日常と狂気
数年間、随分と女を身請けしては逃げられて、を繰り返すハガルは、女運の悪い見習い魔法使いとして有名となった。
ハガルは、基本、いい奴だ。女遊びの店に行くついでに、色々な場所に顔を出す。生家にもちょくちょく顔を出し、父親は借金ばかり重ねるし、と庶民にとって、恰好の話題となっていた。
普通に歩いていると、平民のほうから声をかけられる。妖精憑きは自尊心が無茶苦茶高いので、こんなことしようものなら、大変なことになるが、ハガルはそうではない。
「ルキエル、久しぶりー」
俺なんか、女遊びの店の常連にされて、肩まで組まれる始末だ。
「あのさ、俺、そんなに女遊び好きじゃないんだけど」
「俺よりも、皇族に媚びてるよな。俺はお前好みの女を選んだってのに、アイオーン様が選ぶ女ばっかり買うよな」
「………ハガルさ、賭け事はしないほうがいいぞ」
正直、ハガルは賭け事だけは絶対にやってはいけない奴だ。
毎回、女遊びの店に連れて行かれては、皇族アイオーン様とハガルで、俺好みの女を選ぶ、という賭け事をしている。
見ていてわかる。ハガルは同じような女を選ぶ。たぶん、ハガルの好みだ。アイオーン様は、最初に選んだ女とは、また別を、とどんどんと代えていっている。
よくわかっている。俺は、同じ感じの女は買わない。次から次へと試すみたいに違う感じの女を買うんだ。それをアイオーン様は見抜いたのだろう。
毎回、負けるので、ハガルは悔しいのか、俺を見つけては強制連行である。
「今日も行くのか? 悪いけど、これ、持ってってくれ」
「これも」
「こっちも」
ついでに、配達に使われる。俺とハガルは両手いっぱいの荷物を持って、女遊びの店に到着である。
魔法は便利だ。大荷物だが、ハガルの魔法で、軽くされている。ついでに、落ちたりしないようにバランスまでとられている。それを平然とやるハガルは、熟練のようだ。それでも、まだ、見習いなのだ。
開店前に到着したが、ハガルは特別扱いだ。ママはいれてくれた。
「ありがとう! これ、サービスね」
ママから飲み物をもらう。俺は普通に飲めるが、ハガルが一瞬、考え込んでから飲む。あれから、ハガルだけ、何かされてるんだろうな。ママも、懲りないな。
「なあ、ハガルはいつまで見習いなんだ?」
「また、突然、妙なこと聞くな」
「ほら、知り合って随分経つのに、まだ見習いなんて、長いな、と思ってさ」
ちょっとした興味本位だった。ハガルは少し、考え込んだ。
「そうだなー、俺よりも年下の奴でも、一人前になってるなー。ちょっと、遅すぎだな、確かに」
「それは、あれか、何か出来ていないことでもあるのか?」
「ある。体術と剣術だ。俺、忙しすぎて、体術と剣術だけ省かれてんだよな。それに代わる何かを習得しなきゃいけないんだろうな」
唇を尖らせるハガル。ハガルは、体が華奢で、力がないことをかなり気にしている。力がなくても、大きな荷物も魔法とかで簡単に運べるように出来てしまうのだから、別にいらないだろうに。
「いや、技術はあるんだ。認めてもらってもいいはずだ」
「え、そうなのか?」
「力がないだけ。ちょっとした玄人程度なら、簡単に倒せる。実際、それをして、アイオーン様と知り合ったからな」
「何やったの?」
「皇族三人が囲まれていたから、助けただけ。妖精使うと、後々、面倒なことがあるから、技術で相手をこてんぱんにしてやったんだぜ。それから、アイオーン様に遊びを教えてもらったんだ。まだ、一人前じゃないから、酒と賭博は教えてもらってないけどな」
「賭博はやめろ」
「………」
無言になるハガル。あれだ、ハガルは深みにはまるタイプだ。そうならないように、俺とアイオーン様で止めよう。
そうしていると、開店時間になって、そこそこに人が入ってきた。
「今日も来てるのか、ハガルにルキエル」
「アイオーン様、今日こそは勝ちます!!」
「………ハガルはな、賭け事だけはやめたほうがいい」
アイオーン様も俺と同じことを思って、忠告した。
しかし、ハガルは皇族の忠告も笑顔で無視した。将来、賭け事で身を滅ぼすな、こいつ。
