運命の岐路①
新島の中心部では、数多の人が我先にと護衛艦へ走っていく。慌てず整列して乗り込むように誘導係が言っても、この非常事態では統制を取ることは難しい。真面目という日本人の美徳は、生命の危機には無意味だった。
その原因は、イグドラシルのワームホールを塞ぐようにして空に浮かぶ魔導艦にあった。B・Sは戦闘開始までに、24時間の猶予を与えた。その間に、住民を脱出させよというのだ。しかし、もしこの間に住民の脱出に関係の無い何らかの軍事行動が見られた場合は、即座に攻撃を加えるとのことだった。要は、今の新島基地の戦力で戦え、ということのようだ。
秀も、ヘルカを警務隊に引き渡し、穂高を格納庫に戻して仮眠を取ると、すぐに脱出の支援に回った。街の中心部あたりでは混乱が見られたが、港が近くなり護衛艦の姿が近くなると、流石に落ち着いたのか、そわそわしながらもある程度大人しく並んで乗り込んでいく。秀の役目は、道の誘導と治安の維持だ。新島の警察官や警務隊だけでは手が回りきらないということで、訓練課程の兵が動員されている。
誰もが不安を顔に貼り付けて歩く。いきなり無差別に攻撃してこないだけ温情があるのかもしれないが、それでも島民にとっては住み慣れた場所から、突然無理矢理引き離されているのだ。不安にならない方がおかしいというものだ。
秀は、横目で同じ業務をしている衍子の顔を見た。彼女は生粋の新島島民だ。大戦時は、当時の青沼家がたまたま新島から離れていたおかげで助かっているので、青沼家は二度も故郷から追われることとなってしまった。このことについて、衍子は特に何も言っていないが、激しい怒りに身を包んでいるのは、その目を見ればわかることだった。
今仕事をしているのは本村地区なので、若郷に住む衍子の家族の姿は見えない。それで良かったと秀は思った。今の衍子に余計な刺激を与えるのは危うい。ヘルカとの戦闘で思い知ったが、冷静になれないと命を落とす。今の衍子はその点においてかなり不安だ。一弘についても精神状態が気になるので、二人には後でしっかり声をかけようと思った。
しばらくして、日が高くなる頃には混乱も落ち着いてきた。しかし、夏の炎天下の新島で備え無しに外に長時間出ているのは、別の問題が出て来る。体調不良者が続出していた。そうなる前に水分を配っているが追いつかない。秀も配っていたが、だんだんと気分が悪くなっていくのを自覚していた。先の戦闘の疲れも取れておらず、また戦闘服を着込んでいるため、体にかなり熱がこもっているのを自覚していた。それでも市民より先に倒れるわけにはと我慢していたが、強い眩暈を感じてすぐ、秀は意識を失った。
***
新島基地の大会議室で、マクティグ王国軍の参謀長が前に歩み出る。今、国連軍、日本軍、ガイア軍、そして王国軍による合同ブリーフィングが開かれている。各軍参謀による作戦会議は終了し、それを幹部に説明するところだ。B・Sがヨルズの兵器を使うということで、王国軍から説明することとなった。
「結論から申しますと、我々は徹底した持久戦を展開するのが妥当です」
この言葉には動揺は無い。持久戦になることは、多くの人が予想していたようだ。
「B・Sはマクティグ王国で活動していたレジスタンスです。規模は大きい方ですが、最近分裂したらしく、兵の数としては多く見積もっても我々の十分の一にも満たないでしょう。しかし、超級魔導艦を保有しているので、総戦力はあちらの方が上と推測されます」
「超級魔導艦とは?」
日本陸軍第一機動連隊長が挙手して質問する。ガイア軍の者も疑問なようで、何人かが参謀長に説明を促す目を向けた。
「魔導艦は、初級、中級、上級、超級の四つに分類されており、超級はその最上位に位置します。超級は、皆さんもみた通り巨大であるだけではなく、装甲や兵装も相当強力なものを使っています。ですが、これを動かすには莫大なエネルギーを必要とします。かつて我が国で運用していた時は、一日動かすのに10人の超人を犠牲にしていました。ですが、B・Sがそれだけの超人を抱えているとは考えられません。ですので、エネルギー源となる何かを使っていると見るのが自然です。その何かは、始祖のトロルか、それに準じる力を持つトロルだと睨んでいます」
