ホントのキモチ
「風邪、良くなったの?」
さほど心配そうでもない声でフッカが横目で見る。
「うん、フッカのマスクのおかげ……」
胡散臭いものを見る刺すような眼光に言葉を濁す。
「これ、新品の方のマスクだからな」
マスクの右アゴをさすってフッカマークがないことのアピールだが、胸を張って言うほどのことではない。
オレの返事に何も言わずに鼻息だけで前を向く。昨日のことへの無言の抗議なのか、相変わらず、重い雰囲気だ。
コイツは、いったい何を思っているんだろう。
おとといは久坂に突き放されて泣いたのか?
いや、みんなの前では突き放しても後で「ゴメンゴメン、さっきは照れくさくってあんなこと言ったけど、ホントはキミだけなんだよ」なんてことをヤツのような色事師なら平気で言いそうだ。
久坂がフッカと付き合ってるのを隠す理由はなんだ?
そりゃあ、ガキの恋愛は見た目勝負だからだ。
沢木さんと付き合ってるなら自慢もできるが、相手がフッカだとクラスのみんなに知られたくないという強い気持ちが起きても仕方ない。
二股掛けてるなら尚更だ。
表面お人好しのフッカが上手く言いくるめられてる可能性だってある。
出来ればもう少し沢木さんから情報を聞き出したかったが、あの後の記憶が欠落している。
なんか言ってた気がするけど、よくわからん。
朝起きたらきちんとパジャマを着ていたところを見ると、どうやら〝お薬〟の効果で寝落ちしてしまったらしい。
だいたい、あの野郎、沢木さんと付き合ってるならなんでフッカなんかと隠れてまで付き合う必要がある?
目的はなんだ?
全ての先入観を排除し、あらゆる可能性を考慮して、どんなに検討を尽くしても、答えを導き出すことが出来ない。
ああ、オレの推理はいつもここまでだ。きっと、恋愛については絶対的な人生経験が不足しているんだ。
いったいコレと付き合う理由はなんだ?
こんなののどこがいいんだ?
フェチか?
世の中にはブス専っていうのもいるらしいが。
それとも、そんなに相性がいいのか?
『ア・イ・ショ・ウ』
突然、親父ところぴょんの姿が頭に浮かんだ。
フッカとあの野郎が!?
「ウソだろ!」
「痛い!」
フッカが突然叫んで、繋いだ手を振りほどいた。
「もお、なにすんのお兄ちゃん!」
フッカが顔をしかめてこっちを睨みながらぶんぶん手首を振っている。
あ、つい興奮して手に力が入ってしまった。
『相性っていうのは、一緒にいても気を使わないとか、癒されるとか、そういう関係のことでしょ?』
そうだ、そうだよ。
親父はころぴょんに『心を』癒されてるんだ。
「ごめん、ちょっと、いろいろ考え事してて……」具体的な〝考え事〟の中身は言えないが。
もう一度、フッカに右手を差し出す。
怒った顔で、しぶしぶながらそれを受け取って指を絡めてくれた。
ひとまずの許容にほっとしたら、
「どうせほのかのことでしょ」拗ねたように唇を突き出したのがマスク越しに分かる。
「違うよ、フッカのことだよ」でも内容は聞かないで下さい。
「ふうん、ならいいんだけど!」
そのまま前を向いてオレの手を振り回しながら歩き始めた。
なんだ、コイツ……。
ひょっとして、ヤキモチ!?
ウソだろ!?
いままでフッカがヤキモチなんて焼いてくれたことがあったか?
いやない!
間違いなくない! 正月の餅だってオレが焼いてフッカは食う専門だった。
オレが他の女の子のことを考えてると思うだけで沸き起こる不快な感情。
それって、フッカはオレのことが好きってことだよな!
