第二部
この世には様々な獣人が存在している。
だがそのほとんどが姿を隠して、あるいは偽って生きているために、その詳細な種類や数は、どの国も明らかにしていないだろう。
俺は自分の生まれがどこだったか、もうハッキリとは覚えていない。
物心ついて最初の記憶は、人の姿の自分が裸同然で鉄の首輪をつけられ、鎖の音と共に体を引きずられ、見世物として大勢の人間の前にひけらかされていた風景だ。
挙句抵抗すれば鞭で打たれ、他の獣人や魔族には爪を立てられ、小さな自分はいつもストレスの捌け口にされていた。
だがある時、獣人たちを連れまわしていた団員たちは、違法なやり取りで俺たちを買い付けたことがバレ、警察に追われる身となっていた。
そして捕まる前に売り払ってしまおうと考えた団長は、貴族や王族の者たちが密かな楽しみとして行っていた人身売買の場で、今までと同じようにそいつらの前に俺たちを晒していった。
抵抗する獣人たちの鳴き声や、叫び声が飛び交う中、同時に人間たちの歓喜の声が入り混じっていた空間は、今でも思い出せば胸の内が煮えくり返るような気分になる。
ついに俺の番になったその時、目隠しを取られると目の前の大勢の人間たちは、仮面の下で笑みを浮かべて、俺を品定めするように眺めた。
ステージのような場所で、足元が冷たいと感じて目を落とすと、自分は人のまま一糸纏わぬ姿だった。
舐めまわすような彼らの視線にゾッとしながらいると、傍らに立っていた人間が最初に声を上げた。
「さぁさぁご覧あれ!紳士淑女の皆さま!世にも珍しい猫の獣人です!人のままでは御覧の通り見目麗しい青年ですが・・・おら!猫になれ!」
男は眉を吊り上げて、手に持った棒で俺の背中を打った。
牙をむいて威嚇しても、男は次の一手を振り上げたので、俺は咄嗟に姿を変えてそれを避けた。
するとまた狭い会場に敷き詰められるように座っている人間たちは、サーカスでも見ているかのように高揚したざわつきを見せる。
司会の男は満足したように俺の首根っこを素早くつかみ、突き出すように衆目に晒した。
「いかがでしょう!ぞんざいな扱いを受けていても元は良い毛並みが見て取れましょう。灰色の体に青い瞳、このような組み合わせの猫獣人はそうおりません。ペットとして飼うもよし、人の姿で愛玩用として扱うもよし!もちろん言葉も話せます。」
男は持っていた棒で俺の喉元をついた。
口を開いて噛みつこうとすれば、またそれが振り上げられたので、今度はまたさっと人の姿に戻った。
「おら、しゃべれ!お前はどこの言語でもある程度理解していたと聞いたぞ?ここはアレンティアだ、公用語はわかるな?」
「ふぅ・・・・ふぅ・・・・それ以上俺に触るなクソ野郎。」
男はニンマリ気味の悪い笑みを浮かべて、俺の顎を掴んで正面を向かせる。
「お聞きの通り、多少躾は必要かと存じますが、問題なく言葉を理解しております。さぁさ、もう紹介は十分でしょう。皆さまお手元の財布の紐を解いて、5000Gから始めましょう!」
それからは想像に足る展開が巻き起こった。
次々に金額を吊り上げていく下劣な生き物たちが、叫ぶように手を挙げた。
しかしそのバカ騒ぎの最中、ふと天井を浮遊する何かが目に入った。
わずかに光を放ち、丸いそれはゆっくり俺の頭上まで運ばれる。
なんだ・・・?あれは・・・
そう思った矢先、音もなくそれは弾けるように白い空気を飛散させた。
案の定人間どもは騒然としながら、霧のような靄の中、右往左往しながら立ち上がるが、数秒もしないうちに、皆ゆっくり眠るように体が崩れていった。
ドタバタと倒れるそれらを、何が起こったのかと辺りを見渡すと、舞台袖からローブを纏った男が歩み寄った。
無精ひげを生やしたそいつは、一仕事終えたように息をつき、何か呪文を口にしたと思うと、俺の意識も遠のいていった。
