捨てられない過去
早朝は、決まって、ヘレンお嬢さんに叩き起こされる。
といっても、実は起きている。妖精憑きは、一か月寝なくても平気だ。睡眠だって、そんなに必要ない。昨夜は、まあまあ寝たほうだ。だけど、寝たふりだ。せっかくだから、美人な女に起こされたい。
「ほら、起きてください!」
容赦なく殴ってくるけど。これも、美人だからいい。
「おはようございます、ヘレンお嬢さん。今日も綺麗ですね」
「今日もふざけないでください!! ほら、行きますよ」
「えー、本音なのにー」
俺は思ったことをそのままいうのに、ヘレンお嬢さんは信じてくれない。ヘレンお嬢さん、貧民街にいては、かなり危険なほど綺麗な人だ。腕っぷしがあるから、と過信してはいけない。
まあ、ヘレンお嬢さんは一人で貧民街を歩くことはない。一族に仕える者たちが常に側についている。今日も、俺の部屋の外では、ワシムが待ち構えていた。
俺が簡単に着替えて出れば、ワシムが俺の腕を引っ張って、建物から連れ出す。
「今日も、素振り千回だ」
「はいっ」
千回って、かなりの回数だが、仕方がない。まず、力がないから。
手渡された木剣を振るも、これが、本当に、ダメなんだ。コクーン爺さんが振れば、いい音を出すのだが、俺は音どころではない。油断すると、木剣を手放してしまう。
まずは、千回をこなすのが大切だ。俺は、そこから出発となった。
俺は隅っこで、無心になって、木剣を振る。そんな俺には目もくれず、コクーン爺さんを慕って集まった騎士たちや兵士たちは、打ち合いをしたり、走り込みをしたり、と色々だ。その中には、ヘレンお嬢さんも混ざっている。女だからって、ヘレンお嬢さんが訓練を免除されるわけではない。ヘレンお嬢さんは、ただ一人の後継ぎだ。コクーン爺さんは容赦なく、ヘレンお嬢さんを鍛えた。お陰で、むちゃくちゃ強いよ、彼女。
俺が千回、素振りを終わらせる頃には、訓練も終了である。
「随分と、はやく、終わらせられるようになったな」
たかが素振りなのに、コクーン爺さんは褒めてくれる。
褒められても、俺はもう、限界だ。立ってられなくて、その場に倒れる。
「お、おい!」
「休めば大丈夫だから。先に戻ってくれ」
体力はないが、回復力は人外だ。妖精憑きは、すぐに体力が戻る。
だけど、俺を放置出来ないのが、コクーン爺さんである。俺を持ち上げるのだ。
「やめてぇ!! 男としての沽券が!!!」
「男相手に身売りしておいて」
「言わないでぇ!!」
身売りしているけど、やっぱり、男としての沽券というものは捨てたくない。だけど、抵抗する力すらないので、されるがままである。
「情けない」
ヘレンお嬢さんに蔑むように言われて、俺はとどめを刺された。
コクーン爺さんは笑う。
「人それぞれ、事情がある。そういうことはいうんじゃない」
「………はい、すみません」
「いやいや、いいって。実際、情けないんだから。ほら、コクーン爺さん、下ろしてくれていいよ。もう歩ける」
俺は妖精憑きの力を使って、さっさと回復させる。コクーン爺さんは俺を信じて、下ろしてくれた。
まだ、足がふらふらするけど、どうにか歩くことは出来る。俺は少し遅れて、建物に入った。
「あまり無理をするなよ」
「午後には客探しだから、そういう力は残してる」
「………」
ワシムが心配してくれるが、俺はわざと余計なことをいう。ワシムはなんとも言えない顔をして黙り込んだ。
側で聞いていた騎士たちや兵士たちは、俺を蔑むように見た。仕方がない、こいつらみたいに、堂々と胸を張れる特技なんてない。
妖精憑きの力は、実は秘密にしている。コクーン爺さんだけは、俺が妖精憑きの力を使った現場に居合わせたので知っているが、あえて、黙っていてくれた。俺が頼んだわけではないのだが、コクーン爺さんとしては、黙っているべき案件と察してくれたのだ。
野良の妖精憑きだと知られれば、どういう扱いをされるかわからない。王都の貧民街では、妖精憑きの力は復讐の道具とされただけだが、そういうことがなければ、いいように使われたはずだ。妖精憑きは、色々と使い道がある。
結果、俺は色々と隠しているので、男娼をするしかなかった。腕っぷし、兄貴ぐらいあれば、ちょっとは役に立てたんだけどなー。
食堂に行けば、それなりの食事にありつける。コクーン爺さんについて行ってる奴ら、全て、ここで食べられるという。
俺は住まわせてもらっているので、遠慮したのだが、ワシムが部屋まで運んでくるので、今は普通に食べている。その代わり、俺の男娼としての売上をそのままコクーン爺さんに渡している。ありがたく食べさせてもらっているが、妖精憑きって、一か月食べなくても平気なんだよな。