「もお、お兄ちゃん、痛い!」
「ごめん!」ついつい手に力がこもってた。
この怒った感じもいいんだよなあ。痛がる右手を空いた手で撫でてあげる。
「オレ、フッカだけだからね」首を曲げてフッカの顔を覗き込む。
「こないだの日曜日も?」
「いや、だからそれは誤解だって! それに、ほら、オレ、フッカの目の前で振られてたでしょ?」
「振られたってことは、好きだったってことなんじゃない? なにか〝上手にできないこと〟があったみたいだけど?」
いつになくフッカの攻めが厳しい。
「だから、事故みたいなこともあってさ、好きなのはフッカだけなんだって!」
「へええぇぇ、ほのかに振られたからって、わたしにお乗り換え?」作ったような驚き顔でオレに向かって目を皿にする。
何言ってんだよ! 元はといえば、オマエがオレを振ったからこんなことになったんじゃないか! オマエが久坂なんかにフラフラするから悪いんだろ! つべこべ言わずに黙ってオレだけ見てりゃいいんだよ!
心の中で叫んでも、喉から先には出すことができない。
ずっと好きなんだよ。
仕方ないんだ。
「ごめんなさい、もう二度とほかの女の子と遊んだりしません。だから許して下さい」
立ち止まって、頭を下げた。もう、懺悔の時間だ。
「ホントだよ、もう、手、繋いであげないんだからね」
その言葉で、涙が溢れそうになって、目尻を押えてこらえてたらフッカに笑われた。
きっと、酷く情けない顔になってたと思う。マスクをしててよかった。
オレとフッカがお揃いのピンクのマスク姿で仲良さげに手を繋いで吉田商店前に到着すると、その場にいたきらりちゃんが不思議なものでも見るように見上げてきた。
きらりちゃん、男と女ってヤツはね、理屈では分からないもんなんだよ。
「神話にも興味あるの?」
本に貼られたバーコードをリーダーで読み取りながらカウンター前の女の子に話し掛けた。
「はい」
緊張気味の女の子の返事を受けながら、彼女の図書カードの情報をパソコン画面でチェックする。
『秋本輝星』
彼女の貸出のリストにこの本の情報が表示されている。
「星座とかもギリシャ神話が元になってるのが多いよね」
星のキーワードを耳にした彼女はほっとしたように白い歯を見せた。
「あのね、アンドロメダのお話が読みたいの」
「あー、勇者ペルセウスの出てくるお話だ」
それも確かあの聖なる夜に話をした記憶がある。
「うん」
「そうだ、さっき返ってきた本に星座の写真集があったんだけど、見てみる?」
「うん」きらりちゃんが頷く。
「ちょっと待ってね」
体を捻って直ぐ後ろに置いてあった未整理の返却本を乗せたカートに並んだ背表紙に指を走らせた。目当ての本を見つけて引き抜く。それをカウンターに広げた。
「これなんだけど」
ちょうど見開きで冬の星座のパノラマ写真だった。
「星野写真で星がメインだから神話の話はあんまりないけど、なかなか見ることができない星空が綺麗に写ってるでしょ」
ページを広げたまま、きらりちゃんに渡してやる。
受け取った前後のページをいくつかめくっていく。
「わぁ……」
彼女の目は好奇心に溢れてキラキラしてる。
やっぱりこの子は星が好きなんだ。
「高学年向けだから解説は難しいけどいま借りた神話の本と合わせて読んだら面白いんじゃないかな?」
「これも、借りていいですか?」手にしていた本を差し出す。
「もちろん」本を受け取りバーコードをスキャンして手渡した。
「冬休みにね、プラネタリウムに行ったら、神話のお話だったの。すごい好きになったの」
「プラネタリウムって、前橋の?」
「うん、そう。ずっと行きたかったんだけどね、やっと連れてってもらえたの」
「そう、あのプラネタリウム、解説も楽しいよね」