端的に言うと、そいつは魔術師で、世にも珍しい獣人の研究を行っているというもの好きだった。
獣人はそもそも見つけること自体が難しい。
運良く出くわしたとしても、人間より魔力を持っているものばかりなので、危害を加えられかねないし、逃げる手段をいくらでも持っている。
俺が捕まってこき使われていたのは、幼い頃から抵抗できず飼われていたからだろうが、研究しても何のうまみもない獣人を、そいつは丁重に扱いながら、まるで友人にでも接するように生活を共にしたいと言った。
名はルーカス、俺がそいつに助けられ、引き取られた先の研究所では、既にもう一匹の獣人が住んでいた。
「この子はねぇ、ウサギの獣人なんだ。ウサギ、わかるかい?大抵は白くて目が赤かったり、茶色の毛並みの子もいるが、野原に生きる草食動物だ。」
人の姿のまま耳を生やし、中途半端な姿をしたメスのウサギは、垂れた目で俺をじっと見つめた。
ごちゃついて清潔感の欠片もない研究所で、バタバタと寝床を確保しようとするルーカスの背中に投げかけた。
「何故俺をここに?」
「ん~~~?・・・っと・・・これでいいかな。・・・あ~・・・君がオスだからだよ。」
「・・・・こいつと交尾でもしろってか?」
ジロリとウサギの獣人を見ると、彼女は言葉も発さず、ゆっくり瞬きしながら俺を見つめ返した。
「あ~~~・・・・っと・・・・あれ?この資料こんなところにあったのか・・・・。勘がいいね!そういうことだ。獣人ってのは・・・・同じ種類じゃなきゃ子孫を残せないのかと思ってたんだが・・・そうじゃないかもしれない。何分誰も研究してないから何もかもわからない。だから君を連れてきた。情報源としてね。」
「・・・・死ね、クソ野郎。」
「おうおう、そんな言葉覚えるべきじゃなかったなぁ。まぁ・・・劣悪な環境下で育っていたならしょうがないね。何はともあれ、君は私に救われた。狭苦しいけど寝床があって、まぁまぁ食事もある。その代わりに研究に付き合う・・・見世物や愛玩用として貴族に体を弄ばれるよりは、絶対こっちの方がましだと思うけどねぇ。」
「・・・ふぅ・・・」
「それより君にも名前が必要だなぁ・・・。・・・ん~~そうだ、思い付きだけど『ノエル』はどうだい?オスの名前として適切かはわからないが、パッと思いついたもんで。」
「・・・」
問答を諦めてルーカスと暮らし始めた俺は、彼に身体検査をされ、だいたい生まれて20年程だろうと推測された。
以前よりは彼の言う通りましな環境下ではあったので、無理難題を言われない限りは、ある程度の研究に手を貸した。
世情を知るために読書を始めたのもその時だった。
森の中や浜辺で食べ物を確保し、ルーカスに新聞を取るように頼んだ。
そこまで資源や食物が豊富な所ではなかったので、食べる物に困る日も多々あったが、それでもルーカスは研究熱心で、おちゃらけた性格は変わらなかった。
「ほらネージュおいで、濡れたままでいるのはよくない。」
ウサギの獣人は、外で何度か見かけたウサギと同じく、大人しく言葉も話さず、ルーカスに懐いているのかどうかも表情からわからず、ただただ自由に生きる獣だった。
「この子はねぇ、元々ウサギの姿だったのだけど・・・密猟者に捕らえられそうになって、何故か咄嗟に人の姿に変身したんだ。それを偶然見つけて、連れて行かれそうになっていた彼女を助けた。これでも一応国家魔術師だから、現行犯で犯罪者を逮捕する権限はあるからね。そいつらは結局逃げて行ったけど、この子は置いて行ってくれたんだ。可愛らしいだろう?娘のように育ててきた。・・・って言っても3年くらいだけどね。」
「・・・ふん、気色悪いな貴様は。」
「相変わらずノエルの暴言は治らないなぁネージュ・・・」
