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ノエルの追憶  作者: 理春
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第四部

その頃の俺は、今思えばあまり深く考えずに、人間と関わりを持っていたのだと思う。

真っすぐな気持ちを向けるサラを、愛してしまえば、愛されてしまえば、この先どうなるか少し考えればわかることだ。

けれどその時の俺は、やはりまだ少し彼女を警戒して、自身の事情を話せずにいたものの、居心地の良さから彼女に拾われた飼い猫のように、その街にとどまっていたんだ。


庭にたくさん植えてある草花たちに、麦わら帽子を被ったサラが水やりをしていた。

そんな彼女をバルコニーから見下ろしているのが幸せで、出会ってから1週間ほど経った。

鼻歌交じりにじょうろを傾けるサラは、柔らかな髪の毛を後ろに束ねて、日が照った暑さで若干赤く染まる頬が、こちらからでも目に入った。

柵に頬杖をついて眺めていると、ふと彼女が俺を振り返って愛おしそうに微笑む。


最初に夜を共にしたあの日、結局彼女を抱くことはやめた。

甘い言葉を囁いては頭を撫でて、手を握って、星や海を眺めるのと同じように、お互いを見つめ合って大事に過ごした。


何も彼女を知らないのに、当たり前のように惹かれていた。

美しい街の景色がロマンチックにそうさせたのかとも思ったが、きっと荒廃したスラム街で出会ったとしても、内々から溢れて見受けられる彼女の魅力に惹かれただろうと思う。


何気ない話をして嬉しそうに微笑んで、あまり食事をしない俺に、素朴な味の魚料理を拵えてくれたり、洗濯物を畳みながら家族との思い出話を語ってくれたり・・・

横目で過ぎ去る人間たちの幸せを、ずっと他人事だと思いながらいた自分に、穏やかな幸せはこういうものなのだと、教わっているような感覚だった。


「ねぇノエル・・・貴方のことを聞いてもいい?」


「・・・なんだ?」


海に沈んでいく夕暮れの光を、いつものバルコニーから受けて、洋服をクローゼットにしまいながらサラは言った。


「生まれもアレンティアなの?」


「・・・・さぁ・・・覚えていないな。」


「そう・・・。もしかして・・・孤児だったとか?」


「まぁ・・・そうなのかもしれないな。」


空を掴むような答え方をする俺に、彼女はそっと隣に座って顔を覗き込む。


「あまり不躾に色々聞いたらいけない?」


「・・・さてな・・・。答えられる範囲なら答えるよ。」


サラは視線を少し動かして一考してから、また優しい声で言った。


「ノエルという名前は本名?」


「・・・いや、本名があったのかどうかはわからない。ノエルという名前は、俺を拾った魔術師が勝手につけたんだ。」


「そうなの。ふふ、ノエルにとても合ってる名前だと思うわ。」


「・・・そうか。」


何気なく質問に答えながら頭の中で、とっくに知られているようなことは話しても構わないだろうと思った。

そこそこ出回っている俺の情報は、もうだいぶ過去に知られたもので、今更どこの生まれだとか、どういう生い立ちだとか、そういうことは大した情報になりえない。


「じゃあ・・・ノエルは今までどんな人に恋をしてきたの?」


「・・・恋?」


思わず嘲笑を漏らしてしまって、咄嗟に真面目な顔を取り繕った。


「恋というのがどういうことなのかわからないな。・・・特に興味もない。」


「・・・じゃあどうして私と一緒に居てくれるの?」


「・・・・」


サラの問いに、とうとう俺は上手く答えを探すのではなく、思ったまま口にした。


「・・・一緒に居たいと感じたからだ。それに理由がいるのか?それが恋だからだと、決めつけないといけないのか?・・・俺は・・・・人間が嫌いだ・・・。けどサラは違うと思ったんだ。」


「ふふ・・・そっか・・・。ふふ♡」


サラは少し満足気に笑みを落として、俺の手を大事に握った。

瞳を落としたその視界に、俺とサラの手が重なる。

白くて細い彼女の指が、撫でるように触れて指に絡まった。


「私は・・・貴方がいてくれたら、もう何もいらないわ・・・。」


わずかに瞳を潤ませながら、そう呟やかれた言葉を耳にして

ああ・・・彼女を俺の人生に巻き込んではいけない・・・と思ってしまった。

またゆっくり視線を上げて目を合わせるサラは、どんなに穏やかな物語の最後よりも、美しくて愛おしくて、儚く消えてなくなりそうな、幸せそのものだった。


彼女と過ごす時間は、人間に追われ、怯え・・・逃げ回っていた俺の人生を一変させた、別世界での出来事だった。

突然迷い込んだおとぎの国にでも訪れたような、嫋やかで何も起こらない平穏な日々が、いつまでもいつまでも、約束された世界。

そしてふと思い出す・・・ルーカスが言っていたことを。


悠久の時を生きる私たちは、いったいこの世で何を成せる?どう生きれば正解なんだ・・・?