「うん、また行ってみたい」
「前橋のプラネタリウムなら、確か遠足でも行ってたよ」振り向いて奥の準備室にいるころぴょんに声を掛けた。
「ねえ、まなちゃん、前橋の児童館って何年の校外学習だっけ?」
「あっ、えっ、と、三年で行ってたけど」奥から大声が返ってくる。
「三年だって。きらりちゃん、こんど三年だよね」
きらりちゃんが嬉しそうに頷く。
「わたし、将来、星の研究をする人になりたいの」
「そうなんだ。応援するよ。この次までに面白そうな本を探しといてあげるね」
「ホント!?」
「ああ、友達だもんね」
キラキラの女の子は二冊の本を大事そうに抱えて図書室を出ていった。
いやはや、久々のカウンター仕事で気合を入れすぎた。
隣でフッカがこちらの様子を伺っている。マスク越しにどんよりした目だ。
まあ、本当ならここにヤツが座っているんだろうけど、オレじゃご不満かね。
「啓示くん、なかなかいい調子ね」
奥からころぴょんがゆさゆさとカウンターに出てきた。
「久坂くんが急用で帰っちゃったから助かるよ」
この日は四年一組の図書委員が放課後のカウンター当番の日だったのだが、ヤツは理由を付けて帰ってしまったらしい。
おそらくカウンターにフッカと並んでいるとまた変な噂になって嫌なのだろう。
おかげでオレはハイテンションだ。親父の不倫相手がすぐ近くにいても気にならない。
何しろ図書委員をやってたときだってフッカと並んでカウンターに座ったことはないんだ。どうだ、まるでお雛様みたいじゃないか。
「でも、まなちゃんってなに? アンタはわたしの彼氏か?」
ころぴょんが笑いながらゲンコツでオレの頭をグリグリ責める。
「ごめんなさい、そんなのいいましたっけ?」
まなちゃんって、昔、北倉先生が高校生の頃、家に来たときにそう呼んでたんだった。ついうっかりってやつだ。でも、いまなら全身グリグリしてくれても構わないぞ。
親子ともどもグリグリしてくれ!
カウンターが暇になったので、パソコンで図書室にある天文や神話の本を検索してみる。書架に行けば現物が並んでいるけど、読み物の類は学年別になってたり書庫に納まっていたりすることがあるので、パソコンが手っ取り早い。
面白そうな本を見つけてメモに落とす。後で実際の本を確かめてみよう。
「お兄ちゃん……」
三冊目のタイトルをメモ書きしているとフッカが声を掛けてきた。
「好きって言う気持ちは人それぞれだから、いくら好きだからって詰め込みすぎたらお腹いっぱいになって本当に好きなのかどうかわからなくなったり嫌いになったりすることだってあると思うよ。あの子の好きって言う気持ちを大切にするんなら、欲しい時に欲しい情報を教えてあげるのが大事だと思うんだけど」
「フッカ……」
「あ、ごめん」
「いや、ありがと。すごいな、ころぴょんより司書だよ。確かに周りが騒いで苦痛になることはあるよな。ごめん、オレ、調子に乗って相手の気持ちを考えてなかった」
フッカの目が少しだけ穏やかなものになったような気がした。
「ほんと、調子乗りすぎだよ、きらりちゃんが来たからって張り切っちゃってさ、『友達だもんね』だって、ばっかみたい」
気のせいだった。
「いや、調子に乗ったのはそうだけど、それは隣にフッカがいて嬉しかったからで……」
「前橋のプラネタリウム、楽しいよねー。誰と行ったんだっけ?」
なんだよ、今朝の続きか?
「ほら、あーっ、と、フッカと一緒に行ったことあったじゃん」
「えーっ? ずいぶん懐かしい思い出話し?」
隣でむくれているヤキモチ焼きは本当にフッカなのか?
「ちょっと、もう、ホント、許し…………」
くそっ、一年ボウズがこんなときに返却本なんか持ってくんじゃねえよ!