ルーカスは国家魔術師でありながら、滅多に王宮に出向いて仕事をすることはなかった。
時々研究所に知らせがきて、仕事を請け負うこともあったようだが、特に俺たちに詳細を説明することはなかったし、俺自身興味もなかった。
ルーカスの獣人研究の最終的な目標は、獣人だけで暮らせるユートピアを築くことだと語っていた。
人間とは違う種族だからと言って、疎外され迫害されるのを良しとせず、その者たちだけで暮らせる街を持つべきだと。
掲げていることは立派だが、俺は気付いていた。
ルーカスが清らかな心でそんな大義を掲げているわけでないことを。
俺たちを騙せている気でいたのかもしれないが、少なくとも魔力を多く持つ俺は、嘘などすぐわかるものだった。
そんな或る日、ネージュが徐々に体内の魔力を消費し、病に伏せるようになった。
その度にルーカスは甚く心配し、薬を自ら拵えて対処していたが、原因不明の症状が続き、彼女の魔力はついに枯渇してしまった。
期待はしていなかったが、元気なうちに性交渉を行っても、俺とネージュの子が出来ることはなかったし、そもそも体内の魔力が違い過ぎるので生命が生まれるなど、想像もつかないことだとなんとなしにわかっていたものだ。
ルーカスは手を尽くしたが叶わず、ネージュを看取った後、本当に娘を失った悲しみを背負ったように気落ちしていた。
そして残された子供に思いを託すように、俺に自分の研究の詳細を打ち明けながら、毎晩大事そうに猫の俺を抱きしめて眠った。
「ノエル・・・すまんな・・・。どうしたら君が幸せに生きていけるか考え続けてたんだ。・・・でもダメそうだ・・・。命が尽きることはないのに・・・それこそが生きる糧で、研究を続けられる喜びを得ていたのに・・・あの子が・・・ネージュが死んでしまって、気力を失ってしまったよ。・・・ノエル・・・悠久の時を生きる私たちは、いったいこの世で何を成せる?どう生きれば正解なんだ・・・?私は傲慢にも自分の研究成果で、獣人たちを生かしたいと考えていたんだ。けれど実際どうだ・・・ついには国家魔術師としても立場を追われそうなんだ。研究費用が無くなれば・・・君を生かすことも出来ない・・・。」
「・・・・」
ルーカスが成そうとしていることも、裏に抱いているであろう野望も、ついにはどうでもよくなった。
「生かされずとも俺は一人で生きていく。お前以上に傲慢で狡猾になってみせよう。・・・だからお前も好きに生きろ。」
決別ともとれるその言葉を、ルーカスはどう飲みこんだかわからない。
ただ少しばかり、憔悴した瞳に光が戻ったような気がした。
礼を述べて眠りについた彼の、穏やかな顔を見たのはその日が最後になった。
翌日国の執行部隊が研究所にやってきて、違法な人身売買と、違法薬物精製の罪でルーカスは捕らえられた。
だが彼は腐っても国家魔術師、自身がいつか捕らえられる日がくるであろうと見越して、研究資料を漁られる前に、魔術で何もかもを消し去ってしまった。
俺に付けていた首輪は、俺がどこにいてもわかるようにとルーカスが付けていたが、それがいざという時には、首を消し飛ばす機能が搭載されていることくらい知っていた。
だが研究の詳細を知る俺を、ルーカスは始末することなく、あろうことか手足を拘束されながら叫んだ。
「遠くに逃げろ!ノエル!生きてくれ!!」
涙で歪んだ表情を浮かべながら、我が子を守ろうとする親の形相だった。
そしてルーカスが最後に発動させた魔術で、首輪が音を立てて床に落ちたのを合図に、俺は部隊の手から逃れて研究所を飛び出した。
どこにも行けないのだと、永遠に何百年も奴隷の扱いを受けるのだと絶望していた俺を、利害の一致とはいえ救い出したルーカス。
その後俺は逃げ惑った先、国外の街で目にした新聞で、彼が処刑されたと知ることとなった。