その日は、アイオーン様とハガルとのお付き合いもそこそこに、家に帰った。俺の家は貧民街に近い。ちょっと治安が悪いが、俺の家族はそれぞれ、腕っぷしがいいので、問題ない。
「戻りました」
他人行儀な挨拶だな、なんて頭の隅で思ってしまう。仕方がない。この家では、俺は立場が違う。
「親父様が待ってるぞ」
兄貴が俺を引っ張った。俺の倍はある腕と鍛えられた手でちょっと捕まれると、俺の腕はまあまあ痛い。ハガルほどではないが、俺も、家族の中では華奢だ。
奥のほうへと連れて行かれる。どんどんと灯りも乏しくなるのは、魔法使いの恩恵が届きにくい場所に暮らしているからだ。帝国は、灯り一つ、燃料一つ、水すらも、魔法使いの恩恵を受けている。魔法使いがいなくなったら、これらが失われるのだ。だが、帝国は広すぎるので、この恩恵が届かない場所が出てきてしまう。それが、貧民街周辺だ。
奥に行けば、蝋燭の灯りで照らされた部屋に、親父と、俺の兄弟姉妹が座っていた。
俺は、家族のど真ん中に放り出される。
「どこに行っていた?」
恐ろしい顔で聞いてくる親父。兄弟姉妹は、息をのんで、俺の答えを待っている。
「例の見習い魔法使いに捕まっただけです」
「何か聞いたか?」
「いつもの通り、女遊びの店に連れて行かれました。口は固い見習い魔法使いです。大魔法使いのことは、何も話しませんでしたよ」
「女を抱いたのか?」
「………いつも通り、皇族が金を払って、何もせず、帰りました」
「服を脱げ」
俺は周りにいる兄弟姉妹を見回す。ここで脱げというのか、この親父は。
「信じてください。いくら私でも、あなたの閨事がはっきりとわかる肌を晒すような真似はしませんよ」
俺はわざと、胸を片方だけはだけさす。そこには、情痕がいくつもつけられていた。それを見せられた兄弟姉妹は、目をそらした。
目の前にいる親父は、にやりと笑った。
「そうだな。お前は女だ」
「そうですよ」
胸がなくたって、この親父にとって、俺は女だ。長い髪を束ねた紐をほどいてやれば、体躯も男にしては華奢だから、女に見えるのだろう。親父は俺を引き寄せ、力いっぱい抱きしめる。
「今日も、可愛がってやろう、サツキ」
「それよりも、いつ、私の無念を晴らしてくれるのですか? もう、忘れてしまったのですか?」
兄弟姉妹の間に緊張が走る。親父が俺に夢中になっているが、俺は忘れさせない。
薬やら酒やらの臭いをさせる親父の腕の中、俺は身じろぎする。
「サ、サツキ!」
「離してください。もう、忘れてしまったのなら、私はもう、ここには来ません」
「忘れていない!! 忘れてなるものか。皇帝ラインハルトに復讐してやる!!!」
「本当ですか? 待っています」
笑ってやる。それを見て、親父は物凄く嬉しそうに笑い、俺に口づけする。深く、舌までいれて、長い口づけだ。
そんな俺と親父のやり取りを苦々しい顔で見ている兄弟姉妹。
「お前たち、もう休む時間だ」
やっと、親父からの解放の言葉だ。それを聞いた兄弟姉妹は大喜びだ。見るからに喜んでいる顔に、俺は冷たく見つめ返す。俺だけ、休ませてもらえない。
俺は、母サツキの身代わりとして、その日も親父に愛された。
気づいたら、いつものベッドに寝かされていた。だるい体を起こして見回す。まずは、親父がいるかどうかだ。体力が回復しきっていない所で、また、親父に閨事をさせられるなんて、たまったものではない。
俺にあてがわれた部屋だ。誰もいない。俺は安堵して、体を見下ろす。親父にかなり無体なことをされた後だというのに、綺麗だ。誰が清めたのやら。後ろのほうまで、綺麗だ。親父の白濁も手で掻き出したんだろう。
しばらく、俺は呆然としていると、様子見をしに、姉貴がやってきた。
「ルキエル、いつもごめんね」
俺はしばらく、姉貴の言葉を頭の中で反芻する。そして、苦笑する。
「いいよ。姉貴も、妹どもも、無事なら」
泣きそうになる姉貴。そりゃそうだ。俺がこうなったのは、姉貴をかばったせいだ。
親父は、お袋を亡くして、気が狂った。そうして、手近な女である姉貴にお袋の身代わりをさせようとしたのだ。それを俺が止めたんだ。そして、親父は言った。
『サツキ、帰ってきたのか!!』