「二人とも、お疲れさま。ちょっと早いけど閉めましょうか」
最後の閲覧者が帰って、閉館の時間まであとわずか。本来、図書室は時間きっちりに閉館するルールなんだけど、ころぴょんはお構いなしだ。
フッカはそそくさと入口に「閉館中」の札を下げに行って中から扉を閉めた。
オレはその間に貸し出し用のパソコンを閉じる。ひとまず図書委員の仕事はおしまいだ。
割と暇だったが、いろんな意味で少し疲れた。
「二人とも、ちょっと時間ある?」
奥のデスクからころぴょんが手招きする。
なにか用事を言いつけられるのかと、オレたちは顔を見合わせた。
「良かったら、これ、食べてかない?」
デスクの上に、お菓子が二つ置かれていた。
フッカはデスクのイスに座って、オレは壁に立て掛けてあった折りたたみのパイプイスを広げた。
「手伝ってくれたお礼。というか、賞味期限が来たら困るから」
これは草津温泉の有名なお菓子だ。
「いまお茶淹れるからね」
先生がオレたちに背中を向けてポットのお湯でお茶の用意を始めた。
「これって、この間おじさんが行った草津温泉のお土産だよね」フッカが顔を寄せて小声で話しかけてくる。
「しっ! そんなこと言ったらころぴょんに悪いだろ」
「あっ、そっか」
この間の不倫旅行のお土産だ。
オヤジは温泉饅頭だったが、ころぴょんは職員室で配ったのだろう、日持ちのする〝ゆもみちゃん焼き〟だ。
フッカはうちの親父のお土産ところぴょんの旅行先が偶然被ったと思ってるようだけど、違うぞ違う。偶然行き先が一緒だったわけじゃない。行った日にちも泊まったホテルも部屋の番号も夜の布団も一緒だったんだぜ。
しかし、普通、不倫相手の子供に不倫旅行の土産なんか食べさすかよ。
毒でも入ってんじゃないだろうな。
きっとコイツを二人仲良く買ったんだろうな――――。
『あー、奥さんにお土産?』
『いや、なんにもないってのもかえって変だろう』
『わたしも買ってこうかなぁ』
『そうしろよ、ここは俺が出しとくから』
『一緒に住んだらお土産も一緒でいいのにね』
『家は子供もまだ小学生だし、年寄りもいるからな。可愛いお前に苦労は掛けられないよ』
『そんなこと言って、奥さんと別れる気なんてないんでしょ?』
『最近、婆さんの調子も良くなってアイツも三月からは職場復帰するって言ってたしな。そうなりゃあの婆さんは何処かの施設にでも放り込むさ。子供も春には中学だし、ま、あれは母親についていくだろうけど。そしたらこの際、アイツともけりをつけて二人で暮らそう』
『もう、酷い人ねぇ……、けど、わたしはあの子のお母さんでもいいのよ』
『えっ、冗談だろう?』
『実は、いまから少しづつ手懐けてるのよ。味方は多い方がいいでしょ、ふふっ……』
――――ころぴょんがオレのお母さん!?
このままの関係が続いたらそれも有り得るのか。お茶を入れる後ろ姿が妙にうきうきと左右に揺れている。お尻が大きい分、揺れの迫力が違う。
――――――
『啓示、もう知ってると思うが、新しいお母さんだ』
『啓示くん、よろしくね。仲良くしましょう』
――――――
新しいお母さん……。
「そうだ、啓示くん、あなた聖隷の願書出さなかったでしょう」
「あ、ああ、はい」そうか、ゴタゴタしててすっかり忘れてた。もしこのままフッカと上手くいかないなら私立を受けちまってもよかったのかもしれない。
「お父さん、受けて欲しいって言ってたわよ。『アイツはもっと上に行ける』って。わたしもそう思うな」ころぴょんは急須から並べたカップにお茶を注いでいる。
そんなこと、いつどこで親父と話したんだよ。この間の草津でのピロートークじゃないだろうな!?
「毎年、二次募集もあるからそれまでにちゃんと考えときなさいよ」
だから、母親が台所で息子に進路の話をしてる感を出すなって!
