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激変の狼煙④

 ヘルカは、敵を引き離したのを確認すると、高度を下げて市街地戦用の演習場に身を潜める。遮蔽物は多く、身を隠すには最適だ。海中や式根島と迷ったが、ミスティルテインが水中戦を行ったという話は聞いたことがなく、新島基地でもそのような訓練を行ったことはない。式根島に行けば民間人を巻き込む可能性がある。短時間ならともかく、いつまで隠れればいいのか正確に分からない状況で、博打はしたくなかった。


(追ってくるなら来い。こっちは射程外から攻撃できるんだ)


 乾いた唇を舐めながら、ヘルカは矢を準備する。トロルのコアからの景色は本来肉眼と同等だが、そこに魔術を噛ませることで、夜の闇の中でもはっきりと敵が見える。また、科学的なセンサーの類も装備しており、トロルが本来捉えられないような潜んでいる敵も正確に発見できる。

 そのセンサーに、なかなか敵が映らない。妨害電波でも出されているのだろう。仕方がないので、基地の方角に目を凝らす。格納庫も、ギガースの詰所も、今のヘルカの背後には無い。演習で使われたMGやトロルは既に撤収済みだ。以上から、ヘルカを追うには基地からの動きでないと出来ないため、基地の方だけを見張ればよい。

 ヘルカはそのように考えていたが、どうにも嫌な予感が拭えなかった。奇襲で、相手が超人の駆るトロルであったとしても、三宇宙が集う基地が、この程度のはずはない。


(もしかして、嵌めたの? この私を?)


 不安が強まる。ヘルカは、自分の周りに黒い壁が出来たような気がした。いくらB・Sとして経験を積んでいても、一人で遂行する作戦はこれが初めてだった。積み上げた自信が一瞬で崩れそうになったが、ヘルカは自らの頬を叩いて、気を持ち直した。


(落ち着け、私。そもそも、現時点で作戦の最低目標は達成しているんだ。生き残ることだけ、生き残ることだけ……)


 ヘルカは自分に言い聞かせるが、なおも不安は拭えない。なんとか気を紛らそうとして、ふとミスティルテインの首を180度回してみた。すると、すぐ後ろの闇の中に、微かに白刃の閃きを見た。


「ッ!?」


 ヘルカは咄嗟にミスティルテインを前転させる。次の瞬間には、先程までヘルカがいたところに大刀が振り下ろされていた。その大刀も、闇夜の中ではほとんど見えない。それを持っている何かもだ。刀の主が目視出来ないのは、魔術によるものではなく、殆どのMGに標準搭載されている光学迷彩によるもの、とヘルカは当たりをつけた。


(光学迷彩で、音は無かった。景浦士長か。いろいろ、厄介な相手だけど)


 流石に、刀を振った音まで無くすことができるような技術は無い。それを実現するなら魔術だが、MGに乗る神格持ちは、秀しかいない。それに気がついた時、ヘルカの口から笑いが漏れた。


「どんなに優れた技能があっても、たかだか新兵で私に勝てるわけはない!」


 ヘルカは自分を鼓舞するように叫んだ。それで、のしかかっていた重圧も吹き飛んだ。穂高は、潜んでいた時間を考えれば、そろそろ光学迷彩を一旦切らねばバッテリー残量が危ない時間だ。ならば、秀の次の一手は死角からの奇襲に他ならない。今、ミスティルテインの右手に矢がある。それを考えると、秀が来る方角は、右後ろに他ならない。


「そこだあッ!」


 ヘルカは、振り向きざまに弓を捨て、左手に光の矢を新たに出現させ、右後ろから刀で斬りつけようとしていた穂高に投げた。その動きを見た秀が咄嗟にスラスターを吹かし、右に飛ぶ。しかし、それはヘルカの予測のうちだった。すぐさま、ミスティルテインを機体ごと穂高にぶつける。

 魔術をMGの動作の補助に使えたとしても、MGそのもののように重いものを動かすには相当の訓練が要る。実際、今度は避けきれず、穂高はミスティルテインに押し倒された。


        ***


 ——死。その予感が秀の全身を支配した。完全に抑え込まれた。思わず目を瞑る。しかし、次の一撃が来ない。恐る恐る目を開いてみれば、ミスティルテインは光の糸のようなものを出していた。


(殺さない? 生捕りにするつもりなのか?)