長々と説明していた参謀長が一息付いた。そして、これまでより少し強い口調で告げた。
「つまり、ほぼ無限に動くと思われる超級魔導艦を轟沈させるのは現状の戦力では不可能です。徹底した持久戦で、戦況を膠着させる他に、我々が生きる術はありません」
「待ってください。なぜ沈められないのですか。そもそも始祖とは何です?」
先の連隊長が質問する。知らないのも無理はない。超級魔導艦も始祖のトロルも、戦争で使われていたことは昔のことだ。直接目にすることもなければ、王国軍の戦術教本にも出て来ない。他世界の人間では、歴史に興味があるような人でなければ知る由はない。
「超級魔導艦の装甲を貫けるのは超級魔導艦か、始祖レベルのトロルくらいです。少なくとも、新島基地の戦力で沈められるものではありません。ですが、超級魔導艦は、ヨルズの国家は過去に全て廃棄しています。始祖のトロルについては、説明すると長くなるので、非常に強力なトロルであるとだけ申し上げます。気軽に使える代物ではありません」
「一応、余の方で始祖のトロルのひとつであるミョルニルを寄越せるか打診はした。あとは返答待ちだが、もし超級魔導艦と始祖のトロルが直接ぶつかり合えば、災厄にも等しい被害がこの一帯に起こる。それは分かっていただきたい」
ソルヴァルズはこのブリーフィングを無言で見守っていたが、地球とガイアの将校の不安が拭えないようだったので、落ち着いた口調で告げた。後半はまた不安を掻き立てるような内容になってしまったが、始祖のトロルを使うかもしれない状況で、最低限知っていて欲しいことだった。
「失礼するぞ」
この場に似つかわしくない、幼い少女の声が、薄暗い部屋に響いた。エイレーネだった。その後ろには基地司令と、王国軍の副将軍もいる。三人は、B・Sと戦闘回避のための交渉に出ていた。
「交渉は決裂した。彼らは建国のための土地を欲しがっている。だがコロニーも含めてテロリストに渡せる土地などない」
新島基地司令が吐き捨てる。ソルヴァルズもその気持ちだ。マクティグ王国は、大・ミズガルズを統一した後、反乱や一揆は全て鎮圧してきた。場所が変わっただけで、ここでもやることは変わらない。
途中から入ってきた三人に、おさらいがてら改めて方針を説明する。それを聞き終えると、エイレーネが口を開いた。
「超級魔導艦というのは、内部から破壊出来ないのか?」
「まず無理でしょう。そもそも、規模が大きすぎますし、仮に破壊できたとして、次に始祖レベルのトロルとの戦闘になると予想されます。破壊を目論むより、戦力の消耗による撤退を狙う方が合理的です」
参謀長の説明に、エイレーネも納得したようで、それ以上何かを言うことはなかった。
それからは、具体的な作戦説明に入った。ヘルカのおかげで、王国軍の上級トロルが何体か失われたのが手痛く、対トロルは王国軍を中心に、MG部隊とギガースが担う。対歩兵は、相手に超人がいることを考慮して、王国軍の超人部隊と、ガイアの魔術師部隊と地球の機械化歩兵部隊及び無人機が相手をする。歩兵に関しては、ヘルカを通じて基地内の構造が漏れていると想定した配置を行う。
説明が終わると、それぞれが慌ただしく動き始める。あと半日で戦闘準備を完了しなければならない。部隊長クラスの者は、歩きながら指示を出していた。やがて彼らはそれぞれの持ち場に散っていき、エイレーネとソルヴァルズが残った。すると、エイレーネが不意にキョロキョロし始めた。
「どうした?」
「盗聴されてないかと思って」
その言葉を聞いて、ソルヴァルズの表情が引き締まる。ソルヴァルズ地震でも確認してみたが、盗聴されているということは無さそうだった。とはいえ念のため、魔術で大会議室の入り口のあたりを真空にした。それから、エイレーネは神妙な顔で話し始めた。
「多分、本国はこの隙を逃さないと思う」
「なるほどな。不思議ではないが、まだ狙っていたか」
「なんなら、ガイアではまだ戦争中扱いだからな。彼らに敗北という概念は無いのだから」
エイレーネは苦々しく吐き捨てた。それから、すぐにソルヴァルズを見つめ直した。その目は微かに潤んでいて、握りしめた手は震えていたが、出てきた言葉は強かった。