「はい、お待ち遠さま」
目の前に白いティーカップが置かれた。
きっと紅茶もコーヒーもこのカップなのだろう。
少し黄色味の勝った緑色の透き通ったお茶は見るからに美味しそうだ。
香りもいい。
オレを手懐けるために上等の茶葉を使っているのかもしれない。男を唸らせるために美味しいお茶の淹れ方を体得しているのかも……。
「あー、おいしい」
マスクをあごにずらして、素早くフッカが茶を啜っている。
「いただきまーす」ゆもみちゃんの包装も開く。
おい、早い、早いぞ。
「あ、いただきます」
慌ててオレもカップを取った。熱過ぎない適温で柔らかな甘味とまろやかさを感じる。
母さんより淹れ方が上手いか。
いや、母さんだってお客さんに出すお茶と晩飯で出てくるお茶はグレードが違うはず……。
「おいひいね」
なんだ、もうフッカのゆもみちゃんはすっかり口の中じゃないか。
クソっ、なんでお菓子ひとつにこれほど焦る。
それもこれもこの浮かれた泥棒猫のせいだ。
「もう、聖隷の願書は母さんが適当に書いて出しといてよ!」言い捨てて顔を上げたら、そこにいたのはもちろん母さんではなかった。瞬時に体温が上がって耳まで熱い。
フッカが隣でお茶を吹いている。
「まなちゃんて言ったり、お母さんて呼んだり、〝啓示〟はよっぽどわたしのこと好きなんだねぇー」からかうようにオレを呼び捨てにして語尾を甘く伸ばす顔はニッコニコだ。
なんだってんだよ! ちょっと間違っただけじゃないか。一番間違えたくない相手だったけど。
ゆもみちゃんを掴んで包装を剥いで一口齧った。
「あ、美味しい」
くそっ、定番の美味さだ。間違いない。ほっとする甘さにいらっとする。
もう、リセットだ、リセット!
「その場に行って出来たての温泉饅頭なんかを食べ歩きしたらもっと美味しいのよ」ころぴょんが馴れ馴れしくオレの頭をふかふかの身体に押し当てて撫で付けてくる。後頭部に当たってるこの心地良さは間違いなく胸だ。すっかり母親の座を奪い取った気になってるのか? こんなことで手懐けられてたまるか!
オレはフッカに目で助けを求めた。
おいフッカ、女子なら『誰と行ったの?』とか『彼氏とですか?』とか聞けるだろ。突っ込め!
「いいなあ、食べ歩きとか、してみたいなあ」
駄目だ、コイツは基本仕様が食い気だ。
さっきはあんなにヤキモチで突っ込んできたくせに。
「まだあるけど食べる?」
ころぴょんが自分の席からゆもみちゃん焼きを箱ごと出して勧めてくる。
本当は一緒に行ってたわけじゃないかもしれないと考えてたこともあったんだけど、これを見せられたら、どう考えてもさっきの妄想通りじゃないか。
親父の不倫饅頭なんか食えるか、と思っていたのに、これで家のと合わせて5個目だ。食い過ぎだ。
フッカは嬉々としてゆもみちゃんに手を伸ばす。
「フッカ、お腹いっぱいだったんじゃないのか?」
さっきのお腹いっぱいというは情報過多を例えてのことだともちろん分かっているんだけどあまりに美味そうに不倫饅頭にかじりつく姿にイラつく。
「ダメ、あげないよ!」フッカが自分の取り分のふたつを手で隠す。
ここで三つも食うのかよ。
「〝啓示〟も食べていいのよ」
そういう問題じゃない。
不倫饅頭はもういい!!