 すぐには殺されないらしいと分かって、秀は落ち着きを取り戻した。しかし生捕りにされるのも嫌だった。自分にどのような価値があって生捕りにされるかは分からないが、新島から離れるのは心底御免だった。


「うおおお!」


 秀は掛け声と共に、ブースターの出力を全開にし、更に魔術で穂高のパワーを限界以上に上げる。先程のように体全体で抑え込まれていたならそれでも脱出できなかったが、今は隙がある。その隙をついて、秀は一気に脱出した。

 秀はヘルカと距離を取りつつ、次の手を考える。今の市街地演習場は、自分に有利なように細工されている。そこかしこにばら撒かれた地雷と、魔術罠がヘルカを足止めしてくれるのだ。格納庫近くで行われた戦闘の一番の目的は、ここに誘い出すことだった。突貫で細工をした割には、今までヘルカに気が付かれていないのは賞賛に値する。そして、それは今のところ作戦が上手くいっているという証拠だ。


「俺がぶち壊さないようにしないと」


 自分に言い聞かせるように、秀は何度も小声でつぶやいた。この場では、秀も時間稼ぎのための囮にすぎない。今回の作戦の目的は、ミスティルテインを修復可能な程度の損壊状態に抑えた上でヘルカを確保することだ。もちろん、それが望めないならヘルカをミスティルテインごと葬ることになる。しかし、秀としては何とかそこまではせずに自分の役目を終えたい。あと一時間もしないうちに、マクティグ本国から救援が来るという。殺す殺さないは、彼らに委ねたい。

 秀は体勢を立て直すと、一度ミスティルテインから距離を取り、罠の後方に退避する。この罠は、攻撃性の魔術を検知し、その対象を罠に変更するものだ。ミスティルテインは魔法攻撃が前提のトロルであるので、この側にいれば、少なくとも一度は攻撃を凌げる。

 だが、待てど暮らせどヘルカは攻撃してこなかった。時間が経つにつれて、秀の心臓が強く締め付けられる。もはやこれまで、となる寸前で、ヘルカの声が魔術で届いた。


「景浦秀。私と共に来い」


 その言葉の意味が、秀はすぐ理解できなかった。呆気に取られて沈黙していると、またヘルカの声が聞こえてきた。


「自分を知りたいのなら、君は私たちと来るべきだ。新島に居ても、これ以上何も知ることはない!」


 ヘルカはハッキリと告げた。極度の緊張にあったからか、その言葉だけで秀の心は揺らぎかけた。しかし、そのような不確かな情報に載せられるべきではないと、秀の理性が囁いた。


「そんな、口先だけの言葉が信じられるかよ。詐欺師はみんな口がうまいんだぜ」


 強い言葉とは裏腹に、秀の声は震えていた。どうしても、強く言い切ることができない。これではいけないと思うものの、思えば思うほど、全身が緊張し、焦燥感が秀の心を支配する。


「秀」


 不意に、ヘルカではない優しい声が聞こえてきた。エイレーネの声だった。不思議と、心が落ち着いた。この声のために戦場に出たことを思い出す。もう吹っ切れた。秀はモニター越しにミスティルテインを睨みつけ、魔術に声を乗せて叫ぶ。


「ヘルカ! 俺はお前とは行かない! お前は、俺の敵だ!」


「それでこそ男だ。私とて、あんな言葉ひとつでホイホイ着いてくるヤツだったら幻滅するから、ね!」


 ヘルカが、言葉を終えると同時に飛び出してくる。ミスティルテインは罠に向かう。どうせ攻撃を潰されるなら最初に破壊しておこうという算段だろうか——秀は考えながら、次の罠の位置まで移動する準備を整える。市街地演習場に設置された罠は計10個だ。援軍があと50分ほどで来るとすれば、ひとつ破壊されるまで5分凌げば良い。

 しかし、5分というのは秀にとっては大変長い時間だった。ヘルカとの戦闘が始まって今に至るまででちょうど5分ほどだ。


(耐え切れるか? まだ俺の理性が残っているうちに、ヤツを無力化する方がいいんじゃないか?)


