解放
背中の火傷の痛みもなくなり、勉強も一通り終わると、俺は再び、地下牢から出された。といっても、地下から日の当たる場所に行くわけではない。
いつもの通り、ハガルに連れられて行った先は、やせ細って、すっかり様変わりした親父がいる地下牢だ。相変わらず、俺と親父との待遇には、激しい差がありすぎる。
もう、ハガルにとびかかるような体力もないようだ。あれほどの体躯だったというのに、長い監禁生活で、よぼよぼとなっていた。俺を見ると、力なく笑う。
「ルキエルぅ」
手を伸ばしてくる。もう、俺のことをお袋と見ることはなくなった。それはそうだ。俺の隣りには、あの麗しい姿のハガルはいるのだ。
だけど、親父はハガルには目も向けていない。おかしい。
「さて、これから、この男をどうするか、決めなければなりません」
「処刑だろう?」
亡くなった皇帝ラインハルトは、俺を処刑したがっていた。きっと、親父もそうだ。今だに生かされているのは、ハガルのお陰だ。
ただ、こんな人の尊厳全てを奪うような生き方を慈悲とはいわないが。
ハガルは、物言いたげに俺を見てくる。あれだ、俺にハガル自身を重ね合わせているのだろう。
ハガルは罪を犯した父親を助けるために、皇帝ラインハルトに跪いて縋った、という話を古参の魔法使いから聞いた。自らの全てを捧げても、父親を救おうとしたのだ。
「もう、どうでもいい」
俺はぽつりと呟く。だが、俺はハガルとは違う。家族に犠牲を強いられたのだ。助けたい、とか、そういうものは感じない。
「まだ、死にたいですか?」
「生きていて、何になる? 妖精を失って、皇族の犬にされたんだ。友達だという奴は、俺を利用しまくるしな」
「………」
気まずくなるハガル。お前な、言われて、そうなるのなら、もっと考えてから行動しろよ。
謀には、随分と出来る奴だというのに、人間関係はダメダメだ。きっと、ハガルには魔法使いの間でも、友達は一人もいないな。俺もいないけど。
「仕方ありません。私は筆頭魔法使いですから」
「そうなる前から、俺のことを泳がせたりしてたじゃないか」
「公式では、筆頭魔法使いになったのは、数年前となっていますが、実際は、十に満たない頃ですよ。戦争に行く前に、筆頭魔法使いになったんです。私は、年齢の半分以上を筆頭魔法使いとして過ごしています」
「………嘘だろ?」
「本当ですよ。閨事なんて、筆頭魔法使いになる前、大魔法使いの側仕えになった頃からですよ。魔法使いは世間知らずです。私にとっては、それが普通でした。知った時には、もう遅かったです。私は、ラインハルト様にどっぷりと嵌って、今も抜け出せません」
平然というハガル。そういう生き方しか知らないのだ。そう、教育されているのだろう。
「それで、父親のことは、どうしますか?」
「処刑に決まってるんだろう?」
「あなたの兄弟はどうしますか?」
「そっちも処刑だろう。俺を含めて、皇帝を殺そうとしたんだ。処刑に決まっている」
「実は、そういう必要、なくなってしまったのですよ。あなた方に関わった貴族を公に罰しましたからね。処刑というものは、見せしめのために必要です。しかし、もう、見せしめする必要がないのですよ。すでに、もっとすごい見せしめをしていますから」
現在進行形で、妖精の呪いは発動中なのだろう。思い出したのか、楽しそうに笑っている。こわっ!!
こんな姿を見せるから、まともに友達なんでいないんだろうな、なんて思って見てしまう。俺だって、人のことはいえないけどね。友達いないから!!