俺はかなり華奢なので、このガタイのいい集団の中には特攻しない。最後のほうに並んで行けば、俺の分がない時もある。それはそれで、仕方がないが、その時は、コクーン爺さんが俺に分けたりするので、後が恐怖だ。
今日はわずかながらも残っていた。後で、客から恵んでもらうか。
「今日も男に股を開くのか」
近くに座る兵士が話しかけてくる。
「いい値段を出してくれるからな。試してみるか? 王都の貧民街の支配者の気分にはなれるぞ」
「あの、帝国の罪人になった奴だろ?」
「そう、罪人に堕ちた奴だ。お陰で、俺は自由になった」
「………」
嫌味を言ってきた奴らは、俺が上手に返してやると、気まずい、みたいに黙り込む。それはそうだ。親父が罪人で捕まったから、俺は自由になったんだ。そうでなかったら、今も親父の娼夫だ。俺の立場は、決して、嫌味を言っていいものではない。
が、貧民たちは、平気で俺を子蹴落とすけどな。ここにいる兵士や騎士たちは、いい奴らだから、簡単に反省しちゃうんだよな。そんなの、気にしなくていいのにな。
半人分をさっさと平らげて、俺は席を立った。食器を片づけるついでに、洗い場にいく。お世話になっているので、片付けを手伝うことにしている。
料理や片付けは女の仕事だ。奥に行けば、なかなかたくましい感じの女たちが返ってきた食器とかを洗ったりしている。
「手伝うよ」
「そんな、いつもいいのに」
「朝は食べさせてもらってるからさ。お、水の出、悪くなってる?」
「仕方ない。貧民街は、妖精の恩恵が届きにくいからね」
「どれどれ」
貧民街あるあるだ。貧民街は、帝国の恩恵が届かないので、水道が使えないことだってある。まあ、技術自体は大昔のものなので、一度、壊れりしたら、一昔に戻って、井戸生活なんだけどね。
コクーン爺さんとかが、どうにか水道を使えるようにしたんだが、帝国の恩恵が微妙に届きにくいんだよね。俺は、水道の魔道具を見に行く。
実は、俺がちょいちょい、補給していたりする。根本的に解決するには、この魔道具の場所を変えるしかないんだよな。だけど、そこまでやろうとすると、俺が妖精憑きだってバレちゃうから、黙っている。その内、コクーン爺さんに相談だな。
今回も、俺はこっそり魔道具を動かす。俺が動かしても、せいぜい、一週間くらいだからな。
洗い場に行けば、いつもの調子に、大喜びである。
「あんたが来てから、水の出がよくなったよ」
「日頃の行いが悪いんだけどな。きっと、コクーン爺さんの善行だよ、善行」
「男どものいうことなんて、気にするんじゃないよ」
「こういう片付けだって、女々しいなんていうんだよ」
これは、あれだな、家庭持ちの兵士や騎士が、俺のこと、そんなふうに話してんだな。
「そういうこという男はわかってないな。女が家を守ってるから、男は外で大腕振ってられるってのにな」
「………なんで、あんたは男娼なんてやってんだよ。物凄くいい男なのにね」
俺は普通のことを言ってやったんだけど、女たちは目をまん丸にして驚く。
「そう、友達が言ってたんだ。受け売り受け売り」
ハガルだよ、ハガル。あいつ、普通にいうんだよね、こういうこと。なのに、身請けした女に逃げられるって、気の毒だよな。女心、むちゃくちゃ理解してるはずなんだけどな。
ちょっと、ハガルに会いたくなった。王都には戻りたくないけど。
ハガルとの連絡手段はない。何せ、俺は逃亡中だ。迂闊に手紙なんて書こうものなら、ハガルに迷惑がかかる。
あれから、捕縛された兄弟がどうなったか気になるが、海の貧民街は遠いし、何より、話題は移り変わっている。もう、過去の人となってしまった、王都の貧民街の支配者家族のことなど、誰も気にならない。
店に行けば、過去に俺を買った男たちに会うことになる。常連ほどではないが、俺に客がついていない時に、気を聞かせて、買ってくれることがある。
「お、来た来た。おーい」
何故か呼ばれる。俺、そこまで仲良くないんだけどな。だけど、客商売なので、俺は笑顔で向かっていく。
「おや、今日は俺を買ってくれるのか?」
「客を連れて来てやったんだよ。ほら、こいつだよ」
見た目がまあまあ男を連れてきた。ガタイもまあまあだが。
「客って、男好きなわけじゃないだろう」
よく、女を買っているのを見たことがある男だ。
「こいつさ、ちょっとわけありで、女にお断りされてんだよ」
ちょっと店を見回せば、確かに、身売りの女たちが顔を背ける。男を相手にするのが仕事の女たちに断られるって、どうなんだろう?
