表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編(日常・恋愛)

宝石店の店主は今日も待ち続ける

作者: 鞠目

「私はここで父の帰りを待っているんです」

 セレブ御用達。メディアによる露出は皆無だが、確かな目利きとサービス力により、盤石な経営基盤を有する小さな宝石店の店主は私に笑顔でそう言った。

 店主の名は、仮に堀井とする。何故なら彼は名乗らないので、私含め客の大半が彼の本名を知らないのだ。この店の常連であり、私にこの店を紹介してくれた知人は「マスター」と呼んでいた。

 紹介してもらってから何度か店に通ってみると、店主のことを「堀井」と呼ぶ老人がいた。いつも真っ黒な燕尾服にシルクハットをかぶったその老人は、店主のことを「堀井」と呼ぶが、理由は「何となく堀井みたいな顔をしているから」と私に説明した。因みに店主は「私は堀井ではありませんよ」と笑いながら否定していた。


 堀井の見た目は三十代半ばに見える。年齢も教えてくれないので、正確には何歳かわからない。だが、物腰の柔らかさや、醸し出す雰囲気から二十そこそこの若者ではないことは明らかだ。

 堀井が店主になったのは二年ほど前で、それまでは堀井の祖父が店主を務めていた。本来であれば堀井の父が店主を継ぐはずだったのだが、訳あって堀井が後を継いだ。


「どこかへ行ってしまったんです」


 堀井は私に少し寂しそうに言った。

 堀井が子どもの頃、彼の父親は姿を消した。理由は不明。真面目な仕事人間の父の突然の失踪に驚き、小学生ながらになんとか心の整理をしようとした矢先、母親が病死。彼は祖父に育てられ、大学進学後にはまるでそうなるのが当然のように店で働き始めた。


「もう、そうしなきゃいけない気がしたんですよね。あ、嫌とかではないんですよ?」


 堀井は否定するが、それが本当かどうかは私には判断ができないでいる。ただ、彼が「ここで働いていれば、いつか父が帰ってきてくれる、そんな気がするんですよね」と笑顔で言った言葉は心からそう思っているような気がした。




 もう何年も前のことだ。あるところに仕事しか取り柄のない、つまらない男がいた。男は毎日仕事に打ち込み、家業を継ぐために汗水を流していた。

 ところが魔が差した。いや、間が悪かったのかもしれない。男はある日恋をした。客としてやってきた女とたまたま目が合い、その時、脳内を稲妻が駆け抜ける。そして男は自分が恋をしたことをすぐに察した。

 これもまた間が悪かった。いや、運が悪かったと言うべきなのかもしれない。女もまた男を一目見て恋に落ちており、さらに二人とも既婚者で子どももいた。しかし、二人にとってはそんなことなど小さな問題。何の障壁にもならず、二人はすぐに駆け落ちした。


 二人には行くあてなどなかったので、ただただ気の向くまま、車で南下して行った。季節が秋ということもあり、南に行けば寒さもましかもしれない、そんな考えが二人にあったようだ。

 二人とも衝動的に家を飛び出したので、荷物も少なく、所持金も大した額ではなかった。その時点で二人の旅がそう長く続けられないことはわかっていたはずなのだが、二人は現実から目を逸らし、付き合いたての初々しいカップルのようにはしゃぎながら南を目指す。

 旅を始めて数週間経った頃、二人は人気のない山の中で寂れた小学校にたどり着く。そこは数年前に廃校になった小さな学校だった。

「ここだな」

「ここよね」

 理由はない。でも、二人はここが二人にとっての終着点だと思い、南下するのをやめた。

 廃校の校舎に寝泊まりしながら、日雇いの仕事をして資金をやりくりし、貧しいながらもなんとか笑いながら過ごす。それが二人にとって生まれて一番の幸せな時間になったと女の日記に記されている。

 しかし、楽しい時間は長くは続かない。それはこの二人も例外ではない。


 この二人は駆け落ちをした年の暮れに亡くなっている。死因はおそらく凍死。雪の降りしきる古い校舎で二人は互いに抱き寄せ合うようにして亡くなっていた。

 凍死。それは少し考えれば当然のことである。暖房設備のない木造建築で冬が越せるわけがないのだ。いい大人が気づかないはずがないことだが、何故か二人はこの場を離れなかった。理由が気になるところだが、今となってはその理由を知る術はない。




 私には言えない。

 失踪した母の行方を探していた時、山の中の古い学校で亡くなっていた男女の話を聞いた。遺留品からは身元の特定はできなかったそうなのだが、私は遺留品の写真を見て母だろうなと思った。

 持ち物の中に、私が小学校の家庭科の授業で作ってあげた巾着袋があった。何の変哲もない普通の巾着だけど、母は気に入って使い続けてくれていた。

 母の失踪の理由には心当たりがある。母が「今日は大学時代の友だちに、おすすめの宝石店に連れて行ってもらうんだ」なんてご機嫌に話していたその日の夕方、学校から帰ると母の様子が変わっていた。

 恋だと思った。ふとした時に恋する乙女のような表情をするようになった母を見て、私はすぐに察した。母に何があったのか確かめなきゃいけない、そう思いつつも聞きにくく、躊躇っているうちに母は姿を消したのだ。

 母が行った宝石店、それは今は堀井が店主を務める店である。


 バカだなあと思う。

 父の失踪理由も知らず、ただただ帰りを待つ店主。どうしてそんな呑気に待っていられるのだろう? 私には理解できない。

 私は自分の母が亡くなっていると考えているが、はっきりとした根拠はない。そのため、もちろん堀井の父親が死んでいると断定もできないので、堀井にこのことを告げる義理もない。

 どんな奴なんだろう、母の不倫相手の家族って。興味本位で様子を見に来たけれど、堀井の様子を見て私は呆れてしまった。この男は自分の父の不義理を、そして死を全く考えていないんだとすぐにわかった。

 私も本当にバカだなあと思う。純粋な笑顔を見せられて、言えなくなっているのだから。

 これが最善の選択肢じゃないことなんて頭では理解してる。でも、今はまだ伝えなくてもいいのではとも考えてしまう。

 バカな店主はこれからも純粋な心で父の帰りを待っていればいいじゃないか。真実を知り心を痛めるのは、私一人で十分なのだから。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ∀・)もの凄く複雑な糸が絡まった群像劇でしたけど、短編という短編にうまく纏められていました。生意気を言っちゃいけないけど、お見事です☆☆☆彡 [気になる点] ∀・)店主が「堀井」って言われ…
[良い点] サスペンスとかミステリーな雰囲気があって面白かったです。読ませていただき有り難うございました。
[一言] 親が駆け落ちして死んだなんて、知りたくもないですよね(^-^; そっとしておいてあげるのが一番なのかな……。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