ハガルは、何故、俺に決めさせようとするのか、理解に苦しむ。俺に、家族の情でもあるものと、思っているのだろうか。魔法使いは世間知らずだとさっき言っていた。夢見過ぎだ、ハガル。
「処刑でいい。別に、秘密裡でいいだろう」
「それは、つまり、ルキエルは、処刑したい、ということ?」
「そうじゃなくって、処刑しなきゃいけないことだろう、どう見たって。貧民街なら、即、処刑だ。こんなに長いこと生かしておかない」
「そうか。そうですよね。私もまだまだ、甘いですね」
どこが? とついつい言ってしまいたくなるのを我慢した。余計なことを言って、藪蛇になってしまったら、大変だ。
「確かに、甘いところはあるよな」
だけど、言葉を選んで言ってやる。
「懐にいれると、お前、ダメだな。気をつけろよ。感情に振り回されるのは、自分の首を絞めることになるぞ」
「だから、皇帝がいるのですよ。皇帝となる者は、ただ、血筋がしっかりしているだけではない。アイオーン様も、いずれは、立派な皇帝となる」
「あんなに優しい人なのに?」
「情に熱い方だが、いざという時は、冷徹になれる。ただ、そこまでいくのに、随分と遠回りをしてしまうのが欠点だ。その欠点を私が補おう」
「それで、いつ処刑する?」
もう、生きる希望も何もかもなくした親父は、俺を息子と認識して、名前を呼ぶだけだ。その先がない。
もし、家族としての情があるとすれば、殺してやることだろう。ハガルのように、化け物になった姿の父親を生かしておきたい、なんて思わない。殺すこそ、救いだ。
ハガルは親父を一瞥する。
「そのうち、死にますよ。もう、食事も止めました。すっぱり殺すのは慈悲深すぎです。苦しんで、死んだほうがいい」
「俺の兄弟も、こうなのか?」
「まだ、まともに扱っていますよ。他の囚人と同じです。この男は、あなたに随分なことをしたので、生き地獄を味合わせているだけですよ」
「頼んでいない」
「やりたくてやっているだけです。あなたはただの理由付けですよ」
嫣然と笑うハガル。本当に、こいつ、俺のこと利用しまくりだ。
だけど、そう言われて、俺も笑ってしまう。
「酷いな、それ」
そして、泣いた。
親父はそのまま飢え死に決定みたいな扱いのままにされ、俺は地下牢に戻されると思いきや、ハガルについていくと、そのまま階段を上って、豪勢な部屋に出た。
俺が呆然としているも、ハガルは気にせず、そのまま歩いて行ってしまう。俺は慌ててハガルの後をついていく。
そうして、俺は屋敷の外に出された。
物凄く久しぶりの外だ。振り返れば、とんでもない邸宅だ。この邸宅の地下に、俺は長いこと収監されていたのだ。
「ルキエル、最後の実験です。背中を見せてください」
「はいはい」
外に出て、油断しているところに、殺されるんだろうな、なんて軽く考えていた。散々、俺を泳がせて、利用して、実験までさせたんだ。魔法使いになるんだ、なんて言ったて、所詮は罪人だ。生きて出されるはずがない。
俺の背中をハガルの手が触れる。少し、くすぐったい感じがした。
しばらくして、何かがおかしいことに気づいた。体が軽いような感じだ。
「終わりました。さて、背中はどうなっているかな?」
何をしたのやら。外だというのに、ハガルは俺の服をめくって、背中を見た。
「やはり、そうですか」
「何をしたんだ?」
「あなたの背中にある契約紋を消したのですよ」
「………そうなんだって、一か月の苦労が!!」
一か月、焼き鏝をされて、火傷で苦しんだというのに、それを消したという。
「消すなら、一か月前に消してくれればいいじゃないか!?」
「ラインハルト様が生きていましたから」
「どういうことだ?」
「あなたを生かす条件は、皇族の犬にすることでした。そのためには、契約紋を背中につけなければいけません」
「なんで、今、消すんだよ。皇帝が死んだ後、すぐに消せばいいじゃないか」
「あなたの契約紋は、秘密裡ではありますが、それなりの人に知られています。定着したことを証明するために、アイオーン様に命じてもらわなければなりませんでした。定着の確認後であれば、消してもバレないでしょう。体の衝動もなくなったでしょう」
「………本当だ」
俺は、随分と長いこと、親父の娼夫だった。親父から解放されても、体は親父の閨事を求めて、随分と苦しんだ。
それも、いつの間にか、なくなっている。
「あんな痛い目にあったのです。そんな衝動、吹き飛ばしますよ。私もそうでした。契約紋もなくなりましたし、これで、あなたは自由です」
「………どうして」
喉がつまる。ハガルは散々、俺を利用していた。だけど、結果だけを見ると、俺を苦しめていたもの全てから解放してくれた。
