を折ってしゃがみ、俺に笑顔を向けた。
「この辺りの子ですか?私はクロードと申します。ここでご覧の通り・・・カフェを開くことにしまして。」
猫に堂々と話しかけるなんて・・・妙な奴だな・・・
「・・・なんとまぁ、毛並みの美しい。どなたかの飼い猫でしょうか・・・。ですが首輪が・・・なさそうですな。」
「おい、教えておいてやろう」
そいつが触れる前に口を開くと、案の定ポカンとした面で手を止めた。
「俺はノエルという。フロンの野良猫を牛耳ってる存在だ。なに・・・威張ってるわけじゃない。俺が珍しく魔力を多く持つ獣人がために、皆従うしかないんだ。今となっては追われる身ではないが、人間の姿で生きることにも飽きてな、ここらじゃボス猫のノエルで通ってる。」
「・・・ほう・・・そうでしたか・・・」
マスターはそれ以上特に俺に何かを尋ねることもなく、他の人間たちと同じように、己の生活のためにカフェの切り盛りを始めた。
どれ程年齢差があるのかもわからないが、俺は自分の年齢を数えることにも辟易していたので、人間が何十年と濃い時間を送るそれを、ほんの瞬きの間くらいの感覚で生きた。
その間に色んな者たちに俺の存在が知れるようになって、時に危ない目に遭うこともあったが、皮肉なことにそんな俺を助けてくれたのが、何故か顔見知り程度の人間たちだった。
そしてマスターもその一人で、雨の酷い日には俺に部屋を貸したり、金が必要になればカフェで仕事を与えてくれた。
人間の都合で居住地を追われた動物たちのために、住まいを探している旨を伝えれば、ロディアも国の者を呼んで手助けしてくれた。
色んな場所で色んな職業の者達と関わるようになって、アレンティアではいつしか、俺を獣人だと理解した上で、当たり前に付き合いを持つ者が増えていった。
「俺の話なんて、その程度だ。」
ベッドに腰かけた隣で、アリスは静かに聞いていた瞳を、また俺に合わせた。
「下らないだろう。自分の子孫を残すために、俺はサラから目を逸らして逃げて来たんだ。だが蓋を開けてみたらどうだ・・・あれから半世紀経てど、俺の子は一人も生まれていない。眉唾もんの噂から、最もらしい史実を調べてみたり、色々試しはしてきたが実証はない。腹立たしい魔術師の手を借りて、自分も魔術師になってやろうかとまで思ったこともある。だが俺はどこまで行っても獣人・・・王宮に一歩入れば俺の魔力で正体は駄々洩れで、国家魔術師共は皆俺を研究対象か実験台を見る目をする。・・・俺の命も無限じゃない・・・。子孫を残したい、人間に成りたいという願いは、もう叶わないものかもしれない。」
「・・・ノエルは・・・その夢がもし叶ったらどうするの?」
アリスは尚も、無垢な目でそう尋ねた。
「・・・もちろん、家族一緒に暮らして、人間のように子育てするさ。」
「・・・ノエルの夢は、話した中に出てきた、ルーカスさんの願いを引き継いでるの?」
「・・・それもあるかもしれないな。」
「けど・・・例えばだけど、人間である私と子供を残せたとしても、ノエルみたいに猫の獣人として生まれくるかどうかは、わからないよね?」
俺から聞いた話をどう解釈して質問を始めているのかわからないが、アリスは不思議そうに尋ねる。
「ま・・・まぁそうだな・・・。その場合・・・人間の子が産まれてくるか、もしくは・・・俺のように猫の姿で生まれてくるか・・・かもな。」
「・・・ロディアは遺伝子が最初から全然違うものだから、子孫を残せないって言ってたんだよね?」
「ああ・・・」
アリスは丸くて大きな青い瞳を、瞬かせながらあちこちに視線をやる。
「でも・・・変じゃない?怪我をしたときとか、具合が悪いときとか・・・ロディアは人間に使う薬でも、ノエルに使って手当してたよね?全く違う生き物なのに、同じ薬が効果あるって不思議じゃない?」
「・・・確かに・・・。」
「ノエルあの・・・何の確証もないのに、いい加減なこと言うようなんだけど・・・たぶんロディアは、ノエルが望むことの、解決方法がわかると思う。初めて会って相談したときも、サラさんがお若いうちに解決出来ないって言ったんだよね?逆に言えば、時間をもらえれば出来るようになるとも言えるし・・・」
「・・・」
俺が失念していたことを、アリスは淡々と述べた。
それもそうだ・・・あのロディアに出来ないことがあるほうが、何か腑に落ちないと言える。
「あの野郎・・・やっぱりはぐらかしただけだったのか。」
「ふふ・・・」
おどけた言葉に、アリスは口元に手を当ててクスクス笑った。
その様子が、尚もサラを思い浮かばせる。
「はぁ・・・やっぱり昔話なんてするんじゃなかったな・・・。」
小さくため息をつくと、アリスはまた穏やかな笑みを返す。
「アリス・・・」
「なあに?」
「出来ることがあるなら、協力したいと言ったよな・・・。アリスが言うように、もし時間をかけて成す術が明らかになったとしたら、俺の子を産んでくれないか?」
アリスは目を見張って、俺の言葉をどう飲みこもうかと考えている様子だった。
そしてまた穏やかな笑みを浮かべて言った。
「わかった、それが私にできることで、ノエルがそう望むなら叶えてあげたい。」
まさかそんな真っすぐな目で了承すると思わず、思わずゴクリと生唾を飲んだ。
「でもその代わり・・・サラさんに会いに行ってあげてほしい。」
「・・・・・なぜだ」
アリスは一点の曇りもない目で、小さく歌うように言葉を続けた。
「だって・・・きっとノエルはまだサラさんを愛してるし、きっと・・・サラさんももう一度会いたいと思ってると思う。・・・例え亡くなってしまってたとしても、ノエルの気持ちに区切りはつくんじゃないかな。」
「それは・・・」
悠久の時を生きる俺たちが・・・何を成せるか・・・
自分の中で残っていた、ルーカスやサラと過ごした経験が、自分の成したい願いに繋がっている。
俺は一人で生きて行けるはずなのに、家族を求めていた。
ルーカスもサラも、そしてアリスとロディアも、それを否定したりしなかった。
「・・・わかった。」
短くそう答えると、アリスは安心したように笑みを返した。
サラのことを話したせいか、アリスとサラを度々脳内で重ねてしまう。
恐らくアリスは人魚の生まれ変わりということもあり、典型的で普通な人間ではない。
特殊な魔力は体の中で色んな色をしている気がするし、それは少しロディアの魔力に似通っている。
彼女が俺の話を受け止めて、何を感じ、どうして俺の背中を押してくれるのか、意図を勘ぐっても仕方のないことだろう。
純粋で純潔なアリスは、誰かのために自身を犠牲にするような危うさを感じさせる。
それから数日後、俺はアレンティアを発った。
誰にも何も告げずに・・・