「もし、本国が攻めてきた場合は、私たちは地球側につくぞ。もし誰も着いてこなくても、私だけは新島を守る」
ソルヴァルズは無言で考える。エイレーネの言っている内容は理解できるし共感できるが、ブリーフィング時にそれを言わずに自分にだけに伝えた意味を考える。その意味に至った時、ソルヴァルズの口からスルリと言葉が出てきた。
「君は、王族であることが嫌なのか?」
エイレーネはその問いに答えず、沈黙していた。ソルヴァルズもそれ以上は何も言わず、エイレーネを見つめる。やがて、エイレーネの瞳が潤んできて、それを合図に彼女は大声で泣きだしてしまった。
「ああ、そうだ。ガイアの王族になんて生まれたくなかった。ガイアの思想は嫌い! 大嫌い! なのに、王族に生まれただけで、嫌いな国を背負わされて、軍の指揮官やらされて! 新島の皆を、秀を後ろから撃つようなことを強要されるかもしれない。嫌だぞ、王族なんて!」
エイレーネは喚き続ける。どれだけ王族の仕事ができたところで、エイレーネは所詮14歳の少女なのだ。ソルヴァルズは自分が同じ王族だからこそ、その嘆きを正面から受け止められた。
「そうか。苦しいよな」
ソルヴァルズは、エイレーネを優しく抱きしめた。服を涙が濡らすのを感じるが、気にしなかった。
「王族してじゃない。一人の町娘として、秀と会いたかった」
「うん」
「もし秀に敵として見られたら、私、耐えられない」
「うん」
そこから次の言葉は、なかなか出てこなかった。ソルヴァルズも、無言でエイレーネを待つ。ややあって、少し元気になった感じの声が聞こえた。
「こんなことしてもいいのか? 奥さんに悪いぞ」
「そんなこと言ったら、余だって景浦士長に悪い」
ソルヴァルズが冗談めかしていうと、エイレーネはガバッと顔を上げ、ソルヴァルズの腕からすり抜けた。顔は赤く、涙の跡はあるが、泣いてはいない。エイレーネは一歩下がって、照れ臭そうな笑みをソルヴァルズに向けた。
「思い切り泣いたらスッキリしたぞ」
「そうか」
「ありがとう、ソルヴァルズ。ソルヴァルズが友達で良かった」
「余も、エイレーネが友で良かったよ」
ソルヴァルズの言葉は、心からのものだった。それから、二人とも自然に握手をしていた。エイレーネの手は、小さくとも熱かった。その手を、ソルヴァルズは強く握った。
「勝つぞ、この戦い」
「当然」
エイレーネも、強く握り返した。その強い眼差しは、既に王族たるに相応しい堂々としたものだった。
***
秀が飛び起きると、そこはカーテンに囲まれた真っ白い部屋だった。戦闘服のまま慣れない硬いベッドで寝て、腕には点滴が刺さっている。それで、秀はここが医務室のベッドだと理解した。
(ああそうか。熱中症で倒れて……)
そこまで思い出して、秀はハッとして窓の外を見た。外は真っ暗で、既に日が落ちている。しかし、戦闘の音は聞こえてこない。腕時計を確認すると、現在時刻は2036で、B・Sが示した時間には至っていない。
「景浦士長、点滴の交換に来ました。あ、目を覚ましましたね」
看護官がカーテンを開けて入ってきた。看護官がテキパキとバイタルサインのチェックを終え、最後に尋ねる。
「何か調子の悪いところはありますか?」
「いえ、特には」
「分かりました。先生呼びますね」
看護官が端末を使って医官を呼び出す。その医官はすぐにやってきた。色々と質問されたので、秀は素直に答えていく。
「意識も晴明、脱水症状も今は無し。バイタルも正常みたいだし、もう帰ってもいいよ」
「了解です。ありがとうございます」
秀は点滴を抜かれてからベッドを離れた。医務室の待合室で、待っていたらしい新太に出会った。
「お、体調は大丈夫か?」
「はい、問題ありません」
秀は背筋を伸ばして答えた。新太は満足げに頷いて、秀の肩を叩いて歩き出した。秀も、その半歩後ろをついていく。医務室を出ると、秀は最も気になっていた疑問を口にした。
「久我山教官、私たちにはどのような命令が?」
「訓練課程の者は例外無く待機だ。各自英気を養うことに注力せよ、とのことだ」
「そうですか。分かりました」
秀は言葉の上では素直に了承したが、全身をもどかしさに貫かれていた。そのまま空を見上げ、星を隠す巨大な影を強く睨みつけた。