「なあ、こんど、三連休だろ。どこか遊びに行かないか?」この週末から建国記念の日を入れて、土日月と休みになる。手を繋いでの下校もきょうはいつもよりウキウキだ。誘わない訳には行かない。
たまにヤキモチもいいもんだ。
「また、パパが帰ってくるから」
「最終日、月曜日の午後ならパパさんもいないんじゃないの?」
パパさんは厄介だけど、半日でも遊べればいいんだ。
「でも、分からないし。最近しつこくて、なっかなか出ていかないから」
もう帰ってくるのは盆と正月ぐらいでいいのに、と文句を言う。娘に疎まれる父親は哀れだが、ヤツには哀れみを1ミリも感じない。
「なあ、ちょっとでもいいんだよ。一緒に、そばにいたいんだ」
「いま、一緒にいるじゃん」ほら、と、繋いだ手を目につく高さまで掲げる。
素っ気ない言い方にカッと熱くなった。
「ほんとに、オレ、フッカが好きなんだ。フッカがオレの言葉でお腹いっぱいになってオレのこと嫌いになっても、オレは変わらないんだよ。どうしようもないんだ。オレは、お兄ちゃんなんかじゃない、違うんだ!」
「わたしは……、わたしは変わったから、もう、一緒に遊べない……」
フッカはパッと手をほどくとオレに背を向けて走り出した。
やっぱりダメなのか…………。
しばらく背中を見送っていたが、気持ちを奮い立たせて追いかけた。
ここで立ち止まったらきっと後悔する。
逃げるランドセルを捕まえる。
絶対に捕まえる。
「待てよ!」
全力で駈けて必死に手を伸ばしてランドセルのかぶせを掴んだ。
「もう、なんで追いかけてくるの!?」
振り解こうと必死に体を捻るけど、ランドセルは離さない。踏ん張った右足の痛みは、もう気にしない。
「なあ、前みたいに一緒にキミトに行こう。ほら、一番長い名前のカフェを頼もうって言ってたじゃん」
「離してっ!」
「ねえ、お願い、パンケーキでも、モスバーガーでも、なんだっておごるから、ね」
「やだ、もお、ストーカー! 変態! エッチ! 助けて、お巡りさぁーん!」
小さな駄々っ子のように足をばたつかせ、くねくねと身体を揺する。
「ねえ、聞いてよ、フッカ! ねえってば! オレ、沢木さんと相談したんだ、オレと沢木さんが付き合ったらフッカはアイツと上手くいくかなって、フッカの想いが叶うかなって! でも、いやだ、オレ、フッカがいい、フッカでなきゃいやだ、ねえ、お願いだよ、好きなんだよ」
「ダメ、離して、わたしは、ダメ!」
「フッカ、ねえ、オレのこと嫌いなの?」
「ほ、ほのかがダメならきらりちゃんがいいよ、あの子、お兄ちゃんのこと好きだから、お兄ちゃんの好きな髪型にしたし、リップとかアクセサリーとか、全部お兄ちゃんの好みのにしてるの、知ってるから、手、繋いでたらいっつもわたしのこと睨むんだから、きょうだって、わたし、わたしのこと、横目でにらんで邪魔者にするんだから」
フッカの声が涙に詰まっていく。
「そんなの知らない! オレはフッカだけなんだって! 約束したじゃん、もう他の女の子と遊ばないって! それって、オレと遊んでくれるってことだよね?」
「違う!」
「いや、違わないよ!」
「お兄ちゃんは……、ダメなの!」
何がダメなんだ? こんなに好きなのに?
「そんなにアイツのことが好きなのかよ!」
「違う、そんなんじゃないの! 離して!」
暴れるフッカを抱きすくめて叫んだ。
「もう、つべこべ言わずにフッカはオレだけ見てりゃいいんだよ! オマエはオレの嫁さんになるんだから!」
目を見開いて驚いているフッカの唇にオレの唇を思い切りぶつけた。
二枚のマスク越しに、柔らかな皮膚の弾力の奥にゴツンと硬い歯があった。
甘いキスなんてものじゃない。鼻をぶつけて、前歯が折れそうなほど頭に響いた。口の中に血の味が一気に拡がってぬるぬるとする。
ただ、腕の中の少女を自分だけのものにしたかった。
フッカの表情が凍りついて、そして震えた。
「もう、いやだ、お家、帰る……」
フッカはその場にしゃがみ込んで、激しく頭を振ってわあわあと泣き出してしまった。
泣きじゃくるフッカを撫でたりさすったりしていたけど、いつまでたっても泣き止む気配がないまま辺りは暗くなって、それで、抱えるように家まで送って、ママさんに引き渡した。
ママさんは何も聞かずにフッカを抱きしめて、
「ありがとうね。これからも一緒に遊んであげてね」と全てを理解した顔で寂しそうに笑った。