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ノエルの追憶  作者: 理春
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第五部

自分がどれ程の愚行を働いたかなんて、自分がよくわかっていた。

それでもその時の俺は、サラの手を振りほどいて、もう一度家を飛び出すことは出来なかった。

同じ気持ちでいるから、一緒に居たいと思えるから、一緒に生きていく

ただそれだけのことが、正しいこととは言えない。

俺の人生ではあらゆることが起きたし、たまたまルーカスに助けられた俺の代わりに、死んだ奴もいるだろう。

愛さえあれば何でも乗り越えられるなんてのは幻想で、お互いの立場が違えば、いくらでも悲劇が繰り返される。

サラを傷つけられるわけにはいかないと思って、離れることを決意したのに、行かないでくれという言葉に逆らえなかった。


それから約10年間を彼女に捧げた。

俺の一抹の不安をよそに、穏やかで絵に描いたような、幸せな日々だった。

毎日共に寝起きして、庭の花の世話をして、彼女の仕事の帰りを待ちながら海を眺めて、太陽の香りがする洗濯物を取り入れて畳んで、また彼女が風呂上りに袖を通す服を選んで・・・

やがて同じベッドで眠る時は、体を重ねるようになった。

けれどその行為は、俺が今まで寝床を得るために女と交わしてきた行為とはまるで違う。

一緒に生きていられることを、同じ部屋で呼吸して、愛し合っていることを、そんな気持ちを大事に渡し合うような、気持ちよくて尊くて、何度も涙が溢れる瞬間の繰り返しだった。


サラは不安になる気持ちを押し殺しながら、何度も俺に『どこにも行かないで』と涙を見せた。

その度にどこにも行かないと、魔術でも唱えるように彼女に言い聞かせた。

同じように年を取れなくてもいい、周りからどう見られてもいい、貴方と生きていられればいいと、サラは本心で言い続けてくれた。


彼女が20代半ばになる頃、俺は働いて得た僅かな金で指輪を買った。

人間はどうしてか、国や地域によっては、結婚相手に指輪を渡す習慣がある。

それがどれ程の意味を持つのか、俺にはよくわからなかったが、サラの喜ぶ顔が見たくて手渡した。

案の定大層喜んでくれて、いつ何時でも身につけて生活するようになった。

そのうち彼女の話では、俺と一緒に住んでいることは周りの住人に知れていて、職場の人間にも同棲していると伝えていたらしい。


そしてサラと夫婦のように仲良く過ごすうちに、子供を授かりたいと強く思うようになった。

彼女と過ごして8年程が経っていた或る日、俺は国家魔術師を訪ねることに決めた。

獣人が人間に成る術、もしくは、人間と獣人が子を持てる術を、易々とそなへんの魔術師が知っているとは思えない。

ルーカスがあれほど研究してもたどり着けなかった答えだ。

あちこち聞きまわってしまえば、それだけ足が付く。

俺はサラと相談して、魔術師界の頂点に君臨する、ロディア・ベル・クロウフォードを訪ねることにした。

アレンティアを世界一の国家に仕立てた賢者・・・

高名な賢者であれば、あらゆる魔術に精通していてもおかしくはない。

彼が元々医療魔術師だという情報も得ていたので、何かしら糸口を手に入れられると踏んで、俺はフロリアンを出た。


事前にアポイントを取っていても、どうせ取り付く島などない。

門前払いを覚悟のうえで、王宮の門を叩いた。

当然の如く警備の者に警戒され、一歩も通してくれそうにはなかったが、俺は自分で手に入れてきた自身の手配書を見せた。

賢者に謁見させてくれるなら、ルーカスの話は洗いざらい吐いてやると。

どのみち獣人の魔力や遺伝子について聞くのなら、研究の第一人者であったルーカスの研究内容は必要不可欠。

だが教えられた研究内容が高度過ぎて、俺には何が何だかわからないことも多々あった。

それを紐解いてもらうためにも、ロディアの協力はなくてはならないものだった。


「君がノエルか。」


俺が最初に目にしたロディアは、長い銀色の後ろ髪を揺らして、貴族のような優美な魔術師のローブを纏った姿だった。

その瞳は闇のように真っ黒かと思いきや、たまに髪と同じような銀色になったり、はたまた金色になったりと、コロコロ色変わりする様に、少し気持ち悪さを覚えた。


「何を知りたい」


俺が粗方ルーカスの情報を渡すと、ロディアはそう簡潔に述べた。


「・・・フロリアンで、共に生活している人間の女性がいる。彼女と子供を残したい。・・・獣人が人間と子を残す術をご存じか?」


ロディアは広い応接間の空間で、冷たく存在するテーブルに頬杖をついて、しばらく考えていた。


「・・・残念ながら・・・。ノエルがどこまで生き物の魔力について知っているかわからないが、獣人や魔族、魔術師、その他の生き物、そして人間では、体内の魔力量も、質も・・・何もかもが細かく違っている。例えるなら・・・君が猫なら、私は蛇・・・人間は鳥、魔族は狼・・・そもそもの種類が異なる。」