改めて、男を見る。見た目は悪くない。そこそこだ。よく鍛えているし、背だってまあまあだ。なのに、娼婦にお断りされるって、どうなの?
「どうして、断れちゃうの。金払いが悪いとか?」
「しっかり払ってるんだ、けど、その、俺、普通じゃないんだ」
「わかった、酷い趣味なんだ。暴力は良くない」
「ち、違う!!」
「もっとすごい趣味とか? 汚れることも、嫌われるぞ」
「だから、趣味とかじゃない!! その、普通より、大きいんだよ、俺のは」
最後のほうは、聞こえるか聞こえないか、という声でいう男。
俺は男の下半身をじっと見てしまう。あれか、すごいの持ってるのか。ざっと店内を見回せば、身売りの女たちがうんうんと頷いてくれる。そうとう、すごいんだな。
「だからって、俺が受け入れられるとは限らないだろう。女でダメなら、俺もいけるとは限らないぞ。むしろ、女はだいたい受け入れられるように出来ているから、それで無理なら、俺でも無理だぞ」
「詳しいな」
「………」
ハガルの教育に入ってたんだよ!! なんで、閨事まで教えられないといけないんだよ、俺は!!!
男は絶望的な顔になる。顔はまあまあいんだけどな。
「そこは、男側が上手に調整するしかないな」
「夢中になると、そんなこと出来ないのが男だ」
「そうそう」
「そうなんだ。俺、女抱いたことがないから、わからないや」
『なんだとぉおおおー---!!!』
むちゃくちゃ驚かれたよ。ハガルがいう通り、一回くらい、女抱いておけば良かったな。
「え、経験ないの!?」
「どうして!?」
「あんた、いい男じゃない!!」
ついでに、身売りの女たちまで詰め寄ってくる。いや、言わないでぇ!!
「どう、アタシと一回、やってみない? お金とらないから」
「そんな、私も私も!!」
「アタシだって目をつけてたんだよ!!」
違う争いが起こる。ハガルがいう通り、一度くらい、女抱いておけばよかった。
「男に抱かれてばかりだからな。きっと、下手だよ。男としての自信が底辺になるから、やめておく」
「教えてあげるよ」
「手とり足としと」
「いっそのこと、全員が相手にしてあげるよ!!」
「そんな体力がないなー。俺、鍛えるの禁止されてたから、女よりちょっと力がある程度なんだよな」
今ならハガルの気持ちがよくわかる。力がないって、女々しくなっちゃうな。
俺が消極的なので、女たちは諦めて、撤退していく。よくよく考えてみれば、いい機会だったな。
そうして、ちょっとした騒ぎが収まってから、改めて、身売りの女にお断りされる男と向き合う。
「で、試してみる?」
「………男は抱いたことがないんだが」
「俺はかなり慣れてるから、女を抱くのと変わらないよ。女抱いたことがある男がいうには、具合がいいらしい?」
「いいぞ」
「良かった」
「たまにはいいと思った」
「客がついてない時は、声をかけてくれ」
ここにいる男ども、全員、俺を最低は一回は買ってるな。一日一人だが、随分と長いこといるから、それなりの数になったな。
「俺、閨事で彼女にも振られたんだ」
「調整、出来るようになったほうがいいぞ」
「………」
「俺は高いよ。女よりも高いけど、それで良ければ、買ってくれ」
「お願いします」
俺からお願いするものなんだけどな、これ。
身ぎれいな男だった。普段は、お互い、名乗りあうことはないのだが、この男は何故か、名乗ってきた。
「俺はタリム」
「俺はルキエル。満足いかなくても、金は返らないからな」
「わかった」
一応、言っておかないといけないことだ。俺を買った時点で、どうなっても金は戻らないこととなっているが、時々、苦情が出ることがある。俺はないけど、他の身売りの女で、そういう苦情が出たことがある。
後で聞いたが、タリムは苦情をいうことはないという。ちょっと、他の男よりも、すごいものを持っている、と身売りの女たちが口をそろえていうのだ。