俺は、姉貴や妹たちよりも、お袋に似ていたようだ。それから、俺が死んだお袋の代わりだ。
兄貴は親父を止めようとした。しかし、親父の腕っぷしと支配力に負けた。親父は、貧民街の外に暮らしているが、れっきとした、王都の貧民街の支配者だ。親父がちょっと声をあげれば、兄貴は簡単にぼこぼこにされた。
そうして、狂った親父の言いなりだ。貧民街も、俺たち家族も、親父の復讐に付き合っている。
お袋は、皇帝ラインハルトのハーレムにいた。親父が金に目がくらんで、お袋を出仕させたんだ。見た目がとても綺麗だったお袋は、ハーレムの中では、それなりの地位を築いていた。毎月、かなりの金が親父の元に届いていたという。
ところが、今から十年近く前、ラインハルトはハーレムを解体した。
ハーレム自体は、表には出ない施設だ。解体されても、親父は知らなかった。気づいた時、とんでもない額の見舞い金とお袋の持ち物が届けられた。偉そうな役人は文字が読めない親父に言ったんだ。
『ハーレムのことは、他言無用だ。その口止めも入っている。万が一、口外された場合、命はないものと思え』
嘲笑うようにいう役人の首を親父は剛腕でへし折った。役人が一人戻ってこなくても、調べられることがなかった。役人が見舞い金を持って逃げたとでも思われたのだろう。こうして、親父の悪行は表沙汰にされなかった。
しかし、お袋を失った親父は狂った。金に目がくらんだが、親父はお袋のことを愛していた。ハーレムから戻ってくるものと思っていた。
親父は学はなかったが、俺や兄貴にはそれなりの学はあった。お袋をハーレムへ送る際に結ばれた契約では、命の保障がなかった。万が一、死んだ場合は、見舞い金を送ることとなっていたのだ。
どうして、こんなことになったのか? 親父は貧民街の権力者らしく、ハーレムの仲介に出た貴族を問い詰めた。
貴族は言った。
『隠されたハーレムだぞ。生きて出られるわけがないだろう』
そう言って、貴族は親父を嘲笑った。途端、親父は貴族の首を剛腕でへし折った。
貴族には跡取り息子がいた。父親が目ざわりだったのだろう。親父が殺したことを喜んだ。
そうして、新しい貴族を頼み綱に、お袋の死の真相を親父は探った。といっても、貴族に調べてもらうだけだ。城の奥深くのことは、外には出ない。城勤めを篭絡しても、声にも、文字にも出来ない契約魔法が施されていた。それを潜り抜ける方法を親父は持っていなかった。
貴族には子飼いの妖精憑きがたくさんいた。貴族は親父が支配する貧民たちを使い、後ろ暗いことをさせる代わりに、お袋の死を探った。
そうして、それなりの年月が経った頃、親父は姉貴をお袋と思い込み、襲った。
その時、たまたま、俺が居合わせた。俺は親父を止めた。
『それは、お袋じゃない!! 姉貴だ!!!」
『うるせぇ!!!』
親父の容赦ない一撃を受けて、俺は呆気なく意識を失った。
そして、苦痛やら何やらで気づいたのは、親父が俺の上に圧し掛かっている時だった。姉貴はどこにもいなかった。
慣れさせもせず、ただ、無理矢理、親父の剛直を受けて、俺は泣き叫んだ。だけど、誰も助けには来てくれなかった。
次の日、目を覚ました俺を親父は『サツキ』と呼び、甲斐甲斐しく看病してくれた。殴られたところよりも、下半身が酷く痛んだが、どちらもすぐに治った。
親父というか、家族は誰も知らなかった。俺が妖精憑きだということを。
知っているのは死んだお袋だけだ。お袋は、俺が妖精憑きだと知ると、口止めした。
『いいか、あの男には、絶対に妖精が見えるなんて言うんじゃないよ。言ったら、怖い所に売り払われちまうよ!!』
脅すように言われ、俺は口を閉ざした。それから、お袋は妖精憑きのことをこっそり教えてくれた。
お袋は、随分と学があった。俺の兄弟姉妹に学を教えたのは、お袋だった。どうしてなのか聞いた。
『アタシは、元は貴族だったんだよ。騙されて、落ちぶれちまったんだ』
だから、お袋は色々と知っていた。
俺は黙っていたから、常人よりもはるかに早い回復を知られることはなかった。そして、隙をついて、逃げた。
だけど、多勢に無勢で、俺はすぐ捕まった。