俺をお袋の身代わりにする親父からも。
俺を犠牲にして幸せになろうとする家族からも。
体の疼きからも。
帝国の縛りからも。
「ラインハルト様は私を解放することなく、死にました。私は一生、帝国に縛られます。別に、それで構わない。そういう生き方しか知らない。だけど、ルキエルは自由になれる。貧民、悪いものと見られがちだけど、身分がないぶん、自由にどこにだって行けます。私の代わりに、なんて言っているわけではありません。私が、そうしたいだけですよ」
「だけど、俺、ハガルに何も返せない」
「返してほしくて、やったわけではありません。アイオーン様だって、私だって、勝手に、女遊びの店にあなたを連れて行っただけです。それと同じです」
「俺、もう、何もないっ。妖精もなくした」
「妖精、視認できなくなったというのは、嘘ですよ。この屋敷には、随分と厳重な魔法が施されています。ここから離れれば、また、妖精が視認出来るようになりますよ。力の使い方も、ものの考え方も、たった一か月ですが、身に着けました。貧民街でも、十分にやっていけます。いいですか、絶対に帝国には逆らってはいけません。それだけ守っていれば、好きにやってかまいません」
「なんだ、それ。俺に妖精使って暴れろってことか?」
「行く所がなければ、ママの所に行ってください。表向きは、女遊びの店ですが、裏では、皇帝と繋がっているのですよ。そうすれば、逃げたことにはなりません」
どこまでも、俺を自由にするためのものをハガルは提供する。
ハガルは俺の背中を押す。
「私にとって、人の一生など、瞬き程度です。気づいたら、皆、いなくなっているでしょう。そんな私の気まぐれです。神と妖精、聖域の導きがあれば、きっと、すぐ、会えますよ」
ハガルは、いつぞやと同じ、別れの言葉を告げた。
俺が自由に歩いていても、誰も気づかない。ハガルと一緒だと、皆、声をかけてきたのだが、今はそうではない。
たぶん、ハガルは俺に対して、認識阻害みたいな魔法をかけていたのだろう。明らかに顔見知りだ、という店の親父の前に出ても、まるっきり気づかれない。
ハガルは、俺を自由にするだけでなく、それなりの金までくれた。城を普通に出る時、俺を抑え込んだり、治療したりした騎士二人が、当面の生活費を渡してくれた。お陰で、困ることはなかった。
いきなり、女遊びの店に行くわけにもいかない。今、あの暮らしていた家がどうなっているのか、気になって、行ってみた。
俺たち家族が暮らしていた家はなくなっていた。それはそうだ。罪人の家だ。そのまま残して再利用、というわけにはいかない。綺麗な更地となっていて、逆に、楽になった。いくら、親父から解放されたといえども、あの家に入れば、俺だけは、また、過去に戻ってしまうだろう。
しばらく、更地を見てから、ちょっと行くのは、という王都の貧民街に踏み込んだ。
ハガルに特別扱いされていたので、もう、貧民街の空気が合わなくなってきた。食事だって、随分、美味しいものを食べさせてもらっていた。これから、生活を最低にするのか、と考えると、とんでもなく辛い。
「ルキエルっ!?」
目立たないように歩いていても、顔見知りには声をかけられてしまう。
「姉貴」
俺を見つけた姉貴は、なんとも言えない顔で俺を見てきた。そんな姉貴の隣りには、ガタイの立派な男が姉貴の肩を抱いていた。
ハガルがいう通り、姉妹のほうは、適当な男に縋って生きていた。
「なんだ、親父も兄弟も見捨てて、逃げ出してきたのか!」
嘲笑う男。俺一人だから、そう見られても仕方がない。実際、見捨てたし。
「姉貴とかがどうしてるか、気になって見に来たけど、元気そうでよかった」
いつものように笑っていう。そうすると、姉貴は申し訳ない、みたいな顔をしたな。
ところが、姉貴は忌々しい、みたいに俺を睨んできた。随分と合わない間に、あのしおらしさがなくなった。
「聞いたぞ。お前、実の親父の娼夫だったんだってな。さぞや、具合がいいんだろうな」
姉貴から色々と聞いたんだろう。俺を頭から足のつま先までじろじろと見て、舌なめずりする。
「もう、いいじゃない。あなたはここの支配者なんだから、あの父に対抗する必要なんか、ないのよ」
「一度くらい、味わってみたいだろう」
姉貴は上手に、王都の貧民街の新しい支配者に取り入って、地位を確保していた。
しかし、ちょっと話しすぎだ。この男、俺の閨事の具合に物凄く興味津々だ。
「やめておけ。親父は随分な一物を持っていた。俺とやって、大したことがなかった、なんて言われたくないだろう」
わざと、挑発してやる。姉貴はそれを聞いて、さらに俺を睨んでくる。