すごいもの、と言われると、親父のことを思い出す。他の男たちに抱かれて気づく。親父、すごい剛直持ちだったな。あれをお袋が受け入れてたというのだから、タリムはそれ以上なのかもしれないな。
相手の趣向にあわせる。服を脱がせるのが好きなら、脱がせてもらう。さっさと素っ裸、と言われれば素っ裸だ。
タリムは、何も言わずに、さっさと服を脱ぎだす。俺はどうすればいいんだろうか? 何も指示されないので、黙って、タリムが服を脱ぐのを見ていた。
そして、見てしまう。
俺はつい、生唾を飲み込む。タリムの下半身から目が離せなくなった。タリムの下半身を見て、俺の理性は吹っ飛んだ。
俺は、服を脱ぎ終わったタリムの上に圧し掛かり、口づけする。
「ル、ルキエル?」
「どうか、舐めさせてくれ」
タリムの頬、首と口づけして頼む。タリムは生唾を飲み込んだ。
「しかし、奉仕はしないと」
「お前のはしたい。お願いだ、させてくれ」
「わ、わかった」
そこからは、俺のほうが、おかしくなった。
いつもの時間に目を覚ます。戻らないといけない。俺は妖精憑きの力ですぐに体の汚れを払って、ついでに回復させる。ベッドには、タリムがのんきに寝ている。まあ、一晩、そこで寝ていても、料金は同じだからな。
俺はタリムを放置して、さっさと店を出る。外は真夜中すぎだ。そういう時間帯に帰るのは、久しぶりだ。走っていく。真夜中の貧民街はかなり危険だ。だけど、妖精憑きの俺には、大したことがない。人を避けて、すぐに、支配者の建物に到着する。いつものように、建物全体に、眠りの魔法がかけられている。
ただ、威圧がすごい。とんでもないことが起きている予感がした。俺は音などおかまいないしに、コクーン爺さんの部屋に飛び込んだ。
しかし、いつもの野良の妖精どもはいない。一体、何が来ているのか、と目を凝らすと、見えた!!
俺は全身から物凄い汗が流れる。相手が悪すぎる。あれは、俺ではどうすることも出来ない妖精だ!?
いつも見る野良の妖精は、猫や犬程度の大きさだ。
目の前にいる妖精は、人の大きさをしていた。しかも、人を魅了するほどの美しさだ。きっと、美しさとか大きさが、妖精の力の大きさをあらわしているのだろう。
あまりの力に、俺は動けなくなる。妖精は、眠りの魔法が効いていない妖精憑きである俺を見て、嫣然と微笑む。
『よくも、邪魔を』
流暢に話す妖精。そうか、これまで俺がコクーン爺さんの寿命を盗る野良の妖精を邪魔したから、さらに上の妖精が来たわけか。ちくしょー、もっと上がいるなんて、知らなかったよ!?
俺は殺されるのか。近づいてくる妖精を見て、そう思った。
どうせ、ハガルの気まぐれがなければ、俺は処刑されてた。ちょっと長く生きただけだな。親父の復讐が失敗となってから、常に死を覚悟していた。だから、今殺されても、それは仕方がない、と諦めていた。
ところが、俺の前に、突然、妖精が一体、姿を見せた。しかも、男型だ。
「ハガルめ、とんでもないハズレくじじゃないか。本当に、あいつは賭け事だけはしてはいけない」
そう言って、俺を殺そうと向かってきた妖精の首を鷲掴みした。
『くっ、小僧、こんなこと、して』
「高位妖精程度が、生意気な。私は最高位の中の最高位の妖精だ」
『なっ、まさか、貴様はっ!?』
「未来の支配妖精の候補だ、下っ端。この男を守るように、妖精憑きに命じられている。手を出すのなら、最高位妖精といえども、容赦しない」
『小僧の、くせ、にっ』
「お前なんか、ババアだろう。何歳だ? 千歳か、二千歳か? クソババア」
『っ!?』
「逃がしてやるから、最高位妖精に伝えろ。この男に手を出すのなら、私が相手だ」
男型の妖精が手を離すと、俺を殺そうとした妖精は、すっと消えていった。