俺は、妖精憑きの力の使い方をよくわかっていなかった。ただ、体がちょっと頑丈で、病気にかからなくて、怪我なんてすぐ治る、程度に思っていた。
俺を捕まえたのは、貴族の子飼いの妖精憑きたちだ。捕まえたついでに、そいつらは、親父に、俺が妖精憑きだと暴露しやがった。
そうして、俺は貴族の子飼いの妖精憑きたちの指導のもと、力の使い方を学びつつ、夜は親父の娼夫なった。親父は、昼間は俺を息子と見て、妖精憑きの力の行使を強要し、夜は俺をお袋と見て、圧し掛かってきた。
そうして、数年、耐えた。いつかは、終わりが来るだろうと。
だけど、耐えているのは、俺だけだということに、ある日、気づいた。
俺は、大魔法使いの側仕えに会ってみたくて、女遊びの店に足を運んだ。行ってみれば、俺よりも大したことがない妖精憑きハガルが、安穏と生きていた。俺を見つけたのも、たまたま、俺の席についた女が妊娠していることに気づいただけで、俺が妖精憑きだなんて、気づいてもいなかった。
貴族の子飼いの妖精憑きだって、もっとたくさんの妖精を憑けている。ハガルの妖精は大した数ではなかった。その程度の妖精憑きが、女を身請けして平凡に生きようとしている。
それに腹が立って、家に帰って、家族を見て、気づいてしまった。俺の犠牲を元に、俺の兄弟姉妹は安穏と生活していた。狂った親父の復讐劇など、誰も本気で取り組んでいなかったのだ。このまま、俺の犠牲のもとに、親父が寿命でくたばるのを、皆、待っていた。
貴族も、俺の家族も、貧民街の手下たちも。
誰も、皇帝ラインハルトに復讐することなど、考えてもいなかったのだ。
だから、妖精憑きの力を使って、貴族の子飼いの妖精憑きから妖精全てを盗ってやった。
親父が夢うつつになっているから、復讐を囁いてやった。
逃げてやろう、とする兄弟姉妹を逃げられないように、泣き落とししてやった。
昼間になれば、俺は男だ。普通に歩いていると、珍しいものを見た。
「ルキエル?」
いつもそうだが、ハガルが先に俺に気づく。この日も、ハガルは俺に気づいて、わざわざ、駆け寄ってきた。
「昼間にいるなんて、珍しいな」
「もう、軽々しく外出が出来ない身になったから、世話になったトコに、挨拶まわりとしてたんだ」
ハガルはついてくる騎士たちを手で遠ざける。いつもよりも、動作が洗練されているような気がする。
少し離れた所に移動した騎士たちは、油断なく、俺を睨んでいた。見るからに、俺は怪しいもんな。
「ルキエルとも、簡単には会えなくなった」
「また、どうしてだ?」
「筆頭魔法使いになった」
「………は? お前が? 帝国最強の妖精憑きに!?」
「いや、帝国最強の妖精憑きは、大魔法使いアラリーラ様だ。俺は最強じゃない」
「だけど、大魔法使いを除けば、お前が最強なんだろう!?」
「色々と、面倒くさいんだよ、この立場は。妖精憑きの力が強いだけではなれないんだ。魔法使いとしての才能、あと、それなりに頭が良いことが条件だ」
「頭、いいんだな」
「そういうのは、わからん」
「それで、筆頭魔法使いになると、どうなるんだ?」
学があるといっても、貧民だ。ただ最強を名乗る程度にしか思っていなかった。
「皇帝の番犬だ。城からは簡単に出られなくなる」
よりによって、ハガルは、皇帝ラインハルトの側に仕えることとなっていた。
「おいおい、お前、大魔法使いの側仕えだろう」
「大魔法使いは、結婚して、家庭に入った。もう、王都にいない」
「………そうなんだ」
ハガルは珍しく、よい情報を俺にくれた。たぶん、いずれはこの情報は表沙汰にされるから、なんてハガルは軽く考えていたのだろう。
「ルキエルは、どこにいるのか知らなかったから、ここで会えて良かった」
「んじゃ、もう、俺は女遊びの店に連れて行かれなくてすむわけだ」
「ルキエル、一度くらい、女を抱け」
「………」
俺は首を傾げた。ハガルがどうして、そんなことをいうのか、わからなかった。
ハガルは人目があるというのに、俺を抱きしめた。
「神と妖精、聖域に導きがあれば、また、めぐり合うだろうな。そのめぐり合いが、良いものであることを祈っている」
「………すっかり、一人前の魔法使いだな」
「じゃあな」
そうして、俺とハガルは別れることとなった。