「正解・・・」


自分の腕の中で、規則正しい寝息を立てて眠るサラの、可愛らしい寝顔を眺めていた。


サラを巻き込むわけにはいかない・・・。

俺と長い時間過ごしていたことが、万が一表沙汰になって、俺を追うものがそれを嗅ぎ付けてしまったら、彼女は尋問を受けることになるだろう。

そうなったらサラは・・・


長いまつげが、わずかに震えて、サラは俺にすり寄るように布団の中で動く。

彼女の花のような香りが、心休まる居場所になる前に・・・


そうしてひと月程が経った頃、俺は彼女から離れて街を発つことを決意した。


いつものように二人で穏やかな時間を過ごして、彼女が花屋の仕事に行っている間、二人で眠っているベッドで睡眠をとり、体力を蓄えた。

遠くの方から彼女の足音が聞こえると、猫の姿から素早く人の姿に戻って、玄関で彼女を出迎える。


「おかえり、サラ。」


「ふふ、ただいま♡」


どちらからともなくキスを交わして、また愛おしい頬を撫でる。

彼女と過ごす最後の日だと思いながら、楽しそうに食事の用意を始めるサラを眺めた後、取り込んだ洗濯物を畳んで、彼女が俺に貸してくれた、弟の物だったという洋服を脱いで、本来ここに来た時に着用していた服に袖を通した。


「・・・ノエル、どこか行くの?」


食事を終えた彼女は、寝室に戻ってきて問いかけた。


「・・・」


黙って出て行くべきか、事情を説明すべきか・・・どうにも判断がつかずに迷っていた。


「・・・行かない。こっちの方が落ち着くんだ。」


「そう・・・。そうね、貴方にとっても似合ってる。」


安心したように笑顔になって、サラはそっと俺に抱き着いた。

その温もりをまたじんわり感じると、途端に涙が溢れて目の前はぼやけた。

説明のつかない心境が、自分の中で渦巻いては満たしていく。

魔術にでもかけられたように、自分の細胞が彼女を手放したくないと叫んでいた。

けれど・・・・


夜になって、いつものようにサラと他愛ない話をしながら、ベッドの中で寄り添っていた。


「それでね?そのお客さんまた来てくださって・・・この間勧めてくれた花束、得意先の人にすごく喜んでもらえたって・・・」


「そうか・・・。良かったな。」


死期を悟ったような気分で、今夜ここを去るために、心の中は妙に凪いで静かだった。

やがてゆっくり彼女の会話のペースが落ちて、その瞼は閉じられた。

いつもしているように、大事に大事にサラの頭を撫でる。

まるで自分の子にそうするように、幼い子猫のような、純粋で何も知らない彼女が可愛かった。


「・・・すまない。」


安心した寝顔を見せて、穏やかな寝息を立てる彼女に、一つキスを落とした。

そっとベッドから抜け出して、瞬間的に猫に姿を変えて、足音を消してバルコニーへと出た。

バルコニーを囲う柵の隙間は、猫の姿であれば容易にすり抜けられる。

一度だけベッドを振り返って、寂しさが溢れる前にまた前を向いた。

その時だった。


「ノエル・・・?」


サラの声が背中から聞こえて思わず硬直した。

慌てて体を起こす音が聞こえて、俺は脱兎の如くバルコニーから一階の庭へと飛び降りた。


「・・・ノエル!?」


俺の姿を見ただろうか。サクサクと芝生を走って、一気に飛び上がるように庭を飛び出した。

街道まで走ろうと家から離れる俺に、サラの叫び声がした。


「待って!!!ノエル!ノエルでしょ!?お願い!!」


門扉の下をくぐろうとしたとき、尚も必死に叫び続ける彼女を、チラリとだけ振り返った時だ。

そこには、二階のバルコニーの柵を自ら乗り越え、追いかけるために今にも飛び降りようとしているサラが見えた。


「サラ!?何してる!!」


「行かないで!!」


涙で顔を歪めた彼女が尚も叫んだ。しかしその拍子に、サラの小さな足が、バルコニーの淵から滑ったのが見えた。

バランスを持たずに、彼女が転落していく姿がコマ送りで映る。

体に力を込めて踵を返し、全身に魔力を込めて飛んだ。

走る速度を魔術で加速させて、一瞬で彼女を受け止められる位置に到達したと同時に、人の姿に戻った。

人間を怪我しないように受け止めるなんて初めての事だった。

どさっと彼女の重みを感じる瞬間に、衝撃を軽減する魔術を自分にかけた。


「はぁ・・・・はぁ・・・・サラ・・・この・・・自分で何したかわかってんのか!」


サラは顔を上げて、ぐしゃぐしゃになった表情に、また涙をあふれさせる。


「サラ・・・大丈夫か?怪我はないか?痛むところは?」


「・・・大丈夫・・・・ごめんなさい・・・。私の我儘だとわかってるわ・・・。でも行かないで・・・・どこかに行くなら私を連れてって・・・お願い。私は何もかも捨ててもいいから、貴方といたいの。」


緑色の綺麗な瞳を震わせて、食い入るように見つめた彼女の言葉に、抱きしめ返すよりなかった。

堪えていたものが涙になって、途端にボロボロとこぼれた。

嗚咽を漏らして、押し殺していた感情が流れ出すのを、止められなかった。

失うことが怖いと心底思った。産まれて初めて。

きっとそれでもいつか、彼女の側を離れ、別れる時がくるとわかっていた。

それでも愛してしまった。

人間と同じ時間を生きることなど出来ないのに。

自分の全てを伝えることが出来ないのに、それでも彼女を抱きしめて泣き続けた。


「人間に・・・・・・産まれたかった・・・・。」


泣きながらそうこぼす俺を、彼女は何も言わずに抱きしめていた。


憎み恨み続けた人間というものに、憧れを抱いてしまった。

自分の人生に意味などないと知りながら、俺もルーカスと同じく、何を成せるかと考えていたんだ。

けど何も叶えられなくていいから、サラと生きていける自分に成りたかった。



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