万が一、この男が、俺に夢中になっては困るんだろうな。家族だってのに、こんな対抗心燃やされるなんて、さすが、女は図太い。
俺は一生、男も女も受け入れられそうにないな、なんて頭の片隅で考えながら、男がどう出るか待った。
「そうか。だったら、お前を今すぐ、始末しないとな」
男がちょっと合図すれば、貧民街が牙をむく。貧民たちが、俺を囲んだ。
「俺の情報が、足りないな」
「やれ!!」
男の合図に、貧民たちが向かってくるも、すぐに、倒れて、動けなくなる。
何が起こっているのかわからない男は、俺を睨む。
「まさか、毒でもまいたのか!?」
「姉貴から聞いていないのか。俺が妖精憑きだってこと」
「お前、黙っていたのか!?」
男は姉貴の頭を鷲掴みした。
「だって、生きてるなんて、思ってもいなかったから!!」
「昔も今も、姉貴は自分だけだな。意識を失った俺が親父に襲われている時も、俺を見捨てて逃げたもんな」
「そうよ!! 男なんだから、その程度、大したことないでしょう!!! 女はね、純潔かそうじゃないかで、価値が変わるのよ!!!!」
「お陰で、俺は男を咥え込むのが、上手になった」
姉貴の本音を聞いて、俺はすっきりした。もう、この女とは、血縁ではないな。
姉貴を乱暴に離して、男は剣を抜き放つ。そんなもの、妖精憑きには意味がないというのにな。
男が向かってくるのを待ち構えていると、俺と男の間に、誰かが割り込んできた。
なんだか、歴戦の戦士みたいな老人だ。男の武器を老人は持っていた剣で払い、がら空きとなった男の腹を切り裂いた。
本当に一瞬の出来事だった。王都の貧民街の支配者となった男は、この老人に、呆気なく殺された。
「あの、どういえば、いいのか」
「多勢に無勢だから、ついただけだ。必要なかったようだがな」
老人は剣についた血を振り払って、柄に仕舞う。老人のくせに、動きが洗練しているように見える。
あっという間の出来事に、呆然となる姉貴だが、しばらくして気づくと、声もなく逃げていった。
「あ、妹のこと、聞くの忘れたけど、ま、いっか」
姉貴を見れば、妹も元気に生きているだろう。
改めて、老人を見る。平民というよりも、貧民のような恰好をしているが、身のこなしが違う。どっかの戦士だ。顔立ちや体つきだって、普通ではない。親父よりも鍛錬しているのは、見てとれる。
「ありがとうございます」
「余計なことをしてしまったな」
「………実は、俺、行く所がないんです。ここにいると、また、何かに巻き込まれてしまうから、王都を出たいんです。連れて行ってくれませんか?」
「どうして、ワシがここの住人でない、とわかる? 新しく流れて来たかもしれないぞ」
「海の匂いがする」
「そうか?」
老人は手の甲を鼻に寄せる。
「しないが?」
「俺は妖精憑きだから、わかるだけかも。どうして、わざわざ、王都に?」
「ワシはもともと、貴族だったんだが、落ちぶれたんじゃ。仕方がない。戦争バカの一族だからな。だが、忠誠心がなくなったわけではない。皇帝ラインハルト様が亡くなったと知って、墓参りに来ただけじゃ」
「そうなんだ。墓参りは終わった?」
「ああ。これから海の貧民街に戻るところだ」
「じゃあ、連れてってよ」
「いいが、ワシは悪い奴かもしれないぞ」
「俺は妖精憑きだから、寝ていても、殺されることはない」
「魔法使いでは、ないのか?」
「………野良の、妖精憑き?」
「お互い、わけありか。ならば、連れて行こう」
老人は俺のことをこれっぽっちも疑わない。本当は、俺のほうが、力が上だ。いくら老人が腕っぷし強くても、妖精憑きには絶対に勝てない。
何より、俺は、ベッドの上で苦痛と戦った一か月で、魔法使いのイロハを叩きこまれていた。貴族の子飼いの妖精憑きよりは、使える妖精憑きだ。
危なっかしい爺だな。だけど、このまま見放すのも、後味が悪い。
この老人、何故か、妖精に命を狙われている。俺が見ている前で、野良の妖精たちが、老人の寿命を盗ろうとした。それを俺は邪魔した。だから、野良の妖精たちが、俺を睨んでくる。
随分と年を取った爺だ。残った寿命だって、大したことはない。そのまま野良の妖精に寿命を盗られて死んでも、誤差みたいなものだ。
だけど、この老人、物凄い神の加護を持っている。俺でもわかるのだ。相当なものだ。なのに、妖精に寿命を盗られるなんて矛盾している。妖精は神の使いだ。
「助かるよ」
俺は老人には裏の事情なんて話さず、付いていくことにした。せっかく助かった命だ。善行になることでもやってやろう。
こうして、俺は、二度と、ハガルに会うことはなかった。縁がなかったんだな。
だけど、ハガルの悪行は、海の貧民街まで、よく轟いてきた。