ロディアは特に表情を変えずに、また真っすぐ俺を見据えた。


「遺伝子が違えば、子を残すことは難しい。似通った生物なら、新しい種類として間の生き物が生まれることもあるが・・・。」


「・・・俺は獣人だ。半分人間だ。」


「・・・それは似通っているとは言えない。獣人は元々獣である姿で生まれ、それから人間に変化することが出来るようになる。それは人間とは違う魔力を備えて産まれてくるからだ。君が人間の姿を形どることが出来るのは、人間を知っているからであって、人間の遺伝子があるからではない。」


「・・・つまり・・・元々生き物として違い過ぎるから、いずれにしても・・・無理ってことかよ。」


諦めた言葉を吐いた。

予想は出来ていたが、こうもハッキリ言われてしまえば、その術を一から探すことになる。

そんなことがいったい何十年かかることなのか知れない。


「・・・・何の助けにもなれず、申し訳ない。」


きっとロディアは出し惜しみしている。

魔術というのは、不可能とされていることがないと言われている。

研究や実験が成されておらず、実証がないから方法を提示出来ないんだ。


「ルーカスに出来なきゃ・・・どの魔術師にも出来ないと思うか?あんたは天才だろ?ルーカス以上のことが出来るはずだ。あいつの情報を元にしても、俺を人間に変えるだとか、そういう魔術は思いつけないか?!」


ロディアはそれでも、俺の想像を超える発言をしてくれなかった。


「・・・君のパートナーである女性が、出産できる年齢までに、それを提案出来ないだろう。」


何もかもを諦めて、尻尾を巻いて帰るしかなかった。

人間には寿命が存在する。

対して獣人は、ルーカスの研究上、200年以上生きた者もいたらしい。

人間は長生きしても80年程・・・


俺の帰りを心配していたサラのうちへと着いた頃、彼女は毎晩俺を想って玄関に立っていたようで、指先を冷やしながら俺を待っていた。

優しくまた迎え入れてくれた彼女は、俺の憔悴しきった様子から結果を察して、何も詳細を尋ねることはなかった。

俺に長い時間が与えられていたとしても、彼女は違う・・・。


彼女が30歳を迎える頃、人としてごく一般的な生き方を提案した。

ハタチの頃の彼女とは違う、今ならわかってくれるはずだと思って。

そして苦渋の決断をした俺に、サラは言った。


「ノエル・・・10年も私の我儘に付き合ってくれてありがとう・・・。ずっと貴方が、悩んで苦しんでいることを知ってた。私と居ることで、自分が獣人であることを責め続けてることも・・・。貴方と生きて・・・この10年・・・誰よりも幸せだった・・・。死ぬまで貴方といられると、有頂天になってた・・・。・・・私・・・貴方を愛してる・・・愛してるの・・・。でも・・・ダメなのね・・・・。」


あの時のように、縋るように涙を流すサラに、何も言ってやれなかった。

俺が違う生き物だからじゃない・・・。

俺は、自分が自分である以上、彼女といるのが苦しくなるから手放したいだけなんだ。

そんな自分勝手なんだ・・・。

けど、エゴで俺を引き留めて過ごした彼女もまた、俺と同じだ。


その日の夜は、月も星も一層綺麗だった。

何年も何十年も前に、爆発を起こして砕け散った光が、俺たちを見下ろしていた。


何が悪かったとかじゃない。俺が人間に生まれてこなかったせいじゃない。

サラと出会ってしまったのが、間違いだったわけでもない。

愛し合えたことが、悲劇になったわけじゃない。


ただ・・・サラの相手が俺じゃなかったんだ。

俺は彼女の人生の中で、後々語られるただの元恋人で・・・添い遂げる運命の相手じゃない。


涙を流して俺の背中を見送る彼女が、いつものバルコニーで寂しそうにしているのを知りながら、俺はフロリアンを発った。



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