 秀は混乱する自分を自覚しつつも、そこから脱することはできなかった。周りには指揮官も同僚もいない。自分で自分を律するしかないが、まるで底無し沼に落ちたかのように、秀は正気を失いつつあった。ヘルカの誘いに乗っておけば、こんな苦しい思いをせずに済んだのではとさえ思ってしまう。


「助けてくれ……」


 ヘルメットのマイクも拾えないような声で、秀は呟いた。すると、小さな手が後ろから現れて、秀の体をそっと包み込んだ。


「エイレーネ? どうして」


「私がそばにいてあげるから。二人で戦おう」


 エイレーネが囁く。それだけで、幾分か落ち着いた。彼女がそばにいる理由はもう考えない。今はただ、自分の役割を全うする、それだけだった。


(年下の女にここまでされて、またヘタれたら情けないからな)


 口には出さずに秀は意気込む。エイレーネの体温を感じながら、操縦桿を握り直した。かかってこいと身構えていると、不意にミスティルテインが後退を始めた。


「逃すか!」


 ミスティルテインとの距離を変えずに、秀は穂高を走らせる。一方で、罠の効果範囲にも気を配る。そこから穂高が抜け出せば、ミスティルテインの攻撃が届く。まだヘルカに秀を生捕りにする気があるのなら、秀にとってはそこに懸けるしかない。エイレーネの存在を側に感じながら、秀は覚悟を決めた。


        ***


 ヘルカは秀が追ってくるのを背中で感じていた。秀が演習場に留まり続けていれば生捕りは諦めていたが、追って来るならちょうどいい。人質にしてしまえば、ある程度の時間も稼げるだろう。

 二機間の距離と罠の効果範囲を考えると、このままの速度で十秒ほど動いていれば、急に引き返しても穂高の性能ではミスティルテインの矢から逃れることはできない。攻撃を誘うのが秀の作戦かもしれないが、超人としての経験はヘルカの方が上だ。凡人の中で長く過ごしてきた秀には、いくら神格持ちだろうと勝ち目は無い。

 ヘルカは勝てると確信し、振り向きざまに穂高に向けて矢を放った。矢はまっすぐ飛んでいき、穂高にそのまま突き刺さる——かのように見えたが、矢はそのまま穂高をすり抜けて、彼方に飛んでいってしまった。

 全くの予想外な展開に、ヘルカの思考は完全に固まった。しかし、すぐひとつの可能性に辿り着く。


「……認識阻害か!」


 だがそれに気がついた時には穂高が目の前に現れていた。そして、夜の闇に刃が閃き、あっという間にミスティルテインが達磨にされ、地面に墜落した。こうなってしまうと、いくらミスティルテインが高級なトロルだとしても、戦うことはできない。

 ヘルカはため息をついて、時間を確認する。現在、0時に差し掛かろうとするところだ。それで、十分に時間は稼げたとヘルカは安心した。それから、落ち着いた声で秀に声を魔術で届ける。


「大人しく捕まってあげよう。景浦士長の頑張りに敬意を表してな」


 ——最後に勝つのは、結局私たちだからな。その呟きは、誰にも聞かせることはなかった。

 ヘルカは秀の返事は聞かずに、夜空を見上げる。ミスティルテインを押さえつけている穂高の向こうに、丁度イグドラシルのワームホールが見えた。


        ***


 秀は、操縦席でずっと浅い呼吸を繰り返していた。ヘルカの声が聞こえた気もするが、疲労困憊で何を言っていたかまるで分からなかった。

 認識阻害の魔術は、エイレーネの指導のもと何度か練習していたものの、MGにまでかけるのは初めてだった。それで、自分のエネルギーをかなり使ってしまった。うまくいったから良かったが、今思えば無謀な賭けだった。しかしこれも、側にエイレーネがいてくれたからだ。


「ありがとう、エイレーネ」


 礼を言ったが、返事が無かった。そこで周りを見てみると、そもそもエイレーネがいなかった。考えてみれば、今は司令所にいるはずのエイレーネがここに来るはずがない。錯覚だったかと秀は納得し、全体重をシートに預けた。そうすると、疲れと安堵からか、強烈な眠気が襲ってきた。そのまま眠りにつきそうだったが、すぐにただならぬ気配を感じて、眠気を押し退けて操縦席から出た。

 ぬるりとした夏の夜の空気を感じながら、空を見上げる。すると、イグドラシルのワームホールから、何か巨大な軍艦のようなものが出てきているのが夜闇の中でも見えた。視覚の上では豆のようだが、見ているだけで押し潰されそうな感覚があった。不快さから操縦席に戻ろうと思ったが、体が動かない。秀はなぜかその迫力に釘付けにされてしまっていた。


「我々はブロウズグ・シュベルズ。新島を、奪いに来た」


 不意に聞こえた低い女の声は、秀が受け止めるにはあまりにも重かった。


「この土地には、伝説の舞台になってもらう」


 女が言い終えたとき、日付が変わり、8月1日が始まった。

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